第5話 女子高生と噂話
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「おはようございまーす!」
女の子たちは次々に挨拶をすると、店の奥のテーブルに座る。店員が彼女たちに近づき声をかけた。
「みんなおはよう、早速だけどやってもらっていいかしら?東京から来たお客さんなんだけど」
「はげー、東京から!? よし、それじゃあ気合い入れていくよー」
明るい茶髪のショートッカットの子がリーダーらしい。みんなに何やら簡単な指示を出すとケースから見た事のある楽器を取り出し、カウンター席の椅子に腰をかけてこちらにくるりと向きを変えた。
「おおっ! それ、三線ってやつだな」
「お、お兄さん知ってる?」
タカヒロ先輩に向かってそのショートカットの女の子が楽器を突き出していった。大きくぱっちりとした二重まぶたが印象的で、その上でアーチを描く細めの眉はキリッとした男勝りな印象を与えていた。
「前に沖縄で見た事あるし、最近電話のコマーシャルでもやってたな」
「そう、でも奄美の三線は沖縄とはちょっと違うんだなぁ」
「リコ、講釈はいいから唄やろう」
後ろからポニーテールの女の子が声をかけた。南国風の美人だ。
「リコちゃん、シマウタ語りだすと長いねんて」
なぜか奄美なのに関西弁の女の子も加勢する。
「わかったっちば! じゃあ、質問とかあったらいつでも声かけてください。まず朝花節という唄から。これは奄美のシマウタで挨拶代わりにうたう唄です」
その声を合図に、リコと呼ばれたショートカットの子が三線を奏でる。
ぴんと張り詰めた甲高い弦の調べが店内に満ちる。コロコロと転がるような独特の三線のメロディーは沖縄の曲とはまったく異なるものだった。やがてポニーテールをした女の子が三線に歌をのせる。
その瞬間、私の体の中を頭のてっぺんから爪の先まで電撃にも似た衝撃が突き抜けた。
歌いはじめの低く深い声から、わずか一小節の間に一気に裏声を使った高いキーまで歌声が駆け上る。その祈りにも似た歌声は少女の口から波のように柔らかな起伏のあるメロディーとなって発せられている。透明感のある不思議な歌は昨日耳にしたアキの歌とメロディこそ違うけど良く似ていた。私たちはいつもの無駄なおしゃべりすら忘れてその歌声に聞き入っていた。
ポニーテールの子が歌い終わると、今度は関西弁の子が別の歌詞で歌い始めた。彼女も聞きなれない言葉を巧みに操り、店内に歌の洪水を引きおこしていく。
注文したドリンクがテーブルに運ばれるまで、私たちはどこか異世界に迷い込んだように店内を満たす不思議な空気に身を委ねていた。
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「君たち高校生だろ? 凄いねぇ!」
「ありがとうございます。あたしたち、近くの高校の部活でシマウタをやってるんですよ。ここでは活動の一環として定期的に演奏させてもらってるんです。シマウタっていうのは奄美に古くから伝わる唄で、この『シマ』というのは『集落』の意味でもあるんです」
「みんな素晴らしかったわ。歌も言葉の意味もわたしの知らないものだけど、心に響いたのは本当よ」
ヒトミ先輩の言葉にロングヘアの女の子が清楚な微笑みを返す。
「ありがとうございます。そういっていただけると何よりです。シマウタは私たちシマッチュにとっての『心』ですから」
そういって女子高生たちは顔を見合わせて嬉しそうな照れくさそうな表情を見せた。そんな彼女たちの歌声に魅せられたのは私だけではなかったようだ。タカヒロ先輩もヒトミ先輩も彼女たちに興味深そうな様子で歌の意味や歌唱法などを質問している。そんな二人の様子を見て私にはひとつの確信めいた思いがよぎった。意を決するようにごくりと喉を鳴らし息を飲み込むと、制服姿の女子高生たちにに向かって質問を投げかけた。
「ねぇ、あなたたち『烏山アキ』っていう子を知ってる? その子もシマウタを歌っていて、すごく上手だったんだよ。あなたたちと同じ制服を着ていたから同じ学校と思うんだけど」
「からすやまあき? あたしは知らないなぁ……サヤカは知ってる?」
