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タムカルム

本日2話目です。(同日誤字訂正しました。)


 スミュルナ王子は黙っている。相手の出方によって対応を変えるつもりだ。


 アシリア国側が苦虫を噛んだような表情で動かないのを見て、タムカルムは溜め息をついた。


義父ちち上、いや、王名表リンム卿さま。商人の経験のある貴方なら、為すべきことがわかられるはずです」

「黙れ」

「両国のために、冷静なご判断を」

「おまえこそ頭を冷やせ。アシリア商人はアシリア国のために動くべきだ」


 言い争う二人を、側妃がなだめた。


「タムカルムとやら。そなたの貢献ぶりは、おそれ多くも陛下がご存知です。ゆくゆくは王宮御用達商人に加わることも夢ではないわ。よく考えて慎重に行動しなさい」


 タムカルムはしれっと答えた。


「まるで、もと王宮書記官の甘言のようですね」

「何だとっ!」


 将軍が掴みかかるも、タムカルムは眉ひとつ動かさなかった。


「気にくわないと腕力に訴えるのですか?それでは暫定王と変わりません。まぁ、実際にわたしは商品を奪われ、牢に入れられ、部下も深手を負いましたが」


 将軍の腕が止まる。

 王名表卿が「だから救出したではないか」と諭す。


「それは感謝しています。部下はイム殿の治療で回復しましたし、幸運でした。しかし隊商のなかには、いまだに牢獄での暴力に夢でうなされ、暗闇を怖がる者がいます。

 命がある我々はまだ良いほうかもしれません。牢で言葉を交わし、顔見知りになった人達が日夜血だらけになり、絶望に染まり、兵士に連れ出されて二度と帰って来ませんでした。

 書類の数字だけではなく、その過程を上の方々は知るべきだと思うのです」


 王名表卿は義父の顔になり、息子の背を撫でた。

 タムカルムは普段人当たりが良いが、文句を言わないからといって何も思っていないわけではないのだ。


「だから、亡くなった官吏の自宅に見舞金を持っていく手伝いを自らかって出たのか?」

「牢で気丈に皆と励ましあった姿を、すこしでも伝えられればと。“見舞いなど要らぬから、あの人を返せ”と怒鳴られることもしばしばです。

 それは、何軒訪れた、いくら払い終わった、という報告書だけでは伝わらないのでは?命や、心の傷は財宝に換えられないのに」


 アシリア国王と側妃は静かに聞き入っている。「人々のために、我々にしか出来ない仕事もあるのだ」と、将軍が唸った。


「もちろんです」


 タムカルムは大きくうなずく。


「国同士のやり方など、商人のわたしには分からないことばかりです。ただ、商売の途中で自国の者に踏みにじられた一人として、実情を述べる権利はあるはずだ」

「気持ちはわかる。

 だが、息子よ…綺麗事だけで国は動かぬよ」

「国益を損ねろとは言いません、将来的に儲かることは大事です。ですが、商人の信頼を失うような、強欲に染まり恩を仇で返すようなことは、やめていただきたい。

 わたしは、今後も商売で各国を訪れます。そのときに、自分はアシリアで育ったと、堂々と言えるような祖国であってほしいのです」

 


 水を打ったように静かになる。


 沈黙を破ったのは意外にもスミュルナ王子だった。雰囲気を変えようと、霖に話しかける。


「そういえば、リン。

 ルウカに、泉の様子で気になることがあると言っていたそうだな」

「あ、ええ」


 突然矛先を向けられて霖は緊張したが、声は震えずに済んだ。


 初めて泉の様子を聞いたときから、何か引っ掛かるものを感じていたのだ。間近に見て、その違和感はますます強まった。


「ちょっと腑に落ちなくて。

 この泉はどうして濁ったままなのでしょうか」


 王名表卿がホッとしたように微笑む。


「それのどこがおかしいのですか?昔から、いつも濁っているそうですよ」


「それが不思議なのです」





 霖は記憶を辿る。


 外国からの客人というのは、えてして地元ではあまりメジャーでない場所を訪れるものだ。

 オフィスばかりが通訳の仕事ではない。霖も顧客の要望に応じて、日本のそういった場所を案内することも多かった。


 看板を出していない美味な飲食店、無名だけど技術の確かな町工場、独学で何十年も資料を収集した郷土史研究家の家。

 刀剣博物館、寂れた記念館などはまだ良いほうで、“かつてこの辺りに○○が在ったはず”という場所を古地図だけを頼りに探して、街中歩き回ったこともある。


 たしか、貨幣の展示会に行ったときだった。

 通訳の相手から『腐蝕しにくい金属は何だと思う?』と訊かれたのは。


『変質しにくいといえば、黄金ですか?』

『そう、それは有名だね。他に、あまり知られていないけれど、錫もそうなんだ』

『すず、ですか』

『意外かい?』


 相手は残念そうに肩をすくめて見せた。


『技術が未発達だった頃。含有率の規制も無く、食器や缶詰で引き起こされる中毒も多かった。鉱山のじん肺で騒がれた歴史もあるし、一般的にはどうしてもイメージが良くないんだが。

