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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第三章「想いの行き着く先で」
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第41話 守るべき人、戻るべき場所

 耳の奥で鐘の音が鳴り響いている。感覚の全てにまるでフィルターをかけられているような、何処か夢裡の世界に居るような気さえしてしまう。


「うッ……」


 スピアーズは己の置かれた状況を理解するまでに数秒時間を要してしまった。

 先ほどまでユナの部屋に居たはずだったスピアーズの目の前に広がっているのはこの世とは思えないほどに不気味な赤い空。

 その赤い空から、破壊された天井、そして瓦礫にうめつくされた、辛うじてかつてここが部屋だということが判るその残骸と順を追ってスピアーズの目に入ってくる。


 そうだ、確か、グルードと拳を交えている最中に建物が揺れーー


「痛ッ……!」


 身を捻ったスピアーズの全身に激痛が走った。

 そしてその激痛と共に思い起こされたのは、グルードの圧倒的な暴力。


 危ない所だった。

 そう言わざるを得ない状況だった。一瞬の油断が死へと直結する、正に「死合い」と表現できる立会。スピアーズが放つ魔術はことごとく避けられ、グルードの拳が魔術を放った隙を突いてスピアーズの身体を捕らえる。

 致命傷にならないように僅かにポイントをずらしダメージを抑えるという正に防戦一方という状況だった。


「大丈夫ですかァ? スピアーズさァん」

「ロンド……」


 激痛に苦悶の表情を浮かべるスピアーズの元に差し出された手。スピアーズと共にこの部屋に残ったロンドの手だ。

 

「……奴は?」

「わかりませェん」


 ロンドに起こされたスピアーズが辺りを見渡しながら呟く。

 だがスピアーズは、姿が見えないグルードではなくその凄惨な状況に改めて目を奪われてしまった。


「一体何があった」

「あれは魔術でェす。とてつもなく強力な魔術で吹き飛びましたァ」


 魔術。

 その言葉を聞いて、スピアーズは何処か納得したような表情を浮かべた。

 破壊されたのはこの部屋だけではない。もはや司教座聖堂は全壊に近い有り様だ。そこまでの広範囲を一瞬で瓦礫に帰すには魔術以外にあり得ない。それも、相当な魔術。


「ボスと連絡は取れるか」

「それが全く取れませェん」

「……嫌な予感がするな」


 この状況でボスも巻き込まれしまったかと思ったが、それはないだろう。ボスには時空魔術がある。それを使えば、あの衝撃から逃げることなど容易いはずだ。

 とすれば、連絡が取れない理由はひとつ。最初の魔女オリジンに関係する何かが起こっているに違いない。

 まるで鮮血を広げた様に赤く染まった空を見上げてスピアーズはそう思った。


「スピアーズさん!」

「……ラッツさん」


 瓦礫をかき分けて、現れたのはヴァイスの暗殺を依頼したラッツ達だ。


「申し訳ありませんでした。フェイクとは言え、貴方達にご迷惑を」

「……まぁ、驚きましたが、結局僕達の目的である二人を助けることが出来ましたし、大丈夫ですよ。それに……」


 そう言ってラッツが言葉を詰まらせた。どこか困惑しているような表情を浮かべている。

 そうだ、彼らにはヴァイス司教の暗殺を依頼した。ヴァイスに近づくことが出来る例のヴィオラ公爵ならば可能だとユナが踏んだからだ。

 彼らがここに現れたということはーー


「ヴァイスは?」

「私達が到着する前に何者かに殺されていた」


 ラッツの後から続いて現れた女性、ヴィオラが小さく呟いた。

 美しい女性。思わずスピアーズがため息を漏らす。

 だが、いつもであれば、軽口の一つでも吐きたくなるはずのスピアーズが目の前に居るヴィオラにはその気が全く起きなかった。黄金のガーリーウェーブに鋭い戦士の目がスピアーズには見覚えがあったからだ。


 ヴィオラ公爵。

 彼女がモーリスで捕縛したとヴァイスが言っていた、ハイムの黒鷹か。

 

「お初にお目にかかります、ヴィオラ公爵閣下。ヴァイスはすでに殺されていた、というのは……」

「背後で暗躍している者が居る。護衛の騎士もろとも皆殺しだった」


 そう答えたのはバクーだ。

 

「護衛もろとも……ですか」

「刃物ではなかった。裂傷があまりにも尖すぎる。あれは魔術によるものだ」

「魔術?」


 鋭い裂傷を与える魔術。

 殺傷能力がある中級魔術以上の魔術書で発現したものだろう。

 そう思ったスピアーズの頭に一人の男の名が浮かぶ。

 風の上級魔術を得意としていた、死の宣教師アポストロフーーだが奴はチタデルで崩れゆく瓦礫に巻き込まれ、死んだはず。


「私のカンが囁いている。ヴァイスを始末した其奴を倒さねば、この戦争は終わらぬと」

「……判りました、ヴィオラ公爵閣下」


 どちらにしろ、ヴァイスが死んだことは確かだ。ユナの言う、最初の魔女オリジンの復活は阻止され、そして奴の企みも無に帰した。

 

「その犯人の捜索は私達が引き継ぎます。この混乱に乗じて貴女達は早く脱出を……」

「……逃がさねぇぞ、スピアーズ」  

 