リコが一番端に立っていたロングヘアの子に向かって問いかけるも「いいえ、私も知らないです」と首を振った。その時、シマウタライブには参加せずに奥のテーブルに一人で座っていた子が「わたし知ってるかも」といった。その声にリコが反応する。
「ユウナ、知ってるの?」
ユウナと呼ばれたお団子頭の女の子がこちらのテーブルに歩いてくる。
「ひとつ上の元演劇部の先輩に烏山先輩っていたんです」
「元演劇部という事はクラブは辞めたって事なの?」
「はい、私は現役ですけど、去年ちょっとした事件があってそれで……」
「事件?」
私は真剣な眼差しでユウナを見つめた。
「でもお姉さん、どうして烏山先輩の事を知ろうとするんですか? みなさんは東京から来たんですよね?」
もっともな質問だった。東京からの旅行者が地元の女子高生の事をあれこれ聞いてまわっているのは怪しいと思われても仕方がない。
私はユウナの質問に答える代わりに、ヒトミ先輩とタカヒロ先輩に告げた。
「私、アキに今回の映画に出てもらいたいと思ってます。彼女の歌を映画に使えないでしょうか?」
「はぁ?!」
その場にいた私以外の全員が声を揃えた。
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「蓮華。面白い意見だとは思うけど、おれは出演してもらうならここの店員さんに、おぶっ……!」
三たびヒトミ先輩の拳が叩き込まれてタカヒロ先輩は体をくの字に折った。
「蓮華、あなたは本気でそう思ってるの?」
「はい。今日、彼女は私に会いに来てその結果ちょっとトラブルに巻き込まれましたけど、彼女、映画に興味があるっていってましたし、それに浜辺で歌をうたっていた彼女をみて私はアキのもつ、なんていうか、不思議な魅力に惹かれたんです。間違いなく彼女はスクリーン映えするはずです」
「しかしなぁ」
タカヒロ先輩は脇腹を押さえながら困惑した様子でいう。
「あの子、芝居するにはおとなしくないか? 声も小さいし、リアクションも薄かったし」
「あの……」
ユウナが会話に割って入った。
「お姉さん、烏山先輩の事件のこと、知りたいですか?」
「知りたい! どんな事でもいいから教えてもらえない?」
ユウナは双眸に力をこめて前のめりになった私を見つめ返した。
「彼女、おそらく二重人格だと思います」
ユウナの言葉は私の後頭部に鈍器で殴りつけたような重い衝撃を与えた。
「それ本当?」
「ええ多分。あまり詳しくは知りませんけど『カイリ』とかなんとかいっていたと記憶してます。精神病のひとつだと他の先輩がいってました」
「解離性同一性障害か……」
ヒトミ先輩は真剣な面持ちでユウナの話を聞いていた。私ははっとして咄嗟にヒトミ先輩の方に振り返る。
「知っているんですか?」
「当然。心理学部なめないでよ。いわゆる多重人格は外部要因によって後天的に発生する場合があるわ。ただ、別人格が形成されるまでにいろいろと解離の兆候は見られるらしいけど」
「これはあくまで噂ですよ。あと、わたしがいったという事は誰にも内緒ですよ。リコたちも」
「わかった」
リコも私たちも頷いた。ついさっきのシマウタライブの際にBGMを止めてそのままになっていたため、店内は異様な沈黙に満たされていた。
「去年の話ですけど、烏山先輩は授業中に突然、三階の教室の窓から飛び降りようとしたらしいです」
「自殺を図ったって事?」
ヒトミ先輩が重い口調でいう。その眉間に深いしわが刻まれる。ユウナはだまったまま目線だけでイエスのサインを送った。
「教室にいた他の先輩が、咄嗟に烏山先輩の腕を引っ張って引き戻したらしいですけど、その時先輩ひどい興奮状態で、わけのわからない言葉をずっと口にしていたそうです。まるで、ホラー映画で悪魔が取り憑いた時みたいだったって……当時、演劇部の先輩が話をしていたのを聞きました」
「その事件が二重人格の噂に?」
