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ヒタイトへ

本日3話目です。(同日誤字訂正しました。)

「タムカルムをヒタイト帝国にいただきたい」


 スミュルナの要望を聞き、王名表リンム卿は叫んだ。


「馬鹿な、人間は物と違うのだぞ!」

「わかっています。だからこそ、うかがいを立てている。彼のアシリア国への貢献度を鑑みて、彼が望むならば許可するべきでは?」

「手塩にかけて育ててきたのだ。それは、許せん」

「タムカルムも立派な商人ですから、自分のことは自分で決められるでしょう」

「家族を人質にとって脅している、と解釈してよろしいので?」

「まさか。むしろ、彼の妻を領主派から保護していますよ。機密を漏らさなければ、今まで通り交流してよいのです。今度、ヒタイト帝国で初めて商人の居住区を作ります。タムカルムには、そこの商人を管理し、物資の輸入を担当してもらいたい。

 2つ目は…」


「こちらの足元を見やがって…」と憤る将軍の前を、イムホテプとルウカが「これでも穏便ですよ」と遮った。スミュルナは微笑む。


「2つ目は、アシリア国にとっても、悪い話ではありません。我々の国は現在友好関係にありますが、今後はもっと関係を強めたいのです。もし、ヒタイト帝国が他国から侵攻を受ける際には…」

「自国の危険を顧みず、援軍を送れと?」

「いえ、自国を守ってください。そして、どんなに旨い餌を目前にぶら下げられても食いつかず、ヒタイト帝国への侵攻には加わらないでいただきたい。

 もちろん、同様の場合、我が国も貴国を攻撃しません」


 共闘はしない。でも、互いの背後を突くこともしない。


 国王は感嘆し、表情を変えずにいることに苦労した。

 アシリア国の現状では、他国に攻め込む余力はない。どう足掻いても、自国を守れるか否かギリギリの国力しかない。それを、こちらの面目を立てる形で正当な取引として扱うというのだ。しかも、アシリア国とヒタイト帝国の双方に利点がある。


 まさか、ヒタイト帝国は大国ケメトに戦争を仕掛けるつもりではあるまいな。


 長年王位に居るゆえの勘が働いたが、これ以上藪をつつくべきではないこともわかっていた。アシリア国にとって、実のある約定であることは間違いない。国王は大きくうなずいた。


「決してヒタイト帝国に攻め入らないと、天を証人としてアシリア国王が誓約する。2つ目の条件は了承された。

 して、タムカルムよ。そなたの意思を忌憚なく申せ」


 タムカルムは国王へ最敬礼の姿勢をとった。


「その前に、スミュルナ殿下にお訊ねしてもよろしいでしょうか」

「申せ」

「商人の居住区をつくると言われましたが、馴染むまでは時間が必要でしょう。商人を、具体的にどのように守るおつもりですか」


 スミュルナは淀みなく答えた。


「もし、ヒタイト帝国内で商人が害されれば重罪とする。商品を盗賊に奪われた場合は、その3倍の額をヒタイト帝国が補償する。

 特にタムカルムは商人と官吏を兼ねる立場だ。我の直属の部下として扱う」


 破格の待遇といえる。

 タムカルムは受け入れた。後身に業務を引き継ぎ次第、ヒタイトへ発つと約束する。続けて王名表卿に要望を述べた。


「今後の隊商の在り方を考え直す時期かもしれません。今まで隊商は家の者、あるいは行く先の同じ知人と組んだりしていました。

 それを、もっと組織立てて、大規模に行ってみてはどうでしょう。私が被害に遭ったのは門の近くだったので対応が速かった。しかし人目のない場所で遭う危険のほうが、圧倒的に多いのですから」


 考える価値はある、と王名表卿は思った。


 隊商の行路は秘匿される場合が多い。得意先や入手先を知られれば横取りされる危険性があるからだ。だからこれまで、商人代表者同士の会議でも触れたことはなかった。


 危険を承知でそのままの商売を続けるという者もいるだろう。だが経験の浅い隊商が心配だという声もある。家の年長者と組ませても、避けきれない危険はあるのだ。家族が心配でない者はいない。情報漏洩を厳罰化すれば、賛成者も多いだろう。


 タムカルムは自分だけが安全圏に移るわけにはいかないと思ったのか。アシリア側の商人の最低限の安全を守る提案をしてきた。その効果を思えば唸るしかない。

 

 人だけではなく、流通を守る。ひいてはヒタイトの国益につながるのだ。大商人になる素質があるとは思っていたが、それ以上の器なのかもしれんな、と王名表卿は苦笑いした。

 




 その商人同士の組織は、のちに発案者に由来してタムカルムと名付けられ、両国の交易拡大を支える礎となった。

 そして半官半民となったタムカルムの跡を早くに継いだイルバは、めきめきと成長する。

 大商人として辣腕を振るう青年イルバはスミュルナ王子に重用され、宰相の地位まで登りつめることになる。それはまた、別のお話。











 空の雲が切れて、太陽が顔を出す。

「泉が輝いていますわ!」と側妃が声をあげた。


 現れた石囲いの底に、黄金の光があった。イムホテプが覗き込む。


「うわー。黄金の盃とか、精霊を象った宝がかなり在りますよぅ。昔の王族が祭祀のときに捧げたんでしょうねぇ。“星”とは泉じゃなくて、この財宝を暗示してたのかも。

 とりあえず、取り出してみる?」


 信心深いスピュルマ将軍はギョッとした。王名表卿は「我々の祀るものと違うなら…」と皮算用を始めた。側妃は国王の判断を仰いだ。


 アシリア国王は首を横に振る。


「王権を授けられた者として、この泉は現状を管理していく」







 リンは泉を見つめた。

 水位が戻れば、あの奉納品はこれからまた永い眠りにつくのだろう。かつての王族は、黄金ではなく、祈りを捧げたこの場所を守りたかったのかもしれない。


 もし泉が濁るにとどまらず埋められてしまっても、掘り返す際の目印にしようと。あるいは水源に人が集まるように、国を再興するための旗頭にしようと。または天に見放されていないと信じ、苦しくても生きる人々の希望であってほしいと。


