アシリア国
すこし殺伐としています。
霖がまだ眠りから覚めていなかった頃。
アシリア国の王宮では、“前祝い”と称して連日宴会が開かれていた。何を祝うかを知るのは、国内でもまだほんの一部分の人間である。
玉座には炯々たる目をした大男が座る。
あまりにも獰猛なため王位継承権を与えられなかった男は、いまやたった1人の直系男子。皇太子の身分となった。
そして、もうすぐアシリア王になるつもりだ。
「皇太子殿下おくつろぎのところ失礼いたします」
「俺のことは暫定王と呼べ。父王が病に伏せるなか、政務を取り仕切っているのだからな」
もうすぐ簒奪に成功するアシリア国皇太子はご機嫌だった。
腕力にものを言わせて王族を急襲し、血の気の多い者たちを集めて官僚を押さえ込んだ。クーデターである。
兄弟を含め反対する者はすべて闇に葬り、賛同する者で身辺を固め、情報を国内外に漏らさぬ構えだ。
病に倒れたとされるアシリア王は穏健派として各国に知られていた。今は見る影もなく痩せ細り、他ならぬ皇太子の手によって投獄されている。生かされているのは正当性を諸外国に主張するために過ぎない。
「そろそろ、我がアシリアが世界の覇権を握っても良い頃だ。今までの腰抜け外交では領土を広げることはできん。そうは思わぬか」
「暫定王のおっしゃる通りです。それには武力強化が肝要かと。
お声をかけましたのも、ちょうどヒタイト国王からの返書が届きましたので」
「おお、待ちかねていた。早く読み上げよ」
「申し上げます。
“ご要望の鉄についてですが、あいにく在庫がありません。
鍛治師たちに作らせておりますが、いまは製鉄に向いた季節ではないため─”」
ガシャンッと金属の潰れる音がした。
アシリア暫定王が金杯を握り潰したのだ。指のあいだから葡萄酒が流れ落ち、日乾レンガの床に吸い込まれた。
晩餐の賑やかな空気が凍りついた。
楽士たちは楽器を奏でる指を止め、踊り子たちも恐怖にうずくまる。
玉座から割れた鐘のような声が響いた。
「書いてある言い訳を省いて読め。
結局、我がアシリア国に鉄が届くのはいつになるのだ」
「は、それは─」
粘土板に目を走らせる部下の手が震えだす。
しびれを切らした暫定王は、侍らせた女たちを振り払う。
大股で移動し、粘土板を奪い取った。読み進める表情がみるみる険しくなる。
“─製鉄作業が終わっておらず、鉄をお送りできません”
「老獪なヒタイト王め!」
怒りにまかせて粘土板を叩き割る。
仮にも公的文書だ。さらに踏み砕こうとするのを側近たちが慌てて止める。
「お怒りをお鎮めください。文書にはこうも書いてございました。
“鉄ができ次第お知らせします。今日のところは一振りの鉄剣を差し上げます”と」
「ほう、鉄剣を」
機嫌を直した声に側近たちは安堵する。
暫定王は献上された鉄剣を嬉しそうに握った。
そうしてしばらく刃を凝視すると─突然憤怒の表情になり、間近に居た1人の部下を斬りつけた。
ヒタイト帝国との交渉を任せていた者だ。
致命傷ではないが、浅くもない。
「上手くはぐらかされおって。これは俺が欲しい品質からは数段劣る、耐久性は青銅と変わらぬ鉄剣だ。
馬鹿にされたことにも気付かずおめおめと帰りおって」
「も、申し訳ございません」
必死にそれだけを言って気絶した部下から、暫定王は興味を失ったように離れた。
側近は部下を治療室へ運ぶよう指示をすると、楽士たちに目配せをする。ふたたび賑やかになったところで、商人たちをその場に引き入れた。
「暫定王陛下。喜ばしい報告もございます。
我が国の商人たちは独自の販売路を開拓しておりますが、このたびヒタイト帝国内に、この者たちが居住地を得ることに成功しました」
「それは本当か」
「はい、これが市長からの許可証です」
「どれ。ふん、確かに市長印に間違いはないが、ヒタイト王の認可がなければ、ただの口約束と変わりない。喜ぶのは早すぎる」
アシリア暫定王に教養はないが、力関係において重要なことを嗅ぎ分ける点は優れていた。
彼が放逐される前に習っていた楔型文字や印影を覚えているのは嬉しい誤算だったが、必要以上に知恵を付けられても困る、と参謀役の側近は内心舌打ちをする思いだった。
悟られないよう、にこやかに耳あたりの良い奸計をささやく。
「ヒタイト王が認可せざるを得ないように、これから追い込めば良いのです」
物騒な話題を肴に主従は酒杯を重ねるのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
区切りが良かったので短いですが投稿しました。
本日夜か、朝日早朝に次話を更新します。




