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初陣

「さて、取り敢えず作戦会議を始めましょう。敵の数も攻勢してくる時刻も未明、時は一刻を争うわ」

 神様が消失してから一分くらいの時間が経過した。水を打ったような静寂を最初に破ったのは案の定と言うべきか、雨宮雨音だった。俺たちは円形を組む形で地面に腰を下ろして向かい合っている。

 毅然とした表情の雨宮とは対照的に、ことりんは沈痛げに目を伏せてまさに意気消沈といった様相であり、桜庭も現状を呑み込めていないのか目の焦点が上手く定まっていない。まぁ、当然の反応だよなぁ。俺なんて失敬ながらお二方の状態を眺めることで、思考を落ち着かせているし。

 というか、桜庭なんか顔に戸惑いと恐怖が如実に浮かんでいるしなぁ。その視線の先にいるのは雨宮雨音。気持ちは分からんでもない、こんな状況で平然としていられる雨宮の存在は一種のホラーだ。

 陰鬱な雰囲気がこの場に満ちていることを察したのか、雨宮は露骨に溜め息を吐いた。その挙動に雨宮の向かいに座ることりんがびくりと肩を震わせる。おいおい、怖がってんじゃねーか。てか雨宮も苛つくなよ、この反応が普通でお前の対応が異常なんだよ。と内心で毒づく余裕のある俺もまたちょっとばかし普通ではないのかもしれないと自己分析する。

 皆が無言だしなんか気まずい空気だし、ここは俺が打破するしかないか。

「とりあえず状況確認だな。第一目的は全員の生存及び無事に元の世界に帰還する。そんで目的達成の障害となるのが上空に示されてるEASYをHARDにしてラスボスを倒すっつー、パッと見無理ゲーだな」

「無理、と決めつけるのは早計よ。発言に気をつけなさい、全体の士気が低下するわ」

 俺が粗方情報をまとめると、すかさず雨宮の苦言が入る。射るような視線が「根拠は?」と問い質してくる。ちょ、だから怖ぇって。俺にだけ風当たり強くない?

「サンドボックス型ゲーム以前に、まずゲームって時点でもう詰んでんだよ。将棋で言えば王手、チェスで言えばCheckmateだ。そもそもゲームっつーのは何度も死んで、その度に反省により改善点を把握して、徐々に攻略していくもんなんだよ。どんなプロゲーマーだって初見クリアなんて不可能だ」

「理解したわ。けど、それはともかくその余計な台詞、今すぐやめなさい。下手な発音の英語なんて苛立ちが積もるだけだから……もう一度瀕死に追い込まれたい?」

 にこりとコールドな微笑みを見せた雨宮に対し、恐怖を禁じ得ない。もう一度、とは先ほどの溺死未遂のことだろう。やっぱり俺にだけ当たりがつよくないか、言葉選びが怖ぇんだっつの。

「そんなことより、さっきのなに? サ、サン……サンド……って」

 まるで異郷の言語を口にするかのように、口調を淀ませた雨宮だったが、やがて観念したように額に手を当てて説明を求めてくる。完全にゲーム初心者のそれだった。まぁ予想通りだけどさ。

「サンドボックス型ゲームっつーのは、オープンワールドを採用したゲームだ。舞台となる広大な世界を自由に探索したり攻略したりする。そういう規定された攻略手順の遵守されない、選択肢の強要をされないゲームプレイを総称してサンドボックスと言い――」

「不要な情報開示はしなくていいから、というよりそんなのは聞きたくないわ。私は有用性の高い情報の内容言及を要求したのであって、あなたのお喋りに付き合う気は微塵もないのよ。その程度のことはてっきり察してくれていると思ったのだけれど」

 俺の言葉を遮って不平不満を放った雨宮は、憮然とした様子でふぅと短いため息を吐く。冷たくあしらわれた俺はその態度にちょいとカチンときたが、ここでキレたら余計に話が進展しないので誠に遺憾ながら押し黙ることにする。

「……要するに自由度の高いゲームってことだ。砂場フィールド用具アイテムは用意してやったから自分の好きなように遊べっていうのがこのゲームの最大の特徴だ」

「サンドボックス…………。外部領域への影響を最小限に抑えるために、特定のプラグラムを保護された領域内のみで動作させる……コンピュータの定義ではないわよね」

「ああ、その解釈であってる。プレイヤーの自主性に委ねるゲームで、この世界はどうやら某有名ゲームをモデルにしてるらしいな」

 そこで言葉を区切り、俺は視線を落とす。輪の中央には物々しい武器と名状しがたいツルハシのようなものが無造作に置かれている。俺の目線に誘導されたように全員の視線がそれらに集中し、雨宮がふむと頷く。

「武器と採掘道具、ね。地下暮らしでも始めさせようってわけ?」

「いや、違うな。まぁ、論より証拠だ」

 首を傾ける雨宮に「まぁ見とけ」と伝え、俺は立ち上がってひょいと四本あるツルハシを摑むとお三方から少し距離を取った場所に移動し、上段に振りかぶって勢いよく鋭利な先端を地面にぶち込んだ。

 鈍い衝撃が腕と肩に伝播し、反動でツルハシが跳ね上がる。その作業を五回ほど続けると、重低音を鳴らしていた地面が派手に砕けた。微細な土の破片が飛び散り、それらが冷たい風に攫われた時には一メートル四方の直角形の穴が出来上がっていた。

 そこで俺は空いた地面の中央に一つのアイテムがドロップしていることに気付いた。屈んで手に取ると、それが掌サイズで土色のキューブ状のアイテムであることが確認できた。それを持って一同の元に戻る。

「これが俺たち四人がこの世界で生き残るために必要なキーアイテムだ。ほらよ」

 ひょいと雨宮に投げ渡す。受け取った雨宮は不満そうにじろりと睨んできたが、すぐにキューブの検分を始めた。桜庭とことりんも興味深そうに覗き込む。どすんと座り込んだ俺は与えられている情報から優先順位を設定し、かつ今後の予定を脳内で組み上げる。

 雨宮の現実的な発言は、少し癪ではあるが賛同せざるおえない。今はとにかく時間がないし、ご丁寧に説明書があるわけでもない。従って、いかに効率的に作業を進めていくかがゲームクリアの可能性を左右する。

「特にこれといった細工が施されているわけでもない……。これの用途も知っているのよね」

「まぁ大体な。たぶん……こうすんだろ」

 雨宮から手渡されたブロックを俺はポイっと、積まれた道具類の少し隣に軽快に放り投げる。地面に落ちた瞬間、目にも留まらぬ早さでブロックが一抱えレベルの大きさまで巨大化した。三人が揃いも揃って目を丸くする。

 さしもの雨宮もこれには驚愕を禁じ得ないらしく、大人びた顔つきが年相応の少女らしさを見せる。

「わぁ……」

「……すごいね」

「地面に置くと大きなが変化する……けど投擲武器にしては少々頼りないわね」

 桜庭とことりんは然るべき反応を見せたが、雨宮はなんかちょっとズレていた。いやまぁ、現実的な思考は称賛するけどそこは素直に驚いとけよ。可憐な表情から物騒なワードが飛び出たせいで、ギャップが凄まじい。全然萌えねぇよ。

「これは武器じゃねぇよ、建築素材だ」

「あ……! もしかして……」

「なるほど。そういうことね」

 ことりんがハッと目を見開き、雨宮が得心がいったとばかりに頷く中で桜庭だけが首を傾げており、俺は頭上に疑問符を幻視してしまった。いや察し悪すぎだろ、もう答えでてんじゃねぇか。

