最終話 罰と約束
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帰り道での二人乗りはなぜか晴れやかな気持ちだった。ちょっとだけ悪い事をしているという背徳感にわずかばかりの興奮もあったけれど、アキに伝えたいことをちゃんといえた事で胸のつかえがとれたからだろう。
ペンションの前で私を下ろすとアカリは私にいった。
「映画完成したら見せてね。アキにも私にも」
「うん、絶対に見せるよ。楽しみにしていて!」
走り去る彼女に手を振って見送ると、私はペンションの玄関のドアを開けて中に入る。
靴を脱ごうとしたときに、暗いロビーに人の気配を感じて、私は身体を硬直させた。身構える私の頭上に聞きなれた、しかし硬質の重たい声が降ってくる。
「随分と遅かったじゃない、蓮華。こんな時間までどこに行っていたのかしら?」
ロビーに仁王立ちしていたのはヒトミ先輩だった。
「先輩? え? だってアキがヒトミ先輩に電話で伝えてくれていたはずじゃ?」
「何いってるの? アキちゃんから電話なんてないし、そもそも彼女の連絡先を知らないんだけど?」
この瞬間、ようやく私はアカリに騙されていた事に気付いた。彼女はあのときヒトミ先輩に電話をする《《フリ》》だけしていたのだ。あの電話はすべて彼女の演技だったというわけだ。
「とにかく、蓮華は今から反省会ね。それにしても……」
ヒトミ先輩は私の姿を上から下までなぞるように視線を動かす。
「変な格好してるわね」
アキに借りたルームウェア姿だった事をようやく思い出して途端に恥ずかしくなった。
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ヒトミ先輩が私に課したペナルティーは、翌日の終日外出禁止だった。当然、休日になったメンバーたちとのシュノーケリングにも、夜の花火大会にも行くことは許されなかった。
私は素直にその罰を受け、翌日は午前中にチームのみんながダイビングショップのお迎えでシュノーケリング体験に出発するのを見送ると、その後はやる事もなくなったので、部の備品のノートパソコンを持ち出して初めてシナリオを書いてみることにした。
ところがやってみると思ったよりも難しくて、言葉が全く出てこないもどかしさに頭を抱えた。頭に浮かぶ物語を書いては消し、消しては書くを繰り返すも、A4の原稿二枚を書いたところでついに諦めた。私にはシナリオライターは向かないと悟る。
時計をみれば、いつも以上に時間がゆっくりと流れているのだと気付く。チームのメンバーが出発してから二時間も経っていなかった。
私は思い切って何もしない事を楽しむ事にして、パソコンを脇に追いやり、前庭のベンチでボーッとして過ごした。キョロロロ……という不思議な鳥の鳴き声を聞いたり、変わった色のトンボや蝶々が飛んできたりするのを見たり、それまでは映画の撮影に必死で楽しむ余裕もなかった奄美大島の豊かな自然を体中に吸い込む。そして、私はこの島にもすっかり魅入られていたんだと今更ながらに気づき、誰もいないのをいいことに大声で笑った。
その後、ベンチでお気に入りの小説を読んで時間をつぶしていた私は、いつの間にか微睡みの波に身委ねて、静かな眠りの海の底へと沈んでいった。
その夢の中で、アキに出会ったような気がした。
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次に私が気付いた時には、座っていたベンチは長く伸びた木立の影の中に入っていた。サンダルを履いた足元に、きらめく水面のように木漏れ日が揺れている。
随分と眠り込んだなぁ、と大きなあくびをついて背伸びする。そのとき、私のそばに白い紙袋が置かれているのに気付いた。その上には手書きの文字で『洗濯物返します。着ていた服はさしあげます』とだけ書いた便箋が貼り付けてあった。中には昨日の夜にアキの家で洗濯してもらった洋服が綺麗にたたまれて入っていた。
私は慌ててポケットのスマートフォンを確かめる。アキから二回着信が入っていた。すぐさま電話を折り返すと、いつものアキの声が電話口から聞こえてきた。
「起こしてくれたらよかったのに」
『だって、すごく気持ちよさそうに寝てたから悪いと思って』
「うん、多分そのときはアキの夢を見ていたとおもうな。あ、そうだ。服、ありがとう。借りていた服はちゃんと洗って返すね」
『ううん、いらない。変な服だし』
電話口で可愛らしい笑い声がする。私は昨日の夜の出来事が、ずいぶん昔のことのような錯覚を覚えていた。わずか一晩でふさぎこんだり、明るくなったり。アキの感情は忙しい。
