父の行方
「降りなよ、そこからは遺跡が見えづらい」
有無を言わさぬ口調で告げると、男は煙草を吸い始める。
表情にはださず、霖は警戒した。
カメラを探すふりをして、携帯のGPS機能をONにする。日頃の癖で、所持品はホテルにおかず、すべて持ち出している。
筆記具、数冊のポケット辞典と電子辞書とカメラにメモ帳、テープレコーダー。携帯電話にソーラー充電器。かさばらずシワになりにくい素材の、着回しのきく服が数枚。化粧品、常備薬、空港の手荷物検査にかからない非金属製のアクセサリー、菓子、水筒。それらの入った大きめのバッグの紐を調整して、肩から斜めに掛ける。
車高が高いのでパンツスーツでよかった。
車を降りる。
「遺跡があるようには見えないですね」
「素人目には分からないだろう」
「名刺には教授とありましたけど、この遺跡の論文は出されていないんですか?」
「私は指導する立場なので、調査に同行しても名前を出していないことも多い」
まるで、あらかじめ考えてあったかのように滑らかだ。霖は相手の様子を見ながら話題を変えた。
「父はヘビースモーカーでした」
「ふん、そうだったかな」
「でも遺跡では絶対に吸わないと言っていました」
「……」
「もし仮に灰が落ちたら、それが現代のものか遺物か、客観的な証明を瞬時にするのは難しいと。科学的な調査が出来るにしても、余計な手間をかけさせるより身を慎むべきだと」
遺跡と言い張る場所に煙草の灰を落としながら、男はニヤニヤしている。
「先ほどネットで調べたんですけど、もちろんネットに書いてあることがすべて正しいとは思っていませんが」
と前置きしつつ、
「名刺に書いてあった大学の、ホームページを見ました。現在この国で発掘調査をしている大学の教授陣に、貴方の名前はありませんでした。
生徒の指導が忙しいからといって、功績や活動のない学者を養うほど、学校は甘くありません。自身の論文は在籍していた7年前以降発表していませんね。
今ごろになって遺品が出てきたというのもおかしい」
大きな目で霖は相手を見据える。
「職業を騙ってまで人を呼び出して、何が目的ですか」
「人聞きが悪いな。
確かに大学は辞めたが、自己研鑽は重ねている。
肩書き以上の実力があるのだから“騙り”は言い過ぎだろう。遺品を持っているのは本当だよ。
最近見つかったというのは嘘だがね。さっき言ったような、俺との口論まで書いてあるから、そのページだけ燃やして、疑われないよう持っておいたんだ」
「後ろめたいことがあるから、隠していたんでしょう。父に何をしたの」
男は小さなノートを投げて寄越した。懐かしい父の筆跡で表紙に「日記」と書いてある。
ページをめくるのに気をとられ、男が自動車に乗り込むのを制止出来なかった。
「藍田教授はここで何かを発見したらしい。
休日、発掘調査隊の皆に内緒で、俺だけを連れてきて調査に協力してくれと嬉しそうに言われたよ。同じ隊で初めて働く俺をねぎらうつもりなのが、よけいに鼻についた。
同じ学歴、同じ経験年数、なのに彼ばかりが遺跡発見の名誉を得るのは理不尽だと思わないかい」
「数多くの考古学者が真面目にコツコツと調査をしているわ。大げさに考えすぎではなくて?」
「運の差としても理解出来ない。
ちょっと腹が立ってね。俺は何もしていないよ、
ただ砂漠に置いてけぼりにしただけだ」
「なんてことを…」
砂漠の昼は灼熱に晒され、夜は凍えるほど寒い。
何の装備も持たずいれば、数日も待たずに死んでしまう。
この男は父を見殺しにしたのだ。
怒りのあまり声が出ない霖を車上から見下して責めるように言う。
「しかし、日記には発見の詳細はぼかして書いてある。詳しくは家族に語りたいと。
他に草稿もメモも無くてね、自分だけで探すのも手詰まりなんだ。おまえは何を知っている?」
何も知らない、とは言えなかった。
男の目に明確な殺意があったからだ。
「知らないのか?
まぁ、他の家族にも聞ける。無駄骨を折らせたんだ、呼び出す口実くらいには役立ってもらおうか。
その日記があれば後追い自殺だと思ってもらえるだろう。もっとも、ここまで捜索隊が来る確率も低いがね」
正気ではない。
霖は鍵を奪いとろうとして失敗した。
突き飛ばされ、尻餅をつく。
車のエンジンがかかった。
助走するようにバックすると、猛スピードで霖に向かってくる。
慌てて立ち上がり、駆けだした。
身を隠す遮蔽物は何もない。
すぐに追いつかれてしまう。
視界がライトで真っ白に染まり
全身に衝撃を受け
何もわからなくなった。
どこからか、羽ばたきの音がする。
頬に石のような冷たい感触。
意識がゆっくり浮上する。
「う゛う゛~」
全身が痛い。
こんなときに、女子力の高い子はもっとかわいい声を出すのだろうか。考えるべきことは他にもあるのに、まず思ったのはそんなことだった。
痛い。
でも不思議なことに身を起こすことはできた。
普段なら疑問に思うはずなのに、寝起きのときのように思考が少しぼんやりしている。
周囲を確認しようと立ち上がる。
目を凝らすと、薄暗い石室のような場所だった。
あまり夜目がきかないほうだったのに、壁に隙間なく描かれた絵や文字のあざやかな色までわかる。 もっと見ようと、なかでもとりわけ大きな鳥の絵に、ふらふらと近寄った。
絵に触れようと伸ばした手が、スウッと壁を抜ける。
手首から先が見えない。
驚きのあまり固まっていると、向こう側からものすごい力で手を引っ張られた。
壁にぶつかると思った瞬間、目が開いているのかもわからないほどの、暗闇に包まれる。
「あ、間違えてしもうた」
遠くなる意識のなか、緊張感のないつぶやきが聞こえた。
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