潜入
アシリア城へ潜入する日。
外は珍しく雨だった。
激しくはないが、知らぬ間に服を濡らしている、そんな降り方だ。
そういえば、オアシスでトゥトが攻撃されたときも雨天だったと、霖は思い出す。
泣きすぎたせいか、それとも装身具のせいか体を重く感じた。怖じ気づきそうになるのをこらえて、ヴェールを身につける。
持参金も貢ぎ物も無いのだから、少しでも箔をつけるためだと、豪華なヴェールやアクセサリーを商人たちから与えられた。
「こんなに立派な物をお借りしてよいのですか?」と霖が恐縮して言うと、商人たちは気の毒そうな、罪悪感のようなものを顔に浮かべる。
「協力していただくのですから、せめてもの御礼です」と眼帯の男が笑顔で答える。それは、不安要素を隠して部下を安心させようとする上司の笑みだった。
ああそうか、と霖は馴染みのない“後宮”について教えられたような気がした。
おそらく、一度入った者が戻るのは数十年後“お役御免”になったときか、産褥で死んだ時なのかもしれない。すぐに還る見込みのない物だから、貸すのではなく最初から贈与するのだろう。
王が無防備な状態で命を狙われるのを避けるために、霖の身辺捜査が終わるまでは寝所に召されることは無い、というのが大方の予想だった。
そうでなければ、霖としても計画に頷くことはできなかったと思う。霖が“姫”でいるあいだに、イムホテプが城内を調べることになっている。
詳細な事情を知らされていないイルバが、最後まで着いて行くと言ってきかなかった。
「リン姫さまは…」
「今までみたいにお姉ちゃんと呼んで?」
「リンお姉ちゃんは、また会えるよね?すぐ帰って来るよね?」
父親や隊商の仲間と離ればなれになって、知己の者が居なくなるのは心細い、とイルバの瞳が語っている。ここで気休めに「早く戻る」と言えたらどんなに良いだろう。
でも、一緒に旅をしてイルバの利発さを知る霖には、嘘を見抜かれることが予想できた。だから何も言わず、できるだけ笑顔でギュッとイルバを抱きしめる。
なかなか離れようとしない二人に、イムホテプのハスキーな声がかかった。
「行くぞ」
今日は女言葉を封印しているらしい。複雑そうな表情で霖を見ると、イムホテプは思いのほか優しい声でつづける。
「また会えるから」
霖とイムホテプは宿泊した商家を出て、詮索されないよういくつもの通りを遠回りに抜け、城の入口に着いた。
以前は商人や下働きの者や官吏が往来し、警備は堅固ながらも賑わっていたという城の周りも、今では腫れ物を避けるように、人影が少ない。
イムホテプが優雅な足取りで進み、霖が後を追う。城へ近づく者が珍しいため、厳めしい兵士が素早く寄って来た。壮年で目つきは鋭く、体格は縦も横も大きい。壁が立ちはだかったような印象を受けた。
「お前たち、何の用で来た」
「このような者です」
差し出されたパピルスを読み、壮年の兵士は「ヒタイト辺境の姫君ねえ」と霖を舐めるように見た。小雨でしっとりと濡れた服は、体の線を想像させる。
「通れ。自分が案内しよう」
「大将、戻るのは夕方ですかい」
周囲の兵士が粗野にはやし立てる。
すると、壁男は厳しい雰囲気から一変して気弱そうに仲間にペコペコと頭を下げた。
「あとをお願いします」
「もし足腰を痛めたらすぐに俺たちに任せてくれよ。細っこい女は好みじゃないが、可愛がってやるからさぁ」
「昔は英雄だとか言われて強かったらしいけど、今じゃ哀れだよなぁ」
「違いねぇ。練習のときもすぐ息があがるんだから」
「偉いからって、長年酒を飲みながら指示するだけだったから、あんな立派な腹周りになるのさ」
「…案内してきます」
頭を下げながら、岩のような壮年兵が先を行く。
上背のぶん足も長いのか、男性二人のあゆみに遅れないよう小走りになる。
角をいくつか曲がったところで、イムホテプの背中にぶつかりそうになった。どうしてこんなところで止まるのか。人気のない物置のような場所だった。
疑問に思うリンとイムホテプの前で、兵士はマントを外した。
それを霖に被せる。
「先ほどは失礼した。風邪を引くといけない」
仲間の兵士に接しているときとは別人のような、堂々たる物言いだった。どちらが素なのだろうか。
そして、男はイムホテプへ向き直る。いつの間にか抜かれた剣を手にして。
「そなた、武術の訓練を受けておるな。相当の手練れとお見受けする」
「姫さまに随行した、ただの官吏です」
「ただの高官が足音を立てないとは、奇異なことだ」
薄暗い部屋で、刃が鈍い光を放った。
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次話、アシリア国。