 本来錫は、適量を適切に加工し、まっとうに扱えば非常に有用な物質なんだよ』

『そうなんですか』

『最近の例では、医薬品のチューブに使われているし、貨幣の材料にもなる。日本の10円硬貨にも、わずかだが含まれているよ』





 腐蝕しにくい。

 もし、それが水中にも影響するとしたら、あれほど水草が繁るだろうか。時間が経っても砂塵が沈殿せずに、水質が常に濁っていることも謎だ。


 古い溝は、堰が壊れかけて少ししか排水できない。それでも出るばかりなら早くからとなり、ここを錫の隠し場所にしようとは考えなかっただろう。別の所から泥水が流れ込んでいるとしたら、説明がつく。


 もしかして、と霖は思いついた。

 スミュルナ王子に小声で相談すると、「試してみよう」と許可が出た。


「ルウカ、もう少し下まで水位を減らせる?」


 リンが何をする気なのか、ルウカには分からなかったが、地下通路では意外な聡明さを見せたとイムホテプから聞いている。昨夜の“魔術”の段取りを覚えるのも速かった。


 勢いよく、石がもうひとつ落とされる。


 泉から流出する水の量が格段に増えた。まるで干上がらんばかりの勢いだ。


 するとどうだろう。泉のなかほどに、石積の囲いが現れた。もとは整えられた円形であったのだろう、青銅製の板に覆われている。


「これは…このようなもの、古文書や口伝にも無かったぞ」


 アシリア国王が救出された、あの井戸の作りによく似ている。

 よく見れば、霖の思った通りに印があった。


 「**(星)…」

 

 スミュルナは「地下通路のことを話しても良いので?」とアシリア国王に目線で尋ねる。国王は数瞬考え、頷いた。


 イムホテプが地下での様子を思い出す。


「“星の現れる泉”…あれは、分岐点で湿原へ出られる道を示していたんじゃないの?」

「あれはあれで正解だったと思う。ただ、あの地下通路はもともと在った井戸や水路の一部を再利用して、後世に造り変えられたものだと思う。

 分岐点も増設されたもので、はじめはこの泉に通じる水路があった。でもおそらく潰されて、それが原因で土砂混じりの水が泉に流入しているんじゃないかな。

 人の集まる要所って、物資や富が集まるから狙われやすいでしょ。この辺りって、領土を巡って、昔は争いが多かったのでは?指導者がかわれば、語り継ぐべき内容も変わるはず」

「なるほどねぇ…。あら?周りに何か刻んであるわ」


 イムホテプは歩けるようになった水底を進み、石積を外から保護する青銅板に目を凝らした。


「よく錆びずに残っていたわねぇ」

「読める?」

「敵の目を欺くためかしらぁ、いくつもの伝承や神話が混在してるみたい。えーと、“都市があった──”」


“都市があった、我々が住む都市があった。

 ここは我々が住む都市であった。

 河は聖なる河。船をしっかり繋ぐ波止場を備え。

 都市には真水の溢れる井戸があった。


 しかし、ある時。

 ある国から使者がやって来た。使者たちは言った。

 井戸をからにせよ、国中の井戸をからにせよ。

 浅い井戸も、巻き上げ綱で汲む深い井戸もすべてだ、と。


 水汲みの労働を我々に求めているのか。屈服せよというのか。力の差には抗えない。人民を守るため、会議で従属することが決められた。近々、ここを明け渡すことになるだろう。


 若者は心が涙で溢れ、草原へ出て行った。

 彼の心は涙で溢れ、彼は草原へ出て行った。

 神は心が涙で溢れ、草原へ出て行った。


 井戸が涸れ、我々が祈りを捧げた泉の濁るとも、水面は星を映しつづける。


 王権は天によって与えられるもの、ゆえに都市は実り豊かに永らえてきた。だから、天よ、これからも人々を良く導きたまえ。いっさいの嘆きを振り捨てよ。都市よ、家よ、人民よ”

 


 

 アシリア国王は目を瞑る。

 側妃も、将軍も、王名表卿も黙った。


 アシリア陣営の胸に去来したのは、今回の暫定王のことだった。一歩間違えれば、自分たちも国を追われる側だったかもしれない。この泉を作った先人たちのように。


 アシリア国王の目蓋がゆっくりと開かれる。そこには、穏やかな瞳があった。


「スミュルナ王子よ。今回の”鉄剣の取引“は、こちらの発注誤りであった。鉄剣は持ち帰ってくだされ。誠に、申し訳ない」

「陛下!それは…」


 国王自ら謝ることは異例のことだ。止めようとする部下を振り切り、立ち上がった。


「そして、こたびの厚情に感謝する。鉄剣の運搬にかかった人員の食糧、馬の餌代、剣の材料費はもちろん、助力への御礼を上乗せして払おう。

 加えて、錫の取引で搾取されたぶんを、すべてお返しする」

「謝罪と返礼を受け入れます」


 ヒタイト側の返事を聞いて、王名表卿は気が遠くなった。この莫大な錫鉱石のほとんどを、手放さなければならないとは。一瞬でも皮算用しただけに、衝撃が大きかった。

 しかし、スミュルナの次の言葉のほうが、もっと驚いた。


「アシリア国も、いまは厳しい時期でしょう。幸い、錫についてはこちらも他に宛があるのでね。もう2つ、こちらの要求をのんでいただけるならば、錫を返すのは数年に分けても構いません。

 まず1つ目は、タムカルムをヒタイト帝国にいただきたい」









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