 小さくスピアーズの耳に聞こえた唸るような声。

 その声にスピアーズは傍らに立つロンドを咄嗟に突き飛ばした。


「……ッ!」


 突き飛ばされたロンドの声と同時に、スピアーズの目前の瓦礫がまるで爆発したかのように舞い上がる。そしてその下から現れたのは、ドレッドヘアに褐色の肌の男ーー


「第二ラウンドと行こうぜスピアーズ」

「グルードッ!」

 

 不敵な笑みを浮かべるグルードの身体が肥大化したかと思うほど、またたく間にスピアーズとの間合いを詰める。

 ーーまずい。この間合は奴の間合い。

 咄嗟に一歩下がろうとステップしたスピアーズだったが、シャツの襟を無造作にグルードが掴みその動きを封じる。


「ちいッ!」

「ちょろちょろしてんじゃねぇぞオラッ!」


 そう言葉が放たれたると同時に、グルードの拳がスピアーズの顔面に向け放たれると、逃れられないと判断したスピアーズはすかさず炎で腕を包みながら、手の甲でその拳の軌道を逸らす為にガードに移る。

 まるで速射砲のような正拳。

 運良く僅かに逸れたその正拳はスピアーズの頬をかすめた。


「ぬんッ!」

 

 咄嗟の出来事に立ちすくんでしまったラッツ達だったが、最初に動いたのは戦闘経験が豊富なバクーだった。すかさずヴィオラの前に出、グルードの顔面に正拳を叩き込む。

 がーー


「……む……ぐッ」


 バクーの強烈な突きをグルードはいとも簡単に片手で受け止めるとそのまま握りつぶさんと、拳を締め上げる。

 なんという握力だ。

 グルードの凄まじい握力にバクーの拳がミシミシと悲鳴を上げ始める。 

 

「邪魔すんじゃねぇぞ、てめぇッ!」


 グルードが腰を低く落とし、掌底をバクーの胸元へ放つ。

 バチンという破裂音が聞こえたかと思った瞬間、バクーの巨体が大きく跳ね上がった。


「ぐうッ!」

「バクー少佐!」


 思わずナチが悲鳴を上げる。

 ふわりと浮き上がったバクーの巨体はそのまま背後の瓦礫の上に叩きつけられた。

 見たこともない状況。あのバクー少佐が、まるで赤子のようにやられるなんて。


「やっぱお前はスゲェなスピアーズ。ここまで俺の拳を受け流した奴はお前がはじめだぜ」

「グルード、お前の主であるヴァイス司教は死んだ。これ以上俺達の命を狙う意味は無い」


 一瞬息を置いたグルードにスピアーズが言う。

 無駄な争い。ヴァイスが死んだ今、争う意味は無い。

 だが、グルードの口から放たれた言葉はスピアーズの予想していた言葉とは違う物だった。


「……知った事か」

「何だと?」


 肩の骨を鳴らしながら、グルードが冷たく微笑む。


「俺が司教様……ヴァイスの野郎に付いてきたのは常に命のやりとりが出来る『死合いの場』があったからだ」


 血を求める拳闘士。首枷をなくし、野に放たれた野獣。

 グルードの姿を見て、スピアーズはそう感じた。


「俺が求めるのは命のやりとり。そして這いつくばる相手の絶望の眼差し。それだけだ。ヴァイスは関係ねぇ」


 守るべき主も戻る場所ももう無くなった。

 だがそれすらもどうでもいい。一瞬の油断が死へと直結する、そのピンと張り詰めた空気の中で命のやりとりをする。俺が求めるのはそれだけだ。


「……いいだろう」


 強烈な殺気と抑えきれない死合いへの欲求を携えながらゆっくりと間合いを詰めてくるグルードにスピアーズは静かに応える。


「俺が終わらせてやるよ」

「ククッ……いい目だ、スピアーズ」

 

 それでこそ殺しがいがある。その目が絶望に代わる瞬間が俺の乾いた心を癒してくる。


「……来い」


 静かにスピアーズが言う。

 間髪入れず、これまでスピアーズを圧倒していたその破壊的な暴力でスピアーズを叩き伏せる為に、一歩踏み込み喉元に手刀を放つ。空気を切り裂き、その肉を断つ。

 だが、グルードは気がついて居なかった。

 スピアーズのその目に炎が灯った事に。


「……ッ!」


 正に刹那の出来事だった。

 グルードの手刀がスピアーズの喉元に届いた瞬間、長く細い光の矢がグルードの眉間を貫いていた。グルードさえも判らなかった、一瞬。

 その一瞬で絶命したグルードはその場に膝から崩れ落ちた。


「い、今のは……」


 言葉を失っていたラッツが捻り出すように小さく言葉を漏らす。

 何が起きたのか判らない。攻撃を放ったはずのこの男がどうして息絶えて居るのか。


「簡単な事ですよ、ラッツさん」


 自分が死んだことにすら気づいていない、勝ち誇った表情を浮かべ息絶えた男を一瞥し、スピアーズが続ける。


「俺には守らなければならない人と、戻らねばならない場所がある」


 そう言ってスピアーズは死の宣教師アポストロフのトレードマークである黒いローブを払うと、着崩れてしまったローブを直した。


「行きましょう」


 ボスやララ、そしてリン達が居る場所へーー

 ラッツ達はスピアーズの言葉に静かに頷くと、倒れたバクーを抱きかかえ、ゆっくりと狂気に溺れた死の宣教師アポストロフの亡骸が横たわるその部屋を後にした。

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