宝探し
長いです。
アシリア国王の前で挨拶をする美女────霖は、どうしてこうなった、と天を仰ぎたい心境だった。
数刻前、タムカルムやイルバが霖の見舞いに訪れた。
「リンお姉ちゃん!」
「イルバ!元気だった?」
「これ、イルバ落ち着きなさい。
ご無沙汰しております、リン姫様、もう体調はよろしいのですか?」
隊商で旅していたころのように、リンと呼び捨てで良いのに、と思ったが、ルウカに叱られたばかりなので「ええ」と頷いておく。
タムカルムは少し痩せたようだ。「忙しかったのでしょう?」と水を向けると、苦笑を返された。
「義父が王名表卿になりましてね。名誉職でしょうが今までと同じ仕事量では無理がきますから、商会の引き継ぎを手伝っていました。
あとは、亡くなった官吏の方々の遺品や慰労金を実家に送り届けるために、道に詳しい商会の者を斡旋したり。これは私が勝手にしていることですがね、まだ城内も人手が足りないので重宝されています」
いくら一緒に旅をしたからといって、自国の情報をここまで話していいのかな?
霖の思っていることが伝わったのか、タムカルムは姿勢を正した。
「義父から、リン姫様も危ない目に遭ったのだと聞きました。牢から我々を救ってくださったのはイム殿ですが、姫に監視がついたから彼への警戒が手薄になって成功したのです。約束はそこまででしたのに、さらに陛下と義父の脱出にも尽力していただいたと」
イルバが驚き、心配そうに霖に抱きついた。
そのあたたかさにホッとしながら、霖は子供のまえで暫定王のことを詳しく話す気分にはなれなかった。
「それはスミュルナ殿下やイムホテプのおかげです。私は居合わせただけで、大したことはしていません」
「そうおっしゃいますが、私は商人。貰った銀には釣り合う品物を売ります。約束以上のことをされたら、その差額ぶんほどには何かで御返ししないと落ち着かないのです」
そう言われても、欲しいものなんて思いつかないし、自分が役立ったわけじゃないから気がひける。
霖が困ったように視線をさまよわせると、ルウカがそっと豪華な衣装を差し出した。初めて登城したときに商人達から借りた物だ。
「それは貰い物じゃないのよ。返してもらうように頼んだはずなのに」
「受け取りを拒否されましてね」と、ルウカ。
タムカルムが鼻息を荒くする。
「当然です、それはせめてもの餞別にと差し上げた物ですから。それでは御礼にもなりません。さぁ、他にもっと大きなご要望を」
「私ではなく、王子かイムに差し上げてください」
引かない商人と、困惑する霖。そこに、ルウカが「良い案があります」と言った。
「タムカルムからは情報と助力を得て、リン様は殿下の手助けが出来ます」
いやいやいやいや、皆の視線が怖いって。場違いな奴が宴会の途中で入って来たらそりゃ嫌だよね、と霖は思った。美しい顔立ちならともかく、化粧で塗り固めただけだし。
霖の仕上がりを見たルウカは驚いたように、
「顔に凹凸が無いから化粧がすごく映えますね。
まるで別人のように美しい」
と言った。称賛なのか皮肉なのかわからない。
鏡は見せてもらえなかったが、“別人”と言われて霖は思い至った。本当は知らない人たちのところに行きたくないし、多くの目にさらされるのも苦手だ。でも、苦手な局面では別人になったつもりになれば、すこしは堪えられるかもしれない。
日本では、通訳の仕事でも芸能人やマスコミに関わるものはできるだけ避けた。そういった案件は同僚たちが奪い合うので自分に当たることはなかった。
独立したのも、研究者の学会や会社の会議など、決まった固定客をきめこまやかにフォローしたいと思ったからだ。
