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第1話 そうだ、合宿に行こう

  1


 私が彼女に出会ったのは大学二回生の夏休みだった。

 所属している映画研究部の合宿で訪れた南の島で彼女はひとり、西日に輝く海を見つめて歌をうたっていた。

 彼女の名前は朱希アキといった。


  2


蓮華れんげ!」


 部室のソファで雑誌を読んでいた私に向かって部長の今居いまいひとみ先輩が声をかけてきた。軽く突き出した腰に手を当てたモデル立ちのポーズをしている。細くてしなやかな身体からだに長い手足、名前の通りの大きな瞳が私を見下みおろしている。そんな美貌を持っていながらファッションには無頓着で、いつものようにTシャツとジーンズといういでたち。おまけに、一つ上の三回生のくせしていまだに髪の毛を両サイドでツインテールにしている変わり者。ちなみに、学内のミスコンテストに三年連続『他薦』でエントリーされていながら、三年連続の欠場というちょっとした記録の持ち主だった。


「ヒトミ先輩、演技の練習なら今日は夕方からですよ」


 まだ午前中の授業時間を指し示している壁掛け時計に目をやりながら、私はものぐさにいった。ちなみに私はサボっているんじゃなくて、とっている授業がないから時間つぶしに部室にきているのだけれど、ヒトミ先輩の場合は堂々とサボりだ。単位をあらかた取ってしまっているので、気の乗らない授業にはでないそうで、何とも自由でうらやましい。私の言葉にヒトミ先輩は抗議するように声を張った。


「違ーう! 今日の練習の話じゃなくて、今度の撮影合宿の事なんだけどさ」


 そばによってきた先輩は私の横にすとんと腰をおろす。長いツインテールがふわりと揺れて、ほんのりとシャンプーの香りを振りまいた。肩と肩が触れそうな距離に座った先輩を一瞥して、私は読んでいた雑誌を適当にソファに放ると、わずかにヒトミ先輩の方へと身体を向けて座り直す。安っぽい合成革の擦れる感触がお尻から伝わってくる。


「タカヒロと今回の合宿はどこか南の島に行こうかなって話してたんだけど、蓮華はどう? 南の島で撮影って良くない? なんかアイドルのプロモ―ションムービー的なアレみたいな?」

「ヒトミ先輩、アイドルに興味ないですよね? まあ、合宿については私はどこでもいいです。個人的には去年みたいに静かなところだと嬉しいですけど」


 去年の夏の合宿は信州だった。真夏のスキー場というのもなかなか面白いロケーションでその時はホラー映画を撮るといって、夜中にさんざん怖い思いをさせられた。ただ、真夜中のゲレンデに寝転がって見上げた満点の星空は衝撃的だった。突然宇宙に放り込まれたのかと錯覚するほどの、真っ暗ななにもない空間。あれが映像に残せないなんて、と貧弱な撮影機材に本当に悔しい思いをしたものだった。

 

「でも南の島ってどこなんですか? 沖縄?」

「実はそれでちょっと相談なのよ。何かタカヒロ、沖縄は嫌だっていうのよね」


 ヒトミ先輩は困った顔で頬杖をつく。研ぎ澄まされたように美しいヒトミ先輩のあごのラインに自然と視線がむく。

 ちなみにタカヒロとはこの映画研究部の三回生で副部長の大橋おおはし隆弘たかひろ先輩の事で、彼は主に脚本や監督を担当している。


「タカヒロ先輩、どうして沖縄は嫌なんですか?」

「なんか、タカヒロってマニアックなのよね。沖縄とか石垣島とか、そういう名の通った観光地じゃなくて、もっと謎めいた場所に行きたいって。それでさ、蓮華って物知りだから何かしってるんじゃないかなーと思って、ちょっと知恵を拝借しようと思って……」


 ヒトミ先輩のキラリと光るウインクを私は冷めた声で受け流す。


「……なんで自分で調べようとしないんですか?」

「調べたわよぅ。ただ、どこもぱっとしなくてね」

「はぁ……」


 ぱっとしないの意味をはかりかねていると、部室のテーブルで何やらパソコンを叩いていた久保崎くぼさき智子ともこが「こんなのがありますよ」といって振り返った。彼女のノートパソコンには派手なショッキングピンク色に彩られた画面に『サンキューキャンペーン実施中! 片道3980円~』という数字が大きく表示されていた。


