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第2話 ここは南国、奄美大島

  5


 奄美あまみ空港を一歩でたとたんに、むせるような南国の暑さと湿度を帯びた空気が私たちを手荒に出迎えた。遮るもののない広大な真夏の空から降り注ぐ強烈な日差しに、駐車場のアスファルトが揺らめいて見えるほどだった。

 バスやタクシーが並ぶ空港ビルの前の道路の傍らで、レンタカーショップの店員がホワイトボードに私たちの大学名と映画研究部の名前を書いたものをかかげてくれていた。

 南国らしくよく日焼けしたすこし訛りのある店員の案内で、レンタカーを借りる手続きを無事に終えると、撮影チームごとに二台のミニバンに分乗して私たちは空港を出発した。道端にソテツやヤシの木が茂る県道を、宿泊所であるペンションを目指して南に向かう。車を走らせて数分もしないうちに、私たち映研部員たちのテンションは一気に最高潮に達した。

 巨大なドーム状の建物を右手に見ながら、緩い上り坂を上りきると、私たちの左手にはアクアブルーとエメラルドグリーンの絵具を溶かしたような、まさにあのホームページの写真にあった紺碧の海が広がっていた。真夏の太陽の光をきらきらと跳ね返して輝く海は、はるか向こうの水平線で一直線に空との境界線を鮮やかに描き出していた。


「うおー、すげー! これ本当に海なのか! こんな色の海見た事ねえよ!」


 タカヒロ先輩は助手席の窓にへばりついて車窓の外を流れていく景色にくぎ付けになっていた。先輩だけでなく、車にのっていた全員がきらめく海に目を奪われていた。


「本当、すごい綺麗っすね!」

「ちょっと! ヒロアキ! 前見て運転して!」


 海に気を取られてハンドル操作がおろそかになるヒロアキを運転席の真後ろに座っていたトモコが身を乗り出して注意する。幸い対向車は来ていなかったため、大事にはならずにすんだ。


「運転手なんだから、よそ見するのはやめてよ!」


 トモコが口をとがらせると隣に座るヒトミ先輩が、まあまあ、と彼女をなだめた。とたんにトモコは上機嫌な表情になって先輩と楽し気に話をはじめた。その細い肩がくすくすと笑うたびに小刻みに揺れる。

 私は八人乗りミニバンの三列目のシートでタクローと並んで座っていた。窓の外の景色に見とれていると、タクローが私に話しかけてきた。


「蓮華さん、今回みたいなミステリーものって今までやった事はあるんですか?」

「ううん、ホラーはあるけど、ミステリーは初めて。ヒトミ先輩の監督っていうのも初めてだし、正直どうなるのかよくわからないんだよね」


 私は手荷物の中に突っ込んでいた台本を取り出してページをめくった。

 今回のシナリオは離ればなれになった姉と妹の再会というテーマの物語で、私は主人公でもある姉の『瑞希(みずき)』役だった。そして妹の『瑞穂(みずほ)』役はワカコに決まり、物語の鍵となる人物『あすか』役をトモコが担当する事になった。タクローは端役の他、照明・音声・進行が中心だった。


「僕は裏方の方がいいんですけど、さすがに七人チームだと完全に裏方になるわけにはいかないですね。端役とはいえ、自信ないんですよね……」

「だーいじょうぶ! 私もね、初めての映画はヒトミ先輩に無理やり出演させられたんだよ。でもね、その時に役者をやっていろいろと目覚めたんだ。役を演じるっていうのは、本当の自分ではないもう一人の自分が自由になれる、そんな時間のような気がしてすごく楽しいの。『蓮華』っていう名前も実は芸名だけど、初めて出演した映画の役が気に入って、それを私の名前にしたんだ」

「え? そうだったんですか?」


 タクローが目を丸くして驚きの表情を浮かべる。そういえば、今までこんな話を新入部員たちの前でしたこともなかったのに、私も南国の雰囲気にのまれてしまっているのかもしれない。


