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腕のなかへ

乱暴な描写がありますので、苦手な方はお控えください。9月9日に台詞等を修正しました。

 

 りんは立ちすくんだ。

 間近にせまる暫定王の目に色欲が浮かんでいた。毛むくじゃらの手が自分を掴もうとしているのを、呆然と見る。


 老女が叫んだ。


「リン、なにボーッとしてるんだい、はやく逃げな!」


 ハッとなって霖は身体を捩った。なんとか身体は避けたが、ヴェールが掴まれてしまう。


「わぁっ?!」


 ガタンッと勢いよく引き倒された。打ち付けた身体が痛い。特に、足首が変な捻り方をした。


 霖は慌てて、結び目をほどく。足を庇いながら逃げ、するりと外れたヴェールだけが男の手に残された。


 ニヤニヤしながら、暫定王はゆっくりと近づいて来る。


「逃げる女を捕まえるのも一興よ。

すぐに俺に惚れるだろうがな」


 そんなの身勝手な幻想だ。

 好きでもない人に触られて喜ぶはずがない。そう言い返したいが、声が喉に張り付いたように出なかった。


 霖は室内を見渡す。

 今は出入口近くに暫定王がいるので、外へ逃げるのは難しい。


 老女が腰をさすりながら立ち上がるのが見えた。暫定王は一人で来たようだった。王を室奥に誘導すれば、彼女が安全に外へ出られる。


 足が熱をもったように痛みはじめた霖は、逃げ切れる自信がなかった。助けを呼んでもらうしかない。


「近づかないで!」


 男が一歩進むと、霖が一歩退く。

 やがて、大きな作業台を挟むようにして対峙した。


 視界の端で、老女が顔をしわくちゃにして泣いているのが見える。霖の意図が伝わったのだろう。


「なんであたしなんかを信じるんだい。無事でいてもらわなきゃ寝覚めが悪いよ」

「イムによろしく」

「人使いの荒さだけは側妃なみになったようだね」


 文句を言いつつ、足早に去るのが見えた。日々の仕事で鍛えられた老女は健脚だったようだ。


 自分に注目されないのが気にくわなかったのか、暫定王が唸るように言う。


「よそ見をする余裕はもう無いぞ」


 ダンッと大きな音がした。白いテーブルクロスを、泥のついた靴が踏みにじる。作業台の真ん中に飛び乗った男は、手を伸ばした。


 霖は身を翻そうとして──足首の痛みに思わずよろめいた。

 すかさず、そこを捕らえられる。


 手首を捕まれた。

 台の上に引きあげられる。

 二人分の重みに、分厚いはずの台がギシリと鳴った。


 暫定王の酒臭い息が顔にかかる。

 寒気がした。瞬く間に鳥肌が立つ。


「あきらめな、お嬢ちゃん」


 体が冷えるのに反比例して、霖の心にふつふつと怒りがわいて来た。


『君、若いねぇ。いくら成人しているとはいえ、あんたみたいなお嬢ちゃんに喪主は無理だよ』

『お父さんを弔いたい気持ちはわかるけど、お母さんか、年輩の親戚に同席してもらったほうが』


 渋る葬儀社を見切り、兄がネットで新たな葬祭場を探してくれたっけ。


『女だてらに独立するってさ。通訳の腕が良くても見通しが甘いよな』

『世間知らずなお嬢ちゃんが何勘違いしてるんだか。若いうちはちやほやされても、そのうち大口顧客からも飽きられるだろ』


 同僚たちの陰口を笑い飛ばしてくれた、尊敬する元上司の言葉を思い出す。


『女か男かにこだわるのは馬鹿よ。仕事が出来るか出来ないか、会社にとって大事なのはそこだわ。


 でも、仕事にかまけてプライベートを疎かにしないで。自分の性別を否定してはだめ。正直になりなさい。一生恋愛をしないつもり?そんなのナンセンスだわ。人生の豊かさは、きっと仕事にも活かされると思って、未知の世界にも飛び込みなさい。


