第42話 合流
目の前に立つ自らハサウェイと名乗ったその女を見たヘスの視界が赤く脈打った。
モーリスの街でランドルマンを退けたあの後、鳴りを潜めていた疼きがヘスの身体を襲う。その疼きから判るのはひとつ。
「……お前が最初の魔女?」
「そうだよ、ヘス君。僕は最初の魔女の力を手に入れたんだ」
最初の魔女がキュウと口角を釣り上げた。その笑みには何処かハサウェイの面影を感じる。
「少し遊びましょうか。パルパスの誉れ高き騎士さん達」
ゆっくりと両手を広げる最初の魔女に周囲の騎士たちが気圧されるように後ずさる。得体のしれない目の前の女が発する狂気に、彼らの身体は自然と反応してしまっていた。
「……どうしました? 来ないんですか?」
「うッ……うおぉッ!」
恐怖を払いのけるように一人の騎士が鼓舞すると、そのまま身体を低く落とし、盾を構え地面を蹴り上げ最初の魔女との距離を詰める。
シールドバッシュ。パルパスの騎士が常用する基本戦術の一つだ。盾で相手の攻撃を受けつつ、死角を作り、そこから斬撃を放つ。
「右上からの突き」
斬撃が来る前に最初の魔女がぽつりと呟く。
セオリー通り、死角からの突きを騎士は放ったが、最初の魔女の身体を捕らえることは出来なかった。
最初の魔女は左に少し体軸を移動し、騎士の突きを躱すと、その懐へと滑りこむ。
「盾の薙ぎ払い」
再度最初の魔女は呟く。
その言葉通り、焦った騎士は最初の魔女をノックバックさせるために盾をなぎ払うが身を屈めた最初の魔女はそれを難なく躱すと、胴ががら空きになった騎士に優しく抱きしめた。
「なっ、何を」
騎士が動揺した瞬間、突如彼の身体から、まるで水分が蒸発していくような音とともに、水蒸気が立ち上る。その身体を襲ったのは強烈な熱と激痛。
「ぎゃあぁあッ!」
騎士の断末魔とともにわずか数秒もたたず、その身体がみるみるミイラと化していく。
ごちそうさま、とでも言いたげに、最初の魔女が悦に満ちた表情を浮かべ、両手を離すと、騎士の身体がボロボロと崩れ落ちた。
「き、貴様ッ!」
「次です」
全員同時にどうぞ。
最初の魔女が透き通った声で囁く。
「さぁあぁぁぁッ!」
四人の騎士が同時に最初の魔女に襲いかかる。
「突き、薙ぎ払い、袈裟斬りと、足を狙った切り落とし」
またしても、彼らの行動が予測出来ているかのごとく最初の魔女が呟いた。
そして、最初の騎士同様、最初の魔女の言葉通りの行動を彼らは取ってしまう。
「フフ、フフフ……」
笑みを浮かべながら最初の魔女は足を狙った切り落としを難なく躱す。そして、突いてきた騎士の剣の手を払うと、その軌道を逸らし薙ぎ払いを繰り出してきた騎士の胸元へその突きを流し込んだ。
「うがぁッ!」
即死だった。騎士の体重が乗った突きは難なく甲冑の胸部を貫通する。
そして間髪入れず、最初の魔女は同じように袈裟斬りを放った騎士の斬撃の軌道を逸し、足を狙った最初の騎士の首元へその袈裟斬りの切っ先を向けた。
ぱっくりと切り裂かれた騎士の首元から、噴水の様に鮮血がほとばしる。
「フフフ……」
最初の魔女が絶やさず微笑みを浮かべながら、踊る。
血しぶきの中、舞う最初の魔女は美しく、華麗だった。
「『断』」
生き残った二人の騎士の胸部に最初の魔女は優しく手をあてがう。
刹那の瞬間、地と平行に切り裂かれた彼らの胴体が宙を舞った。
圧倒的な力。
彼女が言った通り、まさに遊んでいるかのように屈強な騎士四人が瞬く間に無残な屍と化した。
「ヘス君!」
「……!」
その光景に慄き、身動き一つとれなかったヘスの元に瓦礫を踏みしめる二つの足音が近づいてくる。彼の後を追っていたアルフとユーリアだ。