「これは?」


 ヒトミ先輩は座っていたソファから立ち上がり、トモコのそばまで行くと、彼女の肩に手をかけて腰を折ってその画面を覗きながら問いかけた。


「ストロベリーエアというLCCなんですけど、成田から直行便で『奄美大島(あまみおおしま)』という南の島まで飛んでるらしいですよ」

「へぇ……トモちゃんよく知っていたね!」


 トモコはヒトミ先輩に頭を撫でられて、子犬のように無邪気に笑う。トモコは私と同級生で、部内では女優をしている。ヒトミ先輩に負けず劣らず大きな瞳で、彼女もほっそりとした体形をしているが、ヒトミ先輩と違ってフェミニンな服が好きなようで、この日は花柄のワンピースの上にパステルブルーのカーディガンを羽織っていた。

 ヒトミ先輩は今度はトモコの隣にパイプいすを引っ張り出して座る。注意深く画面を確認しながら続けざまにトモコにきいた。

「それで、トモちゃん。この『奄美大島』ってどこ? 沖縄?」

「えっと……」


 トモコは見ていたホームページとは別のページを呼び出し、検索バーに『奄美大島』と入力した。ひとときの間をおいて結果が表示される。その中から有名なウェブ辞典のページを読み込むとトモコは画面を読み上げた。


「奄美大島って鹿児島県らしいです。鹿児島と沖縄のちょうど中間くらいで、わりと大きな島みたいですね」

「あら? それじゃあタカヒロのイメージとは合わないのかしら?」

「どうでしょうか? 沖縄に比べると観光地化されていないみたいですよ」


 そのページの情報によると、奄美大島はそのほとんどが山林で占められていて人口は沖縄の百四十万人に比べてわずか七万人しかいないらしい。彼女はそのページの情報をあらかた読みつくし、他のページを検索する。


「うわぁ、すごい綺麗!」


 トモコとヒトミ先輩が同時に声を上げる。今まで大して興味を持っていなかったのに、二人のプレゼントを受け取った子どものような声に誘われるように、私もソファから立ち上がると、パソコンの画面を覗いていた二人と顔を並べる。

 次の瞬間、パソコンの画面いっぱいに映る真っ青な海が私の網膜に焼き付いた。

 それは奄美大島在住の写真家が日常の奄美大島の風景を写真で綴った日記のようなページで、奄美各地の写真がたくさん掲載されていた。


「このページすごいね。後でタカヒロにも見せてみる。トモちゃんお手柄!」


 もう一度ヒトミ先輩はトモコの頭をくしゃっと鷲掴みするように撫でた。ヘアスタイルが乱れる事も気にする様子もなく、トモコは、えへへ、とはにかんだ。

 私の視界には太陽を直視した後のように、さっき見た青い海がいつまでも消えずに残っていた。


  3


 タカヒロ先輩はヒトミ先輩が例のページを見せると二つ返事でオーケーしたらしく、私たち映画研究部の合宿地は奄美大島にあっさりと決定した。

 私はといえば最初に見たあの海の写真にすっかり心を奪われてしまっていた。暇さえあればスマートフォンでそのページに掲載されていた写真を隅から隅まで開いていった。その中でも私が一番気に入った写真は、小高い丘の上から朝日を撮影したもので、タイトルは「二つの海が見える場所」となっていた。写真の真正面には島影から昇る朝日がまばゆい光を放ち、島の海岸線が中央で砂時計のような細いくびれをかたどっていた。その両側で金色に輝いているのは太平洋と東シナ海の二つの海らしかった。なぜかその写真を見た瞬間から、その景色に取り憑かれたように何度もその写真を画面に呼び出していた。気づけばその写真をプリントアウトして手帳に挟み込んでいた。もし合宿中に時間があけば、その場所に行って実際に二つの海をみてみるつもりだった。