 桜庭の反応に少々呆れつつ俺は答えを明示する。

「これを使って生活の拠点を作り、そこの銃器で敵を迎撃する。それがこのゲームの攻略方法なんだろうよ」

「やっぱりこれ、銃……なんだよね。……本物、なのかな?」

「はぁー、なるほど。それにしてもあの猫ちゃん、よくあたしたちにこれ全部あげてくれたよね。もしかして案外いい子?」

 不安と恐怖が同居した表情を浮かべることりんの隣で桜庭が間抜けたことを抜かしやがった。この女、どんだけお気楽なんだよ。頭の中がお花畑なのか。

 そう思ったのは雨宮も同じらしく、呆れたと言わんばかりにため息を吐いていた。これまでの発言や態度を見ても分かるように、雨宮は俺と同じく現実的な思考形態の持ち主で、かつ効率を重視するタイプの人種だ。そういう人間からしてみれば、桜庭のこのほわほわした言動はストレスの種だろう。

「これは本物よ。試し撃ちしてみる?」

 場を仕切り直すように雨宮は拳銃を手に取って、順番ずつ全員に視線を滑らせていく。ことりんは派手にかぶりを振り、俺も黙って首を振る。そもそも使い方を詳細に知っていない。そんな俺が試射なんてしたら危険極まりない、ちょっと手が滑って雨宮を誤射しちゃうかも。いや流石にしないけどさ。

「はいはーい! あたし、撃ってみたい! バキューン! フッ。ってやってみたい!」

 桜庭が小学生低学年顔負けの挙手を披露して、全力で意思表示をしてみせた。その姿を雨宮は冷めた目で見つめると容赦なく黙殺し、有無を言わさんとばかりに立ち上がり背中を向けると、少し先まで歩いていってしまった。

「えっ!? ちょっとなんで? あたし、なんか悪いことしたっ?」

 無視された桜庭は慌てて雨宮の後を追おうとしたが、それをことりんが「危ないよ桜庭さん! 万が一当たっちゃったら怪我じゃ済まないんだよ!」と注意しながら妨害していた。ナイスことりん、賢明な判断だ。

 その女に銃なんて握らせた日には、確実に誤射で死人がでる。こいつなら目を閉じたまま発砲する危険性がある。そういえば昔、クラスメイトの女子で体育の野球の時に、振りかぶってー、投げた!(バット)をしたのがいたなぁと現実逃避してしまうくらい桜庭シオリという女はアホの子だった。

 当の雨宮は俺らと十分に距離を取ると両手で拳銃を構え、巨大な湖が点在する南西に向けて引き金を引いた。乾いた射撃音が蒼穹の大空に木霊し、がやがやしていた二名がびくりと体を震わせて無言になった。吹き抜ける風がこちらまで硝煙の匂いを運んできた。

 雨宮は残心するようになびく黒髪を搔き上げると地面に落ちた空薬莢を拾い上げ、こちらに歩み寄ってきて再び上品な動作で腰を落ち着かせる。静かになった二人を気にする素振りも見せず、雨宮は淡々と試射の感想を口にする。

反動リコイル・ショックはなし、か。その辺は配慮をしているのね、感謝、するべきかしら。少々癪だけれど」

「お前、どこで使い方を習ったんだ? 説明書を読んだのか?」

「ええ、そうよ。と言いたいところだけど違うわ。一年前にラスベガスにたまたま行く機会があって、その時にね」

 事も無げに答える雨宮を桜庭とことりんはまるで珍獣でも見るような目で凝視する。その気持ちは分からんでもない、日本の女子高生で拳銃の使用経験がある奴なんてそうは居ない。俺だって精々ゲーセンの模造品くらいなものだ。けど俺が何より驚いたのは雨宮に今のネタが通じたことだった。この女、できる……!

「…………ハワイで親父に習ったわけじゃないんだ」

「雨宮さん、帰国子女って本当だったんだ。すごいねー……でさ、アメリカのジャクソンフードって味は実際のところどうなの?」

「私は脂っこい食べ物は苦手なの、それに小食で……。ねぇ、もっと他に聞くことがあるのではないのかしら」

「なんだよジャクソンって。スリラーでも踊んのかよ」

 途端に顔を明るくして食い付く桜庭に対し、雨宮は戸惑うよう顔を強張らせて座ったまま後退る。さらに距離を詰める桜庭、なんなんこれ。

 しかしそんなことより、ことりんがぽしょりと小声で残念そうに呟いたのを聞き、俺の中で急激にことりん株が上昇した。こいつとはもしかしら友達になれるかもしれない、と淡い期待に胸が躍る。

 それに比べて桜庭よ。こいつもしかして食いしん坊キャラなの、そういう風に見えないんだけど。その思考の産物として視線が可憐な容貌から下降していき、その場所に行き着く。ふぅ……けっこうでかいな、食べた分が全てそこに行っているのであれば納得できるな。いや、アレだよ、何となく視界に入っちゃったから思わず注視してしまったんだよぉ。

 そこから横に視線をスライドさせる。そこには対照的にちょこんと小さな双丘がすらーと滑らかな稜線を描いていた。なんというか、安心安全とはこのことだなと思いました。まる。

 雨宮は瞳を輝かせる桜庭を力づくでなんとか押し返すと、場の空気を整えるように一つ咳払いをする。

「とりあえず状況を整理しましょう。まず全ての銃器が射撃可能かを検証し、続いてそこのツルハシで素材を集めて生活及び戦闘のための拠点を製作、最優先すべき段取りとしてこんな感じかしら」

「まぁ、そんなところだな。さっそく作業に取り掛かろうぜ、のろのろしてると夜がきちまう」

「そうね、急ぎましょう。男子は採掘作業を、私たち女子は周辺を探索して拠点の設営に適切な場所を検討するわ」

 雨宮はてきぱきと役割分担を終わらせ、立ち上がるとさっさ一人で歩いて行こうとする。俺もそれに続いて腰を上げかけたその時、桜庭が「待った待った! ちょっとストップ!」と喚いた。出鼻を挫かれた雨宮は不機嫌そうに眉を顰めて、じろっと桜庭を睨む。

 桜庭はうっと言葉を詰まらせたが、それで押されることなくにこっと笑う。

「ほら、あたしたちまだ自己紹介してないじゃん。これから一緒に生活するんだったらお互いのことを少しでも知ってたほうが良いと思うのですよ」

「そ、そうだね。僕も賛成っ」

 妙案とばかりに提案する桜庭にことりんが賛同の声を投げかける。不機嫌そうな雨宮は顎に手を添えて、思案顔になる。非効率な気はするが、まぁ一理あるな。俺と同じ結論に達したらしい雨宮は首肯で同意を示す。

「そうね、その言い分も否定はできないわ。それじゃあ、言い出しっぺのあなたからどうぞ」

 素っ気なく言う雨宮がすとんと腰を下ろすと、桜庭は待ってましたと言わんばかりに自己紹介に入る。今度はちゃんと聞いときましょうか、べ、別にあんたのことなんて知りたくもないけどねっ!

