第38話 狡猾な男の最後
「……この警報は」
ドレッドヘアーの男、グルードがユナの私室の出口の前に立ちはだかる形のまま、怪訝な表情を浮かべながら辺りに視線を送る。
この司教座聖堂はパルパス陣営の司令部としての機能している反面、一般の巡礼者も訪れる事があるため、その内部は巡礼者が立ち入って良い区画とそうでない区画に分けられている。
この警報は、立ち入ってはならない区画への「侵入者」があった場合に鳴らさられる警報だった。
「ヴィオラ公爵達が逃げたか……いや、違うな」
「……気になるなら、ヴァイスの元に行ってみたらどう? グルード」
皮肉を込めてユナがそう言った。
ヴァイスの息がかかった「司教派」の死の宣教師の一人であるグルードに私の計画を聞かれたのは失敗だけれど、計画を中止するわけには行かない。今はこの場所から脱出し、すぐにでも最初の魔女の「無に帰す魔術」の準備に入らないと。
「……俺が司教様より承った任務はボス……アンタを監視しろ、だ。アンタ達を殺せとは言われていない。だがな」
キュウと口角を釣り上げ、残虐的でサディスティックな笑みを浮かべながらグルードが口調を強め、続ける。
「アンタと死合いたいと、俺の血が疼くんだよなぁ」
「……さすがは元奴隷上がりの拳闘士ね。それで神父だなんて聞いて呆れるわ」
「ククッ……」
グルードはシュタイン王国に国外から連れて来られた奴隷だった。ハイム人でもクロムウェル人でもない、その褐色の肌は南部大陸の人種に見られるものだった。
労働力としてこの国に連れて来られたグルードだったが、殺伐とした奴隷生活の中で彼の才能は開花することになった。きっかけは他愛もない口論。結果は、奴隷商を含む全員の撲殺。
絞首刑に処される所で、彼のその「暴力」の噂はヴァイスのに入り、ヴァイスお抱えの死の宣教師として彼に忠実な暗殺者となった。
血に飢え、残酷で冷徹な死の宣教師。
私情を挟まず、教会に仇なすものを次々と闇に葬ることから「彼こそが真の死の宣教師」とヴァイスに言わしめるほどだった。
「……グルード、相手をしてあげたい所だけど、私にその時間は無いの」
「なんだと?」
ユナが静かにそうつぶやいた時だった。
突如グルードの背後の扉が両断され、青白い閃光がグルードの背中に襲いかかった。
「させませェん」
「……チッ」
白銀の剣を携えたロンド。彼は両断した扉からするりと部屋に飛び込み、そのまま剣をなぎ払う。
扉と同じく、グルードの身体が両断されたーーーーに見えたが、彼の剣は空を斬った。
「おやァ」
確かに捉えた。そう思ったんですが。
おかしいですね、とロンドが訝しげに思ったその一瞬。剣の切っ先を躱したグルードが背をロンドに向けたまま、背後蹴りを放つ。
確実にロンドの下腹部を狙った強烈な蹴り。
だが、ロンドはそれを読んでいた。
左手でグルードの蹴りを弾き、その軌道を反らせるのと同時に、その反動を使いロンドはくるりと回転し再度斬撃を放つ。
足を弾かれた事で体勢を崩したグルードはこの剣を避けられない。
瞬時にそう判断したロンドが渾身の力で剣を振りぬいた。
だがーー
「なんと」
その斬撃もグルードの身体を捕らえることが出来なかった。
突如、グルードの身体がかき消えたかと思った瞬間、振り向きざまに遠心力を使った彼の回し蹴りがロンドの脇腹を捕らえる
「うぐッ」
くの字に折り曲がったロンドの身体にしびれるような激痛が走る。
だが、彼も凶暴な暴力を備え持つ、死の宣教師の一人。ただでは済まさない、と瞬時に己の身体にめり込んだグルードの右脚を掴むと、無防備になった軸足の左脚を蹴りあげた。
「ちぃッ!」
「甘いですよォ」
隙を作ってしまった。
転ばされてしまったグルードは即座に身を捻り、飛び起きたが、それは場を一転させるに十分な隙だった。
「……ボスッ!」
ロンドの脇を抜け、扉から部屋を抜けるララ達の姿がグルードの目に映った。
地面を蹴り、ユナの後を追おうとするグルードだったが、踏み込んだ彼の足元が爆音とともに爆ぜる。
「ぐうッ!」
「追わせはしない」
崩れたユナのデスクから笑みを浮かべながらそう言ったのはスピアーズだ。
ラプチャーフロア。
