トゥト
肩を、堅いものでつつかれている。
「おい、起きろ」
母はこんな言葉遣いじゃない。
兄の声は三十路でいまだテノールのまま。
こんなガラガラ声じゃない。
っていうか、就職してからギリギリまで寝るため、
目覚まし時計にお世話になっていたはず。
夜に肌の保湿を欠かさないのは、朝の化粧時間を減らしたいからだ。その分眠らせて欲しい。
母も兄も霖の残念ぶりを知っているから、起こしはしないはずなのに。
まあ、いいか…
「いいかげん起きないと、毟りとるぞよ」
むしりとる…
何を?
布団を?
ここで服を、と発想しないのが男っ気のなさを表している。もちろん同意がなければ犯罪である。実際に毟る勢いで引っ張られたのは、髪の毛だった。
「っ痛い!!」
頭をかばいながら飛び起きる。
正確には、飛び起きようとしたが、お腹の上に重いものがのっていて無理だった。
見知らぬ男性の腕、とか色っぽい話ではない。
それは、羽毛にふかふかと包まれた翼を広げ、嘴に髪を挟んだままの、鳥だった。
状況がわからない。
飼い主はいないのか。
それより、ここはどこなのか。
鳥が髪を放し、退いてくれたので、上半身を起こして周りを見回す。
自称教授の姿はなく、とりあえずホッとする。
砂漠のなかの、オアシスのようなところだろうか。
見渡すほどのおおきな湖。
湖を囲うようにナツメヤシなどが高く育ち、木陰をつくっている。風も心地よい。
腕や足を触ってみても、どこも痛くない。
治療したあとで、先ほどの声の主がここまで運んでくれたのだろうか。病院に行ったにしては服はそのままだが。車とぶつかったのだ、もし運よく骨が折れず打ち身だけだとしても、完治に一週間はかかるはず。
携帯を見ると、自称教授と会ってから日付は変わっていない。爪に塗ったマニキュアも剥がれていないことから、携帯の時間が正しいと感じる。
でもそうすると、すり傷ひとつ残っていないのが説明つかない。時間経過と状況があわなかった。
残念なことに、携帯のアンテナは立たず。
救援は呼べない。が、
少なくとも殺されかける状況ではない。
気がゆるむのを待っていたかのように、鳥が翼をとじた。
テレビで見た、トキに似ている。
でもトキは朱い鷺と書くのではなかったか。
目の前の鳥は黒っぽい。
動物好きだが家族にアレルギーがあるため飼ったことはない霖は、動物を見かけるとヒンシュクをかわない程度に構い倒すことにしている。
さっき髪を咥えていたのも、構ってほしいからかもしれないと思うことにした。
「あなた、どこの子?九官鳥みたいに、
飼い主の言葉を喋れたりしないの?」
「失礼な!我の主は我だけじゃ!」
鳥がそう言ったように見えた。
「ず、ずいぶん丁寧に芸を仕込まれたのね」
「違う!」
「返事も想定しているなんて」
「ち、が、う!」
一音ごとに短い足で地団太を踏んでみせた。
「なんてお利口さんなの!天才ね!」
鳥は怒っていいのか、嬉しがっていいのか、複雑な表情をしている。表情筋なんてあるのだろうか。
「我がただの鳥ではないと、
これを見れば信じるじゃろう」
もう一度翼を大きく広げ、霖の前で交差させた。
羽がみるみる大きくなり、だんだん透けていく。
透けた先に鮮やかな絵や文字が見える。
それが包帯のように細長く連なり、
螺旋を描きながら人を形作る。
…ここだけみたらミイラみたいじゃない?おどろおどろしいのが出てきたらどうしよう。
霖の心配をよそに包帯?はほどけて消え、
ゆったりとした服を纏った、長身の少し細い美青年が立っていた。
母や兄を見慣れて親友からは目が肥えていると言われる霖が、まじまじと見ずにはいられない。
彫りが深く、思慮深い眼差し。
高い鼻梁。近寄りがたいというよりは、図書委員が似合いそうな穏やかな雰囲気。
ただ残念なのはー。
口に嘴があった。
「パタ○ロ!」
「他に言うことがあるじゃろっ」
頭をはたかれた。名作なのに。
知らないのかと聞いたら漫画は読まないとか。人生大損していると思う。単語の意味は不明でもなんとなく言われたニュアンスは伝わるらしい。本職の霖も驚く語学力?だ。
鳥にも突っ込みができるんだ、あと、ここはどこでしょうか。
「あの、助けてもらったのよね?」
「助けたとも、害したとも言える」
「ここはどこで、どうやって運んだの」
「すぐに答えを得ようとせず、考えることも大切じゃ」
埒があかない。
焦る気持ちを顔に出ないようにする。
先ほどはあんなに打ち解けた?のに、私自身に関わる質問をすると曖昧な答えしか返ってこない。
ちなみに、嘴は人間の唇に変化していた。
美男子だが、この場合なんの慰めにもならない。
むしろ無表情だと迫力があるのでやめて欲しい。
鳥が人間になったことは理解し難いが、会話できるとなれば情報を得なくては。他力本願で申し訳ないが、移動手段を教えてもらい早く家に帰るか、それが難しいなら電波の通じるところまで連れて行ってもらいたい。星で方向を掴むとか無理です。
