天幕を閉じて
本日4話目です。(同日誤字訂正しました。)
霖はスミュルナ達の見事な手綱さばきに感心していた。
アシリア国にこの少人数でやって来て、約定を交わし人材を得て帰るなんて、普通では出来ない。無事に帰れることの、なんと幸運なことだろう。少数だが精鋭なのか。スミュルナに心酔しているのが伝わってくる。
「スミュルナはすごいなぁ」
「ん?自覚が無いのか?リンには驚かされることばかりだよ」
「え?」
「こちらが気のつかないことから、大胆な結果をもたらす」
ルウカが苦笑する。
イムホテプが「現れたのが錫だけじゃなかったしぃ」と肩をすくめた。
「錫といえば」と、霖の口を疑問が突いて出た。
「錫を分割で受けて本当に大丈夫なの?他に宛があるといっても、そんなにすぐ大量に用意できるかしら。
そりゃあ、鉄を打つのと錫は関係なくても、生活用品は青銅製だから、足りなくなったら困るでしょ?」
「……」
なぜか三人とも黙った。
一番はやく立ち直ったルウカが答える。
「あの場では言いませんでしたが。
実は、もと王宮書記官が荒くれ者どもに頼んでいたのは、悪徳商人の殺害だけではなかったのです。自分の私財を運ぶよう命じていました」
「まさか…」
「殿下たちが去ってすぐ、湿原を部下が探すとごろつきを見つけました。多少喧嘩が強くても軍人には叶いません。倒してお仕置きをしましたら、書記官の私財を湿原の葦のなかに隠していると白状しまして」
お仕置きの内容は怖くて訊けない。スミュルナはソッと目を逸らした。ルウカは淡々と続ける。
「葦の財宝をやるから命だけは助けてくれ。逃がしてくれたら悪事から身を引くと誓うのでね。着替えと食料と路銀を持たせて、国外へ放逐しました」
「それって、逃走に手を貸したことに…」
「捕縛し罰を与えたうえに改心させたのですよ。本来はアシリア国がすべきことを、我々が手伝ったのです。それは国王の救出や城内の鎮静化についても言えます。
もろもろの手数料としてお宝をいただきました」
アシリアの応対がよほど腹に据えかねていたのか。ルウカとイムホテプは当然、という表情だ。
霖は馬の牽く重そうな箱を見た。
「あれはヒタイトから持ってきた鉄剣だと…」
スミュルナが笑う。
「持ってきた鉄剣は、もともと部下の腰に下がっていたものだ。残りの“剣”は、木板に鉄粉を塗り、布を巻いてごまかしていた。だから、今あの箱の中に在るのは、錫鉱石と黄金と銀と宝石と毛織物と板だ」
「多いよ!」
ルウカが棒読みで「俺も良心が咎めました」と言う。
「ですから、拾った財宝のうち半分だけをいただき、残りは湿原に置いてきました。もう見つけられている頃でしょう。おそらく、アシリア国が当座をしのぐには充分かと。
それよりもリン様、もっと重大なことが」
「え?」
「まるで鉄剣の作り方をご存知のような口ぶりですね」と、ルウカ。
「あたしも知らない見識をぉ、リンはどこで知ったのかしらぁ」
イムホテプの問いを目で制し、スミュルナは小声で言った。
「今は側近にしか聞こえていないので良かったが、鉄剣の製法は秘中の秘なのだ。だから、製鉄の時期を不明瞭にするために、ヒタイト国内の錫の取引量を操作している。どこに諜報員がいるかわからないので、鉄を打つ前に錫の在庫を増やして見せることもある」
霖は自分にとっての常識が、この世界では限られた人にしか知られていないのだと、今更ながら気づいた。
鉱石関連の記憶を思い返して、アシリア国を出て気が弛み、口が滑ったのだ。
ルウカが厳しい顔になる。
「他所で話せば、命取りになると心得てください。もちろんリン様のことは秘密ごと守り抜く覚悟ですが、こと鉄に関しては我が国の命運を左右します。スミュルナ殿下は有能ゆえに敵も多いので、敵を説得し制圧するまで時間がかかります。
助けに向かうあいだに間に合わず、害される可能性もあるのです」
スミュルナは、青くなったリンを抱く腕に力を込めた。
「これからは身内だから、リンのことも曖昧には出来ない。そなたを危険から守るために、認識の差を埋めていきたい。そのためにリンのことをもっと教えて欲しい。そうでなければ対策も立てられない。
リンの中に独自の規律が在るのは察している。それに触れぬ範囲で良いから、話してはくれないか」
会社に入社しようとすれば、現代では履歴書がある。この世界で組織に入るにも、身上を知ろうというのは当然だろう。まして、国の中枢たる王子のそばに在るためには。
霖は深呼吸をした。
「───はい。その前に気持ちを整理したいの。月夜になったら離れた天幕で一人にしてもらえるかな」
「わかった。遠目に見える範囲で警護は置くぞ」
「うん、ありがとう」
果たして、その夜。