スピアーズが仕掛けた魔術がグルードの足を止めた。
「スピアーズッ!」
「リン、構わず行けッ! 必ず君達の後を追うッ!」
扉をくぐる一瞬、叫ぶリンにスピアーズは即座に返した。
今は、逃げないと駄目だ。
スピアーズの目にそのメッセージを感じたリンは、後ろ髪を引かれる思いでユナ達とともにその部屋を後にした。
***
「早速バレたか」
「ええッ、早く無いですか?」
「アンタがグズグズしてたからでしょ!?」
軟禁されていた部屋を抜け出し、ヴァイスの居場所を探すバクー達は突如鳴り響き始めた警報に慌てふためいていた。
「グズグズって、当てずっぽうで探したって見つかるはずないでしょ」
「う、まぁ、確かにそうだけどさ」
途中、幾人かのパルパス兵と思わしき男に尋問を行った。確かに時間は食ってしまったが、この時間、自室で職務を行っているという情報を聞き出すことが出来た。
「ここから先は、少し強引に行くとしようか」
一行の中で唯一冷静沈着だったヴィオラがそう漏らした。
尋問を行った兵から幾つか武器を拝借している。十分戦うことは出来るはずだ。
ヴィオラのその言葉にバクーは静かに頷いた。
「そのほうが私の肌に合っております閣下」
「フッ、だろうと思っておった。一気に抜けるぞ。覚悟は良いな」
ヴィオラがラッツとナチに視線を送った。
僕達も覚悟はできている。
ラッツとナチはバクーと同じようにただ無言で頷いた。
「では参ろう。我らに……」
「……勝利を」
そう言って四人は剣を切っ先を軽く合わせると、ヴィオラを先頭にヴァイスの私室を目指し駆け出し始めた。
***
司教座聖堂は混乱に満ちていた。一体誰が何のために鳴らし始めた警報なのか誰にも判らなかったからだ。
情報は錯綜し、パルパス軍と関係の無い神父達も一般の巡礼者達を避難させるほどだった。
「うるさいうるさいうるさーい!」
司教お抱えの白い騎士たちに守られるように急ぐ第二皇女アンナは不満でいっぱいだった。
大好きなユナはパンプーシュカを一緒に食べてくれなかったし、それにいきなりお外に行きましょうと連れだされるし。極めつけはこの不快な警報。
「お静かになさって下さいアンナ殿下」
「ユナは! ユナは何処なの!?」
「ユナ様は別の場所で職務に当たられています」
一人の騎士が、ぷうと頬をふくらませるアンナにそう言う。
「何処!? 私、ユナの所に行きたい!」
「ご自重下さいアンナ殿下。我々はユナ様の命でこの場所から脱出するのです」
「だっしゅつ? 出るってここから? ……ヤダ! パンプーシュカがまだ部屋にあるもん!」
ぎゃあぎゃあとダダをこねるアンナに騎士が右往左往する。
甲冑に身を包み、表情はその顔を覆った兜で見えないが、その騎士から明らかに「勘弁して」という困ったオーラが放たれているのは誰の目にも明らかだ。
「……何者か」
と、一同の先頭を歩く騎士からポツリとそう言葉が放たれると、小走りに進んでいた一同の足が止まった。
アンナの相手をしていた騎士が視線を送っ先。
そこに立っていたのはーーヴァイスの私室を目指すヴィオラ達だった。
「ほう、之は久しいお方に」
「……ッ! ヴィオラ!」
ピリ、と警戒の色を強める騎士達を押しのけ、うれしそうに駆け出したのはアンナだった。
「……ア、アンナ殿下!」
慌ててアンナを押さえようと騎士が腕を伸ばすが、それをするりと躱したアンナがヴィオラの元へ駆け寄る。
「アンナ殿下、お久しく御座います」
「ヴィオラ! やっぱりヴィオラだ! どうしたのこんな所で」
ヴィオラ……そうか、この麗人はハイム軍の黒鷹ことヴィオラ公爵。
うれしそうにその名を呼ぶアンナの言葉に、騎士たちの緊張は溶け各々抜いていた剣を鞘に収める。
「任務で御座います、アンナ殿下」
「そうなの。ユナもね、任務だって言って相手してくれないの。それにね、『だっしゅつ』だって」
「……脱出?」
訝しげな表情を浮かべるヴィオラに、一人の騎士が寄る。
「お会いでき光栄でございます、ヴィオラ公爵殿。我らはとあるお方から与えられた任務で殿下とともにこの街を離れる途中なので御座います」
「……離れる? 何か中であったのか?」
騎士にそう問いかけたのはバクーだった。
