第8話 対峙
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか!?」
自分の身に一体何が起こったのか、瞬間的にララは判らなかった。尻もちを付いたララは放心状態のまま、目の前に立つ軍服を着た青年に視線を向ける。こちらを心配しているようだが、慌てた様子で、どこか上の空といった感じだった。
「だ、大丈夫です」
「何をしておる! ラッツ! 行くぞっ!」
背後から先頭を走っていた無精髭の男の叫び声がララの耳に届く。行きたいのは山々ですが、と、ラッツと呼ばれた目の前の青年の表情が弱ったと言いたげに曇った。
「わ、私は大丈夫ですから、行って下さい」
「ほ、本当にすいません!」
ラッツは深々と頭を下げ、先に走りだした無精髭の男を追い、駆け出した。彼は軍人だろうがなんと腰の低い人か。ラッツを見てララはそう思った。
「……あんなに急いで何処行くつもりなんだっつの。良い大人がよ」
「人には色々と事情ってものがあるんだよ、トト」
お尻を払いながら、トトを宥めるようにララがつぶやく。
「でもまぁ、確かにどんな大切な用事があるか知らないけど、落ち着いて行けばいいのにとは思っちゃうけどね」
「やっぱそう思うよな〜。しかも軍人っぽかったしな」
ふふっ、とララは軽く笑顔を漏らしてしまうが、トトの「軍人」という言葉に何か嫌な予感がした。中立地帯の「非武装中立区画」に特定の軍隊が駐留することはあり得ない。ララ達が住むバージェスの村でも、流れ着いた脱走兵は何度か見たことがあったが正規の軍人を見ることは無い。だからこそ、「非武装中立区画」で出会った軍人にララはどこか引っかかっていた。
「ンなことより早く行こうぜ」
「うん、そうだね時間が勿体無い……」
先を急ごうと、踵を返したララの表情が固まった。ララの視線に映ったのは、先ほどの彼らを追いかける様に現れた「追跡者」の姿。
「おい、ララ。ありゃぁ……」
通りの人々を押しのけながら現れた、出来れば会いたくなかった者達の姿。
「……! 貴様はっ!」
ララの姿を捉えた憲兵から、怒りにも似た叫び声が上がる。
「嘘ッ!?」
嫌な予感はこれだったの、とララは驚いたネコのように背を反らすと、ラッツ達と同じように迫り来る憲兵達から「必死の形相」で逃げ出した。
***
ラッツ達の目の前にあるのは、「残念でした」と言わんばかりに立ちはだかる壁と塀。
どの道をどう抜けていけば何処に繋がるのか、ラッツ達には全く把握できていなかった。しかし、とにかく背後から追いかけてくる憲兵たちを巻かなければ禁呪書を探すどころの話ではなくなってしまう。網の目のように人と人の隙間を縫いながら逃げ続けた結果、彼らは袋小路に捕まってしまっていた。
「……まずいですね、行き止まりのようです」
「ぬぅ、巻けたか?」
バクーが今走ってきた道を見る。バクーとラッツの眼に写ったのは、目の前の通りを行き交う人々の影。一瞬巻けたのではと安堵したが、人混みの向こうに黒い制服を着た集団が人々を押しのけながら進んできている姿がラッツの目に飛び込んで来た。
「駄目か」
「……そのようですね」
不当に武器を持ち込んだんだ。しつこく追ってくるのは当然のことと言えば当然だ。
ラッツは半ば呆れたような表情で溜息を一つついた。
「……あれっ」
と、ラッツの目に漆黒の追跡者達の先頭を走る小さな人影が映る。一心不乱にこちらに向かって走ってくる少女の姿。
「どうしたラッツ」
「ちょっと待ってください。あれ、さっきの少女が」
確認するように向けた指の先からこちらに向かって走ってくる少女は……やはり先程ぶつかってしまった少女だ。
何かあったのだろうかとラッツは考えたが、その少女、ララのあまりにも必死な形相に何故か恐怖が芽生えてしまった。そんなスゴイ顔で走ってこなくても。その恐怖を拭い去るように、慌ててラッツは滑りこんできたララに問いかけた。
「ど、どうしました?」
「あ、貴方たひ……あ、あな……」
「えっ?」
ここまで全速力で走ってきたのだろうか、項垂れ肩で息をするララは必死に何かを伝えようとしているが、言葉にならない。
「てめぇらッ、とんでもない奴らを連れて来てくれたモンだなッ! っつってんだよッ!」
翻訳するとだなッ! と肩に乗ったトトが捲し立てる。が、ララ達の事情を知るわけがなく、一体何のことを言っているのかラッツとバクーには理解できなかった。
