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毒花

 

 アシリア国の大広間には、暫定王の発言に右往左往する文官たちがいた。

 いくらまばゆい美貌を持つとはいえ、男を後宮に住まわせるなど、前代未聞だ。

 

 しかしいさ)めれば、短気で癇癪持ちの暫定王から殺されるかもしれない。そうやって斬られた同僚を何人も見送ってきた。命がけで意見する官吏は、残っていなかった。


 暫定王の割れ鐘のような声が響く。


「どうだ、イムとやら。喜びのあまり声も出ぬようだが」


「……」


 りん)は周囲の温度が下がったような気がした。イムホテプの表情は微笑のまま変わらないが、隣にいる霖には強い怒気が伝わってくる。


 なんとかしてあげたいが、良い考えが浮かばない。ボロが出ないように出来るだけ話すな、と指示されてもいる。

 不安と緊張で寒気が増す。こんなときだというのに、鼻がムズムズしてたまらない。


 誰しもが経験しているのではないだろうか。

 お偉方のいる会議中に、あるいは厳粛な催事の途中で、我慢しようとすればするほど意識してしまうことが。ついに決壊するときにせめて音だけでも抑えようとして状況が悪化してしまうことが。

 このときの霖がまさしくそうだった。


 くしゃみを我慢しようと手で口を抑えた結果、クシュンではなくフベックチッと可愛げのかけらもない音になった。

 しかも、手で遮られた息が勢いよく上へゆき、軽いヴェールを一瞬吹き上げた。


 遮る物のない視界で、モッサリと顎髭を生やした暫定王と目が合う。その圧倒的な視線に、呆れと興味が浮かぶのがわかった。

 

「ふぅむ、このあたりでは見ない容貌だな。特に美人という訳でもないが、いろんな者を取り揃えるのも悪くない。お前も後宮に入れてやろう」


 ショックから立ち直ったイムホテプは、感情を抑えた声で反論した。


「おそれながら、私は姫の身分を越えることを望みませぬ。姫が側室ならば私は後宮付きの官吏に。姫が行儀見習いを兼ねた女官になるのでしたら、私は下男になりましょう」


「それでは、おぬしを召す機会が減るではないか」


「その状況で策を練り、機会を作るのも一興ではありませんか。それとも…」と、イムホテプは虫をおびき寄せる花のような笑みを浮かべた。


「まさか、名高いアシリアの階級制度を司るあなた様が、ご自分から下剋上を推奨なさいますか」


 痛烈な皮肉だった。


 実際にクーデターを起こした暫定王にとっては、体面的な正当性を失う訳にはいかない。帰すつもりはないが、仮にも他国の高官だ。情報をヒタイトに渡す手段を持っている可能性を考えれば、下手な返事は出来なかった。


 もちろん、イムホテプは本来のアシリア国王が老齢であることを知っていた。先ほどの女官が「暫定王」と呼んでいたこと、「後宮に人を集めている」という情報から暫定王はまだ若く、基盤が安定していないのだろう、と推測したに過ぎない。


 正当な王ならば、家臣が我先にと娘を後宮に入れようとするに違いない。呼びかけないと人が集まらないということは、王の治世が短命だと思われているか、あるいは家臣の数が極端に減るような変事が起きたのか。


 どちらにせよ、王に対して不敬と言われても仕方ない態度だ。咎められるか否か。イムホテプは笑顔を保ちつつ、静かに賭けの結果を待った。


「…イムの言うことも一理ある」と、暫定王は唸るように言った。


「仕方あるまい、姫を女官に、そなたを下男に任じる。両者とも筆より重い物を持ったこともないだろうから、せいぜい苦労するがよい」


「「御意」」


頭を下げる二人を残して、暫定王は忌々しそうに退室して行った。







 ホッとしたのもつかの間、イムホテプと霖は後宮の方向へと連れていかれた。入り口の手前で、イムホテプと別れる。彼は下男部屋に押し込められるらしい。


 心配げな霖に、イムホテプは優雅な礼を返した。


「大丈夫です。姫はお心を強く持たれて、来るべき日をお迎えなさいますように。いつも、満月を見ながら御身の無事を祈っております」


「イムホ…イムこそ無理をしないでね」


 霖の言葉に驚いたように目を丸くし、すぐに官吏の表情に戻る。振り向きもせず離れていく背中を、ゆっくり見送ることは出来なかった。


 案内する年嵩の女官が、先を急ぐように霖の背を押す。早く仕事を終わらせたいのを、隠しもしない。


「まったく、本来は後宮付きの女官はエリートなんだよ。お前のような他国の辺境の田舎娘なんて、侍女部屋を与えるのももったいない」


 ずいぶんとぞんざいな口調だった。料理を運びながらさっきの広間に居たそうだ。


「私は行儀見習いができれば、普通の女官扱いで構いません」


「行儀見習いを教える人材が、そうゴロゴロ居るもんかい。あんた、よっぽど野放しに育てられたんだね。お姫さんの行儀見習いといえば、花嫁修業に決まってるさ。後宮で習うんだよ」


 計画では、身元の確証が得られるまで、側室になっても手を出されないだろう、という前提だった。側室ではなくただの侍女扱いならば、行動範囲も広がるから身の危険も減ると思っていたのに。後宮で習うとすれば、暫定王との遭遇率が高くなる。


 それに、暫定王は「ヒタイト王に仕返ししたい」と言っていた。敵対する国の辺境から来た者が優しくされるとは、思わないほうが良いだろう。


 老女が立ち止まった。


 敷地のはずれもはずれ、後宮に寄りかかるようにして、みすぼらしい小屋が建っている。日乾し煉瓦が風化したのか、壁もいびつだ。


「あんた、容姿も平凡で外国の辺境から厄介払いされて来たんだって?

 そんな奴の部屋は、ここで十分だってよ」


 ギイッと、壊れかけた扉が開く。


 そこはもともと住居ではないのだろう、寝具も見当たらない。埃だらけの棚が、並んでいる。

 部屋全体が、新参者を拒んでいるように思えた。














大変遅くなり申し訳ありません。

いつも読んで下さり、本当にありがとうございます。


相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずこれからもお気軽に読んでいただければ幸いです。


次話、アシリア国です。

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