「桜庭栞です! 桜の庭って書いて桜庭で栞は本に挟むやつ。六月十六日生まれ、特技は空手で、趣味は犬の散歩とお昼寝と食べることです! なんだかやばい状況になっちゃったけど、みんなで力を合わせて頑張ろう! なんくるないさぁ!」 

「お前は沖縄出身なのかよ」

 沖縄の人間が聞いたらさぞかし不快になることだろう。例を挙げるなら、関西人でもないのに「なんでやねん!」というツッコミをしてるのを見ると苛つくのと同じ原理だ。

 ほらぁ、雨宮だって不快げに眉根を寄せてるし……ってあれは高いテンションがただ受け付けない感じだな。無駄にテンションが高いのは上位カーストに属する人間の特性みたいなもんだ、諦めろ。

 それにしても、と何気なく元気ハツラツぅな桜庭を眺める。

 色素の薄い髪はさらさらと細く、軽く肩にかかるほどの長さで、無造作なのだが敢えてそういう髪型にしているのだろう。何故そう思うかと言うと、その見てくれは寝起きのソレとは明らかに一線を画しているのだ。そのため、天真爛漫と呼べる彼女には似合っているように思う。

 血色の良い肌は健康的な印象を与え、キリッとした眉の下のぱっちりとした二重の双眸は少し切れ上がっており、琥珀色で眩い光を放っている。そして小ぶりな鼻と桃色の唇がそれに続く。小柄な体格も相まって全体的に活発さや無垢な雰囲気を漂わせる少女だ。

 要するに、童顔巨乳の美少女だ。何故だろう、犯罪の臭いが半端ない響きだったぞ今の結論。俺は断じてロリコンではない、シスコンだ! って何言っての俺。

「なにか質問ある人ー!」

 元気よく片手を挙手して促す桜庭であったが、それにつられて手を挙げる者はいない。ことりんは愛想笑いを浮かべていたが、雨宮に関しては完全に黙殺していた。「早く終わらないかしら」と顔に書いてあるレベル、相当に退屈もとい苛立ってんなありゃ。

「あ、あはは……。じゃあ、次はことりん! よろしくっ」

「えっ、あ、うん」

 桜庭は冷めた対応を受けて乾いた笑い声を漏らしつつ、投げやりな感じでパスしやがった。続くことりんは迷うように視線を彷徨わせた後に、おずおずと話し始めた。

「……神威小鳥、です。特技はこれといって……趣味は今は関係ないだろうし……。と、とにかくみんなの足手まといにならないように頑張りますっ! よろしくお願いします」

 萎縮した様子でかつ尻すぼみになっていく語気でしどろもどろに言いつつ、勢いよく頭を下げて締め括った。桜庭だけが拍手を送っていた。雨宮はふっと目を細める。

 少々癖のある髪はショートで青みがかった黒髪。くっきりとした眉の下の柔弱そうな瞳は、なよやかさと涼やかさを同居させて不安そうに揺れている。その顔立ちは仄かに理系の少年めいた雰囲気を漂わせ、白く澄んだ肌はきめ細かく、小さめな鼻に薄い唇が…………俺、ガン見し過ぎじゃね? なんでこんな事細く観察しちゃってんの? 相手は美しかろうが男子でっせ?

 これはアレだ、漂う雰囲気があまりに美少女だったもんだったからつい本能的に凝視してしまったのだ。そうであってほしいという切実な願いを心中でしてしまう。

 自分に言い聞かせていると、視線をきょろきょろさせている神威と目が合った。すると神威は恥ずかしそうに目を伏せて、仄かに頬を染めた。えぇ……なにその反応。頬染めんな、頬。勘違いしちゃうよ。

 しかし待て、俺の弁解も聞いてほしい。勘違いしそうになるのも無理はないのだ。神威はパッと見で美少女にも見えないことはないし、それに脚も腕も腰も細いし肌も細雪かよって感じで抜けるように白いし、そりゃ胸はねぇけどよ。ってちょっと待て…………この条件、雨宮と同じじゃね? 

 その結論に達すると同時に背筋に悪寒が走ったのでこの思考は即刻中断し、視線を桜庭と神威の間に固定させる。ダメだ、いま視線を左にスライドしてしまえば間違いなく殺られると本能が警告を発している。童貞のまま死にたくない。

「桜庭栞さんに神威小鳥くん、ね。神威、とはまた珍しい苗字ね」

 柔らかい声音で呟きを漏らす雨宮は仄かな微笑みを見せる。桜庭の時とはえらく対応が違いません? 座った神威は照れるようにはにかんだ笑みを浮かべた。

「うん、昔からよく言われるんだ。あんまり、似合ってないよね」

「そんなことないよ。かむい、って男の子って感じがしてカッコイイし、それに小鳥って可愛いいじゃん。女の子みたいで」

「あ、あはは……。女の子……」

 いくらか落ち込んだ様子で相槌を打った神威に同情してしまった。ちなみに俺は時空間忍術でも使うのかなと思いました。

「お前、フォローする気あんのかよ。上げてから落とすとか、そういう趣味なの? とんだ人畜さんだな」

「はぁ!? そんなんじゃないし! あきなんと一緒にしないでよね! あとうんちくなんて言ってないから」

「桜庭さん、うんちくではなく人畜よ。この男に言われたら腹を立てるのも当然ね」

 雨宮が「なんであなたまだ生きてるの」とばかりに冷めた視線を送り、失礼なと言わんばかりに憤慨を露わにする桜庭。恰も俺が酷薄な人間であるような言い草だった。お前らの方がひでぇよ。

「それにしても驚いたわ……。桜庭さん、あなたは騒ぐだけしか能がないお調子者だとばかり思っていたけれど。訂正するわ、優秀な観察眼と洞察力を持っているようね。見直したわ」

「へ……。あ、ありがとう?」

 感嘆とした表情の雨宮から賛辞を送られた桜庭は意味が分からないといった様相ながらも素直にお礼を返した。喧しい部分はあるが、見た目通りに素直な娘らしい。

 対照的に雨宮さんよ、そんなことで見直さないでくれます?

「悪意のある利用法やめてくんない。評価基準がおかしいだろ」

「そうかしら。この短時間であなたのような人畜かつ鬼畜な根暗野郎の本質を見抜くなんて、中々に優等生だと思うのだけど」

 悪びれる様子を欠片も見せずに辛辣に宣う雨宮は、小馬鹿にするようにふっと短いため息を吐いた。こんなナチュラルに見下されたのはさすがの俺も初めてだ。こいつ絶対友達いないだろ。

「次は順番的にあなたの出番よ、時間がないから手短にね」

「はいはい」

 ぶっきらぼうな物言いにいちいち反応してたら身が持たん。流れ的なことを考えて立ち上がり、雨音嬢に要求通りに簡略化することにする。

「春夏冬更紗だ、以上」

「早っ!」

 ほっとけ。桜庭がなんか喚いていたが気にしない。

「最後は私ね」

 俺が口をへの字に曲げつつ腰を下ろすと同時に、雨宮が立ち上がる。自然と皆の視線が引き寄せられる。なんという求心力、生半可な政治家より存在感あるんじゃねぇの。

「私は雨宮雨音。私はここで死ぬつもりは毛頭ないわ。あなたたちも無様に命を落としたくなければ、けじめをつけて常に一定の緊張感を心がけなさい」

 背中に流れるストレートな漆黒の髪はきめ細かくそれこそ一本の乱れもなく整えられており、それに縁取られた顔は新雪のように白く柔らかそうである。上品さを醸し出す形の良い眉に長めの睫毛、猫科な雰囲気を漂わせる利発さと誠実さを湛えた夜色の大きな瞳は、見詰められると底冷えのする無機質さを感じさせる。小ぶりだがスッと通った鼻筋の下の桜色の唇が華やかさを添える。

 その非の打ち所のない凄絶な美貌は今さらケチのつけようがなく、誠に遺憾ながらさしもの俺も掛け値なしの美少女だと認めざる負えない。

 しかしその優美な顔立ちは氷のように冷め切っているので、愛想のなさや可愛げのなさといったネガティブな印象を与える。要するに大人びた貧乳だ。大人びてるのに貧乳とはこれ如何に? えらい矛盾抱えてるな、抱えるほどのものは備えていないが。

 そんな暢気な思考をする俺とは裏腹に、淡々と放たれた台詞の中の「死」という言葉で、桜庭と神威はびくりと怯えるように小さく肩を震わせた。和やかな空気が一転して張り詰めた緊張感を帯び、一気に現実に引き戻された感覚を味わう。束の間、痛いほどの静寂が場に充満し、風に靡く草むらの涼しげな音がやけに耳に響く。

 桜庭のハイテンションは場の雰囲気を弛緩させる役割を果たしていたのだと実感する。おそらく当の本人もそれを意識して行っていたのだろう。桜庭栞は一軍レギュラーの一員であり、それはつまり協調性がある。言い方を変えれば他人に迎合することが上手いということだ。単純な容姿のみではお貴族様にはなれない。

