商人たち
「ねぇ、ねぇってば!」
イムホテプの呼びかけに、霖はやっと気づいた。
道の真ん中で足を止めてしまったらしい。呆然と彼に背中を押されるまま、門から百メートルほど過ぎたところだった。
周囲を見渡すと、いくつもの露店がならんでいる。しかし不思議なことに、活気というものがなかった。数少ない買い物客の女性は顔をかくし、用事が済むと足早に去っていく。
「リンもヴェールを被りなおして」
霖は隅に寄ってヴェールをつけようとする。
最近やっと慣れてきた動作が、上手く出来ない。
焦るほど手が震える。
先ほどの光景が、脳裏から離れない。イルバのお父さんは、隊商の人たちは、どうなったのか。
軒を借りた店の主人が、小声で注意してくる。
「あんたら、アシリアへ来たばかりかい。悪いことは言わねえから、兵士と目が合うまえに場所を移りな」
「え、どうして…」
「若い女性は連れ去られるからだよ。
男でもあまり話が長いと、反乱を計画していると難癖をつけられる」
イムホテプがため息をついた。
「思ったよりもひどい状況ねぇ。教えてくれてありがとう、すぐに余所へ行くわ」
露店の主人はこちらを見ずに、手だけを振って応えた。ぽつりぽつりと警邏している兵士の姿が見える。話していると思われないよう気を使ってくれたらしい。
やっとヴェールを直して、霖たちは立ち並ぶ店の間を縫うように歩く。先を行くイムホテプの足取りに迷いはなかった。
「どこへ行くの?」
「今は黙って」
背中越しにハスキーな声がこたえた。落ち着いているように見えるイムホテプが、頼りになる反面、小憎らしくもある。多分に、八つ当たりだ。
どうしてイルバが理不尽な目にあわないといけないのか、隊商の皆は無事なのか。なんで自分は行き先もわからないほど役立たずなのか。叫び出したくなる感情を抑えるために、唇を強く噛んだ。
本当は隊商の様子を確かめに戻りたい。でも、兵士に目をつけられるかもしれない。イムホテプたちに危険をおしてまで行きたいとは言えなかった。イルバを逃がしたタムカルムの強いまなざしが、踏みとどまらせた。
イルバはまだイムホテプに抱かれたまま、頬を涙で濡らしている。それを拭きながら、どこかへ休ませてやりたいと、霖は思った。
いくつもの角を曲がり、来た道がわからなくなった頃、一軒の家の前で立ち止まる。
「ここよ。手続きするから、しばらくこの子をお願いねぇ」
霖は腕を伸ばす。意識の無い子どもは思ったよりも重かった。玄関脇の椅子に腰掛けて、前から抱っこする形になる。泣いたせいか、イルバのすこし高めの体温が胸を締め付けた。
奥から壮年の男性が出てくる。
「どなたかな」
イムホテプは丁寧に、しかし不敵にも見える笑顔と口調で挨拶した。
「商人タムカルムと共に旅して来た者です。彼からこの店に行くようにすすめられたので」
「ふむ、彼とは一緒に隊商を組んだこともある。泊めてやりたいが、こちらも我が身がかわいい。
タムカルムは兵士に捕らえられたというじゃないか。彼と縁のある君たちを泊めて、こちらに何の利益があるというのかね」
「つい先ほどのことなのに、耳が速い」
「商人の情報網を舐めてもらっては困る」
しばらく睨み合ったあと、イムホテプが懐から小袋を取り出した。卓上に置くと、金属の音がする。
「銀だ。納屋の隅でもいい、これで泊めてくれないか」
店主の表情を見ながら、イムホテプはさらに銀の粒を加えていく。大きなものから、小さな粒になり、しまいには腕に飾っていた銀色の輪まで外し並べた。
店主は首を横に振る。
「あいにく金には困っていない。ほかの対価はないのか」
「では、こちらも情報で勝負しよう」
イムホテプはにこやかに顔を寄せると、相手に何かを耳打ちした。内容までは聞こえなかったが、店主の顔色が変わるのはわかった。
「その話は本当か?」
「もちろん」
「…わかった。部屋に案内する、附いてこい」
イムホテプはちゃっかり銀を回収すると、立ち上がった。霖もイルバを背負って歩きだす。
店の奥にはいくつもの毛織物が棚に並べられ、壁や天井にも飾られている。作業場を抜けると狭い通路に出た。薄暗く、まるで秘密基地のようだった。
「ん…リンお姉ちゃん?」
途中、イルバが目を覚ましたので、背から下ろした。
「どこか痛くない?まだ休んでて良いよ。背負って行こうか?」
「ううん、大丈夫」
自分で歩くというので、手をつなぐ。
きっと聞きたいことはたくさんあるだろうに、おとなしくしている。それはそれで、心配だった。
明るい部屋を想像していた霖は、だんだん不安になってきた。足元に勾配があり、すこし坂になっている気がする。
通路の突き当たりに来た。
「客人をお連れしました」
古めかしい扉が開かれる。
そこは客室─ではなかった。大会議室のような広い空間に、数十人もの男達がいる。
その一番奥に、ひときわ迫力のある男がいた。
30代後半から40代だろう。髭をたくわえ、眼帯をしている。苦み走った男っぷりだ。眼光が鋭い。
「何用だ」
「この者たちが…」
店主の男が答えるまえに、イムホテプが名乗った。
「商人タムカルムと旅をして来た者です。わたしのことはイムとお呼び下さい。そしてこちらは身分を隠しておりますが─ヒタイト辺境領の姫でございます。視察とお見合いを兼ねて、王宮への入城許可証を預かっております」
「「え?」」
霖は一斉に視線を浴びた。
隣で、イルバが「知らなかったよ」とつぶやく。
うん、わたしも知らなかったよ。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
相変わらず不定期亀更新ですが、これからも呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。
次話、アシリア国とヒタイト帝国です。