「それじゃあ、蓮華さんって本当の名前は?」

「それは秘密」

「何でですか?」

「ヒトミ先輩がね『女は謎が多い方が魅力的なんだよ』っていって、私の名前を封印したの。だから、私の名前はヒトミ先輩の許可が出るまでは秘密」

「えぇー、余計に気になるじゃないですか! 蓮華さん、学生証見せてください」

「ダメに決まってるでしょ!」


 拒否する私に向かってちぇっ、と小さく舌打ちしてタクローはすねた表情をする。

 そうだった、本当の私はずっと前にヒトミ先輩に預けたままだったんだ。今更ながらそんな昔のことを思い出してしまう。やっぱり私はちょっと浮かれているみたいだ。

 そう思ってふたたび窓の外に目を向けた。外の景色は、いつの間にか青い海から風に揺れる一面緑色のサトウキビ畑に変わっていた。


  6


「なんじゃ、こりゃあ!」


 タカヒロ先輩が叫んだ。憤怒の叫びではない。むしろ歓喜にわいて体中を興奮が駆け巡っていた。

 到着したペンションの道をはさんだすぐ向こうは広い砂浜で、穏やかな波の揺れる遠浅の海が一枚の絵画のように広がっていた。私たちが宿泊するペンション『亀ハウス』はそれほど規模が大きくないため、私たちが泊まるとほぼ満室になるため、宿もこのビーチも貸し切り状態だった。


「トモコ―! でかしたぞ! お前すっごいな! こんなロケーションがおれたちで貸し切りだぞ! こんな値打ちあるロケ他にないぞ」

「あ、ありがとうございます」


 タカヒロ先輩にぶんぶんと肩をゆすられて首をがくがく揺らしながら、トモコは愛想だけの返事を返した。


「いいじゃん。宿もいい具合にひなびていて素敵」


 ヒトミ先輩もご機嫌なようだ。ただ先輩のいう『素敵』の判断基準は謎だったけれど。

 車に積んでいた撮影用機材の積み下ろしが終了したところで、ヒトミ先輩が部員たちを集めた。


「みんな、長旅ご苦労さま。運転してくれた荻山君と西村君もありがとう。車は後でミニバンの一台を残して回収に来てくれる予定よ。車の予定表はタカヒロが管理しているわ。これからの予定は原則、チーム別での行動になるけど、いくつか共通の決め事をします。一つは夜九時には必ずこのペンションに戻り一日の活動報告をする事。食事については朝食はペンションで用意してくれるわ。他は各自自由だけど、一回生もいるので飲酒は最終日前日の打ち上げまでは厳禁ね」

「食事の買い出しとかはどうしますか?」


 質問したのは一年生の西村だった。


「コンビニにいくのに車が必要ならばタカヒロに相談して。あとは徒歩で十五分のところに商店があるけど、深夜はやっていないから注意して。タカヒロからは?」

「車だが今日はケンイチのチームが車使ってくれ。明日はおれたちが使う予定だ。明後日以降は今日の夜決める。以上」


 タカヒロ先輩がそれだけいうと、すぐにヒトミ先輩が言葉を繋いだ。


「じゃあ次に部屋割り表を配るわね」


 ヒトミ先輩が紙を配布すると、後ろの方から「きゃあ!」という悲鳴のような声があがる。


「どうかした? ワカちゃん?」

「い、いえなんでもありません……すみません」

 私は配られた紙に目を通す。ワカコはヒトミ先輩とリツコ先輩と同じ部屋になっていた。ヒトミ先輩のファンだと公言するワカコが嬉しさのあまりに悲鳴を上げたのだとわかった。

