第31話 企み
魔術師協会のシュタイン王国支部、通称「セントラル」が設けられた都市、ヴェルド。
北方の非武装中立地帯にあるこの街はビビの街と同じく、軍隊および武器一切の持ち込みを禁じている為に内戦の戦火を逃れ多少賑を見せている数少ない街だった。
魔術師協会の支部があるために、ヴェルドに住む住民には魔術構文師や魔術解読師が多く、彼らを相手にした羊皮紙や没食子インクなどを販売している商店が軒を連ねており、一風変わった町並みで観光客達の目を楽しませている。
「調査団からの報告は?」
セントラルの一室、白を基調としたインテリアで飾られた部屋に設置された椅子に腰掛け、ジンが怪訝そうな表情を浮かべ、目の前に立つ協会の職員にそう問いかけた。
ハイムのあの声明があって、協会はパルパス、ゴートへの支援を一時中断せざるを得なくなってしまった。すでにハイム軍の主力を分断し、パルパスの先鋒はキンダーハイムに近づきつつあるとはいえ、侵攻の遅れはハイムに息を吹き返す間を与えてしまいかねない。
正直な所を言えば、体裁など捨ててでも一気にキンダーハイムを落とすべきなのではないか。
ジンはそう考えていた。
「主要な都市での調査は完了したという報告は受けております」
「それで」
「は。……目立った協約違反は無い、とのことです」
違反などあるわけはない。
職員のその報告をうけ、ジンは心の中でそうぼやいた。
ゴートに魔術書を提供し、ラインライツで使用させた時のように、裏工作をすることは容易だが、時間が無かった。
協約違反が見つからなければ、協会が内戦に関与する理由がなくなる。そうなれば、侵攻の遅延どころか、作戦は中止になってしまうだろう。
ヴァイス司教が言っていた、ヴィオラの声明を発表するプランにかけるしか無い。
ーーと、焦るジンを焚きつけるかのように、ドアをノックする音が部屋に響いた。
「なんだ」
怪訝な表情をにじませたまま、ジンが返事を返す。
間を置いて、部屋のドアを開けたのは、先客と同じ協会の職員だった。
その職員が一礼して続ける。
「ランドルマンさんがおいでですが、いかが致しましょう」
「……! ランドルマンが?」
その言葉にジンは驚嘆した。
来るはずのない客ーー
まさか。奴はモーリスに向かったはず。なぜモーリスを通り過ぎここに居るのだ。
「お通ししますか?」
「……通せ」
今面倒な事を増やしたくはない。正直なところを言えば、このままお引取り願いたい所だが。
そう考えながらも、先にこの部屋を訪れていた職員に下がるよう指示を出す。
「次から次へと……」
問題ばかり起こる。
ジンは小さく舌打ちした。
ジンはランドルマンをどうするべきか悩んでいた。いや、どのようにして「処理」すべきかという事に。
ランドルマンはよく動いてくれた。足を向けて寝れない程に感謝している。
だが、奴は知りすぎた。
私の策略と、これからのこの国の事を。
そろそろ退場してもらう必要がある。だから奴をモーリスに向かわせた。パルパスの侵攻でハイムもろとも消えてくれればこれほど楽な事は無い。
だが、奴は私の前に戻ってきた。
全くもって忌々しい男だ。
ーー私の手をわずらわせるとは。
ジンが左手の指に着けている指輪を確認したその時、ゆっくりとドアが開いた。
その向こうに立っていたのは、変わらず冷たく尖った空気をまとっているランドルマンだ。
「ノックぐらいしろ、ランドルマン」
「ノックしないとまずいことでもやっていたのか?」
いちいち癇に障る事を言う男だ。
そう思いながらもジンは冷静を装い、不敵な笑みを浮かべ肩をすくめた。
だが、そのジンの笑みは、ランドルマンの背後に立っていた男の姿にかき消される事になった。
「ガ、ガーランド!?」
「よう、ジン」
ガーランドの姿に、思わずジンが椅子から立ち上がる。