「カ、カラスが喋ッ……!?」
「とんでもない奴というのは誰の事だ」
「この街で一番会いたく無ぇ奴らだよッ!」
バクーの問いにトトは自分の羽を使い、指のように背後から迫り来る憲兵達を指す。
「成る程……ラッツ」
ぎゃあぎゃあと怒鳴り散らしているトトを気にする様子もなく、バクーは今までよりも更に険しい表情で不意にラッツに一メートルほどの角材を投げ渡した。
「バクー少佐、これは……」
咄嗟にラッツにはバクーの行動が理解できなかったが、渡された角材とバクー本人も携えている長い角材を見ると、すぐにその意味が判った。
「け、憲兵達と闘うという事ですか? バクー少佐」
バクーの背後、ウリン材木で造られた塀が壊されている。ウリンは大陸北部で採られる「鉄の木」と呼ばれる非常に硬く重い木材だ。――――武器として使うのは最適な木材だろう。
「やむを得ん。奴らに捕まっている暇は無いのだ。閣下から与えられた重要な任務を失敗するわけには行かん」
まるで、装甲騎兵が愛用する「槍斧」の様に、角材をぐるりと回し、バクーが構える。その姿は微塵の隙も見えない「無敵の装甲騎兵」そのものの姿だった。
「やむを得んって……こうなった原因は誰にあるんですかね……」
「……何だ?」
「い、いえっ! 何も」
溜息をこぼしながら、ぼそりとラッツがつぶやく。原因云々の話はとりあえず置いておくとしても、憲兵と闘うということに対して、ラッツは幾つかの不安を覚えていた。
一つ目は、単純にこの街の治安を維持する機関である「憲兵隊」に武力を持って抵抗をするという事だ。
法を犯し、ラッツ達が不当に武器を持ち込んでしまった事は事実だ。それを認めるどころか、武力を持ってして抵抗するということは罪を重ねてしまうことになる。もし捕縛されてしまえば、ラッツら自身は当然のことながら、彼らが所属するハイム陣営への責任追及も考えられる。武力を持って抵抗することは、ゴートやパルパスら他陣営に付け入る隙を与えてしまうことにもなりかねない。
そして二つ目はラッツ自身のその「戦闘能力」だ。
ラッツはバクーと違い学生に毛が生えた程度の「士官候補生」だ。
武術の訓練は士官学校で受けているとはいえ、第一線で戦っているバクーのように武器を自在に操れるわけはなく、一対一の戦闘で憲兵に勝てる自身は彼自身、無かった。
「貴様らッ、観念して大人しく縄につけッ!」
ラッツの不安をかき消すように、ようやく追いついた憲兵達は息を荒げ、投降を促した。
追いついた憲兵の数は六名。腰に下げられたサーベルはすでに抜刀しており、中にはピストルを構えている者も居る。うまく切り抜けれたとしても、無傷というわけには行かないだろう。ラッツの背筋に冷たいものが走った。
「バクー少佐、これはピンチというものではないでしょうか」
「……娘」
憲兵達に気圧されるように、震えた声で弱音を吐くラッツを尻目に、角材を構えたまま一歩バクーが前に出ると、ララの隣に立つ形でチラリと視線を一瞬彼女に送った。
「お主にどのような理由があって憲兵共に追われているか知らぬが、女を見捨ててしまっては騎士の名折れ。我らの影に隠れよ」
「お、おぉ、かっけぇ事さらりと言ってのけンな、おっさん」
バクーのセリフに目を輝かせてトトが感嘆の声を上げる。と、必死に息を整えながら、そのバクーの言葉に応えるように、ララがつぶやく。
「ご、五分」
「何?」
「五分、時間を稼いでもらえますか。五分で切り抜ける「魔術」を発動させます」
「……なんだと?」
「魔術?」
突如目の前の少女から放たれた「魔術」という言葉を聞いて、バクーとラッツは困惑した表情を見せる。彼女が言う魔術とは一般的に出回っている魔術の事を言っているのだろうか。まさか。こんな危機を切り抜けられるような魔術など、ラッツは見たこともないし、聞いたこともなかった。
「魔術で切り抜けるってどういうことですか?」
ラッツが尋ねた。が、ララはラッツの言葉を聞き流すようにリュックから魔術書を一冊引きずり出すと、パラパラとめくり、何やら魔術書の魔術構文を書き直し始めた。
――――「少女」「魔術書」「魔術構文を書き直す」
そんなララを見ていると、ラッツの中で己の疑問に答えるように点と点が結ばれ一つの「回答」が彼自身の中で導き出された。
(ひょっとしてこの娘は、例の『特殊魔術書』の魔術構文師……?)
