第33話 終焉の始まり
聖パルパス教会の総本山であり、信者たちの「聖都」であるヴァルフォーレは大陸の北端に位置し、高緯度地方の為に一日の日照時間は夏は18時間、冬は5時間と落差が激しく亜寒帯気候の街だ。特に街が純白に染まる冬のヴァルフォーレは、「冬こそが本来の聖都の姿」と巡礼者に言わしめるほど厳かで、雪化粧した歴史あるバロック調の建造物たちは、息を飲むほどの美しさを放っている。
「さむッ!」
駅馬車からヴァルフォーレの停留所に降り立ったリンがぶるりを身を震わせ、ぼやいた。
バージェスの村やモーリスよりも更に見を斬りつけるような冷たい空気。
ぼやきと共に放たれた白い息が白いヴァルフォーレの街に消えていく。
「初めて来ましたけど、こんな寒いんですね」
「アタシ寒いの苦手なんだよね」
リンの後ろに続いて降りてきたラッツとナチも同じ感想を抱いたようだった。
「それにしても、こんなに簡単に来れるとはね」
「……確かに」
最後にヴァルフォーレの地に降り立ったカミラとスピアーズが何処か訝しげな表情を見せている。
モーリスから、ヴァルフォーレまで駅馬車を使えばそう遠くない距離だった。だが、それは使えないとスピアーズは考えていた。
パルパスの連合軍が攻勢をかけているからだ。
最前線への補給物資を輸送するための兵站は軍にとって最重要視すべき戦略の一つだ。その兵站を整える為に足の早い馬がパルパス中からかき集められ、駅馬車の運行路であった道はその補給物資を送るための補給路となったはずだった。
だが、現実は違った。駅馬車は変わりなく運行を続け、パルパスの騎士団達の姿を見かけることも無かった。
「ハイムの大協約違反疑惑が解消されたらしくてな。魔術師協会が手を引いた事でハイムへの攻勢は頓挫し始めているらしい」
そう言っていたのは、駅馬車内で談笑していた商人達の話だ。
協会内で何か動きがあったのかもしれない。
商人達はそうも言っていた。
「やるべき男がやるべきことをやったんじゃないか」
「……ガーランドかい?」
返すカミラに、スピアーズは静かに頷いた。
魔術書の提供まで行っていた協会がここに来て身を退くなど、あり得ない。可能性として一番大きいのは、ガーランドが協会内の異分子を排除したという事だろう。
約束は守ったぞ、とガサツな笑みを浮かべているガーランドの顔がスピアーズの目に浮かぶ。
「どど、どうでもいいけれど、早くいきません?」
寒くて死にそうですわ。
リンの銀色の髪が小刻みにふるえている。
「僕でも少し寒いから、お姉ちゃん相当寒いよね」
でしょ? 当たってる? ねぇ? と目をキラ付かせルフが言う。
雪を見ると犬は喜ぶという話は本当だったのね。
リンは引きつった笑顔をルフに見せながらそう思った。
「すまんが、もう少し待て」
スピアーズが何かを待っているような素振りを見せながら言う。
先ほど乗ってきた駅馬車はすでに停留所を後にし、辺りには誰も居ない。
「待てって……何かあるんですか?」
「直ぐにわかる」
ラッツの問いに、スピアーズは即答で返す。
甲冑を脱ぎ、途中で手に入れた服で身分を偽装しているとはいえ、敵の本拠地まっただ中で身の安全を確保せずただ何かを待っているなんて危険過ぎる。
ラッツは何処か怪訝な表情を浮かべた。
ピンと張り詰めた冷たい空気。先ほどの駅馬車だろうか、遠くで車輪と蹄が石畳を叩く音が小さく聞こえる。辺りには住人の姿はない。
その光景にラッツが少し違和感を覚えたその時だった。
「スピアーズ様」
ラッツの背後で女性の声がした。
その声に、すこしスピアーズの表情が固くなったような気がしたが、気のせいだろうか。
だが、ラッツのそれは気のせいではなかった。
「……ッ! パルパスの……!」
ラッツの後ろに立っていたのは、パルパスの騎士。それも幾人の衛兵と思わしき兵士を連れた。
一体どういうことだ。
ラッツは思わずナチの手を引き、その騎士達との距離を置く。
「……これはどういうことだい。スピアーズ」
「婆ちゃん、あっちにも!」
鋭くスピアーズを睨みつけるカミラに、ルフが叫ぶ。
逆方向から現れたのは、同じパルパスの衛兵だ。
「スピアーズ、あなたッ……!?」
これは、罠ーー!?
