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萌芽

 


 繁栄するケメト国。

 王都テベには、いくつもの居酒屋が並んでいる。そのうち一軒の前に、身綺麗な男が立ち止まった。


 酔っ払いが店先で大いびきをかいている。いつものことなのか、誰も気にしていないようだ。

 その横、狭く薄汚れた入口を抜けると、店内は意外と賑わっている。


 学舎が近いからか、若者が多い。

 論議を交わす者、質問をする者。

 卒業できるのは一握りであっても、門戸は広く開かれているため出自は多様だ。

 

 もし貴族や豪商ならば、学舎からすぐに帰宅し、連日宴会を催して人脈作りに励んでいるはずだ。

 ここには媚びる者も、神経質なまでに貴族らしく振る舞おうとする家族も、自分を蔑む旧家の者も居ない。あるのは我こそは世に出ようという才気と好奇心と、打算と欲望の入り混じった雑多な空気。


 普段は寡黙な男も少し警戒を解いて座った。


「主人、ビールを1杯」


「へぃ、他に何かお持ちしましょうか」


 周りで食べられている料理を眺め、男は答えた。


「魚以外はあるか?」


「はぁ、今日はたまたま良い鴨が穫れたので…」


 お貴族様か、と店主は思った。

 ナイル川は恵み豊かで、網さえあれば魚が簡単に手に入る。魚は庶民の食卓に欠かせない。

 白身魚の腹に玉ねぎと野草を詰め、刻んだニンニクをまぶして香ばしく焼いたものが、この店の名物料理だ。自慢じゃないが、近所でも美味いと評判である。


 ケメト国で「料理は肉、酒はワイン」と考えるのは富裕層に多い。なぜなら畜産や醸造には人手がかかり、とても高価だからだ。それらの多くは王宮や神殿に納められると聞く。ビールを注文するくらいの常識はあるようだから、旧家ではないだろう、新興貴族か。


 大きなかめ)の蓋を外し、自家製のビールをコップに注ぐ。

 いつも客に出している“大麦のパン”ではなく、 ふるい)に掛けた粉を使う“少し上等な大麦のパン”を焼く。熱々のうちに鴨料理に添えた。

 なぜこんなところにお貴族様が来たのかは知らないが、厄介事に関わる気は無い。不興を買わないうちに、早々に帰ってもらいたいものだ。


 店主の意図に気付かず、客は料理を食べながら訊ねた。


「おい主人、イムホテプという者がよく来るらしいな。どいつだ」


「ああ、先生ですか」


「先生?」


「幼い頃から神童の誉れ高い人でね。

 家の不幸や病気が重なって卒業は出来ませんでしたが、興が乗ればああやって相手をしてくれるのですよ」


 ひときわ賑やかな一団の中心に、見事な金髪の青年がいた。退廃的な雰囲気の、もし異性であれば国を傾けるような美貌である。

 声はハスキーで口調はなぜか女性に近い。どんな質問に対しても、飄々と答えている。 


「先生、ここが分かりません」


「いやね、先生じゃないってば…ああ、これはアハ)問題ね。初めはつまず)きやすいけど、慣れれば複雑な問題にも応用できて便利なのよぉ。じゃあ、まず求めるべきこたえ)に仮定の数字を当てはめて計算していって、最後に調整してね。

 

 ある量と、そのある量の7分の1とを足せば、19になります。そのあるアハ)を答えなさい、か。


 どんな数を入れても良いけどぉ、ここでは教科書にそって7としましょうか。仮定した数字に、その7分の1を足せば何になる?」


「8になります」


「次に、8に掛けて19になる数を計算すると?」


「2に4分の1と8分の1を足した数です」


「その数に7を掛けると?」


「16に2分の1と8分の1を足した数です」


「そう。検算してね。

 最後に出した数に、その7分の1を掛けた数を加えると?」


「えーと、19です」


「正解」



 ぜんぜん分からん、と男は思った。

 剣の鍛錬は欠かさなかったが、門番に不要な知識は早々に捨ててしまった。

 眉間に皺を寄せていると、イムホテプと目が合った。一瞬、何もかもを見通されているような威圧感を受ける。

 先日、将軍に謹慎を言い渡された時も感じたものだ。 

 

