雨が降るまで
いつもより少しだけ長いです。
戦場では素早さが求められるが、調査では慎重さがものをいう。
まだオアシスまでの距離があるところで、先頭にいた王子は足を止めた。
遠目で周囲の地面を検分しているようだ。
「いかがされましたか」
「おかしいと思わぬか、分隊長。
風があるとはいえ、ケメト国の諜報員以外の足跡が見当たらぬ」
数秒考えたのち、王子は部下たちを見渡した。
若く体力のある者、老練な者。様々いるが、共通しているのは忠誠心のあついところだ。少数精鋭で来たのは、この地の重要性から情報の拡散を防ぐためである。
指示をせずとも、小声で聞こえる距離に整列しなおしている。
「よいか、皆も知っておるように、あのオアシスを現在把握しているのは、我が国以外ではケメト国のみだ。その諜報員は先ほど出立した。
では、いまオアシスに何かが居るとすれば、どんな者だと思う」
知略と武勇を誇る王子は、公正な人柄で知られ、国民に絶大な人気がある。
俺が答える、いや俺が、と無言で牽制し合う部下たちを睨み、分隊長が答えた。
「ケメト国ではない諸外国の間諜か、それとも一般人ですか」
「まだ情報を持ち帰っていない他国の者ならば、ケメトの男が始末しているだろう。
報告の必要はあるにしても、物言わぬ相手からあのように逃げ帰る必要はない。
かといって一般人もありえない。
我々の目をかいくぐり、訓練された兵士の顔色を変えさせるほどの、強い一般人がいるとは考えにくい」
若い兵士が答えた。
「ならば、巨大な鰐とか」
「ついこの前まで水溜まりほどに浅かった所だが、どうにかして泳いで来る鰐がいるかもしれん」
声を抑えた笑いが起きる。
浮かれるわけでもなく、緊張し過ぎるわけでもなく、良い雰囲気になった、と王子は思った。
「ルウカ、天気をどう読む」
「は、暗い雲が迫っています。
まもなく雨になるかと」
やはりそうか、と王子は力強く頷いた。
「喜べ、天は我らに味方しているらしい。
いかなる相手であっても、雨のなかでは鼻も耳も利きにくい。雨が降りかかったのを合図にして、一気に近付くぞ。
対象を捕らえ、刃向かう場合は問答無用で斬り殺せ」
オアシスまで音が届かぬよう、兵士たちは鬨の声ではなく、いっせいに剣を上げて応えた。
新たな者たちがオアシスに迫っているとは考えもせず、霖はケメト国から来たという男の様子を、複雑な気分で思い出していた。
「あの人、本当に商人かしら?何も売らずに帰ったけど。それに、なぜか私を怖がっていなかった?」
「無理もない。数千年生きた我にとっても、リンは時々恐ろしいからの」
「うら若き乙女に向かって、今なんて言った?」
霖は笑いながら、トゥトの嘴を捕まえようとする。
「そういうところが怖いんじゃ!
それになんじゃ、あの、目から出た鱗のようなものは」
「使い捨てコンタクトレンズのこと?
砂埃が目に入ったから取ったの。でも問題なく見えるのよね。精神体というわりに感触もあるし、どういうこと?」
と言いつつ、トゥトを追う手はゆるめない。
飛んでリンの手から逃れながら、トゥトはわざとらしく嘴を大きく動かした。
「先ほどの木の実が、実体に近い殻となってリンを覆っておる。
もとの体の病気や怪我は引き継がぬが、そなたが自覚すれば血も流れるし、衝撃も受ける。
精神体が癒されるまで、穏やかに過ごせば帰る日も近付くのじゃ」
トゥトはナツメヤシの樹の枝に飛び乗った。
下は水辺なので追って来るまい、と話を続ける。
「コンタクトに限らず他の荷物もそのままだったじゃろ。
臨死や葬儀の際に身に着けている物は、高価な嗜好品や危険物以外は世界の警戒網でふるい落とされず、そのまま転移できるのじゃ」
「ふぅん、まるで飛行機の搭乗前検査みたいね、っと」
動いて暑くなった霖は上着を脱いだ。
「こら、何をしとるか!」
上着は軽く振り回されたあと、トゥトに向かって投げられた。飛び立つより、視界をふさがれるほうが早い。
一瞬動きが固まった隙に、器用に岩場へと引き寄せられた。もがきながらスーツから顔を出すと、すでにリンの腕の中だ。
「成功成功。
トゥトはいろんなことができるけど、鳥の習性もあるのかなと思って。
うわ、ふわふわ」
憎まれ口を叩きながら、翼を撫でる指は震えていた。
異世界で見知らぬ人に出会って緊張したのか。聞けば他の方法を考えたものを、リンは弱音を吐くのが苦手らしい。
そんなふうだからこの若さで魂がすり切れそうになっておるのだと、呆れながらトゥトはおとなしくなった。
「ごめんね?
ふふ、あったかい」
笑顔らしい笑顔を初めて見たような気がする。
トゥトは慣れない距離感に戸惑っているのを自覚した。
神官など言葉を交わす者は時折いるが、ここまで人間のほうから近寄られたことはない。“イアルの野”全体を見守る立場の一員であって、住人たちに深入りはしないのだ。
リンは気付いていないが、トゥトは治療の際に、原因を探るため記憶を辿ることができた。
傷病に関係のないことは見られないが、大まかにみて性格や言動に問題がないか査定も兼ねている。 自分が誤って連れてきてしまった精神体であっても、癒さぬまま体に押し戻すことも出来たのだ。
そうしなかったのは義務感。
そしてほんのちょっぴりは、記憶にみた緊迫や恐怖以外のいろんな表情に染まるリンを見てみたい、と興味を覚えたからだった。
しかしまぁ、あまり近いとむずむずする。
「顔をうずめるな。もっと恥じらいを持たんか」
「恥じらい~ぃ?
学習能力のない動物相手に持つ必要性を感じないわね」
「言いおったな?」
霖の腕の中の存在が急に大きくなり、
抱きしめているつもりが、逆に力強い腕に抱き上げられた。
「え?ちょっと、待っ…」
トゥトはそのままスタスタと水際まで行き、岸からせり出すように腕を伸ばし─放した。
盛大な水しぶきが上がる。
霖が水を飲まぬようすぐに立ち上がらせてくれたが、その気遣いがあるなら最初から落とすな、と言いたい。
「もう、信じられない!
全身びしょ濡れになっちゃったじゃない」
「もっと怒れ」
「なによ、訳わかんない」
濡れた髪を絞りながら、霖は岸へと歩く。
水面に波紋が浮かんだ。
それが、自分の周りだけではないことに気付く。
みっつ、よっつ、
あっという間に数え切れなくなった。
「あ、雨」
読んでいただきありがとうございます!
ブックマーク励みになります。
展開が思ったよりも進まず申し訳ないです。
相変わらず不定期亀更新ですが、呆れず読んでいただければ幸いです。




