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婚約者を名乗る者

 ヒタイト帝国の国境の村に、スミュルナ王子一行はしばらく滞在することにした。

 

 農家の使われていない納屋を借り上げると、部下達は目立たない格好に着替え始める。

 スミュルナにしては珍しく、床にドカリと腰を下ろした。


「まずは分隊長に連絡してくれ。十分な資金を渡して村長の家に滞在しているはずだ。

 それがなぜ゛゛王子の婚約者は我が儘で贅沢三昧に過ごしている゛という風評が広まることになったのか、理由を知っているかもしれない」

「わかりました」と老練の部下が応える。

「砂嵐の前後で出入りした者がどのくらいいたのかも調べて欲しい」

「わざと悪評を広めた者がいて、その者は村から逃げたとお考えですか」


 老兵の言葉に、何人かがハッとしたように口を開いた。


「まさか、村人達に反乱の芽があるとか」

「いや、他国からの干渉かも」


 スミュルナに更迭されるまで、辺境の市長(ハザンヌ)が村の治安報告を受けていた。現状を見過ごしていた可能性は大いにある。


「それらも視野に入れて調査に向かってくれ。農民の話によれば、村長は農地の視察にも来ないそうだ。

 砂嵐が過ぎて被害の確認をしないなど通常ではあり得ない。

 それがただの怠慢なのか、それとも組織が変容しているのか、把握しなければならない」


 部下の一人が言いにくそうに「ですが──」と声を上げた。


「ですが、人員が最小限しかおりませんし、御身(おんみ)の安全を考えれば、滞在するよりも一旦屋敷に戻り体制を立て直すべきでは」

「そのあいだリンに危険が及ぶ可能性もある」

「分隊長が一緒だから大丈夫ではありませんか? 

 それに、評判が嘘でない可能性もあります。俺の妻は以前物静かでしたが、付き合い始めた途端豹変しましたし」


 スミュルナが反応するよりも先に、他の部下達がいきり立った。


「リン姫を一緒にするな」

「あの方が我が儘だなんて、あり得ないことだ」

「早く悪評を止めるために、総員で一斉に調べに行きたいくらいです」


 彼らはアシリア国の遠征で共に過ごした者達だ。

 リンは遠征中に助力を惜しまず、王子と恋仲だからといって(おご)る様子は微塵も無かった。その態度に感服していただけに強く憤慨している。


 スミュルナが目線を向けると全員一様に姿勢を正した。


「この村は我が国に従属して日が浅い。

 不測の事態も起こり得るゆえ、気持ちはありがたいが、二人一組で交代しながら慎重に行動してくれ」


 そして安心させるように言葉を続ける。


「手勢が少ないことも確かだ。屋敷に到着が遅れること、味方を寄越すようルウカ宛に伝えよう」


 皆が頷くのを見ながら、スミュルナにはもうひとつ不可解なことがあった。

 部下の前では言わなかったが、そもそもリンの噂だけが流れているのもおかしいのだ。

 一緒に居る分隊長のほうが村に来た回数も多く、顔を知られている。普通なら知っている者のほうが噂になり易いのではないか。


(リン。どうしている───)


 スミュルナの脳裏に(よぎ)るのは、痛む足を庇いながら眠るリンの儚げな姿。

 屋敷に着いたらゆっくり自分のことを話す、と言ってくれたときの強い眼差し。

 やっと両想いになり、やがては妻に迎えようと屋敷を整えた矢先に───


 本当はすぐにでも駆け出して迎えに行きたい。早くあの細い体を抱きしめたい。

 しかし状況を見極めるまで動くべきではないと、スミュルナの勘が告げていた。


 荒ぶる胸中をなだめるように、スミュルナはゆっくりとした口調で村の地理を説明し始めた。


「昔は大きな泉がここにあり、それを囲むように人が定住したのが村の始まりだ。

 村長の家はこのあたりに在って───」


「お話中失礼します!」


 慌てて報告に来たのは、外で馬の世話をしていた部下だった。

「商人タムカルムが殿下にお会いしたいと。その様子が尋常ではなく──」

 

 言い終わらないうちに、青い顔のタムカルムが現れた。

 その隣には息子のイルバもいて、泣き張らした目をしている。


 入室の許可もしないうちに──と咎める者は居なかった。イルバが手にしているものを見て、息を飲む。


「それは──」スミュルナが震える声で尋ねると、イルバ少年の悲痛な声が答えた。


「リンお姉ちゃんの髪だよ!

