第21話 同じ血族
「身を低く。パルパスの騎士だ」
破壊されたモーリスの街の壁に身を隠しながら先頭を行くスピアーズが「しゃがめ」のハンドサインを出しながらささやいた。
「どこもかしこも蒼い軍旗だらけだ」
「ハイム軍は何をやってるんだい」
慌てること無く、ゆっくりと壁の残骸の影に腰を下ろしながらリンとカミラがぼやく。
ガーランド達が戻ってくるまで、南門から少し離れた篝火の元で待機していたスピアーズ達だったが、傀儡兵とあの炎の球、そしてパルパス軍の攻撃から身を守るため、街の中に入るべく、行動を開始していた。
「スピアーズ、あなた死の宣教師でしょう? だったら警戒する必要は無いんじゃないの?」
「……それはそうだがな。わざわざ面倒に足を踏み入れる必要も無いだろう。まぁ、いざとなったら『それ』を最大限利用させてもらうさ」
「……どういう事?」
いつもの不敵な笑みを浮かべるスピアーズにリンが思わず怪訝な表情を見せる。
これまでの事から、彼が裏切るなんてことはないだろうけど。
「安心しろ、リン。お前達を見捨てる事はしない」
「……」
よくそんな歯がゆいセリフを吐けるなぁ、とリンは呆れる。だが、普通の男であれば軽く感じてしまうその言葉がスピアーズの口にかかると、得も知れぬ安心感に変わる。
卑怯だ、とスピアーズの顔から視線を外し、リンは思った。
「でも、ララお姉ちゃん達大丈夫かな」
そう言ってくんくんと辺りからララ達の匂いを確認しながら、ルフが呟く。
スピアーズもまた、そんなルフに釣られるように辺りの状況に目を配った。破壊しつくされた壁、燃える家屋に、横たわる幾つもの死体。
何かあったらガーランドの治療魔術があるとは言え、この状況であれば安心もできない。
「南門の門衛詰め所の方に消えた所までは確認できている。まずはそこだな」
と、そう思ったスピアーズの目前を、燃える家屋の炎に照らされた数騎のパルパスの騎士が横切った。それは襲歩でも駈歩でもない、ゆったりとした常歩だ。
奴らに緊張感は感じない。すでにパルパス軍はこの街を掌握し、残るハイム軍を「狩っている」段階にあるのだろうか。
それに先ほどまで闇夜の空に浮かび上がっていた多くの化け物達も数える程しか居ない。
「早く行こうよ。あいつらより先に見つけないと」
リンの肩に乗るアポロが小さく囁いた。
アポロの言うように、街を巡回しているパルパスの騎士達が見つける前に願わくば何処かに身を潜ませているガーランドたちと合流しなければ。
そう思ったスピアーズは、周囲の安全を再度確認し、ゆっくりと瓦礫の影から身を乗り出す。
「俺が先に行く。次にカミラ、リンは殿を頼む。ルフはカミラの側で鼻を使い周囲警戒。アポロは上空でパルパスの動きを注視してくれ」
詰め所まではそう距離はない。だけど警戒に越したことはないだろう。
スピアーズの言葉に一同は無言で動き出す。
瓦礫の影に寄り添いながら進む一行の視界に、ひときわ多い死体に囲まれた南門が入ってきたのはそれからすぐだった。
「周りには居ないよ」
周囲を回ってきたルフがそう言う。
やはり南門の門衛詰め所にガーランド達は居なかった。
そこにあったのは、ハイム軍とモーリスの住民達の遺体だけ。天から降り注いだ炎の球にやられたのか、黒く炭とかしたものや、パルパス軍とやりあったのか、裂傷が見える遺体。それにーー
「どうやったら、こんなふうになるんだい……」
カミラも思わず声を上げたその状況。
門衛詰め所は天井部分が大きく裂け、上半身を失ったハイムの騎兵と住民の屍ががあちらこちらに散らばっている。
まるで巨大な刃物で建物ごと両断したかのようなその状況。
「傀儡兵だな」
スピアーズが悲痛の面持ちでそう漏らす。
あの空に舞っていた化け物は傀儡兵。実物を見るのは初めてだが、あれは生命付与魔術で生み出された傀儡兵だ。
「傀儡兵って……魔術!? パルパスは大協約を反故して魔術を使ったワケ!?」
リンが驚くのも当然だ。まさかここまで堂々とパルパスが魔術を使うなんて。
聖パルパス教会の司教であり、パルパス陣営のトップであるヴァイス司教の直属部隊である俺にもその情報は来ていない。
「俺も知らない情報だ。だが、あれは大協約で禁止されている『生命付与魔術』で生成された傀儡兵に他ならない。それにあの炎の球。あれも魔術だ」
「アンタも知らない情報っていうのは……アンタにとってまずい状況だって事じゃないのかい?」
カミラの言葉に、スピアーズは何も返せなかった。スピアーズがパルパス軍に警戒をしていたのはそれだった。
内戦で魔術を大々的に使う。そんな重要な事が国の各地で活動している死の宣教師に回ってこないなどあり得ない。俺の元に情報が来ていないと言うことは、それは意図的に止められていたということだ。
チタデルで対峙したハサウェイとガガーリンは司教から「教会の指揮下を離れ、独自に動いている『ボス』のその部下の目的を確認し、必要とあらば処理せよ」との命令を受けたと言っていた。俺の情報は司教に行っている可能性はゼロではない。
だからこそ、パルパス軍から身を隠しながら、ヴァルフォーレにいるユナの元に行く必要がある。
「こちらにも色々あってな。全員ケツに火がついているのは同じだろう?」
そう言ってスピアーズが余裕の笑みを零した。
流石は百戦錬磨の死の宣教師といったところか。どんな状況であれ、動揺を見せない。
スピアーズの笑みにカミラが呆れたような微笑みで返事を返す。
と、その時だ。
「婆ちゃん!」
破壊された門衛の詰め所にルフの叫び声が響いた。
ルフが前足を窓枠に乗せ、街の中心に視線を送っている。
「どうした」
「街の真ん中あたりから、ガーランドおじさんの匂い!」
「中心?」
スピアーズが身を乗り出し、ルフが見る方向に視線を投げる。
パルパスかハイムか判らないが、幾つかの人影が動いているのが見える。そこにガーランドが?
