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そのころの日本

藍田あいだ) ほう)は怒っていた。

体調的な理由であまり家を出ない白皙はくせき)の青年は、高ぶる感情のせいで頬紅を刷いたかのようだった。

けぶるような長いまつげ。

完璧なカーブのうすいくちびる。

声は低くなく、喉仏があるので男性と知れた。無表情に近いので周囲にはわかりにくいが、眦が鋭くなる。


「エジプト支社の責任者につないで欲しい」



マナー違反にならない程度に、カウンターに寄りかかる。久しぶりの外出のせいで気怠い。ゆっくりとした所作がかえって色気を相乗する。

用件を聞くべき受付嬢は、中性的な美貌を間近に見て、固まった。


「ちっ、またか」


外見にそぐわない悪態も、王子様がわざと悪ぶっているように聞こえるから不思議だ。


日本有数の大会社とあって、玄関も受付カウンターも立派なものだが、いまやその広いカウンターには彫像と化した女性が2人並んでいる。

何事かと足を止める者や、新たに鳳に目を奪われる者で、人だかりが出来つつあった。自惚れではなく日常茶飯事なのでふだんは気にしないのだが、急いでいる今は別だ。神経が逆なでされる。


鳳は無いものねだりはしない主義だ。

しかし、もしも自分がもっと丈夫だったら、と考えることがこれまでの人生で二度あった。

一度目は父が行方不明になり妹が奔走していた時。そして二度目は今だ。この容姿と頑健な体のどちらが欲しいかと問われたら、迷わず後者を選ぶ。


一刻を争うときに、気圧変化に耐えられない自分では飛行機に乗ることもできないから。

家を離れる気のない母親については、はなからあてにしていない。そもそも、今回の事態は母が元凶ともいえる。「そんなつもりはなかったの」「どうしたらよかったの」と泣き崩れる母を慰めはしなかった。酷薄かもしれないが今は時間がもったいない。

近所に住む母の友人に来てもらい任せて出て来たのだ。


艶やかなテノールでは迫力はないが、周囲の空気を凍らせるほどには口調が冷たかった。



「エジプト支社統括の青井に、藍田が来たと伝えてくれ」


「なんだなんだ─あれ、ほう)?」



人垣をかき分けるようにして熊のような大男が現れた。

立派な顎髭といい、豊かなウエストといい、40代か50代に見えるが、実は33才。鳳の同級生であり、隣家に住む幼なじみの青井大河。既婚。

結婚後は実家を二世帯住宅に改築。

いまも昔も、藍田家とは家族ぐるみの付き合いだ。

彼は、鳳をよく知っている。


鳳は平均身長はあるものの肉付きが薄く、美貌ゆえにハカナゲと思われがちだが、誰よりも苛烈な性格をしていて、ずば抜けて頭脳明晰で、ちなみに腹黒い。幼なじみに自ら会いに来るような殊勝な性格ではないことを、青井はよく知っている。

不調を押して来るほどのことといえば、彼の溺愛する妹絡みに違いない。



「あれ、なんでここに居るの?

 りん)ちゃんなら現地で別れたよ?」


大河たいが)、お前またパソコンも携帯も空港で電源を切ってそのままだろ。ここで捕まえるのが一番早い」



忘れてた、と言う大男を冷徹に睨む鳳。

我にかえった受付嬢が声をあげた。



「青井統括、この方はアポ無しですが…」



“鳳ショック”から早めに仕事モードに戻れるとは本来有能なのだろうと、このような場面に慣れた青井は咎めないことにする。


「今日は帰国報告だけの予定だったし。

いいのいいの、こいつは親友だから」


と鳳の肩に手を回す。

多数の黄色い声と少数の野太い声が響いたが、青井は気にもせず近くにいた同僚に直帰の伝言を頼むと歩き出した。

鳳の冷ややかな眼差しはそのままだが、丸太のような手を振り払いはしない。

それが疲労のせいだと幼なじみにはすぐわかった。小声でたずねる。


「駐車場まで歩けるか?」


「ああ」



上役専用のエレベーターで地下駐車場へ移動し、青井の愛車に乗り込む。助手席のシートにもたれながら、鳳は黙っている。



「─何があった?」


「霖が、エジプトで失踪した」



青井は絶句した。

霖のことは自分も妻も両親も、家族同然に可愛がっている。もちろん心配で叫びたいくらいだが、自分以上に胸を痛めている相手の前で、するべきことは他にあった。

頭を切り替える。だてに世界を股にかけて仕事をしていない。



「エジプトと日本の時差は約7時間ある。

情報の摺り合わせのために、お互いエジプト時間で話そう。

一昨日、会議を終えるまで変わりはなかったように思う。事態がわかったのはいつだ?」


「昨夜。現地のホテルから知らせが来た」


「ホテル?ふつう警察か大使館へ先に連絡するもんじゃないのか?」


「ホテルのオーナーとはチャット仲間でね、融通がきく。警備も万全だし、滞在先としては理想的だった。外出先にも私服警備員を配置すればよかったのだが、霖が嫌がってね」


そりゃそうだろう、と青井は思った。


フリーになって初の海外出張とはいえ、会社の重役よりも警護された通訳者なんて、見たことがない。

言いたいことはいろいろあるが、こいつが重度のシスコンなのは今に始まったことではない。

無言で先を促す。


「昨日外出してから戻らなかったそうだ。

もちろん捜査はしてもらうが、父の所在をつかめない組織を、国内外問わず俺は信用していない。

おそらく、事件性がはっきりしてから様々な手続きを経て俺のところに連絡が来るまで、数日は要しただろう」



青井個人は警察を信頼しているが、それはどうしてかと言われると、優秀な友人が警視をしているという、感情的な側面が大きい。あと、幼いころに近所の交番の警察官が優しくしてくれたとか。治安維持とか。


