第7話 夢のラミア魔術書房
ラッツとバクーがカフェテリアに到着した時にはすでに騒ぎの後処理が行われている所だった。黄色いテープがカフェテリアの入り口に貼られ、憲兵が入るなと言わんばかりに敵意の隠った眼差しを従えながら立っている。
「女の子は……見えないですね」
お目当ての少女らしき姿はすでになかった。先ほどの話では「カフェから逃げた」と言っていたので、すでに逃げてしまったのか後なのか、それとも捕縛されて憲兵本部に連行されてしまったのか。逃げたのであれば、まだチャンスはあるが、憲兵本部に連行されてしまってはさすがに手が出せない。
「ラッツ、貴様はここで待て。あそこの憲兵に尋ねてくる」
「えっ、私が行きましょうか?」
「良い。貴様のような新米が行っては舐められて得られる情報も得られん。私がビシっと言えば一発だ」
ビシっと手刀を振り下ろし、険しい眼光でバクーが言ってのける。憲兵にビシっと言っても仕方がないのではないか。ラッツは少し嫌な予感がしたものの、ここは上官に従う事にした。
「了解しました。ここで待機します」
「うむ」
そう言ってバクーがカフェテリアの入り口前に立つ憲兵の元に向かう。
バクーを待つ間、通りに立ち並んでいる店々を眺めながら、ラッツは事前調査した今晩の食事について思いを巡らせ始めた。
バクーはどうかわからないが、ラッツはビビの街は初めてだった。禁呪捜索に充てられた時間は一週間。ビビの街を中心に捜索に当たる予定だったため、訪れたことがないこの街についてラッツは事前に調査した。歴史や経済などについては後回しにし、まずは「食」と「住」について調べた。一日の疲れを取るための「住」と、一日の楽しみになるであろう「食」には特に気を使うべきと思ったからだ。自分は問題ないのだが、チョイスによってはバクーの機嫌を損ねてしまう恐れがある。そうなれば捜索にも支障がでるだろう。遊びのようなそれも重要な任務だった。調べた所、ビビの街は得に「食」については豊富だった。ピロシキが名物らしいが、北部の寒冷な気候にピッタリのアサリやイカ、タコなどの海の幸を蒸し煮にした魚介のカタプラーナや、バターとワインでじっくり煮込んだ鹿肉の赤ワイン煮、野菜がたっぷり入ったじゃがいもと豚肉のハーブ蒸しなど、調べただけでもラッツの唾液腺は刺激された。
「オーソドックスなカタプラーナかな。いや、ハーブ蒸しも捨てがたいな」
しっかりと任務をこなして、楽しめる時にしっかりと楽しむ。それが良い軍人というものだと、ラッツは口の中に溢れ出す唾液を必死に飲み込みながらそう思った。
大通りの人々の隙間を縫うように、冷たい風が通り抜ける。軍服の下にも幾つか羽織っているものの、全く意にも返さないその冷たい風がラッツの身体を容赦なく攻め立てた。身をゆすりながら、ラッツはもう一度立ち並んでいる店々を眺める。
「……遅いな」
ラッツが遠目に憲兵と話し込んでいるバクーの姿に視線を移す。一言二言で済むはずだが、何故か身振り手振りを交えて説明している姿が見えた。次第に、一人、もう一人とバクーの周りに憲兵が集まっていく。何かまずい気がしてならない。
「……かッ! ……貴様ッ!」
ビビの街の冷たい風に乗って、バクーの怒鳴り声らしき物が流れてくる。何をしていらっしゃるのですか。ラッツの顔から次第に血の気が引いていった。
と、突然背後に回った憲兵がボディチェックを始めた。流れてくる怒鳴り声から察するに、不審者と思われたのだろうか。いや、ひょっとすると軍服がまずかったのかもしれない。そういえばビビの街はクロムウェル人が多いと何処かの記事に書いてあったことを思い出した。まずいではないか。
クロムウェル人は支配階級にあるハイム人を憎んでいた。遥か昔、この大陸が小諸国の集合体だった時代から、「支配する側」と「される側」だったからだ。シュタイン王国になって多少その節は無くなってきたものの、根強い憎しみは「旧時代のツケ」として長く尾を引いていた。
憲兵はバクーの上着から順に丁寧に身体を調べている。と、腕部に何か違和感があったらしく、騒ぎ立てるバクーを制止し、無理矢理袖口から腕を入れる。憲兵が手を袖口から抜くと……小さい「何か」が握られていた。その「何か」を見られた瞬間、あろうことかバクーが踵を返し、猛然と厳しい眼光のままこちらに走りだした。
「……ええっ!?」
ラッツは己の目を疑った。けたたましい憲兵の笛の音がまたもやビビの街に木霊した。
「ラッツ!」
「な、な、何ですか!? 何を隠し持ってたんですか!?」
「軍人たるもの、常に非常時に備え、武器の携帯を怠ることなかれ、なのだッ……逃げるぞッ!」