「お前たちはここに残れ、と言いたい所だがーー」
スピアーズが辺りを見回し、続ける。
「……この状況で別れるのは逆に危険すぎるな」
「なんだいアンタ、小娘とババアにこんな死臭漂う場所に残れというつもりだったのかい」
「フッ、それも酷か」
と、自分に向けられる冷たい視線を感じたスピアーズがちらりとリンの顔を見た。
凄まじく軽蔑したような視線を放っているリン。
「……こんな所に残れって言ったら『グー』で行くトコだった」
「それは怖いな。傀儡兵も一目散に逃げ出す『グー』だ」
肩をすくめるスピアーズについ、リンの表情が和らいだ。
一人だったら震えながら隠れるしかないこんな状況であっても、スピアーズと居ると何故か安心する。
「行こうか、迷子の子羊達を探しに」
「ガーランドは子羊じゃないでしょ。熊よ熊。でかい熊」
上空から舞い降りたアポロがリンの肩に止まりそう吐き捨てる。
その言葉に「それはそうだな」とスピアーズは笑い声を立てると、先ほどと同じ陣形を組みながら、街の中央に向かい足を進めた。
***
アルフの身体は、ヒトの形をしながらも、その中に泥人形のパワーを携えているヒトならざる者だ。
魔術により生命を与えられ、魔術により岩石が身体として機能する。泥人形は傀儡兵と違い、その「魔術の根源」を失わない限り、半永久的に生き続ける不死の存在だ。
通常であれば、「魔術の根源」に当たるのはその泥人形を生み出した術者だ。魔術解読師を殺せば泥人形は消える。
当たれば致命傷になりかねないアルフの打撃を交わしながら、ランドルマンは視線をユーリアに送る。
この泥人形はあの女を常に守って居た。十中八九、術者はあの女ということで間違いないだろう。
「シィッ!」
重心を右に落としたアルフの左からのフックがランドルマンに襲いかかる。
一見、顔面を撃ちぬく為に放たれたと思われるアルフのフックだったが、ランドルマンには判っていた。
左フック、右ボディーブローをリードとし、奴の狙いは、関節を狙った左ローキック。何の変哲もない基本的なコンビネーション。だが、最後のローキックが当たってしまえば文字通り右足は破壊されてしまうだろう。
「甘い」
ランドルマンがアルフのフックとボディーブローをダッキングで躱す。そして思った通りに来た左のロー。そのタイミングを狙い、ランドルマンがアルフの軸足になる右足を払った。
「うわっ!」
己の蹴りの力がランドルマンの足払いの力に上乗せされ、アルフの身体が派手に宙を舞う。
やられる。瞬時にそう思ったアルフだったが、ランドルマンの攻撃はアルフへ向かうことはなかった。
「……ッ!」
そのまま地面に叩きつけられたアルフの目に映ったのは、ユーリアの元へ走るランドルマンの後ろ姿。
ユーリアが狙われている。
地面を蹴りあげ、身を起こしたアルフだったが、間に合わないーー
「お前からだ、女」
「……上等じゃねぇか!」
アタシだって戦えるんだ。腰からダガーを二本取り出し、逆手に構えたユーリアが腕を交差させ、その切っ先をランドルマンに向ける。
馬鹿な女だ。ランドルマンは逃げるどころか向かってきたユーリアにほくそ笑んだ。
いくらでも対応はできる。踏み込む女の身体にあわせて、前蹴りを腹部に放てばその衝撃で首元で交差している両手は緩む。そこに手刀を差し込めば終わり。
まだある。体重が乗っているとはいえ、その華奢な身体が乗った力など、たかが知れている。刃以外の場所、例えばその肩に身体をぶつければ、弾かれるのは女の方だ。
どう転んでも、俺が負ける要素は無い。
そう判断したランドルマンは更に加速した。
「ちゃぁらぁぁぁッ!」
ランドルマンとユーリアが交差するその瞬間、またしても横槍がランドルマンを襲う。
側面から、頭部ほどの瓦礫がランドルマンの身体をめがけ飛び込んでくる。
「……ッ!」
避けることが出来なかったランドルマンは思わずその瓦礫を両手で弾いた。
強烈な力。しびれるような衝撃がランドルマンの両手を襲い、刹那の間を置き、激痛が突き抜ける。
「ぐぅぅっ!」