瞬時にそう判断したリンがスピアーズに詰め寄る。
だが、スピアーズは表情を変えないまま、目の前の騎士をじっと見つめたままだった。
「……俺は俺の任務を全うするだけだ。リン」
「なんですって!?」
スピアーズに与えられた任務。その言葉の意味を理解したリンが怒りを露わにしたその時だ。
騎士が腰に携えたサーベルを抜き、リンの喉元へピタリと押し当てる。
「リン!」
「下がりなさい」
騎士が言う。
慈悲も躊躇も無い。首元に当てられたサーベルが放つ冷たい感触にリンは背筋が凍りついてしまった。
「スピアーズ……」
だが、その恐怖以上にリンはショックを受けていた。まるで後頭部をハンマーで殴られたような感覚。
スピアーズが裏切った。その事実がリンには受け入れられなかった。
「……全員連れて行け」
リンの顔を見ること無く、スピアーズが小さくささやく。
先導するリーダーを意外な形で失うことになった一同に、反抗する手立ては残されていなかった。
***
「あーでもさ、いざ現実になるとよ、なんつーか、緊張すンよな」
スピアーズ達が降り立った駅馬車の停留所とは真逆に位置する、ヴァルフォーレの繁華街の外れにユーリアの姿があった。
彼女たちもまた、スピアーズと同じように乗れるはずがなかった駅馬車を使い、ヴァルフォーレに到着していた。
「この街から逃げた身ですからね」
「あう、本当にすいません」
ユーリアさんとアルフさんはヴァルフォーレから魔術書を盗んで逃げたと言っていた。その場所に戻るのは自殺行為に近い。
フード付きのコートで身を隠すアルフにララはペコペコと頭を下げた。
「ま、きにすんなよ。どうせアテも無かったし」
そう言ってユーリアがカラカラと笑う。
「ユーリアの言うとおり、気にしないでください。運良くあの魔術書を手に入れることができるかもしれませんし」
「そー言ってもらえると、何か救われるス」
な、ララ。とヘスが頭を掻きながらララに肩を竦めてみせる。
駅馬車の中で色々と話を聞いたが、ユーリアさんとアルフさんはいいヒトだ。あのラインライツでの泥人形とアルフさんが関係していたのには驚いたけど。
そう思ったララは申し訳無さそうな笑顔を見せながら頷いた。
「ンで、目的地は?」
お母さんからの呼びかけが無くなって、かなりの時間が経っている。でも、お母さんはパルパス教会の死の宣教師のリーダーだとスピアーズさんは言っていた。教会に行けば、何か手がかりが見つかるはず。
「……えっと、パルパス教会? かな」
「教会ね。ウン、ララちゃん達がお母さんと会っている時に……アタシ達はあの魔術書の手がかりを探すとしようか」
「えっ、教会内で、ですか?」
それはまずいんじゃないか。もし見つかってしまったら、ララちゃん達にも迷惑がかかってしまう。
ユーリアの作戦にアルフは難色を示した。
「当たり前じゃない。その為にアタシ達は戻ってきたのよ? ララちゃん達がお母さんに会っている間、警備が薄くなった教会内で魔術書を探す。完璧じゃない」
「それはそうですが」
「ほら、キャッチアンドリリースって言うでしょ?」
「……ギブアンドテイクって言いたいんですか?」
思わずアルフが肩を落とした。
「あ、私もお母さんと会えたら聞いてみます。その魔術書」
「え、マジで?」
助かるわ、と真面目な顔で返すユーリアだったが、そんな彼女をアルフが即座に羽交い締めで止めた。
「マジで、じゃないですよ! そんな事聞いたら大騒ぎになるに決まってるじゃないですか!」
「がはは、おめぇらマジでおもれぇな」
アルフ達のやりとりをララの肩にとまって静かに見ていたトトが思わず声をあげ笑い出した。
キンチョー感ゼロだな。
トトがそう続ける。
「ま、兎に角教会に向かうってことでいいスかね?」
話をまとめると。
ヘスが冷静に、ぎゃあぎゃあと喚く三人と一匹に静かに問いかけた。
目的地はヴァルフォーレの聖パルパス教会。
終着地となるその場所を確かめ合った一行が停留所を離れようとした時だった。
停留所のベンチに腰掛ける一人の男の姿がアルフの眼に止まった。
この街に溶けこむような白いマントを羽織った、白髪の男。
頬はこけ、青白く病的とも取れる表情に、アンバランスとも取れる、黒縁の眼鏡ーー
「……ユーリア」
その男に異様な空気を感じたアルフが警戒の色を強めた。
「どした?」
「あのベンチの男……」
アルフが視線をベンチの男に送る。
だが、そのアルフの言葉にいち早く反応したのは、ヘスだった。
「ハ、ハサウェイさん!?」
ヘスが発したその名前。記憶が残っていれば、ララも驚きの声を出したであろうその名前。
チタデルの街で、行方不明になったとスピアーズのおっさんから聞いていたハサウェイさんが目の前に居る。
だが、面影は残っているものの、目の前の男は昔のハサウェイとは明らかに違っていた。
「……意外な場所で意外な人達と会うね」
虚空を見つめたまま、ハサウェイがそう小さく呟きながら、ゆらりと立ち上がった。
「あんた、チタデルでスピアーズのおっさんに……」
「スピアーズ? ……アハハッ」
その名を聞き、ハサウェイはキュウと口角を上げ、不気味な笑みを浮かべた。
以前のハサウェイさんとはやはり違う。髪の色とかその姿もだけど、以前の斬りつけるような殺気じゃない、全く別の怖さがある。
「……スピアーズは何処だい? 僕の右腕を奪ったスピアーズは」
「知らない。こっちが教えて欲しいくらいだ」
「ああ……そうか。フフフ……」
そうか、そうか。とぶつぶつと独りごちながらハサウェイは再度笑い出す。
返答を間違えれば、殺される。
際立った殺意があるわけではないが、今のハサウェイからそんな異様な予感さえしてしまう。
「あと少し。あと少しだ」
先ほどまで会話を交わしていたヘスを気にもとめず、ハサウェイはゆっくりと背を向け白い街の中に溶けこむように消えていった。
残ったのは得も知れない違和感と、恐怖。
「いまのは何なの?」
「昔の知り合いッス。俺と、ララの」
そう言うヘスの脳裏に先ほどのハサウェイの姿が再度浮かんだ。
ハサウェイさんは、あの死の宣教師のトレードマークとも言える黒いローブを着ていなかった。それにあの眼。
何かがこの街で蠢き始めているーー
ハサウェイが消えた純白の虚空を見つめるヘスに、嫌な予感がそう囁いた。