いま思えば、仕事を選ぶというのは環境に恵まれていたのが大きい。学者は昔から父を訪ねて来ていて顔見知りだったし、会社関係は隣家の青井さんに紹介してもらったのだ。
感謝しているし、後悔はしていないけれど、もし自分がもっと器用なら違う道があったのかもしれなかった。
社交的な親友は営業職についていて、霖が「すごいね」と言うと、「霖もすごいよ」と苦笑していたっけ。
「あたしさぁ、霖と違って語学とか暗記とかダメなのよね。売る商品もさ、コロコロ仕様が変わるし、名称や使い方を覚え直さなきゃいけないし。でもさ、皆そうなんじゃない?苦手なこともあるけど、仕方なくなんとか乗り越えながら仕事してんのよ。あたし、社会人になってからのほうが不本意ながら勉強してるわ」
落ち込みそうになる霖の思考を、スミュルナの声が止めた。
「リン」
スミュルナが、こちらを心配そうに見ている。
そばに居たいと決めたからには、ルウカを含めて周囲に当たり障りのない対応はできなかった。それは逃げているような気がしたからだ。
王子のそばに居るのなら、役立ってみせよ、とルウカの威圧を感じる。霖は彼の指示を思い出した。
そう、たしか───。
「悪徳商人たちも呼んでくださいませ。
宴の余興に、宝物の在処を当てる魔術をお見せします」
「ふむ…」
アシリア国王は霖の隣に居るタムカルムに目をやった。
商人には商人同士の情報網がある。
復興のために資金がいるのは当たり前だが、不満を生まぬよう、慰労金や褒賞も出し惜しみする訳にはいかない。資金はどれだけあっても足りないので、悪徳商人たちの隠し財産を兵士に探させていた。人々の不安を煽らないように、機密扱いでだ。
商人代表者である王名表卿に「情報を漏らしたのか」と問えば、彼は首を横に振った。苦い顔をしている。
「ヒタイトとの交渉を聞けば反対するだろうと思いましたので、手前で欠席の返事をしておいたのですが。
タムカルムに褒賞を、と言ってくださった陛下の期待を裏切り申し訳ございません」
タムカルムが牢内で作った名簿は、混乱する城内において捕縛や賞罰に大いに役立った。今は慰労金を届ける手助けをしていることもあり、王室専任商人に加えるつもりでいたのだ。
「はて、我がアシリアに敵対するのか。それとも両国の友好のためと思っているのか。
いずれにせよタムカルムもひとかどの商人だ、相応の覚悟はあるのだろう。見てみようではないか」
霖は条件を告げた。
「魔術には、大量の水が必要です。護衛や灯りを置ける広い場所で、そのようなところはございませんか?」
「ある。案内しよう」
アシリア国王は呆れ半分、期待半分の表情で立ち上がった。
一同は露台につながる部屋に来ていた。
ここなら、半ば城内なので灯りが風に消えることもない。露台からは泉が見える。開口部から王の座る場所までは角度が深く、対岸から弓矢で狙う死角もなかった。
「国王陛下を移動させたのだ、失敗したら無事に帰国できはしないだろう」と将軍が言って来た。声に心配と警戒がにじむ。
すでにルウカから段取りを聞いたイムホテプは、肩をすくめるだけだった。
タムカルムからイムホテプに楽器が渡される。
霖はルウカの肩から手を離す。足首は適当に自分でテーピングしたから歩けないほどじゃない。刺繍された布を使ったから衣装の一部に見えるだろう。
「リンお姉ちゃん、久しぶりに一緒に歌えるね」と、イルバが笑う。旅の合間によく合唱したのを思い出し、霖はすこし緊張がほぐれた。
イムホテプが、弾むような旋律を奏でる。
タムカルムとルウカは下がり、霖とイルバだけが前に出た。
「「”昔むかしある国の───“」」
”むかしある国の王様が、何か心を楽しませることは無いかと、宮殿の部屋という部屋を見て廻りました”
