第34話 狡猾な男
実に気分を害するもてなしだ。
広いリビングに細かい装飾が施されたアンティークな家具、そして天井を飾っているのは綺羅びやかなシャンデリア。
まるで貴族でも招待したかのような豪華な客室に案内されたバクーはいらだちを隠せずに、まるで冬眠前の熊のように部屋の中をウロウロと歩き回っていた。
「落ち着け、バクー」
バロック様式のチェアーに腰掛けたヴィオラが小さく呟く。
流石はヴィオラ、といったところだろうか。バクーと違いこれから起こることが想定できているのか、普段と変わらない佇まいのまま、頬杖を付き小さく笑みを浮かべながらバクーを見ている。
「も、申し訳ありません閣下」
冷たく暗い牢獄にでも押し込まれるかとおもいきや、この状況だ。一軍人として、潔い最後を覚悟していたバクーは、死に場所を奪われたような状況に苛立っているようだった。
ラッツとナチは無事だろうか。逃げきれていれば良いが。
間違っても助けに来ようなどと思うなと心の中で何度も繰り返しながらバクーはそう思った。
「まぁ、貴殿の気持ちも判らんでも無いが、な」
「これからどうなるのでしょうか」
この状況から、直ぐに処刑、ということにはならないだろう。油断しているのであれば、自力でここから抜け出し、ハイム軍に合流する必要がある。
バクーはそう考えたが、そうするための手段が何も無かった。
ヴァルフォーレに連れられる道中で武器・防具類はすべて奪われた。パルパスの兵がこの部屋を訪れることでもあれば、力づくで武器を奪う事も可能だが、やつらは一行に現れない。
「捕虜として扱うべき我らに対し、この待遇だ。考えられる事はそう多くない。死刑前の『最後の晩餐』、もしくは懐柔するためのもてなしといった所であろう」
「懐柔、ですか」
何のための懐柔なのだろうか。
バクーが訝しげな表情を見せたその時、初めてこの部屋の扉が開いた。軋み音一つせず開かれた扉の向こうに立っていたのはーー
「フフフ、この部屋はいかがですかな、ヴィオラ公爵殿」
「……ヴァイス」
ヴァイス司教。
流石は聖パルパス教会の司教にして、パルパス陣営の最高権力者だ。強烈な存在感とオーラを放っている。
戦場では決して気落ちすることのないバクーがその圧迫感に思わず息を飲んだ。
「この部屋はランスロット王が巡礼に参られた際にご用意させて頂いた部屋でして……」
「御託は良い。目的を言わぬか」
ヴァイスの言葉を遮り、ヴィオラが変わらず頬杖をついたままの格好で吐き捨てる。
「はっはっは、流石はヴィオラ公爵殿だ。……父王と同じで猛々しい」
父王。
ヴァイスのその言葉を聞き、ヴィオラの頬が引きつった。
「では単刀直入に申しましょう。私の狙いは……この国の未来。そして王の正当な血筋を引く『我が子』」
「フッ、私と臥所を共にすると?」
ヴァイスの言葉に思わずヴィオラは声をあげ笑うが、バクーの心中は穏やかではなかった。
ヴァイスは閣下の生い立ちの事を知っている。そして、狙いはその血筋。ランスロット王の正当なる血を引く閣下と婚礼を交わし、第二皇女アンナを推して内戦に参画したのも、もしかするとそれが狙いなのか。
「この内戦はじき終わります。我がパルパス陣営の勝利によって、です。ランスロット王が国教として定めたパルパス教が、王が隠し、残した正当なる血を引く皇女と共に王の意思を継ぎこの国を統治する。最高のシナリオではないですか」
「そんなところだと思っていた」
そう言ってヴィオラはブロンドのガーリーウェーブをかきあげた。それは挑発的で、彼女が「囚われの身」だということを感じさせない気品にもあふれている仕草だった。
「拒否する、と言ったら?」
「……ふむ、多少影響力は弱いですが、これまでと同じくアンナ皇女を利用させてもらうまでですよ。貴女の名前を使わせて頂き、ハイムが公表した声明に対する異議を発表した後に……そうですね、死んでもらいましょうか」
さらりとヴァイスがそう答える。その声に躊躇や慈悲などは感じられず、ただ冷たい意思だけが内在しているようにバクーには聞こえた。
「狡猾な男だ」
「お褒め頂き光栄ですよ、『殿下』」
「……残念ながら、貴様の言いなりになるつもりは無い」
「ほう」
ヴァイスはヴィオラのその言葉を予め予想していたかのように、眉一つ動かすこと無く、変わらない冷たい微笑みを絶やすことなく、挑発的なヴィオラを見据えたまま唸った。
「やはりランスロット王の血を引くお方ですね。ですが……時間はあまりありませんよヴィオラ公爵殿。私の元へ来るか、絞首台に行くか、よくお考え下さい」
ヴァイスの冷たい微笑みが嗜虐的な嘲笑へと変わる。
狡猾な男が描いた物語。そして、その通りに動き出す登場人物たちをあざ笑う美しき作家。
その「血」だけではない。この男はまだ何か「切り札」を持っている。
