目的
いつもより少し長いです。
金髪で美貌の男─イムホテプは、甕の中からリンを猫のように持ち上げると、自分の前におろした。
篝火に照らされたその姿を素早く目で検分する。
薄衣ひとつを身につけているだけで、武器を隠している様子はない。抵抗する力も平均的で、どこかの国の斥候というわけでもないだろう。ケメト国から追われている自覚はあるので、慎重にならざるをえない。
「何が目的なのか、言いなさいよぅ」
女言葉で話しかけても、こちらを侮る様子はない。自分で言うのも何だが、見惚れられるわけでもない。正直、こういう反応は珍しく、イムホテプは興味を持った。
果汁やら麦の穂やらがついているけれど、着ているのはもともと上質な服のようだ。世間知らずの良いところのお嬢様が気まぐれに家出したか。それにしてはこのあたりでは見慣れない、あっさりした顔立ちをしている。
腰まであるまっすぐな黒髪は見事だが、他にこれといって特筆すべき美点はなかった。装身具はない。他国から来た捕虜や奴隷にしては、力仕事をしてきたようにも見えない。
ちぐはぐ、というのが初めの印象だ。
イムホテプがここまで考察するのに、数秒しか要しなかった。
少女はぶつぶつと何か言っている。声を潜める程度の分別はあるようだ。
「美形なら何をしても許されるわけじゃないっての。どうしてこちらの世界の男は初対面で拘束しようとするのかしら。しなくても攻撃とか。
そりゃ、甕の中にいれば怪しいだろうけど、何のために言葉があるのよ。わたしは話せないけど、お互い説明努力は必要だと思う。
逃げないから放してよ。この、無駄に顔の良い歩くフェロモン垂れ流し大王め」
霖は大きな過ちをおかしたことに気付かなかった。
罵ったことではない。
イムホテプの知らない単語をしゃべったのだ。
少なくとも、存在を確認されている国の、すべての言語を習得した男の前で。
これは、ゆっくりと素性を訊く必要がある。そう判断したイムホテプの決断は速かった。商人に突き出す選択肢は無しだ。
“この世界”という言い方は、まるで“違う世界”を知っているようではないか。俄然研究心が刺激される。
そして、今朝の占いはこの少女を指していたのだと確信した。イムホテプが手慰みにアシリアへの旅路の吉兆を占ってみると、今までにない結果が出たのだ。
道具が示したのは、
未知、女性、逃亡、王子
商人、転覆。
吉凶という漠然としたものではなく、まるで誰かを示すような具体的な結果だった。
ちなみに、現状把握のため習慣になっているが、ヒタイト国の親友スミュルナ王子の近況を占うとこうなる。
陰謀、逃亡、嫉妬、恋
逆境、敵陣。
現在が暗いか明るいか判断に悩むところだが、友の情けとして「嫉妬」は見なかったことにしてやろうと思った。「執着」でなくて良かったと安堵したのも内緒だ。
今は占い師ではなく楽士なので、この少女の行く末を占うのは我慢しなければいけない。まだいろいろつぶやいているので、指摘する。
「あなた、流暢なヒタイト語を話せてるわよ」
「えっ?」
「ねぇ、ふぇろもんってどういう意味かしら。
それに、まだ先ほどの質問にも答えてもらってないんだけど」
早く目的を吐け、と拘束を強めると、おびえながらも気丈にこちらを見返してきた。
おや、と思う。
見た目より年齢が上なのかもしれない。
「時間が無いのよ。五を数えるまでに、名前と、さっきの質問に答えなさぁい。一、二、三、四…」
「リンです。ひ、人を探していて」
「それで、なんで甕に入ることになったの」
「それは、逃げて来たから」
「何から逃げたの」
答えにくそうにしている。腕を掴む手にもっと力を込めると、口を開く。
「自意識過剰かもしれないけど、ある高貴な人に囲われそうになって」
信じられない、とイムホテプは驚いている。その目は、こんな平凡な容姿で色気も無いのに、と如実に語っていた。
「誰が?そんな怪しい理由納得できないわよぅ」
霖はカチンときた。
平均並を自認しているのに、美形に言われると一層腹が立つのはなぜだろう。
「自分のことを話せ、という主旨の質問でしょう。私が、不本意ながら捕まったんです。睡眠薬を盛るような人に言われたくない。それこそ怪しい」
「人聞きが悪いわねぇ。少しくつろげる気分になるだけよ。お酒がともなうと眠気を誘うけど、目覚めに違和感もないし、後遺症がないことは自分で臨床済みよぉ」
「料理に酒も盛ったと。薬の効能ではなくて、何に使うかが問題なんです」
「野暮なことを訊いちゃだめよぅ。身に余る好奇心は身を滅ぼすのよぅ。もしあたしが盗賊だったらどうするのさぁ。痛い目にあうか、売り飛ばされるか、仲間 に引き込まれるか、どれにしろ嫌でしょう?」
リンは黙った。