羽ばたきとともに、霖の天幕に来客があった。
「トゥト!」
「息災じゃったか?まぁ、乗馬に慣れないうちは筋肉痛じゃろうがな」
「うぅ、その通りよ」
いつもなら駆け寄ってトゥトのモフモフを堪能するのに、立ち上がれないのだった。
「トゥト、実はね───」
話を聞いたトゥトは呆れたようにため息をついた。
「おぬし、実は馬鹿じゃろう?」
「ぐっ、声を荒げて罵倒されるより効くわ。自覚はある。つい鉄のことを話したのは軽はずみだった。これからは気をつけるわ」
「もう遅い。おそらく、ヒタイト帝国から出ることは叶わぬだろう」
「どうして?だってスミュルナは──」
「認めるのは癪だが、奴は強い。
対してそなたの細腕で、各国の刺客からどうやって身を守るのだ。製鉄方法を知るとは、そういうことじゃ」
「そんな」
「よいか、リン。実際は錫よりも鉄のほうが産出する場所は多いのだ。もし製鉄方法が漏れれば、あちこちの国が鉄剣を作り、軍事力を上げることが出来る。鉄の鍬が出来れば生産力も上がる。
さすれば、国同士の力関係が変わる。もしかしたら、ヒタイト帝国が崩壊するかもしれんの」
「そんな!嫌よ」
霖はくぐもった声を出した。
「泣くな。おぬしを泣かせるつもりはなかった」
器用に片方の羽根を伸ばすと、トゥトはふわりと涙を拭う。
「まあ、スミュルナの溺愛ぶりを見れば、もともと国外に出さず手近におくつもりだったじゃろうて」
「うぅ~。今さら知らない振りは出来ないし。彼に、なんて説明しよう」
トゥトは厳かな表情になった。
「それを話すには、リン自身が自分の現状を知る必要があろう。湿原で約束した通り、可能な範囲まで教えよう」
霖は息を飲んだ。
トゥトのしわがれ声が幕内に響く。
「───樹は、人間と違う摂理で生きる。これは知っているか?」
「うん」
現代日本では一般知識だ。
呼吸をするとき人間は酸素を吸って、二酸化炭素を出す。植物はその逆で、二酸化炭素を吸って酸素を出す。他にも、人間は食物から栄養を得るけど、樹には日光と水が必要だ。どうしてそれを、いま訊くんだろう。
トゥトは、翼をさらに大きく広げて霖を包んだ。
「寵児というよりも、呪い児と言えるかもしれん。おぬしは聖木と同調し過ぎたのじゃ」
その不吉な言葉に、霖は鳥肌が立つのを止められなかった。
霖がトゥトと話している頃。
アシリア国でも夜更かしをする者があった。側妃である。
心配した将軍が部屋を訪れた。婚約同然なので咎める者はいない。
「あまり、無理をするな」
「ええ、もう終ります。あら、そちらの侍女は?」
スピュルマ将軍が言いにくそうにしている。
「いやぁ、親類の者なのだが、疲労を癒すのが得意と言うのでな、そばに…」
「ご心配ありがとう。
でも、二重間諜をするような侍女を雇うつもりはないわ。将軍の、情にあついところは私にない美点で尊敬しているけど、身内への甘い顔はほどほどになさいね?」
たまらず侍女は否定した。
「間諜だなんて。そんなこと、してません!」
「ヒタイト帝国のリン姫の客室係に、代わってくれとしつこく頼んだそうね?でも、スミュルナ殿下の側近に知られてつまみ出されたとか」
知らなかった将軍は、声もなく怒りで顔を真っ赤に染めた。
「そんなつもりじゃなかったんです。誤解です」
「大国ケメトの控え室でも同様のことをしたそうね?これが初めてではないと聞いているわ。
持ち場を放棄し、良い男を探してばかり。仕事は最低限。愛想の良さと器用さで上司におもねり乗り越えてきたのでしょう。随分と同僚の反感を買っているようね。その行動力は嫌いじゃないけど、侍女としては信頼できないわ」
反論しようとした侍女を、側妃は冷たく見た。将軍の縁者でなければ、衛兵に突きだすところだ。
「早々に城を出てちょうだい。将軍の功績に免じて罰しはしないわ。これからは、大切なことを履き違えては駄目よ」
侍女は足音も荒々しく出て行った。
「すまぬ…寛大に見逃してくれていたとも知らず、手数をかけた。あの娘とは縁を切り、親戚中に通知する」
大きな体でしょんぼりする将軍を見て、側妃は急におかしくなった。
腹芸の多い官吏のなかで、彼は不思議なほど私欲が少なく、裏表がない。その隣りにいるとホッとする自分がいることに、側妃は気付いた。
疲れているのだろうか、それでも良いか、と将軍に笑いかける。
「もっと近くで、守ってくださる?」
「心得た」
律儀に護衛に徹する将軍。
側妃はフフフと笑い、「もっと近くで」と、太い首に繊手を滑らせた。
側妃の部屋を飛び出した侍女は、憤りが収まらなかった。
中庭まで走り抜け、生い茂る木立に向かい鬱憤をはらすようにまくし立てる。
「どうしてよ?城を出てどうしろっていうのよ!
