芝居
アシリアの商店奥の一室で、数十人の男たちは騒然となった。
「ヒタイト帝国辺境の姫君?」
「こんな貧そ…質素な方が?」
「輿入れって、もっと盛大な行列で来るんじゃないのか」
「信じられん」
誰だ、貧相って言いかけた奴は。
でもまぁ気持ちはわかる、と霖は遠い目をして思った。そりゃあ、土ぼこりにまみれた、もともと庶民の自分を姫だと主張するほうが無理がある。
イムホテプを睨むと「あたしに任せておいて。しゃべっちゃダメよ」と囁かれた。この世界にも身分詐称って罪状はあるのかな…。
眼帯の男が「質問がある」というと、皆が静かになった。
「王族のお見合いとは、聞いたこともないぞ」
「さすがですね、王族の婚姻についてもご存知とは、アシリアでも大店の、相当な有力者の方とお見受けします。
おっしゃる通り、ふつうは文書で国同士が取り決めたあと、問答無用で嫁ぎますよね。疑問に思われるのも当然です」
イムホテプはごもっとも、と頷いてみせる。それが真摯な表情なのでうっかり引き込まれそうな魅力がある。でも何故だろう、テレビの某ショッピングを見ている気分になるのは。
自分はいま苦い表情をしているに違いない。ヴェールで顔が見えなくて良かった。
イムホテプの熱弁はつづく。
「しかし、この姫は妾腹筋で後ろ盾もなく、着飾ることもできません。特に優れているところもなく、容姿も普通で、しかもじゃじゃ馬でしてね。
アシリア王の12番目の側妃に加えていただけなくとも、まあ、世間知らずなところが直るならばと、母親が病死したのを機会に辺境領を体よく追い出されたわけです」
「それはまた…」
憐れんだ視線にさらされた霖はたまらない。もっとマシな嘘はないのか。
口は出すなとは言われたが、手を出すなとは言われていない。イルバと繋いでいないほうの手で、イムホテプの背中をつねった。痛い、とわざとらしく声に出すところが小憎らしい。
「確かにじゃじゃ馬、いや、ご活発な姫ですな。
これから面倒をかけるのが前提ならば、なおさら結納品を奮発するべきでは?
見たところ、物品も随行人もほかに無いようですが…」
「申し上げたでしょう、妾腹であると。正妻の手の者に謀られましてね、ヒタイト帝国を出るところで金目の物は奪われた訳です。引き返したら殺すと伝言付きでね。その場で殺さなかったのは、三十も歳の離れた王から相手にされないのを遠くから嘲笑うためだとか。子に罪はないのに、嫉妬とは恐ろしいものです。
食料と趣味の楽器は無傷でしたので、以降は楽師のふりをしながら移動しまして。タムカルムの隊商とご一緒できたのは僥倖でした」
「でしたら、身分を証明する物も奪われたと?」
「はい。ですが、アシリア城内へ入る許可証だけは楽器に隠していたので無事でした。怪しまれるお気持ちもわかりますが、許可証の真偽を確認してから判断をされても良いのではないかと、お願いする次第です」
イムホテプは優雅な仕草でパピルスを掲げた。
ちらりと、三角の点と棒線が見えた。
考古学者の父が言っていたのを思い出す。たしか古代エジプトの神聖文字はもっと絵のようだった。この▲と┃を使うのは楔型文字というのではなかったか。
話がわかるようになったのだから、もしかして文字も理解できるのではと期待したが、まったくわからない。残念な気もするが、日本で通訳になるために外国語を猛勉強した身としては、それもそうだよね、と納得する思いもある。
眼帯の男はうなずいた。
「アッカド語か。…たしかに、本物のようだ。
あなた方の処遇について協議したい。とりあえず旅の埃を落とし、別室に控えていただきたい」
「ご厚意感謝します。良いお返事を期待しております」
それから霖たちは別室に案内された。
長旅の汚れを落とし、着替えるとドッと疲れが出る。
小綺麗になったイムホテプとイルバが部屋に戻って来た。イルバはうとうとしているので、荷物を枕に休ませる。
寝かしつける様子を見ていたイムホテプが、しみじみとつぶやいた。
「そうしていると、リンも普通の女の子よねぇ」
「どういう意味ですか。まぁ、さっきもさんざんな言われようでしたが」
「ふふ、ごめんごめん。でもさぁ…」
イムホテプはリンをジッと見た。
「一緒に居るのはアシリア国に着くまでって言ったでしょ。この世界のことをよく知らないのに、これからリンはどうするの」
“この世界”という言葉が、やけに耳に響いた。
長くなりましたので、キリの良いところで分割しました。
続きを本日中に投稿します。