 ぬくぬくと日本で平穏に漬かっていた自分は、そこまで“国”について深く考えることがなかった。国を亡くした人の気持ちを簡単に“わかる”と言ってはいけない気がした。

 

 それでも、大切な人が幸せで、元気で、長生きであって欲しい、という気持ちならわかる。


 霖はスミュルナを振り仰いだ。

 ターコイズブルーの瞳もこちらを見ている。

 スミュルナの住む国を大切にしたい、と思った。






アシリア国王は、臣下ひとりひとりと目を合わせる。


「この泉のものは、もともと失われたはずであった。

 錫も黄金もはじめから無かったものとして国の再建にあたる。そのくらいの姿勢でなければ、いまが楽になっても未来で必ずつまずくだろう。それでは真の強国に返り咲くのも夢のまた夢よ」


 金色の光が、水溜まりに反射して揺れる。「まるで泉が返事をしたみたいだ」と将軍が呟いた。

 




 その後、滞りなく約定のパピルスが交わされた。

 報告のみっしり書かれた粘土板は、伝令によってヒタイト帝国の辺境と王都へと送られる。




 約定書簡を携えたスミュルナも馬上の人になった。

 名馬の産地として有名なミタン国の商人に扮している。馬はアシリア国王からの餞別だった。


 目立たないよう、アシリア側の見送りはヴェール姿の側妃だけ。

 側妃はスミュルナと型通りの挨拶を終えると、荷物を確認している霖に、ツカツカと歩み寄った。


「あなた、従者の格好をしなくても、化粧を落とすだけで別人よ」

「…それはどうも」


 受け流す反応にイライラしたのか、側妃はさらに詰め寄った。


「堂々と魔術を披露した勢いはどこにいったの?

 スミュルナ殿下の隣に立つならば、これから苦労するわよ。その覚悟が無いなら、ヒタイト帝国を立ち去りなさい」

「い…嫌です」


 迫力におされながらも、霖は拒絶した。その黒く大きな瞳に強い意志が浮かぶのを見て、側妃はおや、と印象を上方修正した。


「手放しはせぬよ」


 甘い声とともにリンの腰に力強い腕がまわされ、一気に馬上へと引き上げられた。


「もしリンがヒタイトを出たらアシリアへ迎え入れるつもりだろう?

 聡明なリンを手に入れようとする気持ちは分からなくもないが、これ以上こちらの神経を逆撫でするのはおすすめしない」


 ぐっと、側妃は黙った。

 アシリア国王の救出と国賊の捕縛だけでも、大きな助力を得た。混乱に乗じて国ごと盗ることも出来ただろうに、スミュルナはそうしなかった。


 事態がおさまると他国の目を気にして、アシリアは人手不足を理由に王子一行を放置状態。

 あげくに、もと王宮書記官が錫を搾取していた。


 戦争を吹っ掛けられても文句は言えない。

 

「亡き皇太子に助けられた命の借りは返した。次は容赦しない」


 側妃は謝罪の姿勢になる。その頭上から降る声は、意外と穏やかだった。


「だが、この国で愛しいリンに再会できたことは、感謝している。そなたも、将軍と仲良くな」

「な、余計なお世話です!あれは仕方なく、今の我が国にとって、最も効果的な縁組みなのです」

 

 ヴェール越しにスミュルナとリンを見上げる側妃の瞳に、一瞬だけ羨望が浮かんだが、すぐにいつもの決意に満ちた表情に戻った。


「必ずやアシリア国は栄えます。旅路の無事を祈っています」

「行くぞ!」


 スミュルナが馬に合図を送ると、側妃の姿がみるみる遠ざかり、門の向こうへ消えた。


 スミュルナは両腕で囲うように座らせたリンを気遣った。


「馬に乗るのは初めてだろう?遠慮なく寄り掛かれ」


 霖は操縦を邪魔しない程度に軽く、あたたかい腕をポンポンと叩いた。頼れる相手がいるというのは、なんだかくすぐったい心地がする。

 でも、湿原で倒れられたときの、心身の凍るような思いは2度としたくない。頼るばかりじゃなくて、スミュルナの役にも立ちたかった。そのためには、思っていることを声に出さないと。


「ありがとう」


 霖ははにかんだ笑顔で続けた。


「もし疲れたらそうさせてもらうね。それまでは、疲れにくい乗り方を教えて欲しいな。それと、スミュルナも疲れたりしたら言ってね?肩の凝りをほぐしたり、話し相手になって眠気を晴らすくらいしかできないけど」

「…理性を試されている気がする」


 スミュルナの秀麗な顔に、喜びと切なさが浮かぶ。


 危険が無いのを確認したうえで、イムホテプは部下達を荷の警護にまわした。王子の馬の左右にはルウカとイムホテプが並走し、側近だけで固まるようにする。


 スミュルナは百面相を見られたくないと、霖が背後を振り返らないよう体を密着させた。イムホテプとルウカの肩が震えている。スミュルナの葛藤を見通して笑いを堪えているのだった。







 

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