誰何
「はっきりと目視されない今のうちに、ちょっと隊列を変えます。足取りはゆっくりと、でも決して立ち止まらないように」
隊商の主人は歩きながら荷物を整頓させ、さらに部下たちを並べ変えた。
筆頭に主人、後に部下たち。イルバを最後尾にやり、その後にイムホテプ、リンがつづく。
到着の喜びに湧いたのはつい先ほどだったというのに、今では皆の足取りが重い。
兵士たちが近づいてきた。
大勢に取り囲まれる。
その動きは統率されているというよりも、餌にたかるハイエナのようだった。
ヒタイトのスミュルナ王子が率いる兵士たちとは、雰囲気がだいぶ異なる、と霖は思った。
門兵は荷車の商品を見ながらニヤニヤしている。服もだらしなく着くずしており、破落戸といった雰囲気だ。
もはやまともな検閲を期待できそうにない。
「おかしいわねぇ。アシリアって、ものすごく整備された組織のはずなのにぃ」
イムホテプは小声でつぶやきながら、さりげなくリンとイルバを背後にかばう。
「止まれ」と兵士から声がかかった。
「どこから来た者だ」
「何を運んで来た」
「酒はあるか」
口々に言われて、誰に返事しろと言うのか。
しかし、隊商の主人は動じなかった。ひざまずいて、うやうやしく皆に聞こえるように答える。
「ヒタイト帝国より戻りました、商人タムカルムでございます。品物の一覧はこちらに」
主人は粘土板を掲げたが、兵士たちは一瞥しただけで手にも取らなかった。読めないのかもしれない。
数人の兵士が“ヒタイト帝国”に反応したのを見逃さずに、イムホテプが古い小笛を懐から取り出した。
顔を土ぼこりに汚れさせ、気弱げな表情をしていると、木訥な青年に見える。器用なことに、声音も変えている。
「おらたちは旅の楽士でぇ、山間の村から…」
「ああ、良い良い。おまえたちは通れ」
ぞんざいに手を振られる。扱いの差に愕然とするが、イムホテプが手を引くのでおとなしく歩き出す。
隊商の主人に目でうながされ、イルバも“楽士の仲間”としてリンと連れ立って歩く。この為に隊列の並びを変えたらしい。
もう少しで兵士たちの前を完全に通り過ぎる、というときに霖は呼び止められた。
「ん?おまえ、細っこいが女か?顔をよく見せろ」
「…はい」
霖は震える手でヴェールをはずした。髪はイムホテプのアドバイスでターバンのような布に押し込めて巻いている。
「なんだガキか」
兵士は興味を無くしたように「行け」と言った。
霖は生まれて初めて童顔に感謝したかもしれない。震える足を懸命に動かす。
前を行くイルバが、何度も後ろを振り返る。父親たちが気になるのだろう。兵士からだいぶ離れたので、霖は声をかけた。
「イルバ、大丈夫。何もやましいところはないんだから、すぐに解放されるはずよ。街のなかで合流できるから」そう言うと、イムホテプも同意する。
門を抜ける、というとき。
ドガンッ、と後方から音がした。
あわてて振り返ると、甕が割られ、商品が強奪されるところだった。
「おやめ下さい!」
声を上げた隊商の者が切られた。
主人は青い顔をして怪我人を後ろに下げ、感情を抑えた声でたずねる。
「どれも自慢の品物ばかり、献上しろとおっしゃれば献上いたしましょう。その代わり、部下たちには手を出さないでいただきたい」
いつもならば通用したであろう交渉も、相手の狙いはそこではなかった。
「そなたたち、ヒタイト帝国の間諜であるな」
「何を根拠に…」
「ありました!甕の底に機密文書が」
強奪した商品を片手に、兵士の1人がパピルスを甕から取り出して見せた。
「そんな物、あるはずが…」
主人は口を噤んだ。
兵士たちが下卑た笑いを浮かべていたからだ。そのパピルスは兵士が隠し持っていたのだろう。
初めから仕組まれていたのだ。おそらく、ヒタイト帝国を出るときから。「もうすぐ監視が入って門の開閉を融通出来なくなる、すぐに出立したほうが良い」と助言してきたのは、馴染ではない下男だった。
市長が裏で糸を引いているに違いない。狙いは借金の帳消しか、国家間の衝突か。夫婦そろって小者と思っていたので、まさか職務を超えて謀る大胆さがあるとは思っていなかった。
自分の見る目がなかったのか。
観念したように恭順の姿勢を見せ、反抗しようとする部下たちを抑える。
