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ララの古魔術書店  作者: 邑上主水
第三章「想いの行き着く先で」
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第19話 北の地

 窓の外に見えるヴァルフォーレの空はどんよりと曇り、白い雪がひたひたと窓を叩いている。外は文字通り芯に響く寒さ。だがどうだ、この大広間はまるで春のようについまどろんでしまいそうな暖かさに包まれている。

 

「お注ぎいたしましょうか?」


 男の傍らに立っていた使用人が低くどこか落ち着く声で囁いた。

 ヴァルフォーレの聖パルパス教会総本山、ヴァイス司教とその側近、そして第二皇女アンナが住まう居城はそのすべてが厳かで、威厳に満ちていた。


「……頼む」


 男が使用人にそう返す。

 之で何杯目だろうか。酒に関しては詳しくないものの、その味と香りで相当な物だと思われる蜂蜜酒ミードだ。

 しんと静まり返った大広間に使用人の声とグラスに注がれる液体の心地よい音が響く。


「どうぞ」


 使用人に注がれた琥珀色の蜂蜜酒ミードを男は躊躇せず喉に流し込んだ。少しとろりとした甘味の後にやさしい酸味が喉を撫でる。

 やはり、美味い。その味を堪能するように残り香を舌で転がしながら男はそう思った。


「間もなくジン様がお見えになります」

「判った」

「何か有りましたらお声かけ下さい。……ゴート公爵閣下」


 使用人が軽くこうべを垂れ、脇に蜂蜜酒ミードを抱えたまま踵を返した。

 行くならばその瓶を置いていけば良い物を。

 ゴートは残りわずかになったグラスを見てそう心の中で吐き捨てた。


 ゴート・マッシュナーゲル・ベネディクト公爵ーー

 チタデルに本拠地を置く、一大貿易商「ゴート商会」の元締めであり、内戦の一端「ゴート陣営」を取りまとめる男だ。

 タキシードが似合う恰幅の良い体格に、整えられた頭髪、引き締まった頬に大きな目。トレードマークとも言える逆への字のカイゼル髭が一大貿易商のトップの貫禄を十二分に醸し出している。


「教会で蜂蜜酒ミードとは、背徳感がありますな」


 そう大広間に声が響くと、時を持て余すかのようにグラスに残った琥珀色の液体を揺らしていたゴートの手が止まった。

 ゴートの視線の先に見えるのは、フード付きのローブを着た男。


「ジン殿。やっと参られたか」

「色々ありましてな」


 そう言ってジンは深々とかぶっていたフードをおろしゴートの傍らに腰を下ろす。

 遥か上空に設けられた天窓のステンドグラスから注がれる陽の光がジンを照らした。こけた頬に狐のように尖った目。ゴートとは違い、紳士的な雰囲気が微塵にも感じられないが、得も知れぬ威圧感を感じる男だ。


「ヴァルフォーレの蜂蜜酒ミードは最上級と名高いが、いかがでしたかな?」

「噂以上ですな」


 ジンの手元に蜂蜜酒ミードが注がれたグラスが置かれたのを確認して、ゴートがグラスを軽く掲げた。

 

「まさか我々がこうして同じ席に座るなど、考えもしなかった」


 ジンも返事を返すようにグラスを軽く掲げる。


「……ごもっとも、ですな」


 一年前、いや、一ヶ月前には想像すらできていなかった今回の話。ヴァイス司教から打診があった時は驚いたが、敗戦が濃厚だったこの時期に打診があったのは正に「女神からの慈悲」だった。ヴァイス司教には感謝してもしきれない。

 そう考えながら、ゴートが再度蜂蜜酒ミードに口をつけようとしたその時、入り口とは別の扉が静かに開いた。


 最初に入ってきたのは、黒い長髪の女。実に美しい艷やかな女だ。思わず男の血が騒ぎ立ててしまったゴートだったが、その後に現れた少女と男の姿にそのざわめきは瞬時になりを潜める。


「ア、アンナ殿下」


 艷やかな女の後に現れたのは、第二皇女アンナだ。今は亡き、覇王ランスロットの従姉妹に当たる皇女。


「殿下、こちらに」


 艷やかな女がアンナに着席を促すように椅子を引いた。

 幼い。歳で言えば12、13歳程だろうか。皇女は若いという話は聞いていたが若いどころか、まだ幼さが残る少女ではないか。

 その姿に思わずゴートは息を飲んだ。

 

「……はぁ、面倒くさい」


 ドスンと椅子にお尻を叩きつけてアンナがのたまう。

 なんで私がこんな所に来る必要があるの。

 言葉にせずとも、その表情がそう語っている。


「アンナ殿下、この国の行く末を決める重要な会合ですぞ。ご自重下さい」


 アンナの背後に立った男、ヴァイス司教が笑みを零しながら呟く。聖パルパス教会の最高権力者にして、パルパス陣営を指揮する男。パルパス教会の正装である黒のローブを着たヴァイス司教に、神々しいとゴートは感じてしまった。

