第28話 彼の地を目指して
木々の隙間から差し込む木漏れ日の明かりが顔をくすぐる。その心地よさに起こされるように、ララは目をさました。
人気の無い、街道から離れた森の中なのだろうか、地面に敷かれた簡易的な寝袋の上に寝ていたことにララが気がつく。
「大丈夫かい?」
「……あっ」
心配そうに顔を覗きこんでいるのは気の強そうな女性だった。たしか、あの廃教会で会った女性。
「なンかうなされてたみたいだけど」
「あ、えっと、大丈夫……」
何か夢を見ていた気がするけど、何だったか覚えていない。何か恐ろしさと物悲しさだけが少し心に残っている。
言葉を探すように返事を返して、ララはそう思った。
「まぁ、あんなことがあった後だしね、仕方ないか。アタシはユーリア。よろしくな」
綺麗な人。
すこし照れたような笑顔で手を差し出すユーリアにララはそう感じた。なんというか、力強い中に可憐さが潜んでいるような、そんな雰囲気の女性。
「ララといいます」
「ララちゃんね。いい名前。あん時は助けてくれてありがとな」
「あ、いえ。助けたのは私じゃなくて……」
差し出されたユーリアの手を握りながら、ララはふとヘスの事を思い出した。
あのスキンヘッドの男に首を掴まれて、それでーー
「大丈夫、あの子達はアタシの連れントコで寝てるよ」
「え? あっ……ありがとうございます」
心を見透かされてしまったララが慌てて頭を下げた。
そして、そんなララの姿を見ながらユーリアは笑みを浮かべる。ニマニマとした何処かよからぬ事を思っていそうな、そんな笑みだ。
「な、何か……」
「いンやさ、あの子、アンタの男なのかい?」
「……ッ!」
ユーリアの口から発せられた突然の言葉にララは目を丸くした。
「えっと、ヘス君は……ヘス君とは……」
どういう関係なのか判らない。それが答えだった。
ヘス君が知っている私とはひょっとすると、そういう関係だったのかもしれない。だけれど、今の私には、彼がどういう存在なのかが判らない。
「……どした?」
うつむき、項垂れるララを見て、ユーリアはそのよからぬ笑みをしまい込む。ララの空気が普通じゃないと語っているからだ。
「私、わからないんです」
そうしてララはこれまでの経緯をユーリアに語り始めた。
語らう森での出来事、追われていること、そして記憶が無くなってしまっていること。
「記憶が……?」
「はい。ヘス君と私は幼なじみみたいなんですが」
「なるほどね、だから彼は何なのかが判らない、と」
ユーリアの言葉にララが静かに頷く。
「ちゅーか、奇遇だな」
「……え?」
「アタシ達もおんなじ。まぁ、そっちとは逆に、男の方が記憶無くなっちゃってるんだけどさ」
そう言って今度はユーリアがモーリスまでの出来事をララに説明する。
アルフが傭兵だった事、魔術によって泥人形になった事。そして、ララと同じく、失った記憶を戻すために旅を続けている事。
「聞く所によると、アタシの連れ……アルフもアンタとおんなじらしいよ」
「私と、同じ?」
「そ。どうも、記憶が無くなるとさ、愛だの恋だのと言った感情が『ゼロ』になるらしくてさ。まぁ、赤ん坊と同じに戻ンだから、そりゃそうだわな、って話なんだけど」
そういってユーリアが小さく肩をすくめる。
「だけど、アルフは本能で判っているらしくてさ。頭で理解出来なくても心でわかるっつーの? ……アタシが自分で言うなって話だけどさ」
照れくさそうに笑うユーリアにつられてララも笑顔をこぼす。
「頭では理解出来なくても心で判る。ですか」
「そ。でもさ、早く頭でアタシの愛を理解しろって思ってるけどね」
ユーリアの言葉に見え隠れしているそれに、ララの心が少し疼いた。どこか懐かしい感じがする疼き。ジンジンという表現がいいのだろうか、お腹のあたりがしびれるような感覚。
この人をみてるとなんとなく判る。ユーリアさんがアルフさんに想っているそれが愛情なのだと。
「私も早く思い出したい」
「ン。そうだね」
そう言ってユーリアが笑顔でひとつ頷く。
きっと思い出せるよ。
ユーリアの笑顔がそう語っているようにララに思えた。
***
行動にはかなりの制限がかかってしまう。