「じゃあその変な服は預かっておくね」
会話が途切れる。でも、なぜか気まずくならなかった。電話の向こうにアキがいる。それだけで、私の心が満たされる気がした。
『蓮華、あのさ。今日なんだけど、花火大会一緒に行かない?』
戸惑った声でアキが誘ってくれた。しかし残念な事に私は謹慎処分を言い渡されたところだった。
「ごめん、実は私、今日外出禁止なんだ」
『そっか、ごめん。私のせいだね』
「ううん、でもなんかここでボーッとしてるのも楽しいよ。鳥の声を聞いたり、海をただ眺めたり。それはそれで贅沢な時間なのかもしれないな。東京に帰ったらもうできないんだもん」
『奄美にいればいつでもできるよ!』
アキの声が一段高くなる。私は笑いながらいった。
「うん、また必ずくるよ。ボーッとしに」
たわいもない会話を交わして電話を切ると、ディスプレイに浮かぶデジタル表示の時計を見つめる。時刻は午後三時を過ぎていた。左手につけた時計の針があと四週するときには、もう私は飛行機の中にいるはずだ。奄美大島を離れるときは少しずつ、しかし確実に近づいていた。
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「さすがに、終日一人だとやる事なくなるなぁ」
海が見渡せるベランダで私は誰にも届くことのない言葉をこぼす。
日没後、ペンションの前の海には大きな月が昇り始め、鏡のような海面に光の道を浮かびあがらせていた。その風景にわずかばかりの感動を覚え、スマホのカメラを向けていると、突如電話の着信音がなる。その画面にはアキの名前が浮かぶ。
小さな胸の高鳴りと、わずかばかりの驚きを抱えて通話ボタンをタップする。
「どうしたの? 花火行かなかったの?」
『ううん、今から花火に行くの』
「そうか、楽しんできてね」
『蓮華は今ペンションにいるの?』
「だって外出禁止だから」
自分自身に呆れたように笑いをこぼすと、アキが声を弾ませる。
『ねぇ! 蓮華の部屋から海って見えるの?』
「うん、今ね大きな月が出ててすごく綺麗だよ。海に月の光が映り込んでるんだ」
電話口の返事が前触れもなく途切れる。あれ? と不思議に思った次の瞬間、月夜の海を背景に小さな花火が浜辺から打ち上げられた。
パン! と火薬のはじける音がして、パチパチと赤や緑の火花がほうき星のように放射状に広がり夜空に溶ける。続けて、二発、三発と花火があがる。
私はほとんど叫ぶような声で電話口に向かっていった。
「アキ! もしかして今、浜にいるの!?」
『花火、見えた?』
私は胸の中に溢れる思いをこらえきれなくなる。
ここから手を伸ばせば届くところにアキがいる。
空を渡る銀の翼も、海を越える帆も必要のない場所に、一歩踏み出せば彼女のそばにたどり着く。
私の身体を支える細胞が一斉に色めき立ち、全身を巡る神経が激しい電流を放ち爆発する。
走れ!
私の脳が理性を吹き飛ばして命令を下す。
外出禁止をいいつけられていたにも関わらず、私は部屋を飛び出して浜辺まで全速力で駆け出した。
初めてアキを見かけたときも、浜辺に向かって走っていた。あのとき、アキは浜辺に立って海の彼方に向かって歌っていた。そして今、アキは同じように浜辺に立っている。今、彼女は海の向こうではなく、一直線に駆けていく私をその視界にとらえて両手を挙げて手を振っていた。
私は彼女の首筋に両手を回して抱きつくと、四度目となるその言葉をはっきりと伝えた。その後何度も何度も、彼女が飽きるまで繰り返した。
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アキと浜辺で並んで座りながら夜空に浮かぶ巨大な月を眺めていると、不意にアキが歌をうたい始めた。それは、初めて会った日にアキがうたっていたシマウタだった。あの日と変わらない透明な歌声が波の音にとけあい、海原の水鏡の上を滑るように響き渡る。
〽行きゅんにゃ加那
あがとぅの島かち 行きゅんにゃ加那
面影立ちゅん時 戻てぃ来よ
スラ 戻てぃ来よ
「その歌、たしか『行くんだにゃー』だっけ?」
「違うよ!」
アキは大笑いで手を振る。
「行きゅんにゃ加那、奄美で一番有名なシマウタ」
「そうなんだ。この歌の歌詞ってどんな意味なの?」
フフッとアキは含み笑いをすると、人差し指で私のくちびるをそっと触れた。柔らかくてシルクのようになめらかな肌触りがくちびるから背筋へと走り抜ける。
「意味は蓮華が調べて。きっとすぐに分かるから」
「ええぇ……教えてくれないの?」
「うん」
彼女は微笑むと、今度は違う歌を口ずさんだ。その歌詞で聞き取れたのは、唯一「月」という言葉だけだった。その夜空に浮かぶ青白い月にはゆっくりと風になびく淡い雲が覆い被ろうとしていた。