焼き捨てられた小屋に残っていたんだ。

でも無事だよね?お姉ちゃんはどこにいるの?」








 一方、村長の家では家人がひっきりなしに料理や酒を運んでいた。

 運ばれる先にはでっぷりと太った村長が居て、豪華な衣装を着た女性をもてなしている。


「どうぞどうぞ、スミュルナ殿下の婚約者様には良い酒が相応しい。麦酒だけではなく、今日はなんと葡萄酒も取り寄せましたぞ」

「まあ本当に?」


 女性は顔をヴェールで隠しており、喜色に満ちた声から妙齢と知れるだけだ。

 王子を射止めたのはどんな美人かと、初めは興味津々だった村長の家族も、今では忌々しそうにドンッと酒を置いて去っていく。贅沢な接待が連日となれば愛想も尽きる。

 置かれた酒の横には杯があり、村長はわざと大きな盃を用意させた。


「村民は一生飲むこともできないほどの酒ですぞ。私はさる高貴な方と繋がりがございましてな、特別に手に入るのです」

「ふふ、飲んでみたいわぁ」

「どうぞどうぞ、甘いのがよろしいですか、酸っぱいのがお好みですか。蜂蜜で甘くすることも出来ますぞ」

「ふふふ」


 女性は大きな盃に葡萄酒を波々と受けると、アッという間に飲み干してしまった。ヴェールも一瞬しか上がらない。


「お強いですなぁ」と笑顔で言いつつ、村長は内心地団駄を踏んだ。

 

(早くこいつの容姿を見て、あの方にお伝えせねばならぬのに!簡単な依頼だと思い引き受けたが、このままでは報酬を貰う前にこちらが破産してしまう)

  

 同様の手口で料理を勧めても結果は惨敗だった。ヴェールを最小限にしか揺らさず、ペロリと平らげてしまうのだ。


 村長は部屋の隅に控える分隊長を見た。

 豪華な料理や酒に手をつけず、警護しているその姿には隙が無い。

 何度か偶然を装ってヴェールを掴もうとしたが、未然に防がれるのだ。もう穏便に済ます方法はやり尽くした。


(かくなるうえは──)


 少し手荒なことをするしかあるまい、と村長は決意した。


 





(そろそろ撤収するか)

 村長を見ながら、分隊長はそう考えていた。 

 偽婚約者の効果もあって時間を稼ぐことができた。小屋は燃やしたし、これで本物のリンの消息はわかりづらくなるだろう。


(帰ったら、スミュルナ殿下に相応しいご令嬢を手配しよう)


 有力者の娘ならば殿下の地盤を固めることにもなる。正体のわからないリンよりは周囲も賛成するはず。きっと殿下も納得してくださる。


 あとは手土産に、村長がどこの有力者と繋がっているか情報を掴みたい。


 ここ数日、村長は砂嵐の被害を見回るわけでもなく、村民の相談に乗ったり指示をすることもなかった。役目をおろそかにしているのは明らかだ。

 その割に、暴動が起きるでもなく、来客をもてなす余裕もある。村長が幅を効かせているのは、権力者が後ろだてになっているからだと考えて間違いない。

 

(葡萄酒が手に入る身分となると、対象はかなり絞られるな。神官か王族か)


 現在王宮で献酌官を任されているのは王弟殿下だ。確か、スミュルナ殿下の異母兄を溺愛されていると聞いたことがある。


 同行した者たちがそろそろ村人達の情報を集めて戻るだろう。この村を出たら、商人の居留地で聞き込みをして、王都も探るべきだな。

 偽婚約者(こいつ)は国外へ逃がせば良い。


 村長の不穏な空気を察した分隊長は、早めに偽婚約者を寝所へ引き上げさせた。

 いつでも出られるよう、手荷物もまとめている。


「分隊長殿──」


 窓から同行者が呼び掛けてきた。村長たちの目につかぬよう、素早く外に出る。

 家の裏手まで来ると、先日の砂嵐の名残りの粉塵が舞い上がった。

 

「成果はあったか?」

「はい、それが──」

「─待て。

 そこに居るのは誰だ!?」


 分隊長は剣を手に振り返った。

 粉塵に紛れて、ここに居るはずのない人が立っている。


「スミュルナ殿下!なぜここへ──」


 部下がもう1人現れ、抵抗しない分隊長を取り押さえた。


「何か誤解が──」言い募ろうとした分隊長は口を閉ざす。間近に迫ったスミュルナの瞳を見たからだ。

 その瞳は(くら)く、絶望に染まっていた。





 


 





 



 


 






 

 


 

 




 

 

 

新年早々暗い終わり方ですみません。次話を正月休みの間にアップできるよう頑張ります。


長らく更新できず申し訳ありませんでした。その間もブックマークをはずさずにいて下さった方、呆れずまた訪れて下さった方、初めての方も本当にありがとうございます。

 

次話では主人公リンの行方がわかる予定です。


皆さまにとって良い1年となりますように。感謝を込めて。

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