このような状況で言われたことを、聞き入れる耳もある、と。世情に疎いのは補える範囲内だろう。
イムホテプは相手の理解力の良し悪しで同行者を選ぶことはない。たいていの人は自分よりも理解力が低いと知っているので。
判断するのは御礼や謝罪を言えること。未知のことを最初は拒絶しても、きちんと吟味して受け入れること。「知らない物など無く、頭が良い」と思い込んでいる者ほどたちが悪いのだ。良い見本が自分である。
また、外見に惹かれない者なら、なお良い。
打算もある。男が一人で入国するよりも、男女二人のほうが警戒されにくいのだ。折しも、アシリア国の関門が厳しくなったと、重要な情報を商人から聞いたばかりだ。正確に言うと、荷物を検分して私信を読んだのだが。
ほかにも禁止品を積んでないかの確認をした。不自然な時間に出立したのが、逆算して知れたからだ。調べた結果、不正はなく、少女を見つけることになったが。もちろん盗賊ではないので商品を横取りはしない。極秘権限を持たされているからできることだ。それを少女に教えてやる義理も無い。
商人達が身じろぎし始めた。そろそろ目覚めるだろう。
「あんたを不審者だと訴えない代わりに、素性も含めてあたしの知らないことをいろいろ教えなさいよぉ。アシリアに着くまではぁ、私の楽士仲間ってことにしてあげる」
少しだけ考えて、リンは「私が答えられるかはわかりませんが」と頭を下げた。
一瞬悔しそうな表情をしたが、上手に悟られないよう平静を装っている。
距離感を掴むのが苦手そうだ。でも、それを繕うことを知っている者の目だ。リンは急に懐に入り込んだり、こちらに過剰に甘えたりはしないだろう。
これは良い拾い物をしたと、イムホテプはウキウキとヴェールをかぶり直した。砂漠の夜は冷えるので、防寒具の予備を分けてやる。
いかにも続けて違う曲を弾いていました、という様子のイムホテプ。その背中に小さな声がかかった。
「…ありがとうございます。お世話になります」
言葉は丁寧になったが、声がいかにも不承不承といった様子なので、思わず笑った。
「あんた、盛り上げる演出のためよぉ。あとで歌いながらあたしの荷物から出てきなさいな」
「そんな無茶苦茶な。歌も楽器もできませんよ」
間奏で鳴らすだけの打楽器を渡される。素人でもできそうで、実は難しいのだが。
その後、拍子ハズレな見習い楽士の演奏が、ますます場を賑わせたのは言うまでもない。
こんなに長い距離を歩いたのは、霖にとっても初めての体験だった。
精神体のはずなのに、ご丁寧に足の皮が何度もむけた。
「あたしの影に隠れるように歩きなさぁい」とイムホテプが言ってくれなかったら、早々にダウンしていたと思う。
宣言通りに、道中いろいろ尋ねられた。
ふぇろもんとは私の勝手な造語で艶っぽいことだと答えておいた。トゥトとの約束を守り、“イアルの野”についても言っていない。
トゥトが羽を休めている可能性もあるので、あのオアシスのことは触れず、記憶もあいまいで祖国へ帰る方法もわからないし、いつの間にか砂漠に居たと説明した。肝心なことを省いているが、実体験に基づいているので、一応納得してくれたようだ。
結局、その後も一緒に行くことになった商隊に、イルバがいたのも大きい。
主人が理由をはっきりと言うことはなかったが、通常より休憩が多くとられていたそうだ。そのとき話すイルバの明るさに疲れがほぐれる思いがした。
食事は摂るふりをして夜に備蓄へ戻し置いているが、言葉は通じるままだ。便利だと喜ぶべきか、“イアルの野”に体質が傾いて日本へ帰るのが遅くなったと嘆くべきか。
悩むことはあとでも出来ると、霖は脚に力を込めた。
隊商の誰かが叫んだ。
「見えてきたぞ!アシリアの門だ!」
門前に立ち並ぶ大勢の人が見える。到着の喜びに歓声が湧く。
歩調が速くなる。
「さすが交易の要所アシリア」
「壮観だな」と笑顔を浮かべる皆のなかで、隊商の主人とイムホテプだけがジッと門を見ている。
「…いや、おかしい。あれは商人じゃない」
隊商の主人が顔を強ばらせる。
門を取り囲んでいるのは、物々しく武装した兵士たちだった。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。過分なレビューをいただき、アクセスやブックマークが増え、大変励みになっております。
私事ですが、風邪をこじらせてしまい微熱が続いているので、来週必ず更新できるよう、今週末は投稿せず安静にしようと思います。
未熟者ながらこれからも精進しますので、不定期亀更新に呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。
次話、アシリア国とヒタイト帝国です。




