鉄の剣
すこし短かめです。
スミュルナの艶やかな声はなお続いた。
「ヒタイト帝国王より、アシリア国王陛下に直接お渡しするよう厳命されております。
今はどちらに?」
丁寧な口調ながら、王子の言葉は核心を突いている。アシリアの王宮書記官は肝を冷やした。
クーデターをおこしたことはまだ諸外国に漏れていないはずだ。基盤が固まってから暫定王への継承式を行うつもりだった。
「あいにく陛下は臥せっておられまして」
「それはお気の毒に。是非お見舞いを」
「いやいや、それには及びません、軽い風邪でして。
ですが、万が一王子殿下にうつってはいけませんので」
とたんにスミュルナ王子は眉根を寄せた。顔立ちが美しいので、それだけでも大層不機嫌に見える。
「ほう…私が軽い風邪にうつるほど弱い、とおっしゃりたいのかな?」
「いえいえ滅相もございません。なにしろご高齢ですから、お休みになっていらっしゃる時間が長いのです。お目覚めになられましたら必ずお伝えしますので」
王宮書記官の対応を、スミュルナ王子は冷静に分析していた。
こちらの機嫌に左右されず即座に返答し、鉄に関する書簡を把握していることからして、官吏としては有能なのだろう。しかし、諸官を代表する王宮書記官としては頼りなく、外交の場数を踏んでいるとは思えなかった。通常、自国の王の健康状態を軽々しく他国に漏らさないものだ。
もう少し揺さぶってみることにした。
「わかりました。アシリア国王陛下への御見舞いはまたの機会にしましょう」
「ありがとうございます。ではゆっくりと疲れを癒していただき…」
「王太子殿下はいらっしゃいますか?
今度お会いしたときには一緒に晩酌を、と約束していたのです」
「それが…」
王宮書記官の額に汗が流れた。
暫定王が王族を弑したのは、城内では有名な話だ。城の者に接触しないよう工夫しなければ。
「それが…王太子殿下は属国の視察中でして」
つらつらと王宮書記官が言い訳するのを聞きながら、スミュルナは頭の中で不審点を列挙していた。
まず、明らかに官吏が少ない。
今日大広間に来るまで、直接対応したのは門兵と王宮書記官の二人だ。数年前に訪問したときは、軍の責任者や他の書記官がいたし、侍女もいた。
急な訪問とはいえ、顔見知りの高官が1人も姿を見せないのは不自然だった。
国の顔とも言うべき大広間の床は薄汚れていて、葡萄酒のシミがいたるところにあった。隅には埃がたまり、行き来する者たちに精気がない。人員の余裕の無さが露呈していた。
兵士の質の低下も気になる。
動きに機敏さはなく、服装も乱れていた。諸外国にその名を轟かせるアシリア兵とも思えない。
何より、アシリア国王陛下と会えないこと。もし本当に療養中ならば、王太子が出てくるはずだが、それもないとは。
「…というわけで、王太子殿下はお戻りになるのに時間がかかります。お約束を果たされるのは次の機会にしていただければと、僭越ながらお願い申し上げます」
書記官の声が響くなか、スミュルナは視界の端で侍女たちがうつむくのを捉えた。数少ない官吏たちも、目をそらす。
アシリアの王太子は穏やかで政務に優れ、人望もあつかったはずだ。もし彼が元気で自由に動き回れるとしたら、この状況を放っておくはずがなかった。
情報から導き出されるのは、最悪の事態だった。国王陛下は諸外国への体面上、まだ生きているはずだ。
「殿下、ルウカから知らせが届きました」
もはや相手に敬意を払わず、部下からの便りを堂々と面前で読む。そこに書かれているのは、最悪の想像を裏付けるものだった。事態は、一刻を争う。
ふと、どこからか猫の鳴き声がした。
知らなければわからないが、スミュルナにはイムホテプの鳴き真似とわかった。無事だったのか。
スミュルナは表情を変えずに、運ばせた大きな木箱に近寄った。
「ヒタイト帝国王は、アシリア国王陛下へ届けよと仰せでした。渡すべき方と会えないのでは、これをお渡しするのもまたの機会にいたしましょう」
初めて、王宮書記官は青くなった。
暫定王は戦争や鉄剣に執着している。ここで持ち帰られては、自分の身が危うい。
「どうかお待ちを。歓待の宴を催しますので」
「それは断る。毒入りの杯かもしれないからな」
「なんですと、無礼な」
スミュルナは数十本のなかから愛剣を取り出した。それで箱の腹を強く叩く。
すると、二重になった底からヒタイト兵が出て来た。納品するはずだった鉄剣を手にとり、精鋭たちは整然とした動きで王宮書記官を囲んだ。
「無礼とは貴様のことだろう。反逆者め。
アシリア国王陛下のところへ案内せよ」
いつも読んで下さり、本当にありがとうございます。
相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。
次話、アシリア国。
スミュルナとイムホテプが合流します。リン視点も入ります。