ランドルマンだけではなく、ガーランドまで。
「なぜお前がここに居る! 大協約違反を犯した犯罪者が……ッ!」
「ハッ、良く言うぜ」
お前の策略だろうが。
そう言いたげにガーランドが苦笑する。
「なぜガーランドがここに居る、ランドルマン」
まさか……図ったか。
二人の姿に警戒の色を強め、警備の職員を呼ぼうとしたジンだったが、ガーランドが掲げた両手を見て、すべてを理解した。
錠がかけられた両手。
思わずジンが笑みを浮かべた。
成る程、ランドルマンはガーランドを捕らえ、ここまで連れてきたと言うことか。
さっさと始末しなかったのは誤算だが、ガーランドを捕らえたのは大きい。それにランドルマンはこちらの企みを知る由もなく、忠実な「猟犬」としていまだ私に尻尾を振っているということだ。
「……でかしたぞ、ランドルマン」
「やっと捉えることが出来たので、貴方にまずは報告を、と思いまして」
ランドルマンはそうつぶやくと、ガーランドの腕を取ると部屋の中へ投げ入れるように突き飛ばした。
「優しく扱えよ、ランドルマン」
「黙れ。……どうしますか、ここで処理しますか?」
ぼやくガーランドに一瞥し、ランドルマンが冷酷にそう言う。
それも良い。ガーランドが暴れた事にしてーーランドルマンともども二人まとめて消す。
そうすればすべては丸く収まる。
「そうだな」
「ちょ、ちょっと待てッ!」
ガーランドの声が部屋に響く。
慌てて「話が違うぞ」とガーランドがランドルマンに詰め寄るが、ランドルマンは軽くそれをいなすと、ガーランドの頬を殴りつけた。
「ぐっ……てめぇッ!」
「どうした。……まさか本気で俺がお前と取引をするとでも思っていたのか」
ランドルマンはそう言うとサングラスを中指でゆっくりと上げ直した。
「ほう、どういう事だ、ランドルマン」
「いえ、この男を大人しくここに連れてくるために一芝居打っただけの話です」
「……てめぇッ!」
ここに来て裏切ったか。
瞬時に激昂したガーランドがもう一度ランドルマンに食って掛かるが、両手を封じられたガーランドは為す術も無かった。
ランドルマンがガーランドの足を蹴り、ぐらりとバランスを崩した所に渾身の膝蹴りをガーランドの顔面に叩きこむ。
ぱっと鮮やかな鮮血が飛び散り、フローリングに幾つか小さい花を咲かせた。
「ぐッ……!」
強烈な蹴りをまともに食らってしまったガーランドが膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
血の匂いを伴いながら、睨みつけるガーランドの視線。
その姿に思わずランドルマンが笑みを浮かべた。
「な、何事ですか!?」
さすがに騒ぎを聞きつけたのか、数名の職員がジンの部屋になだれ込んでくる。
「気にするな。この男から情報を聞き出しているだけだ。ランドルマンも居る。しばらくこの部屋には来なくて良い」
「は……承知しました」
そう言ってジンが彼らを手で制した。
事態はすでに収集している。「これからの事」を考えると、逆に余計な職員など居ない方が良い。
地面にうなだれているガーランドと不気味に佇むランドルマンに憂色を浮かべながらも、言われた通りに部屋を去る職員達を見送ると、ジンがガーランド傍らへ屈みこんだ。
「何を企んでいたのか知らんが、ランドルマンに話を持ってきたのは失敗だったな」
「くっ……」
その口惜しそうなガーランドの表情を見て、ジンは悦に浸った。
穏健派の中でも魔術師協会の上層部に影響を持つ男、ガーランドが間もなく消える。そうなれば、魔術師協会で私達に歯向かえる者は居なくなる。
もうすぐだ。もうすぐ魔術師協会は私の物になる。
「悔しいか、ガーランド。すべてを失い、私の前に平伏す事になった事が」
「てめぇ……」
「クク、全ては計画通り……お前と……ランドルマンが消えれば全ては丸く収まる」