 そして神威もまたそういう空気感を作ることに助力を注いでいたのだ、俺の見立てではたぶん無意識にやっていたのだろうと思う。俺もまた神威に倣って緊張感を緩和させる手助けをしていた節がある。サバイバルの素人が共同生活を送り、共同戦線を張るという状況下ではそれが最適化オプティマイズされた唯一解ソリューションだと結論づけたからだ。

 しかし雨宮はその淡い努力を木っ端微塵に粉砕した。人はそれを無慈悲だと批判するかもしれないが、実に現実的で合理的な判断だと思わず擁護してしまう。

「それじゃ、予定を進めましょう。拳銃、アサルトライフルの試射は私が請け負うから桜庭さんは大体でいいから拠点場所を見繕っておいてくれる? 男子はとりあえず土ブロックを大量に採取してきて、以上解散」

 やや早口で言い切った雨宮は銃器の前で跪くとさっそく弾倉マガジン内の弾丸確認を始めた。俺もそれに感化されて立ち上がりくるりと踵を返し、ツルハシと通学鞄を担いだ俺に数秒遅れて神威が後をついてきた。

 俺たちは北東の森林部を目指して歩いていく。横に並んだ神威と歩調を合わせるためいつもよりやや遅く歩行する。いつものように一人だったら気にすることのない部分であるのだが、致し方ない。

「……春夏冬くん。桜庭さん、大丈夫かな?」

 暫く無言で歩き続けていると、隣で俺の顔色を窺うようにしていた神威がぽそりと問いを零した。

「あの二人のタイプは真逆だが、同姓だしそれに桜庭なら上手くやれるだろ。こんな状況で恐怖の余り叫んだり暴れたり、泣き出したりしないんだから肝が座ってるぜ、神威も桜庭も」

「そういう春夏冬くんや雨宮さんも飛び抜けて胆力があると思うけど」

 そう言って神威はふふっと微笑を零した。気を遣ったのが見透かされたようで居心地が悪くなり、目を逸らしてしまう。なんだか居た堪れないような気分に陥ったので思わず異論を唱えてしまう。

「そんなんじゃねぇよ。俺はただ嘆いてもどうにもならないっつー諦観じみた価値観を持ってるから、そういう風に見えるだけだ。神威が想像するような大層な人間じゃねぇーよ俺は、だからあんま期待すんなよ」

 諦念、その部分において俺は雨宮を理解できる。雨宮も俺も老成した価値観を持っていて、それは時に冷めていると揶揄される。怜悧な相貌と大人びた印象、それと超然とした雰囲気を漂わせる雨宮なら尚の事だろう。

 あれほど近寄りがたく取っ付きにくい人間を俺は初めて見た。猫のような双眸も相まってまるで野良猫

のようだ。群れず、媚びず、孤立の道を突き進んだ先に孤高という境地に辿り着いたかのような風貌である。それに雨宮は常にどこか一歩引いたような位置で物事を俯瞰するような振る舞いを見せ、それがさらに彼女の謎めいた雰囲気と高嶺の花じみた印象を際立たせている。

 そこそこ距離を稼いだところで振り返ると、女子二人が辛うじて視認できるくらいの距離感だった。このくらい距離を置けば流れ弾が当たるなんて可能性は低いだろうし、銃声で作業に集中できないなんてこともなかろう。

「そんじゃ、穴掘りすっか」

「う、うん」

 吹けば飛ぶような軽い口調で促す俺に、神威は首肯を返してくる。その端正な顔立ちは仄かに強張っていたため、「あんま気負うなよ」と声を掛けておく。そして互いに三メートルほど離れて採掘作業を開始する。

 例の如くツルハシを上段に振りかぶり、腰を入れて力一杯振り下ろす。ガツンとした鈍重な反動が波のように全身に返ってくる。そのままの要領でもう四回ほど鉄の切っ先を打ち付けると、ボコッと重いサンドエフェクトが発生して五〇センチ四方の大きめに地面が陥没した。そしてその中央にはミニチュアサイズのキューブが、地面を離れてほんのかすかに浮遊している。

 そのキューブ素材を拾いつつ、これで見てくれが深い青に煌めく八面柱型の結晶とかだったらこの採掘作業も宝石集めみたいで、もうちょいやる気が出るんだけどなぁと詮無いことを考える。しかしそんな雑念が胸中に蟠っていたのも数分程度で、気付けば無言で作業に没頭していた。耳に届く乾いた銃声もいつの間にか意識していなかった。

 まぁ俺はこうやって独りでこつこつやる作業は嫌いじゃない。むしろ好きと言ってもいい。ひたすらに穴を掘る作業というのはかなり精神が摩耗するし、集中も続かないイメージがあったのだが時間が経過するほど、むしろ集中がより深いものになっている気がする。

 そもそも単純作業というのは心のスイッチを切り、「俺は自我を持たぬ機械だ」と自己暗示をかけてやればかなり虚無感を軽減できる。ソースは俺。

 中学の文化祭の時にやった演劇での小道具製作とかでこのスキルを会得した。上位カーストの連中が演技練習を楽しげに騒がしくやっている中、独り黙々と作業を続けていたものだ……って理由が悲しいなオイ。

 いや待て逆に考えろ、スキルというのは苦難の果てにようやく収得できるものなのだ。それを誰の手を借りることもなく会得し発揮した俺は優秀な人材なのだよ、と優越感に浸りつつ一旦作業を中断する。額の汗を拭いつつツルハシを地面に置いて大きく欠神をすると、疲労が蓄積した筋肉が伸びた気がした。

 周りを見回せば土壁だらけで薄暗く、モロに地底を掘り進めている。案の定、地中では重力の概念が存在しないらしく地盤崩壊する気配もない。崩落による生き埋めの心配は杞憂であろうが、予想通りだったとはいえ思わず安堵の息を漏らす。

 状況分析を終えた俺はふと神威の存在を思い出した。サーセン、完全に意識の外に放ってました。様子を確認するためツルハシ担ぎつつ特性の土の階段を登っていく。直下掘りしたら地上に戻る時が面倒くさいので、予め簡易な階段を作りながら掘り進めていたのだ。

 いざ地上に帰還するとまず視界に無限の蒼穹が広がった。続いて眩い陽光が眼球に差し込み思わず目を細める。体感的には三十分ほどしか経過していないのだが、地上を久しく感じる。俺は新鮮な空気を深く吸い込み、肺に冷気を感じながら神威の姿を探す。

 神威は密に茂った下草の上で力尽きたように仰臥していた。近くには散々と放置されたキューブ群と穴掘りの痕跡があるが、それが予想を大きく下回る規模しかなかった。俺が目測で五メートルほどの穴を掘ったのに対し、神威は精々二メートル程度で進捗状況が余りにも芳しくない。嫌な汗がぶわっと噴き上がるのを自覚しつつ俺は疲労困憊と言った体の神威に歩み寄る。

 近寄ると足音に気付いたのか神威が首だけの動きで俺を見た。表情から俺の心情を悟ったのか、神威は申し訳なさそうに目を伏せた。

「ごめんなさい……。僕、体力に自信なくて……」

 悄然と謝罪する神威の息は浅く、休憩を開始してまだ間もないようだ。ここでもし雨宮がいたら「言い訳なんて聞きたくないわ。死にたくなければ働きなさい」って感じで冷然と叱咤しそうな気がする。桜庭だったら明るくフォローの言葉なりをかけるだろうか。

 なら俺はどうするべきか。

「まぁ、なんだ。あんま気を落とすな、人には得手不得手がある。……俺が採掘作業を担当するからよ、神威は採取したキューブの管理を頼む。適材適所ってやつだ」

 掘り出したキューブは静かに地面に置けば巨大化しないという原理は、穴掘り前半の時点で検証済みだ。少々ぶっきらぼうな物言いになってしまったのを反省していると、ゆっくり起き上がった神威がまじまじと見詰めてきた。大きい瞳は猫で言えばマンチカン並みの可愛いいじましさを感じさせ、心臓が高鳴る。見詰めるな、惚れる。

