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解読



 りんは居合わせた面々に訊ねたいことがたくさんあった。


 ただの作業台と思っていたのに、何でその下に穴があり、しかもそこに王様達がいるのか。牢破りを依頼されたはずのイムホテプまで居るし。もし将軍と協力して王様を救出に来たのなら、軍人じゃない商人の代表者がいるのも不思議だ。そして、何よりも。


「もし痛かったら、遠慮なく言って欲しい」


 低く艶やかな声で囁くスミュルナ王子。あなたはヒタイト帝国に居るんじゃなかったんですか。


 霖はイムホテプや隊商の人たちと歩いた日々を思い出した。かなりの距離があったはずだ。一国の王子が何のために?訊ねたいのはやまやまだけれど、聞けるような雰囲気ではなかった。



 やがて地上からアシリア国王が声をかけた。威厳があるなかにも、焦りの響きがある。


「今から縄をおろすゆえ、急ぎ上がられよ。王宮書記官がすべての堰を開ける前に」


 耳の良いイムホテプが、扉の向こうをうかがい、王子に何やら耳打ちした。スミュルナ王子は厳しい顔でうなずく。


「陛下、お心遣いありがとうございます。ですが、おそらく全員を上げるまでは間に合いません」


「わっ?」


 霖は注目を集めてしまい、決まり悪そうに下を指差した。足下が濡れている。

 扉のほうから水溜まりが広がりつつあった。


「だが、その扉はこちら側からしか開かぬ。大量の水が来てもしばらくは持つのでは?」

「ですが…」


 早口で相談する陛下と王子たち。

 そのあいだにも、周囲の壁から少し砂ぼこりが落ちて来る。


 霖は嫌な予感がした。

 個室のような空間に大量の水が入って来た場合。例えば…自動車が水没しそうになったときと状況が似ているとしたら?

 

 外が怖くて閉じられた場所にいても、車ごと浮くわけじゃない。慌てて逃げようとしても、ある程度沈んでしまうとドアが水圧で開かなくなるのだという。


 この穴は、そうじゃないかもしれない。

 でも、絶対安全だとも言えない。

 もし、水圧が石壁にかかったとして、どのくらい持ちこたえてくれるのだろうか。溺れるのも嫌だが、石が降るなかに身動きが取れないのも嫌だ。


 驚いたことに、イムホテプも地下通路を逃げたほうがマシだと判断したようだ。


「通路は高さがあったしぃ、上へ伸びる穴があったでしょう。分散されるから、水の流れに追い付かれるかは五分五分ね。ここよりも通路の壁のほうが頑丈そうだしぃ」


 スミュルナはうなずいた。


「陛下方は城の安全なところへ。我らは地下を行きます」

「必ずや後で会おうぞ。神のご加護があらんことを」


 この世界では珍しいことに、スミュルナは神を信じていなかった。

しかし、アシリア国王の心遣いは素直に嬉しく、こちらも気持ちを返したかった。


「陛下にもご加護があらんことを」


 王子の声が穴に響いた。

 イムホテプが扉に繋がる縄を持つ。

 その横に商人とスミュルナ王子が並ぶ。


 霖は足手纏いになるよりはと、スミュルナに背負われることを同意した。白い布で固定されたので王子の両手は空いている。

 お姫様抱っこが選択肢に無かったのは、いざという時に剣を持つためらしい。

 

ディゥを数えたら扉を開けるからぁ、全速力で走ってねぇ。ウァセネゥケメトフェデゥ

行って!」


 扉の向こうから水が押し寄せた。水かさがすでに男たちのふくらはぎまである。ただ石畳を走るのとは疲労度が違う。それでも勢いよく、三人の男は飛び出した。


 





 通路に響く息づかいがだいぶ荒くなってきた。

 かなりの距離を進んだ。


 でも水はすでに胸元まで到達している。

 ここまでくると、さすがに走るというよりもがくといった状態だ。イムホテプが舌打ちする。


「もうすぐ出口のはずなんだけどぉ。それまで持つかしらぁ」


 スミュルナは眉間のシワを深くした。


「通路を作るときに、普通は危険を避けようとするだろう。なぜ堰をそのままにしておいたのか。もしかしたら、水攻めの対策が隠してあるのかもしれない」

「対策ねぇ」


 王子とイムホテプが会話するなか、商人は無言だった。そろそろ体力の限界らしい。武人たちにここまで遅れを取らなかっただけでも立派だ。

 