「……何?」
そうつぶやいたジンが指輪がはめられた左手の人差し指をランドルマンに向けた。
その瞬間、強烈な衝撃がランドルマンの身体を襲った。衝撃はその身体を軽々と吹き飛ばし、背後の壁にランドルマンを叩きつける。
「ぐうッ!」
ぐしゃりという聞きなれない音が響き、部屋が大きく揺れた。
凄まじい衝撃。
ランドルマンが叩きつけられた壁に穿たれた穴がそれを物語っている。
「何を……」
ランドルマンが苦悶の表情を浮かべながらジンを睨みつけた。だが受けたダメージは相当の物だったらしく、上手く身体を動かすことができない。
つんのめるようにその場にランドルマンは倒れ込むしか無かった。
「言っただろう? ガーランドとランドルマン、お前をこの場で殺して、それで終わりだ」
「……ど、どういう事だ」
「クク、お前らしくないなランドルマン」
ジンは勝ち誇った表情をランドルマンに送りながら続ける。
「私が協会を掌握するにあたって、お前たちは邪魔だということだ」
「……掌握、だと」
「そうだよ、ガーランド」
悶えるような声を上げるガーランドにジンは冷たく微笑む。
「すべてはパルパスのヴァイス司教と共にこの国を支配するために仕組んだ計画だった、ということだ。ギュンターに禁呪を復活させたのも。魔術院からブランを逃したのも」
ジンが両手を広げ、完全に悦に入った笑みを浮かべる。
気持ちがいい。やはり計画通り物事が進むのは良い。それに二人の絶望に満ちた視線。そのすべてが気持ちが良い。
だが、ジンの高揚感は直ぐに消されることになる。
「……クク」
「……?」
ジンの目前、小さく肩を震わせ始めたのは、ガーランドだ。
ガーランドだけじゃない。壁で項垂れるランドルマンもまた、笑みを浮かべている。
「……何がおかしい」
「いや、こうも筋書きどおり行くとは思ってなくてよ」
「何?」
「どうだランドルマン?」
ガーランドが笑みを浮かべたまま、ランドルマンの方に視線を移す。
それを追うようにジンが見たその先。
ガーランドの手に持たれていたのは……「念話魔術書」
「……ッ! それは……」
「ペラペラとよく話してくれたぜ。ジン。あの『念話魔術書』が繋がってる先、なんとなく判ンだろ?」
念話魔術書はぼんやりと発行している。それは誰かと念話がつながっている「通話中」のサインだ。
ジンの背筋に冷たいものが走った。
「……まさか穏健派の……」
「さすがジンだな。カンがするどい」
しまった。ハメられた。
その事実を知ったジンは血の気を失ってしまった。
「ジン、お前の口から全部話してもらうにはどうすればいいかと悩んでなぁ。まぁ、ランドルマンにあそこまでやられるとは思ってなかったが」
「本気でやった」
「だろうな」
クツクツとガーランドが笑いをこらえる。
一芝居打った。ランドルマンが言ったセリフはその通りだった。より確実にランドルマンがジンに忠実だということを思わせ、ジンの口をすべらせるために仲間割れを装う。
事前にガーランドが計画した通りの流れだった。
そして、ランドルマンが懐に隠す「念話魔術書」で協会内でジンと強硬派に対し、付け入る隙を伺っていた「穏健派」にその会話を聞かせる。
「……裏切ったな、ランドルマン」
ジンが殺意と憎しみが篭った鋭い視線をランドルマンに送る。
まさかここに来て、飼い犬に噛まれるとは。その飼い犬のおかげで私の計画はーー
「裏切った? フン……」
戯言を。ランドルマンが鼻で笑いながら、ジンを一瞥する。
「裏切ったのはどっちだ、ジン。モーリスに俺を送り込み、ハイムと共に消すつもりだったのだろうが」
「……ッ!」
「そもそも、俺はお前を信用しては居ない。『こうなる時』をただお前に一番近い場所で狙っていただけの話だ」
「……貴様ッ!」
