再会
本日二話目です。
「え…」
自分でも顔色が変わるのがわかった。それを見て、イムホテプが軽く手を振る。
「別に責めてるわけじゃないわよぅ。言えないことがあるのはお互い様だしぃ、好奇心が満たされて旅の退屈しのぎになったしぃ」
ひどい言いようだ。
でも自分も人のことは言えない。旅でいろんなことを教えてもらって助かったが、初めてイムホテプと逢ったときのことを忘れてはいない。あの剣呑な様子を見れば、楽師が仮の姿だろうとは思っていた。
気付かないフリをしていたのはお互い様だったのか。
予想外だったのは、イムホテプが正式な文書を持っていたことで、おそらく国から雇われているのだろうと知れたことだ。
もっとアシリアが安全な状況だったなら、リンもここで別れるつもりだった。しかし、現状は厳しい。
考えたのは数秒だった。
「ヒタイト帝国に戻りたくありません。この国を一人で安全に出るのも今は難しい。状況が落ち着くまで、ご一緒させてもらえませんか」
イムホテプは笑って軽く答える。
「あたしもこの国に用事が出来たしぃ、さっきの話の設定のほうが何かと動きやすいから、別に良いわよぅ」
「ありがとうございます。あの…私、本当は藍田 霖といいます。あまり素性を明かせないのでせめて名前だけでも」
「あたしはイムホテプ。今からはイムと呼んでね。これは知ってるわね。
んーと、ヒタイト帝国のある御方に仕えているわ。機密が多いので事情は割愛させてね」
イムホテプは「それにしても…」と呆れたようにリンの肩を抱いた。綺麗過ぎる顔が近づく。
「うかつに名前を教えちゃだめよぅ。真名を知られると呪術に捕らわれると信じられているの。家族か恋人だけに真名を教えるっていうのが常識よぉ。
あたしにそんな関係になって欲しいのぉ?」
「や、滅相もない。近いちかいちかいぃ」
「こうすれば忘れないでしょぉ。授業料よ」
「わぁっ?!」
頬にキスをされた。
涙目になって睨みつけると、艶やかに笑われる。なまじ顔が整っているので色気が滴っているようだった。
イムホテプはわざとらしく出入り口や窓を見た。もう日も暮れている。
「どうせ上げるなら、もっとかわいらしい悲鳴にしてちょうだい。周囲に人がいないのは確認済みだから遠慮しなくて良いのよぉ」
「自分より綺麗な男の人なんてお断りです」
と言うと、爆笑された。
意外と笑い上戸なのか、腕の力がゆるんだ隙に霖は部屋の隅に逃げた。その警戒する様子がまたツボに入ったらしく、まだ笑い転げている。
腹立たしいので、視界に入れないようにする。
気になること、考えるべきことはたくさんあるのに、先ほど言われたことが引っかかる。
「真名、か」
霖が苗字まで教えたのは、イムホテプと、トゥトだけだ。あと、オアシスで会った商人に渡したメモにも。
呪術に捕らわれるのが迷信だとしても、知っていれば自分は名乗らなかっただろう。トゥトは精霊だから、人間の習慣を知らなかったのだろうか…。
思索の途中で、この店の主人がやって来た。
「協議の結果、意見がまとまりました。イム殿においでいただきたい」
イムホテプは先ほどの大きな部屋に通された。
今度は、輪のなかに座るよう促される。
代表者である独眼の男が立ち上がった。
「協議の結果…あなた方をしばらく賓客として扱います」
「それはありがたいです。でも、お疑いだったのでは?」
「今でも疑っておるよ。しかし重要なのはそこではない。城へ入ることだ」
イムホテプは無言でうなずいた。
「驚かないのだね。そなたほどの腹心を得て姫君は幸運だ」
独眼の男はイムホテプの様子に満足したように、言葉を続けた。
「我々は、商人であると同時にこの街のご意見番的な存在であった。ところが突如として城との往来が絶え、仲間もだいぶ捕まった。このまま荒んでいく国を見ておれんのだよ。
そこでだ…」
男は手に持っていたパピルスを広げた。明確な方向性のもとに線が記されている。
「城内の地図だよ。少し前のものだが、大きくは変わっていないはずだ。これを使って、様子を探ってもらいたい。連絡が取れなくなった重臣や王族の方々、そして何よりも─牢番の情報を掴んでほしい」
「つまり?」
「タムカルムを奪還する」
同意する男たちの興奮した声が飛び交った。
一方、霖はイルバの隣に座りながら、眠気と戦っているところだった。
しばらく一緒に行動すると決めたのだから、イムホテプが戻るまで起きているのが礼儀だろうと思ったのだけれど。久しぶりに屋内にいる安心感に睡眠欲が増す。
しばしば舟を漕いではハッと姿勢を正し、またいつの間にか目を閉じて…を繰り返している。
「…ン…リ…」
遠くで呼ぶ声がある。
「オ…ン」
しわがれ声。すこし前までは近くにいたのに、懐かしい。
「…起きよ、リン!」
「わぁっ?!」
霖は飛び起きた。
寝ぼけて大きな声を出したと思ったが、イルバは眠ったままだ。
良かった、起こさなくて済んだらしい。
部屋は月のおかげか、明るかった。
風が吹いた気がして、窓を見ると─。
「息災じゃったか?」
鳥が、いた。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
展開が遅く、予告の半分までしか行かず申し訳ないです。相変わらずの不定期亀更新ですが、これからも呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。
次話、アシリア国とヒタイト帝国。




