煙
暗めです。
霖がいる小屋は狭い。すぐに煙が充満してきた。
「うっ、
ゴホッゴホッ」
どうしてこんな状況になっているのか、霖にはわからなかった。
はやく逃げないといけない。そう思うのに、さっきの分隊長の言葉が気になって頭の中をリフレインする。
『誰も助けには来ない。もちろんスミュルナ殿下もだ』
もしかして、このことをスミュルナも知っている?
私が何か怒らせた?
邪魔になった?
眠る直前に見た、スミュルナの優しい微笑を思い出す。
違う、と心は訴える。
だけど頭の片隅で「やっぱり」と毒を吐く自分が居た。
やっぱり、好きになんてならなければ良かった。
やっぱり、釣り合わなかったんだ。
やっぱり、私が他人より得意なのは語学だけで。それすらも、この世界は知らない文字ばかりで、霖にとっては証明のしようがない。
スミュルナの隣に居ても良いと、皆から認められるような自信がなかった。優れた運動神経やカリスマもない。社会人として身につけた対応力を剥がせば、人付き合いに苦手意識のある、怖がりな自分しか残らない。
きっと、それに気付かれたんだ。
煙が目に染みて、ポロポロと涙がこぼれた。
吸った空気が熱い。
意識が朦朧としてくる。
兄の心配そうな顔が目に浮かんだ。
父、数少ない友人、母、それから───トゥト。
知の精霊が良い教師になるとは限らないことを、ここ数日の霖は身をもって味わった。何かここから逃げ出せるような知識がないか思い出しても、役に立ちそうな講釈はなかった。
例えばひとつの植物を説明するにしても、分布図や特性、他国での呼称など、実に細かかった。膨大な情報量に降参した霖が要点だけを望むと、トゥトはしわがれ声で言った。
『────スミュルナに深入りすれば、リンが傷付くことになる』
『王子には世嗣ぎが求められる。契ればそなたはもとの世界へ帰ることはできない』
沈黙した霖に、トゥトはなおも続けた。
『契ることを禁じるには理由がある。少し耐性を強化したとはいえ、それは一時しのぎ。人間の汗は塩辛いじゃろう?その塩分が、そなたの精神体を保護している“聖なる樹”の種を枯らすおそれがあった』
いまいち事態がのみ込めない霖に、トゥトは静かに言った。
『聖樹は人より長い年月を生きる。不思議ではなかったか?オアシスで斬られた背中の傷は深かった。それよりも浅い、足の怪我のほうが治りが遅いことに』
『そなたは“聖なる樹”と相性が良すぎた。本来の保護域を越えて、精神体が植物性に引きずられておる』
どうしてこの世界に来たのか、スミュルナには言えない。でも、自分がどんな体質かを説明しようと思っていた。
いま思えば、どうしてそれが受け入れられると思っていたのだろう。
『耐性の上限を越えれば───つまり、スミュルナと深い仲になれば、そなたは“聖なる樹”の種ごと消失するじゃろう。無論、日本とやらに帰ることも出来ん』
そばで見守るだけじゃ嫌だって、ほんとは思っていた。
あの瞳にずっと見つめられていたい。
剣を握るあの大きな掌に触れたい。
抱き締めてもらいたい。
せめて最後に見るなら、煙に満ちた小屋ではなく、青空を見たかった。あのターコイズブルーの空を。
『それとな、リン。火には気をつけよ。
体質の変わったそなたに、どのような影響を及ぼすかわからん』
トゥト、無理だよ。
だって、もう、火に囲まれてる────。
体が熱い。
むしょうに悲しかった。
寂しかった。
感情の水位が下がっていく。
その空虚を埋めるものを、本能が求めた。
地下へ、地下へと。
何かに届いた、そう思ったのを最後に、霖の意識は途絶えた。
大変遅くなりすみません。説明口調も多いし。
4月滑り込み更新でした。来月こそはせめて2~3度更新できるように頑張ります。
読んでくださる皆さまに深く感謝申し上げます。




