キス
念のためR15です。
お姫さま抱っこで運ばれた霖は、恥ずかしさのあまりスミュルナの腕をペチペチと叩いた。
それでもたくましい腕は揺るぎもしない。
周囲を見れば、イムホテプが「足首に負担をかけちゃだめよぅ」と心配している。ルウカは「人前で抵抗して殿下に恥をかかせるなよ」と視線で語った。
イルバが楽しそうに笑う。
「ご主人様もよく奥様をそうやって運ぶんだよ」
「あれは夫の特権だからね。
もっと幼いおまえと妻を、初めて抱き上げたときの幸福感といったら…どれ、功労者へのご褒美に肩車してあげようか」
「ええっそんな、ご主人様?!」
「仕事でないときは、もっと砕けて良いのだよ。先ほど大勢の前で臆さなかった姿を見て気づいたのだ。そろそろおまえも、そういう切り替えが出来るだろう」
「はいっ、父上!」
タムカルムは霖に言った。
「僭越ながら申し上げます。リン姫様、ぞんぶんに殿下に甘えなされ。私は牢獄で思ったのです、今日が平穏だからといって、明日もそうだとは限らないと。
未来のことを知れない我らは、大事な人のそばにもっと居るべきです。仕事で遠距離に居るならば、心だけでも近くに。心を相手へ伝えるべきです。譲れない部分はそのままに、もう少しだけ素直に」
霖は数日前、スミュルナが湿原で死線をさまよったときのことを思い出した。力なく横たわるスミュルナの姿を見て、意外なほど心が揺さぶられたのを。
しばらくはそばに居れると勝手に思ってた。
もっとあなたのことを知りたかった。
霖は王子の腕を叩くのを止めた。下から見上げても美形は美形だった。
「…人前は恥ずかしいので、止めてください」
王子はニヤリと笑う。
「人前でなければ、すべて許してくれるのか?」
「な、何でそうなるんですかっ!」
霖と王子が言い合ううちに、招待客用の部屋に着いた。
イルバを肩車したタムカルムが、隣の部屋に下がる。
イムホテプとルウカも「侍女を呼んで来るわ」「出入口を警固します」と出て行った。
王子と二人きりだ。
「リン、疲れただろう?」
「…す」
「え?」
「わたし、あなたが好きれす」
噛んだ。
真っ赤になる霖に、呆然とする王子。
その表情は、重責や貫禄を取り払い、スミュルナを年齢相応に見せた。少しは気を許してくれているのかな。
ああ、やっぱり好きだ。霖は悔しそうにつづけた。
「今まで押し殺せない感情なんて、無かったのに」
王子がたまらなく愛しそうに、そっと抱きしめてきた。抵抗する間もなく、軽やかにそのまま寝台に運ばれる。
ハッと我に返った霖は、慌てて硬い胸板を押し返した。
「もっと、スミュルナと話したいの」
「ああ、話そう。でも抱き合った後にしよう。
…それとも、あまり食べないことの他にも、何か制約があるのか?何なら許される?」
低く、艶やかな声が耳元から脳内にひびく。霖は鳥肌がたった。
気付かれているとは思わなかった。
変な奴だと嫌われたりしないだろうか。
ターコイズブルーの瞳はいたわりに満ちていた。その眼差しに励まされ、言える範囲までは打ち明けようと思った。
トゥトとの約束どおり、“イアルの野”については言わない。でも自分のことだけなら。
「詳しいことはまだ教えられていないの。…口づけまでなら」
それを聞き、王子は切なそうなため息をついた。
「リンの気持ちを知ったのだから、本当は遠慮なく、はやく自分のものにしてしまいたい」
でも、我々とは違う理で生きるリンを、欲望のまま貪って儚く消えられでもしたら堪えられない。
オアシスで斬られたときや穴から落ちたときに起きた奇跡。それがいつも起きるとは限らない。傷つけば必ず長い眠りについている。
もし、それから目が覚めなかったら?
「リン、大切にする」
きっと、心は我々と変わらない。
負傷すれば痛がり、赤い血が流れる。
抱きしめればこんなに細く、あたたかい。
だから、守らなければ。
目を離した隙にはかなく消えてしまわぬように、屋敷内だけでなく公務の際もそばに置きたい。
霖は、苦境にあっても諦めない強さがある。今夜の宴では周囲と協力しようという姿勢が見えた。先ほどの告白といい、歩み寄ろうとしてくれているのがわかる。
おそらく、鍛えれば共に公務をこなす資質がある。
手の内に囲うだけではなく、もっと広い視野で見たほうが仲間も増え、リンを守り易くなる。ルウカの思惑に乗るようで癪だが、リンのために、もっと地盤を揺るぎないものにしなければ。
まぁとりあえず、一番最初に向き合うべきは王子自身の欲望だった。リンを抱きたい衝動を押さえるために、関係のないことを話す。
「ゆくゆくは内輪だけでなく、対外的にもリンを認めさせる。兄上の派閥が文句を言えないほどに」
近くに居るいるのに、霖は王子を遠くに感じた。
『おぬしは、男というものがわかっていない』
そうだね、トゥト。でも、わからないからもっと知りたくなるのかも。
霖はスミュルナを抱き締め返した。それがいけなかったのか、王子の雰囲気が変わる。
我慢できない、とばかりにキスが降ってきた。二人の鼓動が速い。
頬を撫でるスミュルナの指先は、あくまでも優しい。
数えきれないほどのキス。
霖はその心地よさと恥ずかしさに、目を閉じる。
そのまま流されようとして────。
「およびにより、姫様のお休みの準備にうかがいました」
侍女の声に弾かれたように飛び上がる。
「痛っ」という霖の声に、イムホテプが飛び込んできた。治療のために別室へと連れ去られる。
クックック、とルウカが笑う。入室を止めなかったのは医師診断により無理はさせるな、ということか。
ふて腐れながら、王子は独り寝に甘んじた。
それでも、不思議と満ち足りた気分で眠りについたのだった。
遅くなってすみません。
念のためにR指定を入れたので分割しました。甘くて(当社比)難産でした。
次で種明かしです。いよいよアシリア篇最終話になります。
相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずお読みいただき、本当にありがとうございます。
アクセス数やブックマークが増えて励みになります。
読んでくださる皆さまに感謝を込めて。