すべての人が善良ではないように、すべての人が邪悪でもない。規範意識が高くとも、いろんな人が集まるのが組織だ。全面的に否定も肯定もせず、言ったのは違うことだった。


「お前が昨夜から人脈と頭脳を駆使して、その結果俺のところに来たんだな?」


「そうだ。

現地に行って、見てきて欲しいところがある。

護衛はつける。有休がたまってるんだろ?」


どうして一般人が護衛を雇えるのか。青井の有休のことまで知っているのか。そんな事はこの目の前の奇才には無意味な質問だと、経験から悟っていたが、友人として心配はする。


「鳳、犯罪行為だけはするなよ」


「当たり前だ。俺は霖の自慢の兄でいたいからな。法に触れることはしない。

今までも、これからもだ」


溺愛ぶりを知る青井にとって、このうえなく説得力があった。「まあ、グレーゾーンを見極めて動きはするがな」という呟きは聞かなかったことにしておく。


ちなみに、鳳は同級生からは天才ではなく奇才と呼ばれている。「美貌と頭脳」という二物を天から与えられ、本来は羨望の的になるはずが、鳳のイイ性格が加わると恐怖の的になる。天才と呼ぶだけで天を恨みたくなるというのが理由だ。


青井は懐かしいことを思いだした。


まだ猫をかぶることを知らなかった頃。

「もし丈夫になったら何になりたい?」と無神経な質問をしたクラスメートがいた。

鳳は満面の笑顔で


「世界中のネットワークシステムを乗っ取り混乱に陥れる人物を、影で操るパン職人になりたい」


と答え、級友たちを震え上がらせた。

なぜパン職人かというと、そのころ妹の霖がパン屋さんに憧れていたからだとか。ブレない男である。

世界中のパン職人に謝れ、と思ったのは自分だけではないはずだ。


後にそのクラスメート宅のパソコンに不具合が起きたというのは余談である。

「長く使っていたから寿命じゃないの」という鳳の言葉を信じる級友はいなかった。証拠はない。が、質問に含まれていた憐れみを、鳳が蛇蝎のごとく嫌っているのは周知の事実だったから。


一歩間違えば陰湿ないじめや嫌悪の対象になる可能性もあったが、インターネット隆盛のさなか、たまたま当時の級友たちにとっては能力の高さへの憧れと、怖いもの見たさ的な好奇心のほうが勝ったらしい。腫れ物にさわるような扱いだったのが、グッと近い関係性へと好転した。それもすべて鳳の策のうちだとしたら恐ろしいが。


欠席や保健室で過ごすことの多かった鳳だが、存在感は大きかった。イベントの際は出席できなくとも、ご意見番的なポジションで暗躍した。先ほどのクラスメートを含めて、なんだかんだ言いつつ仲が良かったのは、くせ者ぞろいだったのか、コミュニケーション能力が総じて高かったのか。


小中高校の一貫教育を謳う学園で、唯一組替えのなかったクラスだった。優秀な特進クラスとはいえ、成績によって通常は数人の入れ替えがあるはずだが、それもなかった。教師陣からは「学園史上最高で最悪のクラス」と呼ばれていたから、騒動の種を散乱させたくなかったのだろう。


全国模試の上位を占める級友達も、もちろん首位を独走する鳳も、授業態度や出席日数といった諸問題に融通を効かせるほどの実績を残したからこその「最高」であり、校内の池の鯉を本格的にさばいて校長の還暦祝いとして差し入れたという軽いものを含め、在学中のイタズラに事欠かないからこその「最悪」である。


組替えのない結果、ますます団結力が強まり、卒業してから15年が経った今も全員が連絡を取り合っているとは皮肉なことだ。


学生のころを思い出しつつ、青井はニヤリと笑った。もとから親友の頼みを断るつもりはない。こいつと一緒にいると飽きないよなぁ、とのん気な感想を抱く青井も大概である。場合によってはブレーキ役をかって出ることもあるが、今回はその必要はないと勘が告げていた。


霖が窮地にあるとしたら、助けるためには鳳に任せるのが一番の近道になるかもしれない。

こと妹にかかわると変な電波を受信していると言われるほど悪魔的に冴え渡るのだ。


何より、冷たいようで実は家族思いの、鳳を信頼している。



「詳しく話せ」



車は滑るように走りだした。







読んでいただきありがとうございます。


更新が遅くなり申し訳ありません。

しかも予告半ばまでしか届かず。次話こそヒタイト国に触れます。


仕事と私用が立て込んでおり、今週末の更新は難しいかもしれません。

相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずお気軽にお付き合いいただければ幸いです。

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