思わずランドルマンがユーリアから距離を置くと、背後から迫ってきていたアルフがユーリアの前に立つ。
「小僧……」
ランドルマンが睨むその先に立っていたのは、ヘスだ。白銀の篭手が闇夜に光っている。
「どーだ、ビビったか? 重さとか衝撃とか、この篭手で触れた物すべてがゼロに戻るんだってよ」
ヘスの周りに浮かんでいるのは、先ほどと同じような瓦礫だ。
「なるほど、あのナイフとそれは、パルパスの聖騎士の遺産か」
「へぇ、よくしってんなハゲ」
「……判ってしまえばなんということはない」
そう言ってランドルマンが魔術書を掲げた。
運び屋に奪われていた魔術書だ。
そういえば運び屋は何処に行ったのだろうか。ランドルマンと対峙していたがーー
「あの少年は……」
「奴は逃げた。殺し損ねたのは残念だが、魔術書が返ってきたのであれば問題ない」
アルフの言葉にランドルマンが即答した。
自分だけ逃げるなんて。助けてくれた礼などと言っていたのに。
ランドルマンの言葉を聞いて、思わずユーリアはそう思った。
「覚悟しろ」
ランドルマンがそう小さく呟いた瞬間、空気を斬り裂く音とともに、その姿が消えた。
転送魔術だ。瞬時にランドルマンの姿を見失ってしまったヘスが思わず身構える。
死角から来るつもりか。
だが、ランドルマンの狙いは違った。
「イヤッ!」
ヘスの背後から放たれたのはララの叫び声。
しまったーー
ヘスが振り返るがすでに遅かった。ランドルマンが背後からトトの身体とララの首を掴み捻り上げる。
「いててッ! てめぇッ! 離せッ!」
その強靭な握力にトトとララの表情が歪む。
アルフがランドルマンに飛びかかろうと踏み出すが、それを制止するようにランドルマンがララとトトの身体を突き出した。
「近づくな、泥人形。小僧、武器を捨てろ」
「クソッ!」
ギュウとララの首を締めあげながら、ランドルマンが吐き捨てるように言う。
「クゥ……」
必死にその手を剥がそうとララがもがくが、その指はぴくりとも動かない。その握力に自分の首が悲鳴を上げているのが判る。
「ララッ!」
「捨てろと言っている」
この娘の首がへし折られるのを見たいか、とララの身体を突き出す。
どうしようもない。今は奴の言うことを聞くしか無い。
「わ、わかった。捨てる」
ヘスがナイフを丁度ランドルマンと自分の中間位置に投げ捨て、白銀の篭手も腕から外すと、その場に捨てた。
「おら、ララとトトを離せッ……!」
「……フム」
ランドルマン投げ捨てられた聖騎士の遺産を満足気に見つめると、ララの首を握ったまま、その苦悶の表情を確認するように、ララの身体を自分に向けた。
「開放しようかと思ったが、辞めだ。最初の魔女の血は根絶やしにせねばならん」
「……ッ! なんだとッ!」
「自業自得だ小僧。俺の邪魔をした貴様が悪い」
「てめぇッ!」
ギリギリとランドルマンがララの首を握る指に力を込める。
「うううっ!」
限界に近づいた言葉にならない叫び声がララとトトの口から放たれる。
ララとトトが死んじまう。
その光景にヘスの中の何かが騒ぎ立て始めた。
血が逆流するような感覚。そして背筋が凍りつくようなざわめき。
そして吹き出す止めどない、怒りーー
瞬時にヘスの視界が赤く歪んだ。
「がぁあああぁぁぁぁッ!」
意識する必要なく、ヘスが慟哭のような叫び声を上げた。
その声と同時に辺りに放たれたのは、凄まじい衝撃。
巨大な獣が放つ、咆哮の様な耳をつんざき、身をすくませる声。
「むぅッ!」
思わずランドルマンがララとトトの身体を離した。闇夜の中でも判る、黒い影の様な物がぐるぐると塒を巻くようにランドルマンの身体を覆う。
「こ、これはッ……!」
危険を感じたランドルマンが後方に跳躍した。
あれは、あの影はーー
「き、貴様。まさか俺と同じ『クルセイダー』の血を……」
あの影はクルセイダーが持つ「黒い羽」の力。最初の魔女を滅する為に与えられた力だ。
斬りつけるような凶暴な眼力を携えたヘスの姿が闇の向こうに見えた時、ランドルマンはこれまで味わったことのない胸騒ぎを感じていた。