 仕事でも恋愛でも、こちらを侮る奴らなんてそれまでの人間よ。悪口にへこんでる暇は無いわ。油断してるすきに出し抜くくらいの気概を持ちなさい』


 相手は侮っているのだ。ひと泡吹かせてやりたい。思い通りにされるのなんて嫌だ。


 霖は口を開け、触りたくもない暫定王の掌を噛んだ。絶対に後でうがいをしよう。力がゆるんだ隙に台の端まで身体を転がす。


 急いで台から降りようとする霖の足首を、暫定王が握り込んだ。


「ああぁっ!」


 激痛に霖は悲鳴を上げた。それでも逃れようと必死に腕を伸ばし、周囲に置かれた棚をつかんだ。


 作業台の片側に霖と暫定王と、そして棚がのしかかった。その時。

 台座を支点にして、レバノン杉の大板がずれた。


「何だ、この穴は?ただの作業台じゃなかったのか?

おい、お前もっと覗いてみろ」

「痛いっ!放して」

「うるさい女だなぁ。興がさめる」


 覗きこんだ穴は、まるで井戸のようだ。板は固定されておらず、蓋のように置かれていただけらしい。

 台座と思っていたものは、穴を囲んで保護していた石積だった。表面を青銅で覆われているのでわからなかった。


 深いのだろう、さきは暗くて見えない。


『…せ』


 深淵から、聞こえるはずのない声がする。


『その方を離せ』

『また罪を重ねるのか』

『もっと早くに廃嫡しておくのだった』


 かすれた老人の声。

 暫定王には聞き覚えがあるようだった。


「なぜ前王がこの下にいる?執務室の奥に幽閉しているはずだ」


『お前を罰するために生き長らえていたのだ』


「そんな力も無いくせによく言う。後継者として俺を任命するよう、式典までは生かすつもりだったが、やめた」


 暫定王は酷薄な笑みを浮かべた。


「俺を大切にしなかったことを、後悔し──グッ?!」


 男がよろけた。腿に矢が刺さっている。


「後悔するのは、あなたよ」


 勝ち気そうな美女が、弓を片手に颯爽と現れた。老女が矢筒を持って控えている。


「リン!間に合ったかい」

「ギリギリね…ありがとう」


 苦笑しながら、霖は石積に寄り掛かった。もっと離れるべきだろうが、もう一歩も動けない。


「側妃、気でも狂ったか!」

「あなたに言われたくありません。実の兄を弑しておいて」

「ふん?惚れてたか」


 暫定王は冷や汗を流しながら不敵に笑った。側妃は憐れむよえな表情で首を振る。


「それは姉です。皇太子の御子を身籠って属国に避難しております。

 私はいわば時間稼ぎのおとり。正当な妃が私ではないように、正当な継承者もあなたではありません」

「何を言うか!俺は側室である母と前王との」

「あなたのお母さまが言ったことは嘘です。

洗濯係で城に雇われていたときに、妻子ある官吏と行きずりの関係になったのです」


『…それ以上言ってやるな』


 いいえ、と穴から聞こえる声にも側妃は動じなかった。


「予想外にあなたを授かり、相手にも捨てられ、途方にくれていたところを慈悲深い陛下が側室に召し上げたのです。これは王宮でも数人しか知らぬこと。もっと早くに確証があれば、王宮書記官も寝返ったでしょう。

 廃嫡されたのは、過去をあばくような権力争いから遠ざけたい陛下の親心。それなのにみすみす自ら来るとは。

──もう簒奪は失敗したのですよ」

「そんなはずはない、それにまだ失敗ではない!」


 暫定王は爛々と周囲に目を光らせ、霖を見た。

 髪を掴み、穴のところへ引きずる。ブチブチと数本が抜けた。


「こいつに押し潰されて死んでしまえ!前王が死ねば俺が王だ!」


 霖は落ちまいと台の端をつかんだ。

 しかし力が足りない。

 身体を支えきれず、虚空へ投げ出された。


「「「「リン!」」」」


 願望が生んだ錯覚なのか。

 重なる声が、下から聞こえたような気がする。


 落下しながら覚えているのは、そこまでだった。






 


 






 



 

 





 


 

 

 

 

 

大変遅くなって、大変申し訳ありませんでした!!

見捨てずにいてくださり感謝申し上げます!

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