  4


「それじゃあ、今回の合宿の概要を説明しまーす!」


 再来週に迫った合宿を前に部長のヒトミ先輩がミーティングの席で発表する。


「今回は二チームに分かれて、映画製作バトルをやります!」


 おおー、と部室がどよめく。部員は私を含めて十四名。二チームに分かれるので七人ずつの撮影班になるという事だ。


「チームはくじ引きでランダムに決めるわ。それで今回はせっかくの南の島での合宿なので、それをテーマにした短編作品を制作すること。次の十月の上映会での企画として出すから、そのつもりで気合入れて撮影してね! あと、普段カメラマンをしてくれている荻山おぎやま君と西村にしむら君については、一緒の班にならないように別のくじね」


 ヒトミ先輩はそういうと割りばしが刺さった手作りのくじ引きを差し出した。

 部の幹部である三回生から順番にくじを引いていく。四人がうまく二人ずつに分かれた。狙ったようにヒトミ先輩とタカヒロ先輩は同じチームになる。

 私たち二回生の五人のうち、私とトモコ、そしてカメラマンの荻山おぎやま弘明ひろあきがヒトミ先輩たちと同じチームになった。


「やった、ヒトミ先輩と蓮華と同じチーム!」


 トモコが嬉しそうに両手を振って跳ねた。私とトモコは部内でも特に仲が良かったため、私も内心ほっとはした。ただ、トモコはヒトミ先輩と一緒になれた事の方が嬉しそうだった。

 一方のヒロアキは物静かな男だけど彼はサッカーが大好きで近所のフットサルチームに入っているらしかった。サッカーやスポーツの話になると、低い渋い声で熱く語りだすきらいがある。ただ顔はサッカーというよりも、巨人軍のピッチャーだった桑田っぽい雰囲気だった。むしろ、そっくりだった。

 あと、私と同じチームになったのは一回生の尾久野おくの琢朗たくろう河上かわかみ和夏子わかこだった。


「タクロー君、ワカちゃん、よろしく!」


 ヒトミ先輩が二人の肩を抱いて笑った。ヒトミ先輩は一回生にとっては憧れの人物らしく、同じチームのくじを引き当てるとワカコも飛び跳ねて喜んでいた。

 一方の相手チームは、三回生は長瀬ながせ健一けんいち先輩、織戸おと利都子りつこ先輩、同回生のあずま淳子あつこ隅田すみだ正博まさひろ。そして、一回生の山崎やまざき靖男やすおいぬい太志たいし西村にしむら瑛人えいとのチームとなった。アツコはケンイチ先輩の事が大好きだったから、同じチームになれた事ではしゃぎまわっていた。


「じゃあ、合宿までに必ず決めてほしい事は、各チームの監督、それから作品コンセプトとプロットね。シナリオや絵コンテぐらいまでできるとベストだけど。別にわたしはチェックしないから、各チームで必要な事を決めて有意義な合宿になるようにしましょう!」


 そういって手を叩くとミーティングはお開きになった。その後、自然と各チームに分かれて話し合いの時間になる。タカヒロ先輩が近寄ってきて私にいった。


「蓮華! お前ラッキーだな。 おれと同じチームで!」

「……何でそうなるんですか?」

「今回はシナリオがほぼ出来上がってるからな。撮影もすぐに取り掛かれるぜ」

「はぁ、それで今回の監督は? またタカヒロ先輩ですか?」

「いや、今回はヒトミにやってもらう」

「えぇ!? ヒトミさん?」


 驚きの声を上げたのは一回生のワカコだった。


「そう、今回はわたしの初監督作品なの」


 ヒトミ先輩は片目をつむるとサムアップして胸を張る。先輩はずっと女優をしていたから、みんな意外に思ったようだ。


「でも、そうすると主役は?」


 ワカコが質問する。彼女も女優として一年生ながらなかな見事な演技を見せてくれているが、まだ主役には早いのではという気もする。あとは主役をするとなると、トモコか私……いや、まさかの裏方をしているタクローとか?


「あなたたちのうち、誰かにやってもらうわ。そうねぇ……」


 もったいぶりながら品定めするような目線を私たちの間で行き来させる。私と目が合う。ヒトミ先輩はにやりと口端をあげるといった。


「やっぱり蓮華よね」


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