この警報、それにこの場を支配している混乱。そしてパルパスが推す皇女の脱出。
その全てから、ただごとではない何かが起きているのは察する事が出来るが。
「我々も詳細は。ただ、皇女を連れ離れよ、とだけ」
「ヴィオラ、私と一緒に行こ?」
シャツの端をきゅっと握りしめたアンナが小さく懇願する。
アンナとヴィオラは先王、覇王ランスロットが生きていた頃から実の姉妹のような仲だった。誰に知られることもない、ヴィオラの中に流れるその血が、己と縁深いものだとアンナは直感したのか、ヴィオラがハイム城に居る時はいつもその傍らにはアンナの姿があった。
「それは出来ません殿下」
優しく諭すように身を屈め、ヴィオラが言う。
「我らはこの争いを終わらせる為にここに参りました」
「……任務?」
「はい。しかし、任務が終わりましたら、また王都で共にパンプーシュカを嗜みましょう」
約束です。とヴィオラが小指をアンナに出す。
「絶対約束だよ! ヴィオラ!」
「はい、必ず」
しかめっ面を見せながらも、姉にしぶしぶ従う妹のように、アンナは小さな小指を絡める。
「ヴィオラ公爵殿の任務は……聞かなかったことにしておきましょう」
そっとアンナの肩に手を添え、行きましょうと促しながら騎士が小さくつぶやいた。
ヴィオラ達の目的は、彼ら騎士たちの主であるヴァイスの暗殺だ。ここで彼らと剣を交えてもおかしくない状況だ。
「……お主達が忠誠を誓った主ではないのか」
「我々は、教会と三女神に命を捧げる『血の契約』を行った騎士です。忠義を尽くすのは司教様ではありません」
ヴァイスの野望に、彼らパルパス陣営内でも僅かながら異議を感じている者が居た、ということか。
騎士のその言葉を聞き、バクーはただ騎士たちを見つめるしか無かった。
「しかし、我ら意外の騎士たちに油断はなさらなぬよう」
「……承知した」
「努努お忘れなく。では……」
アンナの手を引き、騎士たちがヴィオラ達の脇をすりぬけ足早に去る。
ばいばい、と悲しげな表情で己に手をふる小さな少女に、ヴィオラは笑顔で頷いた。
出来るならば、共に行きたかったが。
そう心に思いながら。
「行きましょう、閣下」
アンナの小さな背中を見つめていたヴィオラにバクーは小さく提言する。
その言葉に背中を押されるように、ヴィオラはバクーの肩をぽんと軽く叩くと、踵を返し、アンナ達とは逆の方向へと駆け出し始める。
奴はもうすぐそこだ。
奴を斬れば、この戦いは終わる。
そう信じて、ヴィオラは先を急いだ。
***
ヴァイスの私室に着いたヴィオラ達を待っていたのは、思いもしない物だった。
私室前に横たわっているのは、ヴァイスの身を護衛する白い甲冑の騎士の亡骸ーー
どれも強烈な力で殴られたように、その頑丈な甲冑はひしゃげ、兜の中から鮮血が滴り落ちている。
「これは……」
思わずラッツとナチが顔をしかめてしまう。
戦場でもあまり見ない、虐殺という表現がぴったりと当てはまる惨状だった。
「閣下はお下がり下さい」
その異様な空気に嫌な胸騒ぎを感じがバクーが、半開きになったヴァイスの私室のドアをゆっくりと開く。
血なまぐさい匂いが部屋の中から漂ってくるのがすぐに判った。
「……警報の原因はこれか」
警戒しつつ、私室の中に入ったバクーの目に入ったのはーー
「惨めな最後、という訳か」
バクーの後に続き、部屋に入ったヴィオラの目にも映ったそれ。
一体どのような方法で殺されたのか、無残に引き裂かれ、地面に転がっているのはヴァイスの上半身。
その表情は恐怖に歪み、後悔と無念がにじみでているように見える。
「ヴァイス司教、ですか?」
「確かに、奴だ」
ふと、ヴィオラが辺りを見渡す。
天井まで舞い上がっているのは、ヴァイスの血痕。そして「何かを探していた」かのように詮索されたような本棚。
「一体誰が……!?」
ナチがそう漏らした。
ヴァイスをやった者の目的は、彼とそしてここにあった何か。
状況からそう判断したヴィオラがふうと、一つため息をつき、続けた。
「この戦争は簡単には終わらないと言うことだ。『何者か』が『何か』を企んでいる」
だが、その何者かはまだ近くにいる可能性が高い。
ヴィオラはそう思った。