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閑話~青井の勘~

前話に収まりきれなかったエピソードです。

読み飛ばしても本編を進むうえで支障はありません。

 青井の勘はよく当たる。


 学生の頃から試験のヤマがはずれたことはない。

テストに限らず日常生活においても、ごちゃごちゃ考えるより直感で進むほうが上手くいくと、幼いころから気付いていたように思う。

 成長するにつれて、情にあつい性格は変わらないまま、重要な場面で決断をためらわない胆力をつけていった。


 まだ青井が新社会人だったころ。


 営業で顧客を訪問するだけではなく、上司のかばん)持ちを兼ね商談に同席することも多かった。

新人に経験を積ませようという気風の社内では、特に珍しいことではない。


 ある日、最大手のお得意先へ同行した。メンバーは直属の上司である課長、同じ課の係長、青井の三名である。和やかな空気のなか、契約がまとまる流れになった時だった。


 会話が途切れた間をついて、青井がごく自然に笑顔で休憩を進言した。


「皆さま長い時間話されて喉が渇いておられませんか。今日は御社の社長様がお好きという茶葉が手に入りまして、いつもお世話になっている皆さまにご賞味いただけたらと、持参しております」


「おお、それは飲んでみたい」

「新人なのに気が利くな。課長の教育が良いのだろう」


「…過分なお言葉恐れ入ります」


 課長は青井の突飛な言動に憤っていることを顔には出さずその場を係長に任せ、手伝うとにこやかに言って給湯室までついてきた。

 青井の常識はずれな言動を叱ろうとして、その射るような眼差しに、気まぐれで言い出したのではないと気づいた。


 まだ入社して短いが、青井の勤務態度はいたって真面目だ。人懐っこい性格で、事務能力も飲み込みの速さも、他の新人とは比べものにならないほど優秀だ。期待しているからこそ怒りを覚えたのかもしれない。


 いつもの冷静さを取り戻すと、周囲に人が居ないのを確認したうえで、内容が内容だけに盗聴を防ぐため互いに耳打ちで会話する。端から見ると変な光景だが、背に腹は変えられない。


「青井、商談を中座させて、もし相手が気を変えたらどうするつもりだ。

 契約できなかったら、莫大な損失だぞ」


「契約するほうが、損失になるかもしれません」


「何を寝ぼけたことを言ってるんだ。

この会社はウチの創設時からのお得意様で、一度も支払いが滞ったことも不良事案を掴まされたこともない」


「今回の件で、会長とお会いできたのは最初だけ。

いつもと違って途中から社長が話を進められましたが…。

会長とお会いできなくなってから契約までの流れがあまりにも速いと思いませんか。

社長は何か焦っているのでは?」


「そんなの、お互い気心が知れているからで、

たまたまだろう。根拠はあるのか」


「こういっては叱られるかもしれませんが、

勘です。上手く言えないのですが、引っかかるんです。最近、社長の出席する会議で特定の役員を見かけなくなったと思いませんか」


「出張や別の商談で不在なのかもしれん」


「他にも、うちに馴染みのある社員でいえば、営業事務の黄川さんは退職されるそうですよ」


「まさか」


「この会社の社員を複数人、職安で見かけたとOBが言ってました。役員ではなく、黄川さんを含め年功の高い一般職ばかりのようですが。不況で経営が苦しい、今なら退職金を上乗せか数年後の再雇用も視野に入れるからと言いくるめて、早期退職をすすめられたとか考えられませんか」


 備え付けの棚からティーカップを取り出す。


「強硬な人員削減を極秘に行う理由って何でしょうね。意図はわかりませんが、目前に迫っている年度末決算に契約が間に合わなければならない事情が、あちらさんにはあると思います」


 検討しはじめた上司をよそに、青井は慣れた手つきで葉を蒸らす。蒸らす時間はわかっている。貰ってから少しだけ味見のつもりで自宅で淹れたのが、まさかこんな形で役に立つとは。


 黄川から小さな保管箱ごと茶葉をもらったのは先週だった。「これ、親戚の結婚式の引き出物で、偶然うちの社長サマも好きらしいわ。わたし、自己都合で今日退職するから、餞別ってほど大げさなものじゃないけど、話のネタに持っておいたら」と言われたのだった。


 初めて挨拶したときに、彼女が飲んでいた紅茶の香りが青井家で愛飲しているのと同じだと気付き、紅茶談義で盛り上がって以来、可愛がってもらったのだ。

 会社も違うので仕事上は厳しかったが、書類のやり取りをする合間に「私のように尖ってはダメよ」と冗談めかしながら、何かと社会人としてのアドバイスをくれたこともある。


 上司に媚びず同僚となれ合わないため昇進こそしないが、抜群に有能だと同業者の間では知られた人だったらしい。青井が気さくに話す様子に周囲が驚いていた。

 いま思えば、有能ゆえに社長たちの思惑に気づいていたのかもしれない。


 今日、青井はいつになく笑顔を絶やさない商談相手を見て不自然だと、唐突にそう思ったのだ。それほど自分達の機嫌を取る必要があるのかと。


 大きな手で小さなスプーンと砂糖を添えるのも忘れない。自己流だが、紅茶も抹茶も珈琲も酒も分け隔て無く愛する青井にこだわりは少ない。旨いものはシンプルに味わえれば良いのだ。


「判断は課長におまかせしますが、せめて契約を1ヶ月ほど先の、新年度まで延ばしませんか。

幸い我が社は大幅な黒字決算の見込みですし、契約がずれ込むのはよくある話です。あちらが何事もなく決算期を過ぎるようであれば、俺の思い過ごしと言えるでしょう。

ただ、今は穏便な雰囲気のまま、もちろん法的効力が発生しない上手いやり方で煙に巻いて下さい」


「おまえほんとに大学出たてか?」


「腹周りは重役級ですが、ぴかぴかの新卒ですよ」


 やや憮然とした、どこかホッとしたような部下の様子を笑う。最後まで聞いてもらえるか不安だったのだろう。驚かされた身としては、もっと前もって言ってくれよと正直思うが、青井にもどうしようもないのかもしれない。

