お土産
床に下ろされたらしき衝撃で、霖は体を起こした。
パタパタと、忙しそうに歩き回る音が聞こえる。
先ほど貯蔵庫で会話していた男が、指示を飛ばしているようだ。
「その甕の中身は道中で使ってしまうから、追加で糧食を入れてくれ。別のもあるし念のためだから、半ばくらいまでだ。
帰りはこちらで高騰しそうな物を放り込むから、汚さないように使いなさい。ロバで運ぶから、厳重に封をするんだよ。ほかの荷はそろっているのかい」
「はい、すべて。それとご主人様、お留守のあいだに市長夫人が来られました」
「またかい。こちとら商人であって、施しをする立場じゃないんだよ。いま貸してる麦を返してもらえたら、新たに借用文を書いてやるって、言っておきなさい。散財するから旦那が若い愛人に走るんだろうに。
ああ、イルバ。お前は正直過ぎるから、最後のは言っちゃいけないよ」
「わかりました」
軽い足音が遠ざかり、ゆっくりとした足音が近づく。妙齢の女性の声がした。
「あなた、わたくしも連れて行ってくださると楽しみにしておりましたのに」
「すまない愛しいひと。
最近はアシリアの関門が厳しいらしいんだ。
ほかにも理由はわからないが、商売仲間から美しい女性を入国させないほうがよいと言われたんだよ。おまえは誰よりも美しいからね、道中で人攫いにでも遭ったら僕は悲しみのあまり死んでしまうよ」
「まあ、調子の良いこと。おだてても無駄ですわよ」
「そう言わずに、ほら、おまえの欲しがる土産は何でも買って来てやるから」
「本当に?じゃあ最新の宝飾品と毛織物が欲しいわ。どんなものが流行っているのか見たいの。商売に活かせるでしょう?」
「おまえは僕には過ぎた妻だよ」
チュチユッというリップ音が、甕のなかまで響かなかったのは幸いだった。しかし軽やかな足音の主が実況中継してしまう。
「わわわっ!
すみません熱烈な口づけの途中とは知らなかったのです。しばらく会えませんものね、どうぞ続けて下さい。端っこで木の実を入れているので気になさらず」
「イルバ、おまえね…せめて見ないふりか退室かできないのかい」
「わわわっ、申し訳ありません」
クスクスという笑い声とともに妻が去っていく。主人は不安そうに言いおいた。
「イルバはまだ修行が足りんなぁ。アシリアに同行させるか…。ああ、僕たちの邪魔をした罰として、ほかの甕にも酒と麦を入れなさい。背はもうギリギリ届くだろう」
「わかりました」
主人も去り、軽い足音が間近で止まった。
霖が入っている甕の、蓋がゴトゴトと動く。
上から落とすように閉めたそれは、内側から掴もうとしても指が滑ってしまう。
霖は慌てて、見えないよう低く屈んだ。
明るい光が入り、縁から、小さな手だけが見える。
良かった、覗き込めるほど大きくはないらしい。
「んーと、んーと。この甕に、麦だっけ?」
イルバは必死に思い出しているようだった。
パラパラと、少しだけ麦が降ってくる。穂先がチクチクと刺さって地味に痛い。
違うよ、この甕には追加の糧食だよ、と言いたいけど言えない。
「えーと、ちがうな、お酒だ」
酒浸しになる自分を想像して、霖は真っ青になった。
「あっ、思い出した、糧食だ」
ホッとしたのもつかの間、頭上からいろんな物が落ちてくる。
硬いものから、緩衝材なのか藁のようなものまで。
「もう半分いったかな?」
小さな手が伸ばされてきた。ドキドキしながら、手近の糧食を持ち上げて触らせる。
「良かった。蓋をしようっと」
霖はハッとした。
あとで自分が外せるようにしないといけない。何より、機会を待つまで密閉されたら酸欠になってしまう。
死角になりそうな箇所へ、藁を挟んだ。かろうじて隙間を作る。 あとは、人気が無くなるまで夜を待てば…という考えは甘かった。
出立が早まったのだ。
しかも、荷車へ運ばれるまでが悲惨だった。時間がないので、甕を斜めに倒し、くるくると底を回しながら運ばれる。
いろんな物の匂いと一緒に攪拌されて、霖は吐きそうになった。
我が身に返ってくるので、必死に堪える。
甕が固定されたときには、朦朧としていた。
やがて夜になり、荷車が止まったのも気付かないほどだった。
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短いですがキリが良かったので投稿しました。
続きを明朝早めに更新します。
相変わらず不定期亀更新ですが、呆れずお気軽に読んでいただければ幸いです。