再度ジンが指輪をはめた指先をランドルマンに向ける。
空気がうねり、まるで銃の様に空気の弾丸を放つーー
明らかな魔術、それも発現の為の手順を必要としないカスタム品の魔術書だ。
だが、先ほどそれを見ていたガーランドがジンの動きを読み、すでに動いていた。
「オラッ!」
ジンの左手を右手で弾き、ランドルマンに向けられたその魔術の軌道を反らし、捻った背筋を使って渾身の左拳を顔面に叩きこむ。
「ぎッ……」
グシャリとジンの顔が歪む。
強烈な拳を叩きこまれたジンは、まるで馬車にでも跳ねられたかのように吹き飛び、地面に転がる。
「お前はもう終わりだ、ジン。大人しく穏健派の連中が来るのを待ってろよ」
いつでも外せるようにその手錠は細工されていたらしく、指を鳴らしながらガーランドがほくそ笑んだ。
「どいつもこいつも……」
鼻と口から流血を滴り落としながら、ジンが怒りで身を震わせた。
こんな所で。あと少しの所で。
「許さん……」
ゆらりとまるで幽鬼の様にジンがゆっくりと立ち上がると、その空気に思わずガーランドが身構えた。
腐っても魔術院の最高権力者であり、有能な魔術解読師だ。
油断はできない。
「ガーランド」
ジンの釣り上がった目から野獣の様な殺気がみなぎるのを感じ取ったランドルマンが静かにガーランドの名を呼ぶ。
「お前は下がっていろ」
そう言ってランドルマンが前に出た。
どういう風の吹き回しだ。
ランドルマンのその行動にガーランドは狐につままれた様な表情を見せる。
「……どういうつもりだ、ランドルマン」
「約束を忘れるな。……お前が手を汚す必要はない」
「……ハッ!」
呆れた様な笑いがガーランドから放たれた。
穏健派に再度いらぬ煙が立たないように、汚れ仕事は全て自分で引き受けるという訳か。どこまでも目的に忠実で抜け目ない男だ。
「律儀な男だ」
そう言って、ガーランドが黒いグローブがはめられた左手でランドルマンの肩に触れた。
ジュウと、何かが泡立つ様な優しい音と共に、ランドルマンの身体から先ほどジンの魔術で受けた痛みが薄らいでいく。
ガーランドのグローブに刻まれた治療魔術だ。
「余計なことを」
「余計なこと? どっちがだ」
そう答えるガーランドに目もくれず、ランドルマンがジンの前に立った。
先ほどガーランドにやられた顔面からは、未だどす黒い血が滴り落ち、地面を赤く濡らしている。
今までに見たこともないような姿。
ランドルマンはジンを見てそう思った。
狡猾で思慮深く、知る限り最高の魔術解読師の知識を持っていた。だがどうだ、やはりジンも赤い血が流れる一人の人間だったと言うことだ。
このまま蹴りを放てば終わる。
ランドルマンはそんな気すらしてしまった。
「クク……」
だが、立場は一転し、明らかに劣勢な状況に追い込まれているはずのジンが不敵な笑みをこぼした。
ランドルマンには判っていた。
ジンのこの顔はーー何か企みを持っている時の顔だ。
「何を言っても聞かんぞ。ジン」
ランドルマンが先手を打つ。
が、ジンは変わらず、続ける。
「クク……知っているぞ、ランドルマン。お前が権力を求める理由を」
「……もうそれ以上口を開くな」
ギュウと右拳を握りこみ、ランドルマンが力を溜める。
「だが、判らんな。お前はなぜ『まだ』権力にすがりつく?」
ぴくり、とランドルマンの動きが止まった。
その反応にジンはさらに口角を上げた。
ーーまだ、と言ったか。今。
人間は独りでは生きてはいけない。誰かに寄りかかり、誰かを助け、そして助けられる。そうして人間は人生という絵を描く。
そして、はじめから強い人間など居ない。
守るべき物があるからこそ、人は強くなれる。
ランドルマンも同じだった。
ーージンが放つその言葉を聞くこの瞬間までは。
「知らなかったようだな、ランドルマン……お前の息子は今朝、死んだ」