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十日間に及んだ合宿は多少の波乱を含んだものの無事に終了し、私たちも相手のチームも十分に納得のいく撮影をすることができた。最終日の朝、私たちはペンションの主人に挨拶を済ませると、宿を後にして奄美空港へと戻ってきた。チェックインを済ませると、クラブのみんなは空港内の土産物屋で東京の友人や家族へのお土産を物色していた。
そんな彼らを横目に私はさっさと検査場を通過して、搭乗ブリッジがひとつだけの小さな出発ロビーで飛行機の搭乗案内が始まるのを待っていた。出発ロビーの椅子に座って読みかけだった小説を開いた時、正面に設置された大きなテレビから流れる音が私の耳にとびこんできた。それは歌だった。初めてアキに出会ったときに、そしてあの花火の夜にも彼女が歌ってくれた歌だった。テロップには『行きゅんにゃ加那』。その歌の意味は、遠く離れる人へ向けた別れの歌だった。
あなたは遠くの島へ旅立ってしまうのですね。
もし、この島を思い出すことがあれば、いつでも戻ってきてください。
その画面に流れるテロップはこの島を出発する観光客に向けられたものだったのかもしれない。けれど、その画面に流れるわずか数十文字のテロップに私の目尻から一筋の涙が静かにこぼれた。あの夜、アキがうたった歌は東京へ帰る私への彼女の精一杯のはなむけだったんだ。彼女はわたしがここでこの映像をきっと見るだろうとわかっていて、あえてあのとき歌の意味を教えなかったんだ。私自身がその答えをちゃんと見つけられるように。
「映画完成したら見せてね。アキにも私にも」
アカリと交わした約束が胸の中によみがえってくる。
いつかその約束を果たさなければいけない。私はその歌の意味をちゃんと理解したから。この奄美大島で撮影した映画は私とアキの大切な絆だから。
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夏が過ぎていくのはあっという間で、私たちが作り上げたこの映画は秋の上映会で上映したどの作品よりも高い評価を得て、当然、この上映会の企画となった映画バトルは私たちの勝利に終わった。
ヒトミ先輩たち三年生はこの秋の上映会を最後に部活動を引退することになり、引退の席での先輩の「次期部長は、やっぱり蓮華よね」の一言のせいで、私はめでたく映画研究部の部長の役を仰せつかる事となってしまった。
ちなみにあの合宿のあと、映研部内に二組のカップルが誕生していた。
一組はケンイチ先輩とアツコのカップル。花火大会でアツコがケンイチ先輩に告白したらしい。ケンイチ先輩もなんだかんだとアツコの事が気になっていたみたいだった。
もう一組は意外なことにヒロアキとワカコだった。ウィルス性の胃腸炎で部屋を隔離されてしまい、映画の出演もできなくなってひどく落ち込んでいたワカコに、ヒロアキは毎日撮影した映像を見せながらその日にあった出来事を事細かに話して、懸命に励まし続けていたらしい。アキの存在もヒロアキから聞いていたため、ワカコが現場に復帰した時もアキとうまくなじんだのだ。そういう意味でもヒロアキの功績は大きかったといえた。もっとも、その時はアカリが表に出ていたのだけれど。
そして実はもう一組、この合宿がきっかけで誕生していたカップルがあったけれど、部内のみんなはまだ誰も知らない。あの花火の夜のことは誰にも内緒にしていたから。
そんな私はというと、あのまぶしい真夏の奄美大島での十日間から半年後にふたたび島を訪れていた。それは彼女との約束を果たすため、そしてあの歌の意味の答えあわせをするための短い旅だった。そして、彼女もまた私と交わした言葉をちゃんと覚えていた。
このときはわずか二日間の滞在だったけれど、私がそれまで過ごしてきた日々の中で最も幸福感に包まれた時間だった。
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季節が巡りソメイヨシノの薄紅色が咲き誇る穏やかな春の風の中、様々なクラブの看板が色鮮やかに立ち並ぶ学内のメインストリートを、私は人込みをかき分けながら目的の場所を目指して走った。待ち合わせ場所の時計塔の下でその子は少し不安げな様子で待っていたけれど、私を見つけると顔いっぱいに喜びの表情を浮かべて手を振った。
「瑞穂!」
私は大声で叫んで駆け寄った。私が彼女から預かったものは変な服と、本当の彼女の名前。
彼女の本当の名前は朱希といった。