「……ごめんなさい、手間かけさせて」

 途端にしゅんと顔を僅かに俯かせる神威は、まるで雨に濡れた子犬のようで俺の良心と庇護欲を唆った。

「あー、気にすんな。こんなのは迷惑の内にも入らねぇよ」

 足かけ九年もの間学生やってきて尚且つクラス内で立場の弱い俺は、今までの人生で幾度と無く結果を出しても称賛されない裏方やら放課後の掃除当番などの雑用やらを押し付けられてきた。そんな俺からすれば罪悪感があると示してくれる分だけ有り難い。

 俺が顔を左右に振ると、神威は力なく深刻そうな顔をぱぁっと明るくして表情を綻ばせてにこりと微笑んだ。だから笑うな、惚れる。

「春夏冬くんは優しいね」

「別に、そんなんじゃねぇよ。普通の対応だろう」

 なんだか急激に背中がむず痒くなったので、くるりと体を翻す。俺の挙動の真意を察したのか背後からくすくすと可愛らしい笑い声が聞こえる。見た目がまんま美少女だから、恰も女子と会話をしているようで調子が狂う。

「そういうことだからよろしく頼むわ」

 この甘酸っぱい雰囲気を打破するために、わざと大きめな声を出してそそくさと作業に戻る。転げ落ちないように慎重に階段を降りて最深部に辿り着くと再び掘削作業に取り掛かる。

 キューブを可能な限り採取すると一旦階段を登り、その途中で神威に受け渡しまた降りてツルハシを打ち付けるを繰り返す。時計がないから正確な時間は分からないが、小一時間ほどその一連の流れを続けた。粗方キューブが集まったので作業を終了し地上に戻る。

 踏めばさくさくと小気味よい音を立てる下草の上にはきっちりと整理された茶色のキューブ群が陳列しており、神威の几帳面さが伺える。空を仰ぎ見れば太陽がそろそろ中天に達しそうであった。所謂、お昼の時間というやつだ。そう思うと途端に空腹感とずっしりとした疲労感が襲ってきて、思わずふぅーっと長いため息を吐いてしまう。

 それと水死未遂の時ので服がまだ半乾きだし、汗も搔いたため生理的嫌悪感が半端ではない。

 隣で立ち尽くす神威も体が火照ったのかブレザーを第二ボタンまで外してその隙間に向けて手をぱたぱたと振って送風していた。ぞっとするほど白い肌にうっすらと浮かぶ鎖骨が妙に艶めかしく、実に扇情的な光景が広がっていた。ごくり。

「ん……、どうかした?」

 俺がまじまじと見詰めていることに気付いた神威はきょとんと小首を捻る。気が動転して思わず上擦った返事をしてしまう。

「い、いやなんでもござらんよ」

 咄嗟のため口調が侍のようになってしまった。神威は俺の気持ち悪い態度を訝しむように見詰めていて、その小動物めいた瞳に侮蔑の色が浮かぶのを俺は覚悟した。 

 ぐぅ~~。

 唐突に低いサウンドエフェクトが鳴った。異常事態かと心の隅で思い身構えたが、その音源がすぐ傍だったことに思い至る。神威は羞恥に顔を真っ赤にしながら両手で腹の虫を収めようとしていたが抑圧し切れなかったようだ。やがて音が途切れると神威は頬を染めたまま眉を下げて困ったような表情ではにかんだ。

「え、えへへ。大して働いてないのにお腹減っちゃった、なんかごめん」

「いや大丈夫だ。俺が今すぐ肉を調達してくる」

 無意識に口から大塚◯夫さん或いは中田◯治さん張りのすげぇイカしたボイスが流れた。神威は目をぱちくりと何度か瞬かせ、ぽしょりと呟いた。

「この世界に動物とかいるのかな? いたとしてもなんだか可哀想だよ、食べるなんて」

 そんな道徳心溢れる台詞のおかげでなんとか正気を取り戻す。やっべ、余りにも神威が可愛かったからつい雄としての本能が刺激されてしまった。原始人かよ。

「まぁそこら辺はおいおい考えるとしてだな」

 しかし食糧か。ぐるりと周囲を見回すが、広大な草原と雄大な山々に点在する湖群、あとは……とそこに視線を定めた俺は閃いた。俺の視線を辿ったらしい神威は「あっ」と驚嘆の声を漏らし、俺らは互いに顔を見合わせた。



「おっそーい! もうお昼なんですけどっ! ってくっさ!」 

 女子勢の元に帰り着くとぷんすか怒る桜庭に出迎えられた。おまけにうへぇと顔を歪めて鼻を摘み、しっしっと手を振る始末。力仕事してきた野郎にかけるべき言葉ではないな、それにしてもこいつ、猫被ってやがったのか。教室にいる時と全然キャラが違うじゃねぇかよ。ちょっとばかし憤りを覚えたが黙殺するまでに留める。

「お疲れ様。報告をどうぞ」

 桜庭に続く形で雨宮が事務的な口調で声をかけてきた。お世辞とはいえど労いの言葉をかけられて悪い気分はしない。ツルハシと重い鞄を地面に下ろしてから粛々と返答する。

「素材の数は五〇個だ。これだけありゃそれなりの拠点が作れるんじゃないか」

「上出来ね、それと拠点はここに設営することにしたわ」

 俺たちが話し合いをしていた場所より南西の方角へと移動した場所で、二百メートルほど先には茫漠とした広大さを誇る湖畔が広がっている。重要な水分を補給するには適した場所取りかもしれんが……。

 俺の思考を読み取ったかのように雨宮は付け足す。

「簡易的な水質調査をしてみたけれど、透明かつ良質で飲み水として利用できるわ。上質な水塊よ、それこそヴェッテルン湖と遜色ないと言ってもいいくらい」

「マジかよ、そいつはすげぇな」

 世界最大の水塊と言われるのと同等かよ、そう思うと生唾を呑み込んでしまうのを抑えられない。俺たちの会話を横で傾聴する桜庭と神威ははてなと小首を傾げている。

「それと、おそらく水中から敵が襲撃してくる可能性は低いと私は睨んでいるわ」

 水の話題で流された感じはあったが、俺が聞きたかったのは目と鼻の先にある湖面から攻められたらひとたまりもないだろうという懸念だ。

「根拠は?」

「初戦から素人の私たちがそんな攻撃をされたら全滅しかねないじゃない。不合理な推測ではあるけれど、あのネコがそういう結果を望むと思える」

 確認するような語調で話を振ってきた雨宮に、逡巡することなくすぐに頷き返す。あの神様なら「つまらないから」とかそんな理由で攻撃の手を緩める可能性の方が高い。 

「異論はないわよね?」

 一同を見回して問い掛ける雨宮に反論する者はいない。沈黙を肯定と受け取り頷いた雨宮は「ところで」と言いつつ視線を下げた。

「それはなに?」

 その懐疑的な視線の先にあるのは俺と神威の通学鞄であるが、今はもうパンパンに膨れ上がっている。

「キューブ無理矢理詰め込んだんだよ」

「そうではなくて、神威くんの方の鞄よ。五〇個で鞄二つはそうならないでしょう…………そういうことね」

 訝しげに問うてきた雨宮は自己完結したようで、一人でふむと頷いていた。桜庭はうん? と首を捻っている。食いしん坊キャラ察し悪いなおい。

「みんなもお腹減ったかなって思って」

 そう言って神威が鞄のチャックを開け、その瞬間に中の物体が溢れ出す。それらは大小様々な木の実であり、多種多様な種類と色合いで一見食欲を唆る光景である。

「わぁ……食べ物! …………って少なくない?」

 その色とりどりの果実に魅了されたように小さく歓声を上げて嫌悪感を露わにしていた顔を、打って変わって嬉々とした笑顔に変えた桜庭であったが、それも一瞬のことですぐに声が沈んでしまう。

 その反応もむべなるかな、食糧が圧倒的に少ないのだ。鞄一杯に詰めたとは言ってもその半分は掘り出したキューブが占めているため、量的には昼食と言うより間食である。

 テンションをがくんと下げた様子の桜庭を見やった神威は、悄然と表情を暗くして謝った。

「ごめん、これくらいしか取れなくて……」

「はっ!? いやいや、十分すぎるよ! ちょっと少ないなぁとか思ったけど、取ってきてくれたんだから感謝してもしきれないよ! ありがとねことりん、あとあきなんも」

 慌ててぶんぶんと手を振ってフォローをする桜庭。なんかついででお礼を言われてしまったが、感謝されて悪い気はしない。雨宮が「素直というのは時に残酷ね」と憂いを帯びた表情で染み染みと呟いていたが、そのことに関して一番当て嵌まるのはお前だからな?