だが、何を持っていたとしても、父が残したこの国をこの男に渡す訳にはいかない。
ヴァイスの美しい微笑みを見つめながら、ヴィオラはそう思った。
***
ヴァルフォーレは初めてだったヘスだったが、つい先日この街を訪れたユーリア達に案内してもらうまでもなく、あっさりと目的地であるパルパス教会を発見することが出来た。
明らかに一般の市民とは違う出で立ちの「巡礼者」達が列を成し、教会を目指していたからだ。
「つか、内戦でヤバイ状況なのにわざわざこんな所にまで来るんスね」
「ンまぁ、逆にね、信仰深い人はパルパス教が崇める三女神に縋りたいんじゃないの?」
巡礼者達の列に紛れながら、ユーリアが返す。
その心境はわからなくもない。と、ヘスは思った。人事を尽くして天命を待つという言葉もある。最悪の状況、明日どうなるかわからない状況を生き抜く為に最大限の努力をしたならば、最後にすがりつくのは神だ。
「でも、問題無く行けそうで良かったです」
「そうですね。この調子で運良く魔術書も見つかるといいんですが」
「見つかンだろ。余裕だぜ」
一体何処から沸き上がる自信なのか判らないが、トトがララとアルフにそう断言した。
「ハハ、トト君にそう言われると本当にすぐ見つかりそうな気がするのは気のせいでしょうか」
「ふふ、ホントそんな気がしますよね」
ララとアルフが声を殺しながらクスクスと笑う。
駅馬車の停留所を後にして、一体どれくらい歩いただろうか。陽は少しずつ傾き、次第に厚い雲で覆われた空がより濃ゆさを増してきている。
巡礼者達の流れを発見してからは、問題なく前方に見えるパルパスの教会が次第に近づきつつある。
だが、その装飾がはっきりと判るくらいまで近づくと、その存在感がララ達の肩にずしりとのしかかってくるようにも思えた。
「デカイっスね」
「パルパス教の総本山ですからね」
「この中にララの母ちゃんが居るのか」
いよいよだ。
ヘスがそう思ったその時、するりと巡礼者達の間をすりぬけ、何食わぬ顔で巡礼者の「ふり」をしてララ達に近づく男が一人、居た。
巡礼者と同じ風貌でありながらも、その身にまとう空気までは偽ることができない異質な男。
その男が放つ異様な空気に最初に気がついたのはアルフだった。
「……ヘス君」
「なんスか?」
「一旦離れましょう」
「へっ?」
何か危険だ。
そう判断したアルフが足を止めその男と距離を置こうとしたその時だった。
その男だけではない。すでにララ達はその男の仲間に囲まれていたらしく、一斉に目立たぬようにローブの影に隠しながらも各々青白くきらめく剣をララ達に突きつけてきた。
「抵抗せず、足を止めるな」
「なッ……!」
何が起こったのか判らないユーリアとララは悲鳴を上げる時間すら無かった。
息を殺し、つきつけられた刀身の挙動に神経を集中せざるを得ない。
ユーリアがちらりとアルフに視線を送ったが、抵抗しないで下さいと言いたげにアルフは小さく頷く。
「……まさか、貴方達が戻ってくるとはねェ」
アルフに剣を突きつけたその異様な空気を放つ男が小さくぼやいた。
聞き覚えのある声。この声はーー
「お前は、あの時の死の宣教師……ッ!」
フードの影から覗く青白い肌と気だるそうな口調。
モーリスでユーリア達から魔術書を奪い返したロンドだ。
ーーだが、見た顔はロンドだけではなかった。
「このまま私達について来い、ヘス君」
「……ッ!? アンタは……!」
ヘスに剣を突きつける男が静かに囁いた。
フードからちらつくのはカールした栗色のクセ毛、そして中性的な顔立ちの中に野性的な雰囲気を内在させているような男ーー。
「スピアーズのオッサン!? なんでアンタがここに……!?」
スピアーズ。その男は確かにヘスの知るスピアーズだった。
モーリスではぐれてはしまったが、必ずヴァルフォーレを目指していると思っていたスピアーズが、どうして剣を突きつけるのか。
「質問はするな。手荒な真似はしたくない」
「何だって……オッサンまさか……」
裏切ったのか。
自分の身体につきつけられている剣をもう一度見て、ヘスはそう言葉に出しかけ飲み込んだ。そして、同時に脳裏にあの語らう森の小屋でスピアーズが放った言葉が浮かぶ。
『俺がボスから与えられた任務は、ララを守る事、だ。最後まで付き合うさ』
ララを守る。
ララを守り……「部外者を排除し、ララだけを母の元へ連れて行くこと」それがスピアーズの任務だったということか。
「そういう事かよ、オッサン」
「……」
ヘスの言葉にスピアーズは何も返さなかった。
だが、ただひとつ、物悲しげな視線だがヘスの目に映った。
これまでと変わらない、あの夜、あの小屋で「周りを頼れ」と言ってくれたスピアーズの目だ。
ーー優しく、そして何処か頼りたくなる目。
それは自分達を騙し、裏切りを企んだ狡猾な男が持つ目に、ヘスにはどうしても見えなかった。