 長所にも短所にもなりうる特性の死角をなくすには、場数を踏ませて鍛えるしかない。楽しみだ。

本人は「なぜか急に寒気が…」と身震いしている。


 会社の取引には綿密な下準備と堅実な手順がとても大切だ。

 しかし、人と人が関わるなかで、たった一滴の絵の具が水を染め替えるように、説明できない要素によって商談が覆ることは確かにあるのだ。


 長い経験からそれを知る課長は、新人の先入観のない目を即座に否定するのは傲慢だと考える。もちろん鵜呑みにするつもりはないが、情報のひとつとして判断材料に加えるべきだと。


「数件電話をかけて背景を探ってみる。

ウチの上の許可もいるし、少し出てくるから、

俺が戻るまで係長と一緒に対応しつつ休憩を長めにとれ。茶請けを仕入れても構わん。言い出しっぺとしてお前の自腹でな。

もしお前の勘に間違いがなければ、今度焼き肉をおごってやろう」



 結局、商談は後日に持ち越された。このまま進めるには懸念される面があったらしい。正確な実情を掴むまでの時間稼ぎが必要との判断だった。


「話し合いの途中報告を弊社へ先ほど致しましたところ、長くご愛顧いただいている御社への感謝を直接申し上げたいと、我が社の代表取締役が申しまして。

 日程の詳細がわかり次第すぐにご連絡差し上げますので、ご多忙ななか何度もお手数をおかけして誠に恐縮ではございますが、どうか代表取締役の気持ちを汲んでいただければと切にお願い申し上げる次第です。お話の続きはそのときに…」


 と、なめらかに言う上司は頼もしかった。


 先方に気付かれぬよう調べるのは時間がかかる。

契約を強く催促されつつ二週間が過ぎて課内の空気がピリピリするなか、真実は意外なところからもたらされた。旗色が悪いとみたのか、社長派から会長派に鞍替えした役員がマスコミに情報をリークしたのだ。


 社長派が任されていた商品部門が販売高不振により巨額の赤字を抱える見込みで、さらにその部門では数年前から粉飾決算を行っていたと。

 今年になってそれに気付いた会長が諫めたことで二人は仲違いし、役員も分裂していると。


 報道直後から、上場している株価が急落し、一時取引ストップとなる事態まで陥った。当然社長は引責辞任し、会長は赤字部門を切り離して経営再建を図っているらしいが、以前ほどの求心力はない。再建どころか社名存続のための厳しい舵取りになりそうだ。


 公表されてはいないが、独自で調べた結果わかったこともある。

 社長は邪魔な会長を引退させようと画策していたらしい。粉飾決算の冤罪を負わせ、自らはウチとの商談をまとめて経営手腕に問題はないと総会で主張したかったようだ。銀行からは融資を切られ、商談成立後に代金を払える見込みもないのに。


「本当かよ…」


 詳細を知ったときは、百戦錬磨の上司もさすがに呆然としていた。一時社内は騒然とした。馴染み深い取引先から空手形を打たれようとしていたのだ。

至急、青井と上司は役員室に呼び出された。勢ぞろいしたお偉方のまえで詳細を説明するためだ。

 会議は長引いたが、代表取締役の「2人のおかげで実害はなかったし、むしろ吊し上げより報奨を与えるべきでは?」の一言で決着した。







 余談だが、青井の勘について妹にきかれた鳳はこう答えたことがある。


「あいつは俺と真逆で、人間が好きで好きで仕方ない、人タラシなんだよ。

顔色や言葉、人間関係、目と耳に入る些細で膨大な情報を捨てずに、無意識にストックしている。そして必要な場面になると、それらを繋ぎあわせて判断を下す。瞬く間に自然とやっているから勘としか呼べないのだろう。

俺とはまったく違う手法で、場合によっては俺よりも速く正解に辿りつくことができるのは、あいつくらいだ。本人には言ってやらないがね」






 事態が落ち着いたのち、約束通り上司が焼き肉を奢ってくれるという。


 さすがに心労をかけたおぼえはあるので、青井は牛肉代は甘えて、他は自分が出すので課の皆もご家族と一緒にうちの庭でバーべキューパーティーをしませんか、と誘った。

 当日は全員おおいに食べ、おおいに語り、盛り上がった。


 そこで、青井が課長の娘に一目惚れをした。

「誰が相手でも嫁にはやらん」という上司の反対を乗り越え、猛烈なアプローチのすえに見事結婚することになるのは、また別のお話。



 数年後、数々の大きな商談をまとめ、何度かの危機をくぐり抜けた青井は最年少でエジプト支社統括に昇進する。

 異例の出世についても、童顔を誤魔化すために伸ばし始めた顎髭についても、批判を寄せ付けないほどのめざましい業績をあげ続けた。



 義父である元課長は円満に定年退職し、最近はよく青井と二人で呑んでいる。

「俺の腹が出ているのは、ただの幸せ太り」という青井の惚気のろけ)を、不健康だと怒りながら何度も聞いてあげていると、もっぱらの噂である。




読んでいただきありがとうございます。


奇人のともだちも奇人というお話。


またも予告と違い申し訳なく。

閑話をはさむタイミングがずいぶん先になると書けない予感がしましたので。

本編より三倍くらい筆のすすみが速い不思議。


次話本編の予定。


相変わらずの不定期亀更新ですが、呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。


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