「いえ、実はその前から少し変な事があったんです。烏山先輩は元々明るくて活発な性格だったんですが、ある時から急におどおどした性格になったんです。稽古場に来ても初めてそこにやってきたような、そんな感じがしていました。同じ学年の友達とも急に距離を置き始めて、まるで人と関わりたくないような感じでした。ところが、ある日の部活での通し稽古の時に、今までに見せたことがないくらい大人びた演技をして、その時の性格や顔つきまで豹変していたので、そういう二重人格の噂がたったんだと思います。結局その後、烏山先輩は演劇部をやめてしまったんです。部内でも色々と噂が飛びかってましたから、居心地が悪くなったのかもしれません。飛び降り事件があったのは先輩がクラブを辞めてしばらくしてからの事だったと思います。わたしが知っているのはここまでです」
私はその話を聞いて私は浜辺で歌っていた彼女の事を思い出していた。水平線の彼方に届くような声で堂々と歌っていたアキが、後ろから声をかけたとたんに、天敵に怯える小動物のようになったのは、多重人格と関係があったのだろうか。それとも、ただ単に急に声をかけられて驚いただけだったのか。
どちらにせよ、私がアキの事を知ろうとすればするほど、彼女の不思議な部分が大きく深くなるばかりで、結局、彼女の実態をつかむことはできなかった。シマウタが上手で、元演劇部で、多重人格者。断片的な情報だけがふわふわと宙に浮いているようで、まだそれらが一本の糸でつながることはなかった。
「貴重な話をありがとう。もちろん、この話はここだけの秘密にしておくわ」
私が考え込んでいる傍で、ヒトミ先輩はお決まりのウィンクを駄賃替わりに彼女たちに向けて飛ばした。それはユウナには効果てきめんだったようで、彼女の頬が収穫時を迎えた果実のように赤く染まった。
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「先輩はさっきの話をどう思いますか?」
近くのコンビニで食料を調達してからミニバンに乗り込んだ私は、窓の外を眺めていたヒトミ先輩に質問した。
「どうって?」
「私がアキに出演してほしいと思っている事です」
「うーん、まずはアキちゃんがどうしたいか、じゃない? 本人の意思を無視するわけにはいかないし、それに彼女の特殊な事情もある」
「そうですけど、でもこのクラブは私の事だってちゃんと受け入れてくれましたし、アキの事だってきっと…」
「蓮華、それはまた別の問題だ。それにお前の全てを全員が理解しているか?」
タカヒロ先輩は厳しい口調で言葉をはさむ。私が答えに困ってしまい口ごもると、ヒトミ先輩が助け舟を出してくれる。
「出るか出ないかはともかく、アキちゃんにはわたしも興味あるのは事実よ。シマウタを取り入れる話も考えないでもないわ。せっかく奄美で撮影するんだもの。奄美らしいシーンはあるに越したことがないわ。だから、その子さえ良ければいつでも連れて来て。ただ、例の一年三人組に会う事がないようにするべきね」
「あ、三人組で思い出した」
タカヒロ先輩が助手席でごそごそとポケットを探る。振り向いたその手にはスマホが握られていた。
「これ、さっきのレンタカーに忘れてたみたいだ。あいつらのスマホだろうな」
「なんか、間抜けてるわね。まぁ、普段からぱっとしない連中だったけど。今回のチーム分け、ケンちゃん大変だろうな」
「あいつらどんな映画撮るんだろうな?」
「ラブコメだとアツコがいってましたよ。なんでも金曜に花火大会あるらしくて、そこでラストシーン撮るとかなんとか」
ハンドルを握るヒロアキが正面を向いたままいう。
「荻山君! その話本当?」
ヒトミ先輩は座席から身を乗り出して運転席のシートに手をかけた。突然の素早い動作に驚いてヒロアキのハンドル操作がふらついて、車内が大きく揺れた。
「えと、ラブコメの事っすか?」
「違ーう! 花火よ花火大会! 本当にやるの?」
「ええ、ペンションにポスター貼ってましたよ? 見てませんか?」
「……しくじったわ。タカヒロ! 撮影スケジュール巻きで組み直すわよ!」
「先輩が、なんか変だ……」
まさかヒトミ先輩ともあろう人が花火大会ひとつでここまで取り乱すとは想像もしていなかった。先輩はスケジュール表を見ながらどこを巻こうかと必死に考えていた。
けれど、こういう時ほど、事はうまくいかないのものなのだ。