牢
牢番に扮したイムホテプは、目を凝らした。
灯りをケチっているのか、それとも暗闇で精神的な圧迫を与えようとしているのか。牢は暗かった。
月明かりも入らない。
すえた匂いが濃いことから、風の入る窓すら無いのだろう。
湿り気のある床に気をつけながら、イムホテプはゆっくりと進む。ひとつひとつの牢獄に近づき、顔を確認していく。
囚人たちは久しぶりに現れた光に救われるような表情をし、その光源を持つのが牢番だとわかると、絶望したように顔を歪めた。
そのなかで、力強い視線を向ける者があった。その男は隊商の部下たちを奥にやり、出入り口近くまで寄ってくる。腕の届かない距離で、柵越しに頭を下げた。
「見回りご苦労さまです」
すこし痩せているが、丁寧な物腰は変わらない。アシリア商人、タムカルムだった。
やっと見つけた。
イムホテプはため息をつきそうになるのを堪えた。彼らを無事に助け出すまでは安心できない。
偽牢番イムホテプが歩みを止める。すると、タムカルムが穏やかな口調で、しかし切々と訴えた。
「どうか、医師を呼んで下さいませんか。
負傷した部下の、具合が悪いのです」
見れば、タムカルムの背後に男が横たわっていた。皆それぞれに顔や腕に青あざがあるが、寝ているのは1人だけだ。捕らわれるときに斬られた者だろう、顔色が特に悪かった。
イムホテプは周囲から死角になるように立つと、小さな縦笛を見せる。
ハッと、タムカルムが息をのんだ。
隊商の数人の部下たちも気付いたようだ。
相方の牢番は今ごろ眠っているだろうが、万一気付かれないとも限らない。声を落とすように長い指を唇の前に立てた。
意図は伝わったようだ。
タムカルムが、小声で喜びを露わにする。
「イムホテプ殿、よくご無事で」
「助けに来ました。タムカルムさまも、皆さまも、もう少しの辛抱です」
「ありがとうございます。見習い楽師殿と、イルバも無事ですか」
リンが後宮に潜入していることをおくびにも出さずに、イムホテプは微笑でうなずいた。
「無事です。あと、これをお使い下さい」
イムホテプの懐から包帯と、軟膏入りの壺が取り出される。蜂蜜と麦粉と薬草を混ぜたものだ。蓋をとると甘い匂いが立ちのぼり、誰かの腹がキュルルと鳴った。
人数分の保存食と水を出す。少しずつしかないが、噛むごとにそれぞれの顔に生気が戻るのが伝わってくる。怪我人には化膿止めと鎮痛作用のある薬湯を飲ませた。
タムカルムが部下たちに指示を出す。
「皆、身繕いなさい」
はい、と答えると一斉に服を脱ぎ出す。
いかに美貌だとはいえ、イムホテプは性愛に関して極めてノーマルなタイプだ。男の裸を見て喜びはしない。
何が起きるのかと思えば、薄汚れた服の下から小綺麗な服が現れた。驚いたことに、貴金属を縫い付けている者もいる。
「これは…驚きました」
「売り物はすべて持っていかれましたがね、身体検査はなかったものですから」
と、タムカルムは袖からパピルスを出した。隊商の者と相談しながら、ものすごい勢いで何かを書きなぐっていく。暗いから今まで書けなかったのだろう。
「もうご存知かもしれませんが、牢番と兵士の人相と名前を記しました。聞き取れる範囲で、どこの国の出身かも」
「ありがたい」
「あと、現在は我々しかいませんが、初めはまだたくさんの囚人が居ました。その方たちの名前も記しています」
「これは…」
兵士が見回りに来るときにしか囚人たちの姿を見ることはできない。わずかな時間を使い、全員の顔を確かめて、兵士の身の上を聞き出す。牢番が去ってからは互いに名乗り合い、忘れないよう記憶を反芻し、仲間で記憶を共有したのだろう。
不興を買って牢番から痛めつけられた日もあったに違いない。
クシャクシャになったパピルスのところどころに、血のようなものが滲んでいた。パピルスは薄いが、まるで重い物を預かるように丁寧に仕舞った。
一読して暗記したが、重要な証拠になる。
「タムカルムさま、他の方々もお怪我は?」
「なに、鼻血や打撲程度のものです。お気遣いなく」
やせ我慢もあるだろうが、1人を除いて歩けない者はいないようだ。怪我人がいることは作戦のうちに見込まれていた。今は使われていない納戸に身を隠させ、もうすぐ来る増援に怪我人は任せることにした。
もう移動しなければ時間が無い。
イムホテプは明るく言い放った。
「では、牢破りといきますか」
遅くなり申し訳ありません。いつも読んでいただき本当にありがとうございます。
短いですが区切りが良いので投稿しました。
今夜と明日、連日更新予定です。
いつもありがとうございます。感謝を込めて。