 俺の視線による抗議を勘付いたのか、雨宮がキロリと軽く睨んできた。やべぇ、殺される。

「そこの腐敗……ではなくて春夏冬くん」

「聞こえてるから、切るとこおかしいだろ」

「そんなのは些細なことよ。あなた、その饐えた臭いを早急に消し去りなさい。食欲を削がれてひどく不愉快だわ」

 眉根を顰めて如実に不快感を顔に浮かべた雨宮は、まっすぐに伸ばした腕で一点を指差す。その細い指先に誘導されると二〇〇メートルほど先に陽光を乱反射して煌めく湖畔がある。どうやら汗を流してこいということらしい。

 女子二人に鼻つまみ者にされる男子高校生とか悲しすぎるでしょ。



 水面を乱舞する柔らかい光が俺の荒んだ心を癒やし、冷たい湖水が火照った体に妙に心地よかった。鞄の中にタオルを入れていたおかげで幸いにも濡れっぱなしで風邪を引くのは回避できた。汗を大量に吸収した白シャツを水洗いし、ばっさばっさと振って乾かす。幸いにも暖かな陽光のおかげで半乾きになるまでそんなに時間はかからなかった。

 ブレザーに肩を通してほっと息を吐くと、隣で同じように着替えを終えた神威をちらりと見る。神威の顔は仄かに色づき、少し赤い。男同士で汗を流しただけで頬を染められてしまうと、いよいよ神威ルートに入ってしまいそうで本当に怖い。

「それじゃ、行くか」

「う、うん」

 勝手に木の実に齧りついている女子たちの元へ歩み出す。俺の横を五十センチほど離れて歩く神威は気持ち顔を俯かせており、なんだか付き合いたてのカップルかと思いました。なんなんこれ。

「うぅ~~、やっぱり少ないぃ。こんなことならなんかお菓子でも鞄に入れとけばよかった」

「文句を言える筋合いではないでしょう。食べる分だけマシよ」

 座って涙ながらに真っ赤な果実を齧る桜庭に、雨宮が苦言を呈していた。足音で気付いたのか二人はこちらに視線を向けてきた。

「っうわー、オールバックだぁ。あきなんそういう髪型もするんだ」

「うっせ、ほっとけ」

 驚いたように珍獣でも見るような目で見詰めてくる桜庭。雨宮は関心がなさそうにすぐに視線を手元に転じて、黒っぽい木の実をリスみたいにちょびっとだけ齧った。

 それから暫くは桜庭が甘いだの苦いだのと批評をし、神威が聞き役に徹していたり、雨宮が黙々と果実を咀嚼するという穏やかな時間が流れた。あまりに緊張感のない空気だったのでデスゲーム中であることを忘れてしまいそうになった。しかしこの空気も今だけだろう、敵の姿を視認し戦闘を経験すれば、二度とこの空気感は戻ってこないかもしれない。

 太陽が中天より少し傾いてきた頃、俺たちは数十個はあった果実類を完食し、円形に向かい合うと今後の方針について会議を始めた。

 議長の雨宮は一つ咳払いをすると口火を切った。

「まずは拠点の設営ね。現れる敵の正体も分からない現状ではとりあえず四方の全てを監視できるような作りにするべきだわ」

「灯台みたいな感じ?」 

 桜庭が首を捻りつつ案を出す。しかし雨宮はかぶりを振ってそれをすぐに否定する。

「それだと緊急時における脱出路が限定されてしまうし、それに素人に打ち下ろしは推奨できないわね。幸いここは平地で見通しがいいから、高台を設けるにしてもそれほど高さは必要ない。戦闘時には互いに離れすぎず、誰かが負傷した際にはすぐにカバーに入るのが基本ね」

 淡々と話す雨宮の現実的な打ち合わせを桜庭と神威は真剣に聞いている。しかしその顔にはうっすらと不安と恐怖が滲んでいる。正体不明の敵に立ち向かえるかという不安と、漠然とした死の恐怖が弱気になる心に巣食っているのだろう。

「あとは安定して銃撃できる環境作りとかだな。籠城すんのが安全策なんじゃねぇの。まぁそれでも爆破とかされたらあのブロック程度すぐ崩壊しちまうだろうけど」

 俺らから少し離れた位置に雑然と置かれている脆そうなキューブにちらりと視線を飛ばして案を出す。雨宮はふむふむと頷いて顎に指を添えて、思案する。視線を地面に落として真剣さを帯びた表情で最善策を模索している。

「そうならないよう接近される前に撃ち倒すしかないわね。捕捉、射撃、戦線の維持、敗北主義の根絶……………………この拠点作り、私に一任してもらえるかしら?」

「おいなんだ今の不穏な呟きは」

 物騒なワードが聞こえたせいで残りのお二方が身体を竦ませてたぞ。いやしかし真面目な話、このメンツの中で一番頼りになるのは間違いなく雨宮であるのは明白だから任せてしまってもいい気がする。それはつまり命を預けるのとほぼ同義な気もしなくはないが、頭脳明晰なこの女なら今の不利な状況を打破するかもしれん。

 胸中に途轍もない葛藤が生じる。だが俺はそれを深いため息と共に外に放出した。雨宮を除いた三人で議論したところで大層な妙案が浮かぶとは到底思えないし、こいつは考えなしに一任してくれなんて宣う女ではなかろう。

「ああ、頼むわ。俺の命お前に預ける、つってもそう簡単に死ぬ気はねぇけどな」

「あなたのような男でも目の前で死なれたら気分悪いわ。任せて」

 力強く頷く雨宮に同じく頷き返す。そんな俺たちを別次元の人間を見るような目で凝視する二人の姿が視界の端に映る。やっぱり雨宮も俺もどこか頭のネジが一本弛んでいるのか、或いはこの現実離れした状況のせいで感覚が麻痺しているのか。しかしそれでも、死にたくないという渇望は普通人の桜庭と神威と同一だ。

「あなたたちはどうする。異論反論抗議口答えは受け付けるわ」

 少々萎縮してしまっている二人を気遣うように、優しく頬を緩めて柔らかな口調で言葉をかける。こんな表情もできるのかと意外の感に打たれる。桜庭と神威は顔を数秒間見合わせると、やがて頷き合った。

「雨宮さんにお任せしまっす」

「お、お願いします」

 おちゃらけた風に会釈する桜庭とは対照的にぺこりと頭を下げる神威。方針は固まった。そして俺らは雨宮の指揮の元、生命線である拠点製作の段階にシフトした。



 大体一時間以上の作業時間を経て今ここになんとか生活拠点、格好良く言えばアジトが完成した。腰に手を当て気息を整えながら全景を見やる。

 全長数メートルの長方形の建物は精緻に造り込まれた茶色のブロックで一分の隙間なく積み立てられ、凸状に出っ張った天井部分には人一人が通れるくらいの隙間を作りそこに森林で伐採(ツルハシでへし折った)した灌木を梯子のようにかけることで室内から屋根に昇り降りできるようにした。