見目がよくて財産家の男性に嫁ぎたいと願うのが、そんなにいけないこと?
二重って、リン姫だってそうじゃない。もとはうす汚れた姿で倒れてたのを拾われたと聞いたわ。正体不明のくせに、優しく弱いふりをして男をたらしこんで。そっちのほうが重罪よ。あの長い髪しか特徴が無いくせに。
わたしのほうが美人で体型も良いし、きっと社交的で家事も上手いのに!」
侍女はハアハアと荒い息をつく。
そこに、ジャリッと足音がした。
「誰っ?」
ひときわ立派な木の後ろから、するりと長身の男が現れた。
頭巾を被っている。
「ケメトの役人が、なぜこんなところに…」
アシリア国王の孫の祝賀が終ると、各国の使節はすぐに帰ったはずだ。例外はヒタイトだけ。
男は場違いなほど陽気だった。
「ありがとうー、これで手土産が出来るよー!街の者も使用人も口がかたくてさー」
笑う青年の瞳は冴えざえとしている。
侍女は後ずさったが、「ケメトで雇おうか?」と言われ、足を止めた。
「……なにが望み?」
「理解の速い娘は好きだよー。なあに、簡単なことさ」
男は一枚の手配書を見せた。
「その気にくわないリンのことを教えてくれ」
アシリア国での報告を書いた粘土板が、ヒタイト辺境の屋敷に次々届く。使用人たちは主人のためにいっそう屋内を磨き、分隊長は迎える準備をしていた。
「申しあげます。新たな報告書を持って来ました」
「入れ」
分隊長は、独自の情報網を持っていた。
幅広い情報を集めるため、軍部や使用人とは縁のない者を選んで任せている。いま届いたのは、そこからの粘土板だ。
読む途中で保護封筒がゴトリと落ちた。
「スミュルナ殿下が、一時気を失うほどの怪我を負った、だと?」
あの女のせいだ。
分隊長は粘土板を判読できないよう徹底的に踏み砕く。そしていくつかの指示を部下に出すと、身仕度を始めた。
部屋を出たところで、女官長に出くわす。
「あら、どちらへ?」
「女官長、急ぎの件が入りましたので、先駆けて殿下をお迎えに行きます。すべての指示は済ませてありますので、あとはよろしくお願いします」
「殿下方はお疲れなんだから無理をさせないでくださいね。特に、リン様はお怪我なさっているそうですから」
「はい。では、行ってきます」
砂漠に入ったところで、分隊長を呼ぶ者があった。例の粘土板を寄越した情報屋だ。
「もう少しで王子様ご一行が着かれます。あと一泊の距離でしょうな」
「そんなことは知っている。買うほどの情報ではない」
再び馬を走らせようとする分隊長に、情報屋が慌てて追い縋った。
「王子殿下は、すでに寵姫様に飽きたご様子」
「なに?」
下世話な話題で気を引くことに成功して、情報屋の舌はよく滑った。
「眠るときは別の天幕。独り寝を嫌がる姫は、別の誰かと夜通し楽しんだ(かのような)赤い目をしている。屋敷に着いたら話したいことがあると王子に訴え、思い詰めているとか。
警護が厳しくて、拾えたのはこのくらいです」
分隊長は懐から包みを出す。
「よくやった。これは代金だ」
「こ、こんなに?」
「路銀も含めてだ。しばらく、この界隈から離れてくれ」
「はい。そりゃあもう…」
分隊長は最後まで聞かずに、猛烈な勢いで駆け去った。
吸い込んだ砂埃をペッペッと吐きながら、情報屋は帰路につく。「すぐに」とは言われなかったので、旅立つのは明日にしよう。男は、今夜はとことん飲みたい気分だった。
「明朝にはヒタイトに着くだろう。今日はここで夜営だ」
リンを馬上からゆっくりおろしながら、スミュルナ王子は素早く口づけを落とした。
「今宵も共寝はしないのか?」
「うん」
連日トゥトからレクチャーを受けて、寝不足の霖の目は充血している。スミュルナは心配げに訊ねた。
「話す決心はつきそうか?無理なら急がなくても良い」
「ううん、明日には」
まなざしを交わす。
囲う腕に力がこもった。
「屋敷に着いたら、話してくれるのだな」
「ええ、必ず」
一緒にいるための、第一歩を踏み出すのだ。
ヒタイト帝国はもうすぐ。
天幕で過ごす最後の夜が、更けようとしていた。
前回の更新以来、大変大変遅くなり誠にすみませんでした。これにてアシリア篇は一応終結です。
書き上げたものに納得がいかず、何度も書き直すうちに16,000字に膨れ、“最終話”と言いつつ結局4話同時投稿という形にしました。読みにくかったら申し訳ありません。
仕事が多忙期に入り、勝手ながら年内の更新は難しいと思いますが、ゆっくりでも書き続けられるのは、呆れず読んでくださる皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。深く感謝を込めて。皆さまにとって来年が良い年でありますように。




