文化
本日二話目の投稿です。
食事の席は慌ただしかった。
主に、目の前に座る美青年の執務のためである。入れ替わり立ち替わり訪れる部下たちは、用事が済むと必ず霖に「こんにちは」や「よろしく」と笑顔で挨拶し、退室して行く。
来客扱いなのかと不思議に思いながら、霖は曖昧な笑顔を返しておいた。
室内はほどよく暖められている。
先ほどとは違う、飾り気のない部屋。
置いてある水差しは丁寧な作りの、素朴な焼き物だった。あたたかみがあって、手に馴染みそうな。
部屋毎に印象が違うのは意味があるのだろうか。
多様な文化を受け入れるというアピールとか?
部屋に出入りする人たちの面差しは、様々に個性的だった。
霖のようにのっぺりとした日本人顔は流石にいないが、向けられる視線は奇異や拒絶のものではなかった。分隊長と呼ばれる男を除いては。
彼は今も部屋の右脇に寄って、霖に鋭い目を向けている。それを視界に入れないように、物珍しそうに周囲を見ながら、耳を澄ませた。
「─市長からお伺いが届いております。アシリアの商人たちが、開門の時間を早めて欲しいと望んでいるそうです」
「王ではなく、こちらに言ってきた理由は?」
「王にはすでに断られたそうです。
行商する道を広げたいという商人たちの手前、努力した格好を見せたいのでしょう」
「門を開ける際は市長の息子のほかに責任者が同席しているだろう。そちらにも意見を聞き、実情を知りたい。
越権行為とみなされて粛清対象にされるのはお断りだ、王に報告を入れておけ」
「畏まりました」
「また、規定通りに門の開閉が行われているか探りを入れろ。
市長の息子や配下の者が単独で開けた形跡はないか。
複数で門の封印を確認しているか。
銅の閂はきちんと毎度毎度所定の場所に保管されているか─」
規定というか、きちんと法律の整備された組織体のようだ。
先ほどケメト国風の挨拶をされたが、青年と部下たちが鼻と鼻とをふれ合わせている様子はない。主従関係があれば不要なのか。
「我が国」ではなく「ケメト風の挨拶」と言っていた。馴染んでいない他国の風習かもしれない。
霖は通訳という職業柄、外国の人と挨拶を交わす機会が多かった。国によってマナーは異なるので、いつも覚えるのに苦労する。身振り手振りなどは日頃していないと、とっさに出来ない。
それをサラッとこなすこの青年は、どんな立場の人なのか。
戦場での印象が強いので、まだ近寄るのは怖い。
でも執務をこなす様子から、部下から尊敬と信頼を寄せられているのはわかった。
トゥトの様子を聞くにしても、耳を傾けてくれそうに思える。甘い考えだろうか。
ひと通り執務が落ち着いたのか、美青年は食事に手をつけ始めた。
「まだ食べておらぬのか」
「食事の前に薬湯を飲むように言われたのですが」
霖の手には、緑色と茶色を足したような色の、飲むのに勇気の要る“薬湯”があった。こちらの言葉は通じないようだが、仕草でわかったらしい。
「薬湯が苦手か?食事に混ぜてみるか?」
申し訳ないことに、そのどちらも口にできないのだとジェスチャーだけで説明するのは難しい。
ただ、首を横に振る。
相手は恐ろしいが、思いやってくれていることに対しては、無視できない。
優雅に、且つ俊敏に手を動かしながら、青年は名乗った。健啖家のようで、料理を残す気配はない。
「こちらの言葉はわかるのか?
我が名はスミュルナ。軍の指揮を任されている。
どうせわかることなので言っておくが、ヒタイト国の第二王子だ」
薬湯を落としそうになった。
心底驚いたように目を見開く少女を、分隊長は苦々しく思っていた。
王子の身分を本当に知らなかったように見える。これが演技なら大したものだ。
媚びを売る様子も無い。敵陣からの刺客ではないのか。いや、他国の間者か要人かもしれない。何か理由が無ければ、あれほどの手練れに護られているのが不自然だ。
きっと王子も気づいておられるはず。
霖は薬湯を飲まずに置くと、自分も名乗った。
「霖と言います。リ・ン」
「リンか。あまり聞かぬが、良い名だ」
あまり聞かぬ、と言われて身構えてしまった。
ターコイズブルーの瞳が、熱心にこちらを見ている。
「私は一人の男としても為政者としても、リンに強い興味がある」
「はぁ」
「実質一点張りの執務室を見ても、期待はずれだという態度を取らない。政治や少しの機密情報に食いつきもしない。身分を知ってもすり寄って来ない」
そっと、霖の指に王子の指が触れた。
「水くみや畑仕事を一度もしたことがないような、柔らかな指。かといって世話されることに慣れてはいない。
何より─部下たちは様々な言語で話していたが、そのすべてを理解しているようだな?」
強い眼差しとは裏腹に、問う口調は静かだった。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
予告の半分まで届かず、ケメト国まで行きつきませんでした。次話、引き続きヒタイト帝国。