 霖は背中にいることを申し訳なく思いながら、自分に出来ることをしよう、と壁を注意深く見る。なにか手掛かりがないかな。


「あ、そういえば」と、イムホテプが思い出したように言う。


「扉の礎に文字が書いてあったわ。*(神聖な)∴(国)とか」


 文字の説明を聞いて、霖も思い出した。

 あの作業台。

 レバノン杉の大板を拭いたとき、表面に凹凸があった。落書きかイタズラだと思っていたけど。


「ねぇ、イムホテプ。扉の礎は劣化してたんじゃない?」

「そうよ、それがどうかしたの?」

「もしかして…*は2つ並んでるのかも」


 イムホテプは驚いた。スミュルナと商人も唸る。


「確かに、*が2つ並ぶと**(星)って意味になるわ。ほかに、ほかに気付いたことはない?…わっぷ」


 興奮して大きく開いたイムホテプの口に水が入りそうになった。確実に水量が増えている。


 霖は∴の字を思い出す。

 ひとつひとつの・が▲の形をしていた気がする。アップで書くと    

      ▲    

     ▲ ▲


となる。それを見て、日本の“山”という字に似ていると思ったのだ。


「文字の起源としては象形文字も混ざってるのかなぁ。そうそう、私の国では“試験のヤマを迎える”とか言うから、一文字で複数の意味があったりしないの?」

「…あるわ」


 イムホテプは霖の思わぬ聡明さに再度驚いた。文字を扱う専門の書記官であっても、暗記するだけではなく文字の成り立ちまで考える者が何人いるだろうか。


「あと、二重マルがあったと思う」  

「つまり、*(星の)∴(現れる)◎(泉)ってこと?」


 スミュルナの足が止まる。

 通路が三叉路になっている。それぞれの道の天井にうっすらと絵文字があった。イムホテプが解読する。 

 

「д(亜麻)、▽▽(子ども)、Х(敵)…どの通路かが出口に繋がってるのかしら」

「Х(敵)は牢獄行きだろう。▽▽(子ども)かもしれない」


 立ち止まったことで少し余裕が出たのか、商人が言う。


「д(亜麻)でしょうなあ。水場では洗濯をしますから」


 アッと霖は声を上げる、。

 穴に通じるあの部屋。片付けて処分した物のなかに、やたらと古い布が多かった。神事に使う布の洗濯場だったのかもしれない。


「私もд(亜麻)だと思います」


 





 やがて、前方に明りが見えた。


「外だ!」


 もはや全員頭までずぶ濡れだ。小柄な商人はイムホテプに手を借りて水面から顔を出している状態。

 霖もスミュルナ王子の肩に半ば担がれている。長身の王子の背中であっても、さきほど溺れそうになったからだ。


「皆、あと少しだ」


 四人に笑顔が見え始めた。

 霖はスミュルナの邪魔にならないよう、自分の長い髪をかきあげて────皆の背後、遥か向こうから近付いてくる物に気付いた。

 

 ゴガッゴゴゴゴゴッ


 イムホテプが振り返る。


「なっ、あれは地下扉じゃない?」


 全員が青くなった。

 通路の壁を削るようにして迫る扉。水中だからといって衝撃は減らないだろう。追いつかれれば無事では済まない。


 重い脚を動かし、先を急ぐ。

 不気味な音が次第に近付いてくる。


 なんとか出口に着いたが、最悪なことに青銅の格子こうしが嵌めてあった。


「どうしよう、これじゃ出られないよ」

かんぬきも付いていないわねぇ」

「何の穴かわからないまま後世の者が設けたのか


 スミュルナは霖を白い布で肩に素早く固定すると、予備の剣で格子の表面を削り始めた。商人が焦って叫ぶ。


「そんなんじゃ間に合いませんよ」

「表面を削るだけだ。色を見たい」


 ガガゴガッゴゴゴゴゴ…


 水流に押されて扉が回転しながら迫る。


「いちばん右端のが色が違う。錫の含有量が少ないぶんもろいはずだ。叩き折るから、全員その瞬間水に潜ってすり抜けろ」


 ガンッ ガンガンッ


「危ない!」


 大扉の分厚い角が目の前に──────


 ガゴンッ


「潜れ!」


 水のなか。大扉が格子に叩きつけられ、木っ端微塵になるのが見えた。

 大小の破片が襲いかかるなか、スミュルナの力強い腕が霖を引き寄せた。霖も、無我夢中で掴まる。


 もみくちゃになりながら、一同は湿原に投げ出された。


 










 


 



 




 







 




大変遅くなり、申し訳ありません。

読んでくださり深く感謝申し上げます。


今月は少しはペースが上がるかと。


相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。

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