完全にパルパスに掌握されている為に、仕方が無いことだが、一ブロック進むだけでかなりの危険を伴ってしまうのはよろしくない。
リンとカミラをあの廃屋に残して来て正解だった。
天高く上がってしまった太陽を見上げ、スピアーズはそう思った。
「スピアーズさん」
集合場所にしていた南門から二ブロック北へ進んだ魔術師協会の出張所跡に二つの人影が現れた。甲冑を脱ぎ、市民に変装したラッツとナチだ。
「どうでしたか?」
「駄目ですね。全く痕跡すら」
「そうですか……」
ララとヘスはともかく、魔術師協会の職員でもあるガーランドの痕跡すら見つからないとは。ラッツの報告にスピアーズは眉をひそめた。
「スピアーズさん、大変申し上げにくいのですが……」
「なんでしょう」
「もう陽が高く上がってしまっています。ララちゃん達を探す事にはもちろん協力したいのですが……」
パルパスに捕まってしまったヴィオラとバクーは刻一刻とモーリスから離れ、ヴァルフォーレに近づいていく。そうなってしまえば、助ける事が難しくなってしまう。
スピアーズは悩んだ。
ガーランドとララ達が一緒であれば、どうするだろう。多分、向こうもこちらを探そうとするはずだ。だが、合流していない以上、向こうも見つけてはいない。モーリスにとどまればとどまるほど、パルパスに捕まるリスクは高くなっていく。
捜索を諦め、ヴァルフォーレを目指すべきか。
その結論に至ろうとしたその時、もう一人の捜索隊からの報告が入る。
「スピアーズさん」
瓦礫の影からひょっこりと姿を表したのは、白に近いグレーの毛で覆われた小柄なオオカミ、ルフだ。その口に何か布の様なものを咥えている。
「何か見つけたか?」
スピアーズが身を屈め、ルフを撫でながら口に咥えたそれを受け取る。
「えへへ、ガーランドさんの匂いがするベスト!」
「おお」
思わず声を上げたのはラッツだ。
「僕偉い? 僕偉い?」
もはや狼の威厳が感じられないほど、目をキラキラさせ夢中でルフが尻尾を振っている。
きっと、この子は楽しんで捜索をしていたに違いない。
スピアーズは呆れた様な笑顔を見せ、もう一度ルフの頭を撫でる。
「偉い偉い! ウチの騎兵とは比べ物にならないほど、快挙!」
そう言って、後ろからルフを抱きしめたのはナチだ。毛並みの良いルフのふかふかとした姿がどうもナチの心を揺さぶっていたらしい。
抱きしめたまま、わしゃわしゃとルフを撫でるナチに、ラッツは呆れた表情を見せる。
「……ウチの騎兵って、僕の事?」
「他に誰が居ンのさ」
「ナチだって同じだろ。一緒に探してたんだからさ」
だが、そう言うラッツの顔を、ルフの身体に顔をうずめながらナチが睨んだ。
何か文句ある? 私、何かを探すの得意じゃないし。
彼女の顔はそう語っている。
「ルフ君お手柄だね〜。そこの騎兵君に捜索のコツを教えてやってよ」
「え、えっとね」
ナチの言葉にぶんぶんとルフがナチとラッツの顔を交互に見、そして、一瞬考えた後、続けた。
「匂い! 匂いを追いかけていけば、行けるよ!」
「ああ……」
その通りです、ルフさん。だけど貴方が狼っぽい犬だからできることなんですよ。
アドバイスに少し期待していたラッツがものすごく肩を落とした。
「……だが、よくやったと言うべきだな。ルフ」
「えっ?」
すこしどんよりとした雰囲気を吹き飛ばすようにスピアーズの静かな声が響いた。
「ベストから何かわかったんですか?」
「メッセージです」
そう言ってスピアーズがベストを広げた。
「『ララとヘスを探せ。彼らは生きている。目的地を目指せ』……じゃあララちゃん達は」
「どういう状況か判らないですが、ララ達はモーリスを離れたと言うことでしょう」
同時に、ガーランドはヴェルドを目指しモーリスを離れたと言うことか。
そのベストを携帯していた袋にしまい込み、スピアーズがゆっくりと立ち上がる。
「行きましょう、ラッツさん、ナチさん。廃屋に戻って、出発です」
「判りました」
目的地はヴァルフォーレ。
俺の旅の出発地にして、終着点。
ーーそして、辛い現実が待っていようとも、俺は俺の任務を全うするだけだ。
ラッツとナチ、ルフの姿を見て、スピアーズは心の中で、己に言い聞かせた。