魔術と聞いて大掛かりなものを期待していた者たちは、いきなり歌い始めた二人に呆気にとられた。
“そこで王様は、魔術師と名高い書記長を喚びました”
イルバがアシリア国王に対して礼の姿勢をとる。幼いながら大人の仕草を真似る様子に、列席した大人たちの顔がついほころんだ。
“書記長は言いました。陛下には、王宮の泉に出かけられ、舟に王宮の美女ちをお乗せになることをおすすめします。美女の漕ぐ舟で美しい景色をご覧になれば、お心は楽しくなることでしょう”
そして霖が、水上のように優雅な仕草で───足首が痛まないようゆっくり動いているだけだが───露台の端へと進んでゆく。
霖の独唱だ。
“王のお望みどおり、舟を進めながら心を込めて歌いましょう。でもどうしよう、風に髪が乱れてきて、直したくてたまらないの”
くっきりと紅を塗られた唇からは、喉を鍛えた者がもつメリハリのある声が出た。
ここでようやく人々は、歌い手たちが詩の人物に倣った動きをするのに気付いた。
こんな趣向は珍しく、目を輝かせ始める。護衛もいるのだし、余興なのだからすこしは楽しんでも良いだろうと、雰囲気が砕けた。
美しい声と姿に、王も酒がすすむ。
“やがて舟上の女性たちは、櫂を握る手を止めてしまった。
王がなぜ漕がないのかと訊ねると、監督していた女性が髪を触ろうとして耳飾りを落としてしまったからだと言う”
霖は観客を見渡して豪華な耳飾りをはずした。
そのまま露台から腕だけを突き出す。その下は泉だ。
まさか───と人々が固唾をのんで見守るなか、霖の掌から耀きが落ちた。水中に落ちたのだろう、ボチャリと意外と大きな音が届いた。
「なんと豪気な」
「かなりの黄金を使っていたぞ」
「まさかあの耳飾りが宝だとは言うまいな」
「面白いが、苦しい言い訳だ」
さまざまな声があがるなか、囚われた悪徳商人たちも口々に罵っている。
そんな空気を変えたのは、イルバのボーイソプラノだった。
“魔術師と名高い書記長は、自分が耳飾りを探してご覧にいれましょう、と王に言いました”
イルバは楽しそうに袖から出した小笛を泉に向けて振るう。まるで魔法の杖のように高々と。
霖は外に近い灯りだけを吹き消した。
「不審な動きでごまかすとは。さては逃げる気か。衛兵!」
側妃の厳しい声に数人の兵士が走り───揃いもそろって、霖の前で足を止めてしまった。
「何を──」
言いかけた側妃が口を閉じた。
兵士の凝視する先へ視線をうつし、絶句する。
「何だあれは、光りが──」将軍が目を擦った。
まるで数百の耳飾りを落としたかのように、泉に耀きがあった。
満月の光を受けて、涼やかな存在感がある。すこし揺れて見えるのは、水中に在るからだろう。
人々はあまりのことに騒然となった。悪徳商人は白目をむいて倒れた。
曲の終わりに霖は微笑む。
「宝物の在処はおわかりになりましたか?」
王名表卿もアシリア国王も反論できなかった。“隠し財産”の前提が変わったのだ、もはや商談の攻守が逆転する。このような大勢の前で、見なかったことには出来ない。
苦しまぎれに「あの光りのもとを引き揚げるまでは認めぬ。スミュルナ殿下も含め、明日その場に立ち会われよ」と言うのがやっとだった。
スミュルナと霖がイイ笑顔で「当然です」と頷く。
王子は「寿命が縮む思いだったぞ」と霖の耳元で囁き、素早く抱き上げる。
ヒタイト帝国の一行とタムカルム親子は、颯爽と宴席から立ち去った。
いつも読んでくださり本当にありがとうございます。
あれ、アシリア国篇はあと1話って言ったのに…度々すみません。次こそは。
予告詐欺に呆れず読んでくださる皆さまに深い感謝を。風邪ですが、週末更新頑張ります。