一瞬の静寂が対峙する一団を包み込んだ。
「……ラッツ、その話は後だ」
地面に座り込み、魔術書を書き直しているララを見ること無く、バクーが落ち着いた声で囁く。
「我らが五分時間を稼ぐ。お主はその魔術とやらに集中するが良い」
集中しているのか、バクーの言葉にもララは何も返答を返すことはなかった。
しかし、そのララの無言の返事が開始の合図となった。バクーは一息空気を肺に吸い込むと、鼓舞の声と共に憲兵達に向かい走りだす。
「……サアァァァッ!」
バクーの低い芯に響く声がビビの街の一角に木霊す。心強いその声にラッツは少し不安が和らいだ気がした。
「貴様らッ! 抵抗するのであれば生死問わず連行させてもらうぞッ!」
そう言ってのける憲兵の声に呼応するように、サーベルを持った憲兵達が走り出した。
ぶつかる二つの影。憲兵の影とバクーの影が交差した瞬間、ガチンという木材と金属が交差する音が響き渡った。
バクーは先頭を走る二名の憲兵のサーベルを鉄の木で軽く去なすとスピードを落とさぬまま、その二人の憲兵には目もくれず、ピストルを構える憲兵の右手側からえぐり込む様に距離を縮める。サーベルを持つ憲兵で足止めを行い、ピストルを持つ憲兵が遠距離から狙撃し戦闘能力を削ぐ。近・遠距離の武器を持つ布陣であれば当然と言った戦法であろうが、バクーはすでにそれを読んでいた。
「貴様ッ!」
ピストルを構えている憲兵は銃口を慌てて迫り来るバクーに送ったものの、右手で構える自身の肘が邪魔になり、わずかに引き金を引く時間が遅れてしまった。
――その一瞬はバクーにとって相手を「狩る」ためには充分な時間だった。
重い鉄の木を遠心力を使い軽々と憲兵の腕めがけ振り上げる。ゴキリという鈍い音と共に、ピストルを構える憲兵の腕がへし折れる姿が彼の目に映った。
「があっ!」
一人目。宙を舞うピストルを確認したバクーは、身を翻し、次の獲物を狙う。
腕を砕かれた憲兵の影に隠れるようにして銃口をこちらに向けるもう一人の憲兵が見える。このまま進めば発砲されてしまう。運良く外れれば良いが致命傷になってしまう可能性も高い。そう判断したバクーは引き金が引かれるその瞬間、するりと鉄の木を己の手の中で滑らせた。まるでそれ自身が伸びたかの様な印象を憲兵に与えるほど、握られた只の角材はその射程距離を伸ばし、的確に憲兵のみぞおちを捉える。
「ぐふっ!」
パンという乾いたピストルの発砲音が鳴り響いたものの、制御出来ていない弾丸は目標が居ない的外れの地面に弾痕を残した。
二人目。地面に昏倒する憲兵を見、バクーが鉄の木をくるくると回しながら踵を返す。バクーの立ち回りは、まるで演舞を見ているようだった。
只の木材を「槍斧」の様に「斬り」そして「突く」。またたく間に憲兵二人を倒したバクーの技は、熟練の兵士だからこそ出来る「芸術」だった。
「こ、ここから先には行かせませんよっ!」
踵を返したバクーの目に、震える手足を必死に押さえつけているラッツの姿。そしてその前には最初にいなした二名の憲兵の姿が見える。ララを守るように鉄の木を構えるラッツ。重心を低く落とし、サーベルを構える憲兵達の姿は、震えるラッツの目に熟練した歴戦の兵士の様に映った。
「ハッ、震えているぞ貴様。大人しく投降したらどうだ?」
「……う、うおぉぉぉっ!」
己を鼓舞するように雄叫びを上げ、ラッツが憲兵に襲いかかる。
袈裟斬りの要領で、鉄の木大きく振りかぶり、力任せに振り下ろす。当たれば致命傷になるであろう一撃だったが、あまりにも動作が大きい。
憲兵は難なくラッツが放った一撃を躱すと、振り下ろされたそれは地響きのような音を響かせ虚しく地面にめり込んだ。