「必ずや家族のもとへ帰るためにも、今は堪えよ。
我々の窮状を天が見てくださるよう、祈ろう」
隊商の皆は家族と、家族同様に可愛がっているイルバを思った。
引き返して走り寄ろうとするのを、楽士たちが止めてくれている。
「ご主人…父さま!」
目の良い主人には、イルバの口がそう動いたのがわかった。泣いているせいで声が小さかったのが幸いして、兵たちには関係を気づかれなかったようだ。捕まったり、人質にされてはたまらない。
なおも叫ぼうとするイルバを、青年楽士が当て身を入れて気絶させた。肩に担ぎ上げ、振り返る楽士見習いの背を押し、門を抜ける。
その姿が街なかへ消えてゆく。
まだまだ甘いイルバに、教えることは多い。あの子は筋が良い。きっと自分を超えて大商人になるだろう。気恥ずかしくて誉めたことはなかったけれども。
主人は殊勝な態度をとりながら、隊商を取り囲む面々を見た。ひとり残らず顔を覚えておく。
品物は駄目になっても、体ひとつあれば商売は出来る。一度の交易が潰れたからといってすぐに揺らぐほどもろい身代ではないつもりだ。自分に何かあったときの保身術は、妻に伝えてある。
約束の土産は買えないが、せめて金になりそうな情報だけでも手に入れようじゃないか。もちろん、身の危険を感じたらすぐに手をひく。
縄をかけられるということは、しばらくは生かされるということだ。でなければ、人数差がある今この場で殺されないはずがない。
隊商のおとなしい様子に気がゆるんだのか、兵士たちは話しながらバラバラと歩き出す。
「この者らを牢屋へ引っ立てよ」
「なんだおまえ偉そうに」
「一度言ってみたかったんだ。捕まったことはあるけどよ」
「どうりで牢屋の似合う顔をしている」
「あまり偉そうにしたら暫定王の不興を買うぜ」
荷は軽くなったが、乱暴に手綱をひかれてロバが鳴く。哀しげな鳴き声は、兵士たちの嗤いにかき消された。
ヒタイト帝国では、スミュルナ王子が分隊長から報告を聞いているところだった。
「アシリア商人にたいして、市長が門の開閉を融通していたのは間違いありません」
「そうか」
「屋敷の警護の連携がまずかったのは、やはり情報が操作されていました。下男と若い隊士を捕縛しております。これも市長絡みのようでして、範囲を広げて調査中です」
「そうか。他には?」
王子がリンのことを訊いているのはわかったが、それらしき姿を見たとの情報はなかった。分隊長はため息をつく。
「もう諦めなさいませ。
市内に姿も見えず、門を出た記録もない。身寄りのない少女が野に逃げたとして、生きられるほど気候は優しくありません」
「言うな」
「出立の準備は整えてありますから、もう王都へ向かわれませんと。陛下から再三の登城要請が届いております。これ以上は痛くもない腹を探られますぞ」
「…明日発つ。捜索はつづけてくれ」
「はっ、承知しました」
王子の執務室を辞してから、分隊長は隊員に指示を出す。
「市長の調査は今まで通り。
リンの捜索も継続しろ。もし見つけたら…」
憔悴した王子の顔を思い出す。
執務に滞りこそないが、王命にすぐ応じないのは殿下らしくない。このままでは兄王子に足元を掬われてしまう。
直接的ではなくとも、そのような状況の起因となったのはリンだ。スミュルナ殿下の足を引っ張っているとみなしてよいだろう。護るべき相手とは思えない。
「もし見つけたら、屋敷に入れるな。
俺が対応をする」
「はっ」
リンが敵陣と無縁の身とわかれば、いくばくかの路銀と食料を持たせ、秘密裏に市外へ放逐してやろう。王子には恨まれるだろうが、これも殿下のためだ。
分隊長は最近届いた報告文を思い出す。
“ケメト国が髪の長い、アイダリンなる女性を探しているようです”
もしリンが兄王子や敵国につながっていれば─罪人のように捕らえて、ケメト国へ届けよう。
出立準備の最終確認に、屋敷が賑やかになる。
それを、大きな満月が見下ろしていた。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。大変遅くなり申し訳ありません。
相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。
次話、アシリア国。