 本当にこのまま進んで良いのか。

 実はすべて見透かされていて、明日にも露見するのではないか。


 不安を塗り込めるように本人にとっては切実な、他人にとっては身勝手な将来を思い描く。もしも企みが成功すれば、自分たちこそが建国の寵臣となり国を支えて行けるのだ。

 もう既に同僚を排除し、自ら敵国の兵士を招き入れた。後戻りは出来ない。湧き上がる感情を流し込むようにビールをあおった。


 その姿を視界に入れながら、イムホテプは店主に話し掛ける。


「あの男はじめて見る顔だけど、失せ物の相が出てるわ。あたしを訪ねて来たんでしょう?」


「さぁ、お前のことを訊かれはしたよ。

 もう良いのかい、今日はずいぶん丁寧に教えていたようだが」


「古い友人に恋人が出来たみたいでさぁ、今日は幸せな気持ちなのよ。

 それに、有望な子には構いたくなるのよねぇ。あたしの見た目に騙されず、情報の真偽を見極められそうな若者には」


「騙されやすい者には?」


「石宝混合。情報の取捨は自己責任でしょ。

 占うから、奥を借りるわよ」


 イムホテプの後ろを、男が附いて行く。夜も深まり、店内の客も帰り出した。

 彼らに紛れて、店先の酔っ払いがいつの間にか姿を消していることに、誰も気付かなかった。

 

 店内奥の別室。

 内心、イムホテプは男の評価を下していた。占うまでもなく、この新興貴族は使えない。

 やがてヒタイト国からも蜥蜴の尻尾のように切られるだろう。敵国との接触を確認するために、ケメト国の将軍あたりに泳がされていると見るべきだ。


 居心地は良かったが、この店を早急に離れよう。イムホテプが保身の算段をまとめたとき、男は質問してきた。不安に後押しされているように早口だ。


「手引きした者から、お前に聞けば詳細な計画がわかると言われて来たのだ。それなのに講義の真似事をしているのか、腹立たしい。それが何になる。

 男なら、もっと大きな志しを持つべきだ」


「男なら、という言い方は好きじゃないわぁ。

 大志を持てと…あなたのように?」


 言葉に詰まる相手を冷笑した。

 

アハ)問題を解くのは楽しいのよぅ。

 何を当てはめても解に至るってさぁ。

 まるで王様をすげ替えても国政は変わらずに動く組織みたいじゃない?

 代々のケメト国みたいよねぇ」


ファラオ)に対してなんと無礼な」


「今さら賢臣ぶらないでちょうだい。あたしが言えることは、何もないわ」

 

 占いの道具は、遠く離れたスミュルナ王子の現在を映し出す。我流だがこれで自分は生き残ってこれた。たかが占い、されど占い。

 示された結果は。


 策略。逃亡。危険。恋。

 隠遁。聖霊。…不明?。


 判じにくいところもあるが、おおむねこんなところか。ちなみに先日までは、


 策略。敵陣。危険。絶望。

 隠遁。逆境。 


だった。友人でなくとも心配する内容だ。


 憤慨しながら出ていく男とは、もう会わないだろう。イムホテプは欺瞞と思いつつ、せめてもの手向けに食事代は要らないと伝えた。

 自分のような根無し草に何かを守る力はない。


 しかし力ある者だからといって、大切な者を守れるとは限らない。願わくば、苦悩の多い友人の、行く先が光に満ちたものであって欲しい。















 遠いヒタイト国のとある建物の、とある一室。

 身動きひとつしない少女の枕もとで、スミュルナ王子は端正な顔に悲壮な表情を浮かべていた。

 先ほど侍医から、少女の余命がいくばくも無いと聞かされたのだ。今夜が峠だろうと。

 人払いをして、為すすべもなくたたずむ。


 ふっと、灯りが消えた。


 側仕えを呼ぼうとしたが、悲しみに沈む屋敷に物音を立てるのはなんとなく憚られた。

 窓を開け、月光を入れる。


「満月か」


 十分に明るい。そういえば、最近では月の満ち欠けを気にする余裕もなかった。

 月光がわずかに陰る。

 鳥が)ぎったようだ。


 ばさり、という羽音が響く。


 気づかないうちに、鳥が窓に留まっていた。

 心なしかやつれているようだが賢そうな目でこちらを見ている。


 トキだった。





参考文献『古代エジプトの数学問題を解いてみる』

 2012年NHK出版



 いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。


 ブックマークと評価をいただいて、少しずつですがアクセス数も増えて、とても励みになっております。小心者ゆえ感想をお返し出来ないので、せめてもの恩返しになればと早め(?)に投稿しました。


 相変わらず不定期亀更新ですが、これからも呆れず、気軽に読んでいただければ幸いです。


 次話、ヒタイト国です。





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