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砂漠

だだっ広い砂漠を、一台の四輪駆動車が走っている。砂山の連なる砂漠ではなく、乾いた土と礫に覆われた平坦な砂漠。



やがて日も落ちようという頃。

早めに点けたヘッドライトが砂埃を照らすのを、

助手席の藍田霖アイダ リン)は不安な面持ちで見ていた。


エジプトでの通訳の仕事は10日間の予定だったが、

思いのほか会議の進捗が早く、8日目の昨日に終えた。


昨夜帰国の日時を国際電話で知らせたとき、

いつもは霖が日本を離れているのを寂しがる母が、

珍しくゆっくりしてきて欲しいと言ったのを思い出す。




「急ぎの仕事も無いんでしょ?

めったにエジプトに行く機会も無いんだし、

倫太郎さんの同僚だった人に会ってきて欲しいの。


エジプトやトルコは食べ物も美味しいし、名所がたくさんあるし、一度は行かないと人生損をする。本当に素晴らしいところだって、倫太郎さんもよく言っていたわ」


母の言葉を聞いたのは、霖がホテルの一室にいる時だった。

腰まであるストレートの黒髪をかきあげ、

枝毛をみつけて眉をしかめる。

二十代も後半になると、いままでと同じ手入れでは追いつかないのかもしれない。

左手で受話器を持ち、右手で保湿クリームを顔に塗っていく。



「疲れてて仕事以外に気を使いたくない気分なの。

っていうか、家に帰るまでが仕事中なんだけど」


「堅いわねぇ、何のためにフリーになったの。

時間の融通くらいできるでしょう。

縁遠くなるばかりじゃないの」



母はいわゆる旧家のお嬢様育ちで、まだ駆け出しの考古学者だった倫太郎と反対されつつも熱烈な恋愛結婚をした。

母に苦労はさせられないと、がむしゃらに働いた父が有名になり、疎遠だった親戚たちが逆に擦りよってくるようになってからも夫婦仲が冷めることはなく。


その後父が帰らぬ人となってからは、標的を変えた親戚たちが「呪いのせいだ」と怪しげな祈祷師を連れてきて紹介料を騙し取ろうとしたり(科学的根拠が無いと兄が論破して追い返した)。

子どもが成人しているのを幸いと、美人で若く見える母に望みもしないのに「実家の為」の再婚話を持って来たり。


とにかく親類がらみで良い思い出の無い霖としては、人付き合いを無視出来ない“結婚”に興味を持てなかった。親戚とではなく個人と結婚するのだと頭ではわかっているのだが、異性と深い関係になるのを尻込みしてしまう。


しかし、そんなことがありながらも、母は今でも女性の幸せは結婚だと言って憚らない。



「そんなに仕事仕事言ってるから彼氏も出来ないのよ。近所の方から貴女に紹介したい人がいると言われてるの、ちょうど帰国の日が休日だし、会いますと返事してもよいのね?」



近所の世話焼きおばさんなんて絶滅危惧種ではなかったのか。親心とわかっていても、仕事に打ち込む自分を否定するような言い方にイライラする。

このところ出張続きで疲労が溜まっているからだろうかと自己分析しつつ、苦々しい口調になるのは止められなかった。



「やめてよ、わかったから。

会いに行けば良いのね?

同僚ってことは学者なの?」


「詳しいことはわからないけど、発掘に同行した仲だって。至急確認して欲しい所持品が見つかったとかで」



少しでも捜索の手がかりが欲しい、という母の心境がうかがえる。発掘調査で中東を訪れていた父が行方不明になってから7年。捜査の結果、事件性もなく人間関係のトラブルもなかったとかで未だ行方も原因もわかっていない。