「アルフさん! ユーリアさん!」
その姿を見たララが恐怖に歪む声を発した。
「おやおや、誰かと思えば」
「お、お前は……」
アルフがヘス達を守るように、最初の魔女の前に立つ。
見たこともない女性だが、判る。この人がとてつもない力を持っていることがーー
「ヒントを教えてくれたのは貴方達ですよ」
「ヒント?」
「ラインライツで貴方が使った『生命付与魔術』ですよ」
最初の魔女が顎で地面に倒れたハサウェイの屍の側に落ちている魔術書を指す。
ラインライツで使った魔術書……アルフが泥人形の身体に転移したあの魔術書だ。
ユーリアはそう直感した。
「アンタが、あの時の男?」
「そうです。そしてこの身体に同じように転移したんです。最初の魔女の身体に」
最初の魔女。その名を聞いたアルフとユーリアの表情が引きつる。
伝説の魔女。お伽話で誰もが知る、魔術の祖。
「ユーリアさん、皆を……!」
ララが叫ぶ。
ララには本能で判っていた。この人の前では全てがあの騎士たちのように赤子のように無残に殺されてしまうことを。今は逃げるしか無い。
「ユーリア、僕が足止めします。その隙に皆を」
「わ、判ったよ」
ユーリアはそう言ってララの傍らに倒れるリンの元へ走る。
だがーー
「つれないですね。もっと遊びましょうよ」
そう言う最初の魔女の指先が青白く光った。
何かの魔術だ。
そう感じたアルフが叫ぶ。
「ユーリア! 気をつけて下さい!」
「フフフ、怨霊召喚」
最初の魔女の声が響き渡った次の瞬間、おぞましい光景が辺りに広がる。地面を割って這い出してくるのは、甲冑を来た騎士達。それも身体の一部が欠損し、腐ったような腐臭を漂わせた死者達だ。
「こ、これは……」
「途中、僕の邪魔をしたハイムの騎士達ですよ」
確かに、腐死体達が身につけている甲冑はパルパスの物ではない。『白い鷹』のレリーフが刻まれた甲冑を着た騎士達だ。
「僕と同じく、ハイムのヨハネ皇子にヴィオラ公爵の暗殺を依頼されていたみたいですけどね。邪魔をするので、僕の人形になっていただきました」
そう言って最初の魔女はとなりに立つ小太りの腐死体の肩を抱き、その耳元で囁く。
「……さぁ、彼らを皆殺しにして下さい」
「グウウゥッ……!」
最初の魔女の号令を受け、地響きのようなうめき声を上げ、腐死体達が一斉に襲いかかる。
数が多い。十体以上は居る。今は守りに徹するしか無い。
咄嗟にそう判断したアルフが後退し、身構える。
「ヘス君! しっかりして下さい! ララちゃんを守って!」
「……ッ! 言われなくてもッ!」
アルフの声に固まっていたヘスが自分の頬をピシャリと叩き、懐から聖騎士の遺産を取り出し身構える。
そこからはアルフが想定する通りの一方的な防戦だった。
アルフが襲いかかる腐死体の頭を砕き、ヘスが胴体を焼き切る。一体一体はそれほど強くない腐死体だったが、彼らの武器はその生命力と数だ。
アルフ達は次第に雪崩の様に襲いかかる腐死体達に押されていく。
「ユーリア! 早く!」
「うるさい! わかってるッつの!」
ユーリアとララはリンを抱え上げ、カミラの元へ急ぐ。
「ヘス君、下がりますよ!」
「判ったス!」
と、アルフの声にヘスが大きくバックステップをしたその時だった。
アルフの足元の空間がグニャリと歪んだ。波打った鏡のように地面が歪み、そして中心に収縮していくーー
「……ッ!」
魔術。アルフがそう直感した次の瞬間、まるでアイスをスプーンですくい取ったかのように地面と、そしてアルフの両足が膝下から消失した。
「くッ!」
「アルフさんッ!」
「アハハ! 僕を忘れちゃだめですよ!」
