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直筆

本日2話目です。

 霖がアシリア暫定王に会った日から遡ること数日。

 ヒタイト帝国の王都では、鉄の産出について重要な会議が開かれていた。


 製鉄のための材料の仕入れ状況、作業の進行予定、各国からの要請。議題は多いが、秘匿すべき製鉄技術についても触れるため、選び抜かれた者だけが会議に参加している。


 その中の1人、スミュルナ王子が珍しく声を荒げた。


すず)の仕入れが出来ないとは、どういうことですか」


「父上に向かってなんという口のききかただ。粗野な本性が出ておるぞ」と、繊細な雰囲気の青年が顔をしかめる。


 いつもは穏便に受け流すのだが、スミュルナ王子も今はそれどころではなかった。


「兄上は、ことの重大さがわかられないのですか。錫がなければ製鉄は出来ません」


「そのくらい…」


「見苦しい兄弟喧嘩はよせ」


 一触即発の雰囲気を変えたのは、飄々とした声だった。周辺国からは“老獪”と評される、ヒタイト帝国王だ。


「スミュルナが慌てるのも無理はない。ケメト国侵攻は我が国の悲願ぞ。戦に剣は欠かせないのだからな。しかし、ケメトを攻めるあいだに、我が国を背後から狙う者もいるだろう」


 スミュルナ王子は眉間に皺を寄せた。


「やはり、アシリアですか」


「そうだ。アシリアの商人たちが、錫を運んでいないのだ。スミュルナの報告にあった辺境市長ハザンヌ)も一枚噛んでいるのだろう」


「もっと早く気づけなかったのはスミュルナ殿下の怠慢ではありませんか」と兄王子の派閥の者が咎める。


「職務が違います。もともと軍を束ねるスミュルナ殿下が、汚職や製鉄の情報を掴んでいることが、優秀さの証なのです。それぞれの管轄にきちんと伺いや報告も行っております」


 と、スミュルナ寄りの重臣が答える。


 不穏な空気に、帝国王がため息をつく。

 議場が静まった。


「わしはもう長いこと王位にいるが、同じくらいアシリア王の在位も長い」


「「存じ上げております」」


 二人の王子は気を引き締めた。父は憂いを帯びた表情をしている。


「我々の若いころは、戦争に明け暮れた。必死に領土を守るうちに、気づけばいくつもの国が盛衰を繰り返し、顔を知る国主はアシリア王だけになっておった」


 皺に埋もれた瞳が、懐かしげに細められる。


「あいつは奇特な奴でな、多くの王が書類のやりとりを部下に任せるところを、わしとの往復書簡はすべて自筆だった」


 王になるべき者は、幼い頃から神事や帝王学を叩き込まれる。修得に数年を要する文字を覚える余裕はなかった。


 読み書きのできる信頼のおける部下を置けば良い、というのが為政者の考えだ。身分制度が堅固だからそう教えられるのかもしれない。


 例外的にスミュルナ王子が数カ国の言語を修めたのは、幼少から何度も暗殺されそうになったからだ。王位を狙うつもりはないと示し、保身のためだった。


「わしも負けじと勉強してなぁ。今では数少ない楽しみのひとつよ。しかしな、最近のアシリア王からの書簡は、筆跡が違うのだ」


「体調が悪いとか」と言う第一王子の優しさを父としては慈しみ、王としては不安に思う。ヒタイト帝国王は胸中を悟られぬよう厳しい表情で言葉を続けた。


「もし体調不良でも、王の印章だけは自ら)すだろうな。あいつはそういう男だ。しかし、印影が違う」


「まさか、偽印ですか。それとも崩御されて新王が立たれたとか。それでも通達が無いのはおかしいですね」と言うスミュルナ。

 王は首を横に振る。


「印章は同じ物だ。捺し方の癖が違うのよ。更に、穏健派とは思えない書状が送られてきた。鉄剣が欲しい、とな」


 室内の空気が張り詰める。


「第一王子には、錫がどのように流通しているかを把握してほしい。大量の錫がどこかに保管されていると考えたほうが妥当だ。場所次第ではスミュルナと協力せよ」


「御意」


「第二王子には、アシリア国への潜入を任せる」


 頷こうとしたスミュルナを、兄王子が止めた。


「お待ち下さい父上、その任務はどうかわたくしに」


 王位を継ぐためには、流通の調査よりも他国から凱旋するほうが箔が付く。そのほうが支持を集められる、と彼が考えているのは明らかだった。


 王に対してあからさまな反論はない。

 しかし一方で、スミュルナ王子擁護派は、軍属とはいえ何故こちらだけが危険な任務を引き受けなければならないのか、と不満げだ。


 それぞれの思惑を断ち切るように、スミュルナは勢いよく立ち上がった。


「王命承りました。急ぎ出立の準備をしますので、このまま辞すことをおゆるし下さい」


「許す」




 

 政務や部下への指示を終えて、スミュルナが馬上の人となったのは、その日の夕方のことだった。糧食や人員の手配を考えると、驚異的な速さである。


 他国を刺激しないよう、盛大な見送りは無い。

 父王からは「無理はするな」と言付けが届いた。「腕利きの諜報員数人をアシリア国に派遣したが、1人も戻って来ていない」とも。


 目立たぬよう、号令はかけない。

 スミュルナ王子が馬を走らせると、選りすぐりの部下たちが一糸乱れず後につづく。

 

 まるで行き先を暗示するように、夕陽は厚い雲に覆われていた。

いつも読んでくださり本当にありがとうございます。

相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。週末更新かもしれません。


次話、アシリア国。

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