 私と同じ部屋はトモコとアツコだった。いつものメンバーで私はほっと胸をなでおろした。


「なーんだ、蓮華と同じ部屋かー。ワカコちゃん、わたしと代わらない?」

「い、嫌ですよ!」

「ちぇ。いーもんね。蓮華、楽しくやろ」

「ちょっとやる気なくなった」


 隣でアツコがあはは、と乾燥した愛想笑いをこぼした。


「それじゃあ、部屋に自分たちの荷物を置いたら早速行動開始。みんな気合入れていくよ!」

 全員で「おー!」と拳を突き上げる。その突き上げた腕の間を夏の日差しをまとった暑い風が吹き抜けていった。いよいよ私たちの長くて短い十日間の合宿がスタートした。


   7  


 早速ペンションのそばで撮影が始まった。浜辺に撮影用の機材が運び出される。


「カメラは大丈夫?」

「はい、問題ないです」


 ヒトミ先輩の問いかけにカメラマンのヒロアキはファインダーを覗き込みながら答える。


「今回の合宿では奄美大島のシーンをすべて撮影しないといけないから、スケジュールきっちりでいくわよ。蓮華用意して」

「はい」


 私は浜辺に静かに立つ。足元で波の音が間断なく繰り返されている。小さな砂粒が波に洗われるたびにちりちりと音を立てた。

 シリアスな雰囲気の映画を撮るのは今回が初めてだったけれど、とにかく思うようにやってみるしかなかった。


「シーン5、カット1。瑞希が浜辺で決意をするシーンです」


 タクローがカメラ前にカチンコを構えて内容を読み上げる。


「OK。準備いいわね。よーい……スタートッ!」


 タテジマの入った黄色いメガホンでヒトミ先輩がコールするのと同時に、私の頭の中でカチリと音を立ててスイッチが入る。

 水平線の向こう側を見つめ、私は覚えたての台詞をそらんじる。もう私は私ではなく、タカヒロ先輩の作り上げた架空の人物、生き別れた妹を探す女性の瑞希になっていた。


  8


「どうですか?」

「うん、いい感じね。前のラブコメの時よりも大人っぽくて雰囲気出てる。この調子でやっていこう。今日はトモちゃんの『あすか』との絡みシーンくらいまでいきたいわね! さっそく次のカットに入ろう」

「はい!」


 とりあえずは合格点が出たようで私はほっと胸をなでおろした。

 その後、順調に撮影は進んでいき、太陽が西に傾き始めたころにようやく休憩が入った。


「タカヒロ、このあと夕暮れのシーンとかはどうかしら? この近くで撮る?」

「そうだな。素材用のカットとして夕暮れを撮りに行くか。西向きの場所があるといいんだが……」

「ペンション脇の道を抜ければ反対側の海に出れるみたいですよ。行ってみますか?」


 トモコがタカヒロ先輩にスマホの画面を向ける。画面には現在地が赤い丸でマークされている。


「ここからだと五百メートルくらいか。ヒロアキ、移動大丈夫か?」

「問題ないっす」

「よし、とりあえず行ってみよう。あと明日のロケハンと今後の撮影スケジュールも詰めよう」


 今いる場所は湾内に突き出た半島の東側で、少し歩けば西側の海にたどりつけそうだった。両側に石垣の積まれた緩やかな坂道を上ってしばらく行くと、眼下に西に傾き始めた太陽の光を受けて眩しく光る海が見えてきた。


「おお、こっち側も綺麗だな!」


 タカヒロ先輩は額に手のひらをかざして西日を遮りながら景色を一望する。


「こっちに行けば砂浜に出れそうです」


 トモコがナビゲートをすると、彼女に続いて撮影班も移動する。私はその列の一番後ろをのろのろとついていった。しばらく進むと浜辺の前にオープンテラスを備えたカフェが見えてきた。どうやらバーベキューやキャンプができる施設らしく、数人の観光客が奥のバーベキュー場の方でわいわいと騒がしそうにしていた。


「ロケには向かないけど、ちょっとここのカフェで休憩するか」


 タカヒロ先輩がヒトミ先輩に提案すると「そうね。明日の打ち合わせもしましょう」と快く了承したので、私たちはわらわらと店内に吸いこまれるように入っていった。

 海の良く見えるテラス席に座り、これからのシナリオの確認と明日のロケハンの候補地について地図と観光ガイド、そして台本とのにらめっこが始まった。私は注文したアイスコーヒーにはほとんど口をつけずに、ただ、ぼうっと西日に輝く海を眺めていた。湾になっていて大きな波が入り込まないためか、砂浜に寄せる波が海岸線をうごめく以外は鏡のように静かな海だった。

 何気なく海岸線を目で追う私の視界の端に何かが映り込んで、ふっと意識がそちらにそれる。


「誰かいる…」


 私がつぶやいた声に反応したのは、トモコだった。


「誰かって、知ってる人?」

「ううん、知らない人。でも、なんだか違和感があるの」


 私が指さした先に、女の子の人影があった。おそらく私たちより年下、高校生だと思えた。その人影は制服らしきものを身に着けていたからだ。その女の子は一人で海に向かって立っている。まるで、さっき撮影していた時の私のように。


「私、ちょっと見てくる」

「ちょっと、蓮華!?」


 トモコの呼びかけに私は「すぐ戻るから」といって席を立つと、きょとんとする部員たちをよそに一人その人影のもとに向かった。


「蓮華ってば!」


 駆け出した私にはトモコの声はもう遠くの方に聞こえるだけだった。西日が少しずつ傾き始め、海の向こうの島影にゆっくりと差し掛かっていくところだった。


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