「えぇえぇっ!? 武器を隠し持っていたんですか!? どうやって!? どうやって!?」
理解できないとラッツは頭を抱える。バクーが巧みだったのか、来街者をチェックする憲兵がいい加減だったのか。とにかく今は逃げないとまずいとラッツの脳は瞬間的に指令を身体に送り、全力でバクーの後を追う。憲兵の笛の音に追い立てられるように「勘弁して下さい」というラッツの泣き叫び声がビビの街を走り抜けていった。
***
ララはラミア魔術書房の入り口で、まるで地面に打ち付けられた杭のように呆然と立ちすくんでいた。
屋外の騒がしい世界と一線を画した、まるで「知のオアシス」と言わんばかりに柔らかい静寂に包まれた店内。「最初の魔女」をイメージした彫刻や絵画、綺羅びやかな装飾が施された天窓。適度に保たれた空調と、静かすぎず、かと言って五月蝿くはない気持ちのよい静寂で集中力が研ぎ澄まされるような雰囲気がララの幸福感を刺激した。
「こ、こりゃぁ……」
「すごい……」
ララはラミア魔術書房に二度腰を抜かした。
一度目はその外観だ。ラミア魔術書房の外観はビビの街の象徴である「ビビエント城」に勝るとも劣らない、巨大で荘厳な雰囲気を醸し出していた。
そして二度目はその中身だ。
外観に見劣りしない、内観も素晴らしいものがあったが、一番驚いたのはその魔術書の多さだった。存在している全ての魔術書が揃っているのではないかと思わせるほどの本、本、本……。「ラミア魔術書房に来れば欲しい魔術書は必ず見つかる」と新聞で宣伝されていたのをララは見たことがあった。「どうせ嘘だ」とたかをくくっていたが、ララが実際目の当たりにしたそれは、誇張宣伝でも何でもない事実だったという事がララに衝撃を与えていた。
「ララが夢中になっちまうのも頷けンな。こりゃすげぇ」
あんぐりと口を開けたまま、トトが目を丸くする。
「ビビエント城が旧世代の象徴で、ラミア魔術書房は新世代の象徴なんだって」
「へぇ。……つか、詳しいなララ」
「うん。そこの来場者カタログに書いてた」
ほら、と三つ折りカタログをトトに見せる。なんだかんだ言ってやっぱり満喫してんな。トトが呆れ顔でララを見つめる。
「ンなことより、さっさと魔術書買おうぜ。憲兵の連中がここにも来るかもしんねぇし」
「うん、そうだね」
善は急げと、ララとトトはラミア魔術書房内に踏み込んだ。
ラミア魔術書房では、探している魔術書がすぐ見つかるように、棚ごとにジャンルに分けし、さらに五十音順に分別されている。水を召喚できる「水の魔術書」や、料理に最適な小さい炎を召喚できる「火の魔術書」を始め、暖房魔術書や冷凍保存に使える「氷の魔術書」、食材を簡単に切ることができる「切断魔術書」、自然治癒力を高める「自然治癒魔術書」など、数多くの魔術書が並べられていた。
通常魔術書店で購入出来るものは、魔術解読師の知識が無くても発現することができる「下級魔術書」だ。魔術解読師の知識が必要な「中級魔術書」以上の物は、「専門ギルド」で習得・購入が可能になっている。専門ギルドで、発現するための手順を学び、ライセンスを取得した上で魔術書を購入する、という流れだ。
ちなみに、「中級魔術書」には、欠損した人体を補助するための補助具を自在に動かせるようにする「義装魔術」や、大きな傷を癒やす「治療魔術」、人間以外の動物と会話ができる「翻訳魔術」、鎧などの防具の耐久性を上げる「防護魔術」など「たいていの日常生活では必要無いが、いざというときにとても需要がある魔術書」が多い。トトが人語を理解し、会話できるのもこの中級魔術のおかげだ。
「え~っと、あとは……」
ララがふらふらとした足取りで、幾つかの魔術書を抱えている。店内には成人以上の客しかおらず、未成年、しかもララの様な幼い少女が幾つもの魔術書をかかえている光景などそうそう無いようで、物珍しいと行き交う人々がララをチラチラと見ていた。
「あのよ、なんかさっきからメッチャ見られてないか?」
「そう?」
「ひょっとして、憲兵からもう手配書とかが回って来てンのかな?」
キョロキョロと辺りを見渡しながら、トトがつぶやく。
「まさか。そんなすぐには無理だよ。それに、顔だって判らないでしょ。前科が有るわけじゃないし」
多少、人々の視線はララも気にはしていたものの、手配書が回っているという考えはなかった。カフェを逃げ出してから一時間ほどしか経っていないので、さすがにその時間で手配書をこしらえるのはムリだろう、とララは思っていたからだ。万が一手配書が回っているのであれば、もうすでに御用になっているはずだ。それもそうか、と呟くトトに落ちそうな魔術書の一冊をくちばしで咥えてもらい、必要な最後の魔術書を手にする。必要なものは揃った。あとは何処かで改変するだけだ。