最初の魔女の笑い声とともにバランスを崩したアルフが地面へと倒れこむと、間髪入れず腐死体達が群がった。
「どけぇッ!」
叫び声とともにヘスのナイフが大きく燃え上がる。ナイフが鞭の様に伸び、そしてしなった切っ先をヘスは横へなぎ払った。
アルフに群がった腐死体達の身体が燃え上がりながら両断される。退けたとヘスは思ったが、一瞬の間を置いて新しい腐死体が再度アルフの周りに群がる。
らちがあかない。
「アルフさん、手を!」
アルフさんの身体は泥人形だ足を失ったとしても、すぐ復活できる。ララ達の所へ一旦後退して体勢を立て直す必要がある。
「ヘス君! 後ろッ!」
ヘスの手を握ったアルフが叫んだ。
振り返ったヘスの目に移ったのは、ララ達に襲いかかろうとしている別の腐死体達。
「きゃぁッ!」
「ヘス君、二人をッ!」
すぐさまアルフは手を離すと、ヘスを後方へ突き飛ばす。
「判ったッ!」
ヘスはそのままくるりと身を翻し、ララ達の元へ駆け出す。
がーー
「行かせんませんよ、ヘス君」
地面から突き出した腐死体の両手がヘスの右足を掴む。咄嗟にナイフを地面に突き刺し、その手を剥がそうとするが、次の腐死体がまた地面から這い出し、ヘスの身体を掴む。
「くっそォッ! ララッ!」
ララがやられる。
必死にもがきながらヘスが叫んだ。
ーーその時だった。
「舞い上がれッ!」
ゴウ、と地面から炎が立ち上り、ララ達の周りに群がった腐死体達が天高く舞い上がると、その強烈な炎で腐死体達はまたたく間に炭と化した。
見覚えがある魔術、そしてこの声。
「スピアーズのオッサン!」
「待たせたな、ヘス君」
瓦礫の向こうから現れたのは、頼もしい男の姿。
スピアーズだ。
そして、ヘスがスピアーズの名を呼んだと同時に、彼の身体を押さえつけていた腐死体達の頭が宙を舞った。
「大丈夫かい、ヘス君」
「ラッツさん! バクーのオッサンも!」
「もう大丈夫だぞ」
ニヤリとバクーが笑みを浮かべる。
思いもしなかった援軍。彼らの姿にヘスは思わず安堵する。
「一体どういうことですかァ? どうしてここにハサウェイの死体がァ? スピアーズ?」
そう呟いたのは、数体の腐死体をなぎ払ったロンドだ。
倒れているリンとカミラ。笑みを浮かべ息絶えているハサウェイ。そして腐死体達の奥に見える、黒髪の女。
その情報でスピアーズは理解した。
「成る程、そう言う事か、ハサウェイ」
「ククク……」
腐死体達を押しのけながら、奥に控えていた最初の魔女が笑う。
待ちに待ったこの時。
そう言いたげな、悦に満ちた笑い声だ。
「ようやく会えましたね、スピアーズさん」
「しつこい男は嫌われるぞハサウェイ」
最初の魔女を見つめるスピアーズが小さく笑みを浮かべる。
「貴方が慕うボスは僕のために『器』になっていただきました。その成果がこの最初の魔女の身体です」
「……それが完全体、という訳か」
チタデルで戦った、不完全な最初の魔女。その記憶がスピアーズの脳裏に蘇る。
不完全だったとはいえ、圧倒的な力を見せた最初の魔女。最初から本気で行く必要があるな。
そう感じたスピアーズがローブを脱ぎ捨てると、彼に呼応するように、ロンドもまた剣の切っ先を最初の魔女へと向けた。
「同時に行きますよォ、スピアーズ」
「判った」
最初の魔女と対峙する二人の死の宣教師が小さく言葉を漏らす。
「バクーさん達は残りの腐死体達を。俺達は最初の魔女を……処理する」
スピアーズの言葉にバクー達が小さく頷く。
「フフフ……さぁ、踊りましょうか」
最初の魔女が大きく両手を広げる。
美しく、そして神々しい最初の魔女の姿。
その姿は、何故か天啓を下す三女神の一人のようにスピアーズの目に映った。