父のことを過去形で母が話せるようになったのは最近のことだった。おそらく同僚の人は遺品と言ったのだろうが、心のどこかで生存を信じる母は所持品と言ったのだろう。


現実を受け入れ始めたとはいえ、母を気分転換に遠出に誘っても、帰るかもしれない父をいつでも迎えたいのだろう、いまだに断られ続けていた。







砂混じりの風が強くなる。



日除けに巻いている大きなストールを、飛ばないように手で押さえる。“同僚”について詳しく聞いておくんだったと、会話のネタが途切れた車内で霖は後悔した。


興味なさげに携帯を触る。

これがもし仕事だったら、困らない程度に相手の論文や学問的な知識を事前に詰め込んで来たのだが。

霖は風に負けないよう大声で運転手に話しかけた。



「教授、夜になる前に街まで戻りませんか」


「もうすぐ着くよ。

お父上の発見した遺跡に立って、遺品を見せいんだ。ロマンチストだと呆れるかい?」



父が居なくなった当初だったら、遺族に対して不謹慎だと怒ったかもしれない。

憔悴していた母と体の弱い兄に変わって表立って対応してきたのは成人して間もない霖だった。悲劇のヒロインぶるつもりはないが、哀惜と同情の声をかけられる一方で、好奇の視線や心ない中傷も多く受けたのは事実だ。家族や友人の励ましがなければ、乗り越えらなかった。


そして霖は思うのだ、世の中にはもっと大変なことがゴロゴロ転がっているのかもしれないと。若い頃の苦労は買ってでもしろというが、人の醜い面を見ないで済むのなら、見ないままのほうが良いと。


仕事上の付き合いは広いが、プライベートでの交友関係が狭いのはそのせいだった。本音を言える友人は数人しかいない。人当たりの良い皮肉屋になったと、親友からはよくからかわれている。




「考古学者は少なからずロマンチストでしょう。

誰も信じてくれなくても、古代への思いがあったからシュリーマンはトロイを発見出来たのだと、父は常々言っていました」


「他にも何か聞いていないかい?」



話題に興味を持ったのか、先ほどまでの沈黙が嘘のように男は熱心に喋り始めた。人のことは言えないが、彼も人付き合いが苦手そうだ。

これで何十人にものぼる発掘調査隊をまとめられるのか、それとも助手が有能なのか。下世話な勘ぐりをしてしまうのは、違和感が拭えないからだ。


父は助手や学者仲間を家によんで古代史談義をするのが好きだった。そのなかに、運転するこの男を見た記憶がない。

子供の頃の記憶はあてにならないと言われればそれまでなので、口にはださないが。

父の言葉を思い出す。



「調査のためとはいえ、故人の住まいやお墓に触れるのだから、調査の前には敬意をもって胸の中で祈りを捧げると、言ってましたね」


「藍田教授らしい。


古代エジプトの人々は、豊かな文明を築いた。

神々から文字を授けられたと彼らは信じていてね」



興奮して唾を飛ばしながら男は片手でハンドルを叩く。砂地にタイヤがとられて少し揺れた。

抗議しようとするも舌を噛みそうになり、霖は口を噤んだ。



「あまりにも高度な文明が花開いた理由は、

本当に神から授けられたのかもしれないと僕が言ったら、顔を真っ赤にした藍田教授に怒られたよ。


『そう信じていいのは古代エジプト人であって、

我々ではない。君は、もし生徒の論文が素晴らしかったら、本当は教授に書いてもらったんだろうと決めつけるのかい。それは当人の努力だけでなく、真摯に学ぶすべての人への冒涜だ。


 古代エジプト人がそう信じたのは、雄大な自然へ畏怖と感謝を抱いていたからだと、私は思う。


 我々は遺物から考察することしかできないが、遺物にも名を記されない多くの人たちがいることを忘れてはならない。文明とは、数えきれない人々によって、長い年月を通して築かれるものだ』


 そう言われて以来、気まずくて顔を合わさないようになってしまってね。調査隊の荷物に紛れていた遺品を最近見つけてからも、なかなかご家族に連絡する勇気が無かった。

…ああ、着いたよ」



運転席の男は残念そうに言う。


母の希望に添いたくて警戒心を宥めてきたが、霖は車から降りようとしなかった。


だって、周囲をみわたしても、

遺構らしき物は何も無かったから。



読んでいただきありがとうございます。


難産のため投稿が遅くなり申し訳ありません。

次話ではもう少し展開が速くなるはず。

明朝早めに投稿します。


相変わらず不定期更新ですが、呆れず気軽におつきあいいただければ幸いです。

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