自称教授が大切な家族を狙っているのだ。
危機を知らせたくとも手段がない。父のことも知らせないと。母は、最近やっと立ち直ってきたのに。
私と連絡が途絶えたとわかったときの、兄の姿を想像したくない。兄は違う電波を飛ばしてそうだ。
体が弱くあまり外出をしないのに、重度のシスコンであることをご近所の皆さんに認識されている不思議。何があったのかコワくて聞いていない。
いけない、思考がずれていた。
「もう質問は終わりかの?」
すぐに答えを得ようとするなと言ったのは自分だろう。いけない、冷静に、冷静に。いつもより感情的になっている気がする。
よく見ると、唇の動きと発音のタイミングが合っていなかった。私は日本語を話しているが、相手にはどう聞こえているのだろう。「パタ○ロ」を知らなくてもイメージが伝わるということは、理解を越えた何かで意志疎通をしているのか。
そういえば、以前父が「神様や精霊と問答をする話は世界各地にあるんだ、興味深いね」と言っていたのを思い出す。
なかでも「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足になる生き物は何でしょう」というスフィンクスとのやりとりは有名だ。目の前の元鳥青年の正体はわからないが、態度の違いから察すると、なにか制約のような、成果を得るための定められた手順があるのかもしれない。
かといって自分は歴史に特に詳しいわけでもない。
目は大きいが父に似て平凡顔だし、魅了できる容姿もない。護身術は習ったが強くなく、講師にはまず逃げろと教えられた。
いつもの自分で出来ることって何だろう。
落ち着くため、仕事のときのように自己紹介から始めることにした。まぁ、どんな相手でも挨拶って大切だよね。慣れた手順を踏むともっと冷静になれる気がする。現実逃避とも言う。
おかしいな、精神的に図太いと思っていたのに。
とりあえず正座する。
「藍田 霖です。日本人です。
仕事は通訳をしています」
「我の名はトゥト。真名は言えぬ。
文字と知恵らを司るトゥト神の化身じゃ。
さきほどは、食事を探しておった」
ナニヲイッテルンデスカ。
役に立たない情報だが、食事前ということはわかった。
まずは、餌づ…胃袋を掴むというのはどうだろう。
霖は枕代わりにしてあったバッグを探る。
こんな状況になっても手放さなかった自分を誉めたい。もとは鳥なのだから濃い味は避けたほうが無難か。
手持ちの菓子のうち一番薄味だった甘栗に決めた。
我ながら渋いセレクトだが、腹持ちの良さと日持ちの良さを基準に買うので、化粧品より菓子のほうがバッグ内を大きく占める。食べたらスペースがあくので構わない。
しかし、困ったことに小分けの袋がない。
地面についた手で渡すのも気が引ける。もとの袋のなかへ手を入れるのも、プライドの高そうな相手が許容してくれるか不安だ。
いつもなら絶対そんな使い方はしないが、汚れにくそうな場所を探し、辞書を台代わりに置く。その上に甘栗の大袋を開いた。
「よかったら、どうぞ」
「ありがたい、いただこう」
トゥトは口をペリカンのように大きくすると、
大きな掌でつかんだ甘栗と、
辞書を飲み込んだ。
「ああー!
吐き出してよ!」
「無理じゃ。供えたのはお前さん…リンじゃろう」
私の名を呼ぶときには発音と唇の動きが一致していた。まさかの食事学習か。聞いたこともない。
長年使って書き込みをし、手に馴染んでいたお気に入りの辞書を…。
トゥトを見据える。
文字を司るだかなんだか知らないが、辞書を軽んじているのではないか。本は読んでこそ本、辞書はひいてこそ辞書。食べるものじゃない。
視線をよけるようにしてトゥトは言った。
「先ほどの質問に答えよう」
話題を逸らそうとしているのは見え見えだが、ここは大人になって気づかないふりをしよう。
「では、もう一度おたずねします」
敬語になった。相手が老成した雰囲気を纏ったからだ。
「助けてもらったんですよね?」
「体は治したが精神はまだじゃ」
うん、わけがわからない。
しかし気分が変わられても困るので質問を続ける。
「どうやってここまで私を運んだんですか。
そして、ここは砂漠のどのあたりですか」
「腹が減っておったので、辞書ごとお前さんを誤って神力で連れてきてしまった。体の治療は詫びじゃの。
そしてここはイアルの野。
死後に来る世界と言われておる」
………は?
読んでいただきありがとうございます。
平日に初めて連続投稿しました。
いつもと雰囲気が違ったかもしれませんが、
作者は楽しかったです。悔いなし。
今週末は立て込んでいて申し訳ありませんが
更新はありません。
まだまだ寒いので風邪等召されませぬよう
皆さまお体ご自愛下さい。
相変わらずの不定期更新ですが、呆れず気軽に
おつきあいいただければ幸いです。