 梯子は灌木に強引に穴を開けそこに太い幹を捩じ込むという安全性皆無な仕様のため、慎重に足を掛けなければ転落の危険性がある。

 アジトの土台部分は四隅に一個ずつブロックを配置することで、地面と壁面の間に通気口のような間隙を作ることができたため、ブロック単体に重力の概念は適応されないことが分かった。ちなみにキューブは放るもしくは投げるという運動を与えることで大きなブロックに変化するらしい。

 室内は地面を一メートル近く掘ることで凹状にして、これにより直立した際に視線がちょうど通気口部分に通り、内部から外を見通すことができるようにした。おそらくこの隙間から銃撃をする算段なのだろう、これなら外に出ることなく敵に向かって射撃が出来る。

 ここまで構造を把握したところで俺は奇妙な既視感デジャヴに襲われた。しばらく首を捻ったのちに思い至り、その瞬間に雷撃を受けたような衝撃に見舞われた。

「まんまトーチカじゃねぇか!」

「うるさっ! あきなん何? いきなり叫ばないでよねっ」

「そういえば、そうだね」

 驚愕の余り叫声を上げてしまった俺に対して桜庭が僅かに目尻を吊り上げながら苦言を呈してきて、神威があははと曖昧な笑みを作って同意する。当事者は澄まし顔でしれっと小首を捻った。無駄に可愛いからちょいと苛つく。

「そうだけれど、何か問題があったかしら。実用性と機能美に溢れた拠点よ。そもそもあなたはどんな不平不満があるというの? いい? ごく一般的なトーチカは正面にある銃眼以外に殆ど穴が存在しないから、死角が多く生じてしまうのよ。それに対しこれは開口部を四方に設けることで三六〇度どこからでも敵を銃撃することが可能、そして総員は四名、つまり死角を可能な限り排除した防御陣形なのよ。理解した?」

 俺のツッコミに腹を立てたのか、雨宮は立て板に水とばかりに怒濤の勢いで防御施設の解説を展開した。余りの勢いによく噛まずに言えるもんだと素直に感心してしまう。残りの二人は感嘆したとばかりにため息を漏らしていた。

 今までで一番長く喋ったせいか心なしか顔を赤くした雨宮は、話を切り替えるように咳払いをし、教官めいた口調で話し始めた。

「次は射撃訓練よ。安全に留意しつつ、いつ敵が襲撃してきてもいいように心の準備をしておくように」

 桜庭と神威はその言い付けに真剣な面持ちで頷く。俺は敵が攻めてくるのはおそらく夜、つまり夜戦になると推測しているが断言ができるほどの根拠を持ち合わせていないので、素直に頷いておく。

 一同の反応を確認した雨宮は近くに整然と置かれているアサルトライフルを一挺だけ手に取ると、それを皆に見えるように持って講釈を垂れる。

「この銃の名称はAK‐47。装弾数は三〇発、有効射程は約六〇〇メートル。この銃のメリットは作動率の高さにあって、民兵やゲリラ御用達のアサルトライフルね。けど、だからと言って扱いが容易というわけではないわ。予備弾倉マガジンの脱着を行うのも慣れが必要だし、フロントとリアのサイト間が短くて7.62×39ミリ弾の弾道性能も悪いから、たとえセミオートでも人物大の標的を狙うには精々二〇〇メートルが限度ね。そして――」

「ちょっと待て。門外漢の集まりに詳しく話しても分かるわけねぇだろ」

 専門用語を交えた解説を饒舌に語る雨宮に待ったをかける。拳銃を扱ったことがあることからある程度の知識は保有しているのだろうと予想を付けてはいたが、まさかこれほどとは。あとの二人とか口をぽかんと開けて唖然としてるぞ、絶対理解できてねぇよ。

 俺の主張に雨宮は珍しく神妙な顔になると、やがてふぅと短くため息を吐いて素っ気ない口調で一言一句を区切って言う。

「……予備弾倉マガジンを入れて、安全装置セーフティを解除し、遊底スライドを引き、照準を定めて、引き金を引く。これだけよ、簡単でしょ」

「実際に実物使いながら教えないと理解できないと思うぞ」

 俺が注釈すると雨宮は頭でも痛いのか額に手を当てて低く唸る。出来の悪い生徒を相手取る教師のようで、少々同情してしまった。が、しかしそういう教え方をしなければ素人は理解できない。特に桜庭とか。

「春夏冬くんは神威くんに使い方を教えてあげて。私は桜庭さんに教えるから」

 投げやりな感じでそう言い残した雨宮はAK片手に、桜庭と勉強会を始めた。桜庭はふんふんと頷いて真面目に聞いているようだ。すると神威がちょこちょこと近付いてきてぺこりと頭を下げる。

「ごめんね、迷惑かけて」

「気にすんな、今の説明で理解しろってのが無茶なんだよ。まぁ使い方はそんなに難しくねぇし、反動もないみたいだから神威でも扱えるはずだ」

 そう豪語したはいいが、神威の細い腕を見て少々不安になる。たぶん大丈夫だろ。まず安全装置の外し方と遊底スライドの引き方を教え、続いて予備弾倉の取り外し方と構え方を教授する。あらかたレクチャーをし終え、雨宮たちを見やる。

「銃床を肩付けして、そう。やればできるじゃない」

「えへへ、それほどでも」

 はにかんで軽く後ろ頭を搔き照れた様子の桜庭ではあるが、今のは馬鹿にしてました発言だからな。やっぱり頭の中お花畑なのだろうか、少々気の毒に思う。基本的な使用方法を教え終えたところで、次は実践練習に入る。

 常緑樹の森林がある北方向にブロックを十字に組んで制作した簡易的な標的を設置し、それを銃撃する訓練だ。彼我の距離は約五〇メートル、手始めにはよかろう。

「まず私がお手本を見せるから、よく見ておくように」

 俺ら三人から十分に距離を取った雨宮は、安全装置セーフティを外して遊底スライドを引き銃床を肩付けすると、左手でハンドガードを握り引き金にその細い指を添える。発射。

 乾いた発砲音が響き、視認不可能な速度で放たれた弾丸は標的の頭部に弾着。完璧超人の雨宮には朝飯前だったようで、隣の桜庭たちが小さく歓声を漏らす。

「そこの、次」

 そこの、が通りますよっと。いちいち突っ込まない。しっかりと狙いを定めてトリガーを引く。殆ど反動が襲ってくることはなく、標的の肩部分で土塊が弾けた。

「あきなんすごっ!」

「上手いね春夏冬くん」

「下手くそ」

 最後に冷たく批判されたような気がしたが、気にしないでおこう。気にしたら負けだ。続いて神威、腹部に命中。最後に桜庭、掠りもしない。

 この結果を受けて雨宮は桜庭の集中強化に取り掛かることを決定したらしく、「しごきまくる」と戦慄するワードを頂戴した桜庭は涙目で助けを求めてきたが黙殺した。さしもの神威もフォローに入らなかった。

 それから男子と女子に分かれて終始射撃訓練に励み、各々が戦う術を身につけようとひたすらトリガーを絞り続けた。



 休憩に入った時には細く覗く空は真っ赤な夕焼けに染まり、山吹色に輝く夕陽は標高のある山陵の向こうに半分近く隠れていた。俺は傍にあった手頃な岩に腰掛け、ほっと息を吐いた。西の空を仰ぎ見れば金色に見える雲の群れ、鮮やかなと朱色と紅蓮の赤に深い紫に彩られた無限に続く空が果てしなくどこまでも続いている。