「よし、これで最後。行こうトト」
「あいよ」
数冊の本を抱えバランスを取りながらララはラミア魔術書房のレジに千鳥足で向かった。
***
レジを待つ間、トトはレジの隣に建てられた石像を眺めていた。「最初の魔女」をイメージした石像だ。長い髪に足先まであるローブに身を包み、杖を構えている凛々しい女性の像だ。左肩にはカラスの彫刻もある。
「なぁ、ララ。あの像さ、なんか俺らに似てるよな。あっちのカラスはメスだけど」
そう言われ、ララが「最初の魔女」の像に視線を移す。
肩に乗っているカラスはメスだとトトは言うが、ララには全く区別がつかなかった。
「カラスってさ、何処でオスかメスか判るの?」
「あン? ンなもん見れば判ンだろ。どっからどーみてもメスじゃん」
馬鹿かよ? と言わんばかりにトトが吐き捨てる。そう言われて、しばしトトと像を見比べるが、やはりララには判らなかった。
「……お会計よろしいですか?」
トトとくだらない会話をしている内にいつの間にレジの順番が回ってきていた。優しい笑顔を見せながら店員がララに問いかける。お店の雰囲気にピッタリあう、優しそうな女性の店員だった。やはり大手の魔術書店は店員から違うな。ララはそう思いながら、リュックの中から金貨一枚を店員に渡した。
――と、金貨を受け取った店員の表情に一瞬陰りが見えた、気がした。
「金貨一枚お預かりいたします。少々お待ち下さい」
芯の通った流暢な言葉を発しながら、店員が金貨を持ったままレジを離れる。レジを離れて、泥棒でもされたらどうするのだろうか、ふとそんなことが脳裏に浮かびララはレジをぼんやりと見つめる。――――レジには紙が貼られていた。
「黒髪」「ショートボブ」「黒縁眼鏡」「スノーフレークのポンチョ」と書かれている紙だ。何か見覚えがあるワードだとララは思ったが、その次に書かれていた言葉を見てララは「最初の魔女」の像のように固まった。
『この少女を見たら連絡乞う。 ――ビビエント憲兵隊――』
ララにはどういう事かすぐには理解できなかった。ララは固まったまま、先ほどの店員が向かった先にゆっくり視線を移す。警備員とこちらを見ながら話している店員の姿が見えた。
――――まずい。憲兵が先ほど取り逃がしたララの特長を箇条書きして辺りにすでに配っていたのか。なんという執念か。
「トト、トト」
咄嗟に魔術書をリュックの中に押し込みながら、ララが小さく叫ぶ。トトはまだ
「最初の魔女」の像に夢中のようで、「は~」とか「ほ~」などといった感嘆の声をあげていた。
「トト!」
「何だよ、うっせぇな」
「……まずいよ、捕まっちゃうよ!」
「へっ?」
警備員がララの動きに感づいたのか、駆け出してきたのが目に入る。そのタイミングで、ララは魔術書が入ったリュックを背負い、出口へと走りだした。
「行くよ! トト!」
「その少女を止めろ!」
ラミア魔術書房内に警備員の叫び声が響いた。レジを済ませた客や、来店した客が何事かと驚いた表情を見せているがお構いなしにララは走り抜けた。レジから、警備員まで十メートル以上離れている。いくら子供の足だからといって、追いつくのは無理だろう。ララは全速力のまま、ラミア魔術書房を飛び出した。
***
「あ、危なかった~!」
人混みに紛れてラミア魔術書房を振り返るが、警備員は外にでること無く、辺りをキョロキョロと見回すと、店内に戻っていく。ララがほっと胸をなでおろす姿に呼応するように、トトがどーだというドヤ顔のような表情を見せた。
「ほらな、やっぱ指名手配されてたろ?」
もちろんトトにそのような表情が出来るわけもなかったが、ララにはトトの口角がキュッと上がった様な気がした。そんなトトを見て、ララは思った。「俺の言うことは合っている」「俺の言うことを聞けば間違いない」としばらく小言の様に言われるに違いないと。
「すいません! どいて下さいッ!」
と、ララのすぐ背後から、叫び声が聞こえる。何事だろうか。
ラミア魔術書房から大通りに出て一息もつく暇もなく、ララは声の方に視線を移す。行き交う数多くの人をかき分け、目前まで迫って来ている人影。同じ服装の男が二人。険しい眼光を放っている髭面のおじさんに、眉を顰め、どこか泣きそうな表情の青年。
「うわわっ! 危ないっ!!」
あ、ぶつかる――――
ララの脳裏にそう浮かんだ時にはもうすでに視界一杯に彼らの青い軍服が広がっていた