「うぐっ!」
「ハッ! 馬鹿めっ!」
凄まじい衝撃が鉄の木を伝い、ラッツの両腕を襲う。
動きが止まったラッツのその隙を逃すまいと、憲兵が一歩踏み込み、地面を蹴った左足と全身のバネを使いサーベルを突き出す。ラッツの首元を狙った一撃だ。
「うわっ!」
しかし、憲兵のサーベルは、咄嗟に叩きつけた鉄の木で身を守るようにかがんだラッツの首を捉えることができ無かった。
さらに、捉えられなかったどころか、憲兵はサーベルの刃を鉄の木に深々と食い込ませてしまった。運がラッツに味方した。
「くっ! しまった!」
チャンスだ。ラッツが咄嗟に地面に先端がめり込んでいる鉄の木の片方を持ち上げ、そのまま憲兵に投げつけるように押し倒す。バランスを崩した憲兵は鉄の木と共に地面に派手に倒れこむ。
「ぐっ!」
憲兵にダメージは与えていない。この憲兵は倒れただけだ。しかし、この憲兵が起き上がったとして、鉄の木に刺さったままのサーベルを抜き取るには時間を要するだろう。無力化したと言っても良いこの憲兵を置いて、ラッツはもう一人の憲兵の姿を追った。立ちはだかった憲兵は二名居たはずだ。……が、その姿が無い。
まずい。ラッツの顔に焦りが見えた瞬間、背後からドサリという倒れこむ音が彼の耳に入った。ラッツの死角に居たもう一人の憲兵は、バクーの一撃ですでに昏倒していた。
「戦闘中に対峙する相手を見失うとは、貴様すでに死んでおるぞ」
「あ、ありがとうございます、バクー少佐」
厳しい表情のまま、苦言を呈するバクーにラッツは安堵の表情を見せると、恐怖で上がってしまっている息を整え状況を確認する。ピストルを持った憲兵は全てバクーが倒している。残りは遠目にサーベルを構え、ジリジリと詰め寄ってくる憲兵が二名――――いや、彼らの背後から新たに数名の憲兵の姿が見える。増援だ。
「きりが無いですね」
「むぅ、さすがに不利だな」
ゆっくりと再度鉄の木を構えるバクーが焦りの表情を見せる。増援にはピストルを携帯している憲兵が四名。先ほどはバクーの奇襲で倒せたものの、二度同じことは通じないだろう。ラッツの額からも焦りの汗が滴り落ちた。
「……終わりましたっ!」
と、次の戦術を思案していた二人が待ち望んでいたララの声が響いた。二人がそちらに視線を送ると、魔術書の構文を修正していたララがペンを持ったまま、やったと言わんばかりに歓喜の表情で魔術書を掲げている。
「良し。それでどうすればよいのだ、娘」
「近くへ!」
パラパラと魔術書をめくりながら、ペンで空中に文字を書くような動きを見せながらララが叫ぶ。何の魔術を発動するつもりなのか見当もつかなかったが、ラッツとバクーはとにかく言われるがまま、鉄の木をその場に捨て、急ぎララの元へ走った。
「……! 良し、取り押さえろっ!」
武器を捨て退いたラッツとバクーが観念したと見えたのか、憲兵が一斉に襲いかかってくる。
「ここ辺りで良いか?」
「はい! ……飛びます!」
「と、飛ぶ!?」
「飛ぶ」――――
ララはそう叫び、自身の親指に勢い良く噛み付くと、わずかな鮮血がその小さな指から滴り落ちた。そして、その指を本にあてがった瞬間――――パチンと小さな火花が魔術書の上に発生した。
「うわっ!」
「な、何だこれはっ!」
最初の火花に連鎖するように、目の前に次々と火花が飛び散っていくその光景に憲兵や渦中のラッツも驚嘆の声を漏らす。
そして、その火花が次々とララ達の周りを侵食して来た次の瞬間、まるで巨大なレンズの中に閉じ込められた様にグニャリとララ達の姿が歪み――――けたたましい金切り音と共に、忽然と三人と一匹はその場から姿を消した。