 その美しい景色から目を落とせば、今度は差し込む夕陽が広大な草原を黄金色に輝かせる風景が広がりまさに絶景だ。思わず息を呑んで言葉を失った。隣で体育座りをして疲れたように顔を俯かせていた神威も見入っているようだ。

「綺麗だね……」

「ああ……」

 不覚にもこの世界に来れて良かったと、この光景を創造したあの飄々とした猫神様に思わず感謝してしまいそうになった。しかしそれも仕方なかろう、あの代わり映えのしない退屈な日常の中では決して拝めない世界が目の前に広がっているのだから。

「あぁー、もう無理~~! 雨宮さん、休憩しようよー」

「この程度でへこたれていたらすぐにあの世行きよ。死にたくなければ立ちなさい」

 黄昏れる俺らを尻目に女子の言い争っている声が耳を叩く。そちらに視線を転じれば、少し離れた場所で腰に手を当てた雨宮が地面に大の字に寝転がり動こうとしない桜庭を叱咤していた。まるで駄々をこねる幼子の世話を焼く母親のようであるが、ここは桜庭に助け舟を出すことにした。

「休息も必要だろ。戦闘になった時にロクに撃てませんじゃ本末転倒だ」

「あきなん……」

 ゆっくり起き上がって嬉しそうに頬を緩めてこちらを見詰める桜庭。その熱視線を受けた俺は最後のひと押しとばかりに付け加える。

「一人使えない奴がいたら俺の負担が増えるからな」

「理由がすごい個人的だっ!」

 ぷんすか怒る桜庭からとりあえず視線を逸らしておく。いやだって命に関わることだしよ、まぁそうじゃなくても嫌なもんは嫌だが。隣の神威がくすくすと笑い、雨宮も納得したように小さく頷くと腰を下ろしてAKを傍に置く。

 時刻は夕刻、夕暮れの色が濃くなってきた草原がそよ風に揺らされて涼やかな音を奏でる。現段階で未だに敵影はなし、やはり俺の予想は当たっているのだろうか。しかしそうなると新たな問題が生じることになる。

 俺の思考を読んだかのように、二メートルほど離れて座る雨宮が口を開いた。

「光源がないというのは痛手ね。原始的な火起こしでは無理があるし……、篝火や松明でもあれば……」

 沈痛げに端正な顔を歪める雨宮にひどく共感した。日が落ちれば暗闇のせいで視野は大幅に狭まり、敵の視認も困難になる。後手に回ればそれこそピンチだし、戦闘経験のない俺らなら尚の事。どこまでいっても結局のところ、弾丸は当たらなければ意味がないのだ。

「制圧射撃が効く相手ならいいんだけどな」

「希望的観測ね。……拠点の方は監視役を二名配置して、残りの二人には仮眠を取らせましょう」

「えっ……!? もしかして……徹夜?」

 俺がそうだなと首肯しようとした時、桜庭が愕然とした割れた声で呟いた。頬をぴくぴくと引き攣らせ、その双眸が縋るような色を帯びる。問われた雨宮は眉根を寄せて、その唇から抑揚の薄い声が流れる。

「話しを聞いていたの。私は交代制、と言ったのだけど。正確には徹夜ではないわ。それとも仮眠は取らなくて平気かしら?」

「取ります取ります! ぜひとも取らせていただきます」

 刺々しい視線を射られて桜庭は慌てた様子で何度も頷く。それから俺たちは拠点内に入り、まず俺と神威が剝き出しの地面に横になって一時間ほど仮眠を取った。監視役が女子二人となってしまったが、雨宮がいれば問題なかろうという判断だった。

 そして二時間ほど眠りに着いて起床した時には、辺りは真っ暗になっておりまさに夜更けであった。それから今度は桜庭と雨宮が仮眠を取り、男子二人が監視に当たる。俺が屋根に登って北部と東部方向に目を凝らし、神威が室内から南部と西部に目を向ける。幸いにも動体目標は発見されず、高まる緊張を紛らわそうと話しかけてくる神威とぽつぽつと会話をしつつ二時間が無事に経過した。

 そして全員で四方を凝視し始めて約十分後。初陣は開戦した。




 セミオートのAK-47が火を噴き、耳をつんざく射撃音が耳を聾する。地鳴りを伴って猛然と突っ込んでくる十五体のゾンビ共に嵐のような銃弾が殺到する。しかしその殆どが命中せずに制圧射撃のような形になるが、効果は見受けられない。

 距離が四〇〇メートルを切った。

 耳を叩く発砲音に紛れて大量の空薬莢が地面で跳ねる音がする。鼻をつく硝煙の臭いと大気を鳴動させる軍勢のひび割れた雄叫びが世界を満たす。うなじの毛が逆立ち、全身からじわじわと汗が滲み出る。視界の端で発砲炎マズルフラッシュに照らされた桜庭と神威の歯を食いしばった必死の形相が戦況の不利さを物語る。

 距離、三〇〇メートル。

 濛々たる土煙と耳朶を叩く叫声がさらに恐怖心を募らせる。この距離になってようやく目に見えて弾丸が的中し始める。闇に紛れて輝く光点が二組ほど消滅するが、奴らは一切怯む気配を見せずこちらに一直線に走り込んでくる。

 距離二〇〇メートル。

 地をどよもす嗄れた雄叫びと大地を揺らす爆走が強烈な圧迫感を与えてくる。俺は後退りそうになる足を懸命に踏ん張り引き金を引き続ける。精彩さを欠く弾幕の中、今度は四組の輝点が消失する。しかもそれらは正確に敵の頭部を撃ちぬいていたように思う。こんな正確な射撃ができる人間など一人しかいない。

 この状況下で雨宮は冷静かつ着実に敵を屠り続ける。また人間サイズの敵影が二体、前のめりに勢いよく倒れた。

 距離一〇〇メートル。

 ようやく敵集団の姿を視認できるようになった。人間のような姿をした奴らは全身が土気色のブロックで構成され、見た目はさほど恐怖を搔き立てられるものではない。しかし轟音の如し咆哮を迸りながら驚異的な速度で接近されれば原始的な恐怖を抑えることができない。

 そしてついに恐れていた事態が発生した。左隣から断続的に続いていた射撃音が突如、連続したものに変化する。フルオート射撃、そう思い至った瞬間に俺の口から反射的に怒鳴り声が迸った。

「やめろッ!! 無駄撃ちすんじゃねぇよ!!」

 いくら反動が感じないほどまで低減されていたとしても、銃口の跳ね上がりまでは抑制されていない。反動がないからといって長時間撃ち続けられたとしても、結局は命中しなければ意味がない。

 敵の急所はおそらく頭部のみ。駆けてくる敵の頭を冷静に撃ち抜けるような技能は、全くの素人である桜庭と神威にある筈がない。一瞬ちらりと二人を見たが、目尻は裂けんばかりに見開かれて恐慌状態に陥っているのは明白だった。まさしく興奮状態に陥った新兵そのものだ。

 案の定、雨あられと浴びせかけられた弾丸は肢体のあちこちに黒い穴を穿つが、絶命には至らしめなかった。そして一時的に銃声が途切れ、スライドがストップし弾切れを知らせる。俺と雨宮は素早くマガジンリリースボタンを引き、空弾倉を外すと予備弾倉を入れて遊底スライドを引くことで弾丸を発射可能にする。

 しかし残りの二人は手こずっているようで、新しい弾倉に交換できずにいる。危機的状況に俺と雨宮は一瞬だけ視線を交錯させて頷き合う。眦を決する雨宮が弾幕を張っている内に、俺は焦燥にかられて手が震えている二人からAKを取り上げて弾倉を交換すると押し付けるようにして返す。

 俺はすぐさま自分のAKを拾い敵に銃口を向けようとした。その時、右隣で轟いていた銃声がぴたりと止んだ。俺が急いで弾倉交換をしている間に雨宮は一人で残存兵力を壊滅させたようだ。

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