表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/69

商人たち

「ねぇ、ねぇってば!」


 イムホテプの呼びかけに、りん)はやっと気づいた。

 道の真ん中で足を止めてしまったらしい。呆然と彼に背中を押されるまま、門から百メートルほど過ぎたところだった。


 周囲を見渡すと、いくつもの露店がならんでいる。しかし不思議なことに、活気というものがなかった。数少ない買い物客の女性は顔をかくし、用事が済むと足早に去っていく。


「リンもヴェールを被りなおして」


 霖は隅に寄ってヴェールをつけようとする。

 最近やっと慣れてきた動作が、上手く出来ない。

 焦るほど手が震える。


 先ほどの光景が、脳裏から離れない。イルバのお父さんは、隊商の人たちは、どうなったのか。


 軒を借りた店の主人が、小声で注意してくる。


「あんたら、アシリアへ来たばかりかい。悪いことは言わねえから、兵士と目が合うまえに場所を移りな」


「え、どうして…」


「若い女性は連れ去られるからだよ。

 男でもあまり話が長いと、反乱を計画していると難癖をつけられる」


 イムホテプがため息をついた。


「思ったよりもひどい状況ねぇ。教えてくれてありがとう、すぐに余所よそ)へ行くわ」


 露店の主人はこちらを見ずに、手だけを振って応えた。ぽつりぽつりと警邏している兵士の姿が見える。話していると思われないよう気を使ってくれたらしい。


 やっとヴェールを直して、霖たちは立ち並ぶ店の間を縫うように歩く。先を行くイムホテプの足取りに迷いはなかった。


「どこへ行くの?」

 

「今は黙って」


 背中越しにハスキーな声がこたえた。落ち着いているように見えるイムホテプが、頼りになる反面、小憎らしくもある。多分に、八つ当たりだ。


 どうしてイルバが理不尽な目にあわないといけないのか、隊商の皆は無事なのか。なんで自分は行き先もわからないほど役立たずなのか。叫び出したくなる感情を抑えるために、唇を強く噛んだ。


 本当は隊商の様子を確かめに戻りたい。でも、兵士に目をつけられるかもしれない。イムホテプたちに危険をおしてまで行きたいとは言えなかった。イルバを逃がしたタムカルムの強いまなざしが、踏みとどまらせた。


 イルバはまだイムホテプに抱かれたまま、頬を涙で濡らしている。それを拭きながら、どこかへ休ませてやりたいと、霖は思った。


 いくつもの角を曲がり、来た道がわからなくなった頃、一軒の家の前で立ち止まる。


「ここよ。手続きするから、しばらくこの子をお願いねぇ」


 霖は腕を伸ばす。意識の無い子どもは思ったよりも重かった。玄関脇の椅子に腰掛けて、前から抱っこする形になる。泣いたせいか、イルバのすこし高めの体温が胸を締め付けた。


 奥から壮年の男性が出てくる。


「どなたかな」


 イムホテプは丁寧に、しかし不敵にも見える笑顔と口調で挨拶した。


「商人タムカルムと共に旅して来た者です。彼からこの店に行くようにすすめられたので」


「ふむ、彼とは一緒に隊商を組んだこともある。泊めてやりたいが、こちらも我が身がかわいい。

 タムカルムは兵士に捕らえられたというじゃないか。彼と縁のある君たちを泊めて、こちらに何の利益があるというのかね」


「つい先ほどのことなのに、耳が速い」


「商人の情報網を舐めてもらっては困る」


 しばらく睨み合ったあと、イムホテプが懐から小袋を取り出した。卓上に置くと、金属の音がする。


「銀だ。納屋の隅でもいい、これで泊めてくれないか」


 店主の表情を見ながら、イムホテプはさらに銀の粒を加えていく。大きなものから、小さな粒になり、しまいには腕に飾っていた銀色の輪まで外し並べた。


 店主は首を横に振る。


「あいにく金には困っていない。ほかの対価はないのか」


「では、こちらも情報で勝負しよう」


 イムホテプはにこやかに顔を寄せると、相手に何かを耳打ちした。内容までは聞こえなかったが、店主の顔色が変わるのはわかった。


「その話は本当か?」


「もちろん」


「…わかった。部屋に案内する、)いてこい」


 イムホテプはちゃっかり銀を回収すると、立ち上がった。霖もイルバを背負って歩きだす。

 店の奥にはいくつもの毛織物が棚に並べられ、壁や天井にも飾られている。作業場を抜けると狭い通路に出た。薄暗く、まるで秘密基地のようだった。


「ん…リンお姉ちゃん?」


 途中、イルバが目を覚ましたので、背から下ろした。


「どこか痛くない?まだ休んでて良いよ。背負って行こうか?」


「ううん、大丈夫」


 自分で歩くというので、手をつなぐ。

 きっと聞きたいことはたくさんあるだろうに、おとなしくしている。それはそれで、心配だった。


 明るい部屋を想像していた霖は、だんだん不安になってきた。足元に勾配があり、すこし坂になっている気がする。

 通路の突き当たりに来た。


「客人をお連れしました」


 古めかしい扉が開かれる。

 そこは客室─ではなかった。大会議室のような広い空間に、数十人もの男達がいる。


 その一番奥に、ひときわ迫力のある男がいた。

 30代後半から40代だろう。髭をたくわえ、眼帯をしている。苦み走った男っぷりだ。眼光が鋭い。


「何用だ」


「この者たちが…」


 店主の男が答えるまえに、イムホテプが名乗った。


「商人タムカルムと旅をして来た者です。わたしのことはイムとお呼び下さい。そしてこちらは身分を隠しておりますが─ヒタイト辺境領の姫でございます。視察とお見合いを兼ねて、王宮への入城許可証を預かっております」


「「え?」」


 霖は一斉に視線を浴びた。

 隣で、イルバが「知らなかったよ」とつぶやく。


 うん、わたしも知らなかったよ。







 






 

 

 







いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。


相変わらず不定期亀更新ですが、これからも呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。


次話、アシリア国とヒタイト帝国です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