 彫刻の様に整った顔立ちにそのローブと同じ漆黒の長髪。つい嫉妬してしまうほどの優男だ。


「ねぇ、ヴァイス、大人しくしてたらご褒美くれる?」

「ご褒美、ですか?」

「うん。パンプーシュカ」


 パンプーシュカ。ドウを油で揚げ、粉糖をかけたお菓子。

 アンナの要望にヴァイスは笑みを浮かべた。


「いいでしょう、アンナ殿下」

「やったぁ! ねぇねぇ、ユナも一緒に食べようよ」


 逆側に立つ艷やかな女の方にくるりと身を捻り、アンナが続けた。

 その言葉にゴートの頬が引きつった。

 ユナ。確かヴァイス司教お抱えの暗殺者集団「死の宣教師アポストロフ」のリーダーの名がユナと言った。

 

「……任務が終わった後でしたら」

「うん! やった!」


 胸元で軽く手を叩きアンナが満面の笑みを浮かべる。その表情はまさに普通の少女そのものだ。

 幼い皇女に、美しい暗殺者。ヴァイス司教は良い駒をお持ちだ。

 そう思ったゴートはちらりとヴァイスの顔を覗きながら笑みを浮かべた。


「……さて」

 

 ゆっくりとアンナの背後から周りこみ、ヴァイスがゴートとジンと向かい合う形で椅子に座った。

 

「よくぞ参られましたなお歴々」

「こちらこそお招き頂き恐悦至極にあります」


 ヴァイスにそう答えたのは幾ばくか緊張の面持ちのゴートだ。

   

「そう固くなさらず。今宵は良い日になりそうですな」

「全くです」


 ジンが笑みをヴァイスに向ける。


「しかし、協会の協力を得られるとは思ってもいませんでしたよ」

「なに、ヴァイス殿の頼みとあれば、です。それに……」


 すう、と一息空気を肺に流し込み、ジンが続ける。


「利害が一致した、というだけです」


 ジンの言葉に「成る程」とヴァイスが笑う。

 ヴァイス司教と協会魔術院のジンは裏でつながっている。密偵からの情報でその事実はすでに掴んでいる。パルパスの暗殺者集団「死の宣教師アポストロフ」やパルパスの騎士団への魔術書の提供……ヴァイス司教とジンはいわば武器商人とクライアントという関係だ。パルパスが内戦を収め、この国を統一するということはより大きなビジネスになるとジンは思っているのだろう。


「ヴァイス司教殿には感謝しております」


 思わずゴートが二人の間に割って入る。

 

「……感謝、ですか?」

「例の事件をきっかけに敗戦続きであった我々に手を差し伸べてくれた。この御恩はわすれませんぞ」

 

 そう言ってゴートは軽くこうべを垂れたが、ヴァイスは手で制し、続ける。


「感謝されるほどの事ではありませんよゴート公。元々我らは陣営は違えど、同じ『民の為』にハイムと戦っていた。志が同じであれば、手を取り合わねばと常々思っていました」

「さ、左様か」


 男色家ではないゴートだったが、ヴァイスのその仕草に思わず鼓動が高なってしまった。この人であればすべてを捧げても構わない。そんな事すらふと思ってしまうほど、ヴァイスは魅惑に満ちていた。


「それでヴァイス殿、最初の一手はいつ打たれるおつもりですかな」

「ふむ、実はすでに動いておりましてな」


 ジンの言葉に、ヴァイスが返す。

 その事を知らなかったゴートが不意を突かれたように息を飲む。


「もうすでに、ですか?」

「モーリスを奪ったハイムの騎兵に魔術院から提供頂いた傀儡兵キメラをぶつけてみまして」

「魔術書をお使いに!?」


 ゴートが思わず声を荒らげる。

 協会魔術院の協力を得られたとはいえ、いきなり戦闘で魔術書を使われるとは。


「すでに手は打っております。パルパスが大協約違反に咎められることはありません」

「ということだ。安心されよ、ゴート公。それに吉報も舞い込んだ」

「……吉報、ですか」


 そう言って笑みを浮かべ、ヴァイスが椅子に深く腰掛けた。


「ハイム軍の戦姫、ヴィオラを捕らえた」

「……ッ! なんと! あの『黒鷹』を!?」


 黒鷹ヴィオラーー

 ラインライツを奪った憎き女。「最強」と畏怖される奴のキンダーハイム装甲騎兵団を打ち負かし、彼奴をすでに捕らえられたのか。


「ゴート公、貴殿には南方からハイム軍を追い立てて欲しい」

「わ、我が軍がですか」

 

 ラインライツ戦以後、破竹の勢いでハイム軍は進撃を続け、その刃はチタデルに近づきつつある。ゴート領地はことごとく奪われ、ここヴァルフォーレに来る為にわざわざ西方に大きく迂回しなければならないほどだ。その軍勢に、手負いの我らゴート軍で挑むなどーー

 だが、一抹の不安に襲われたゴートにヴァイスは続けた。


「協会魔術院より、魔術書の提供があります。モーリスを落としたそれと同じく、大量の傀儡兵キメラです」

傀儡兵キメラ、ですが」

「魔術書と魔術解読師マニピュラーの準備はできています。チタデルにお供させますよ」


 ジンがヴァイスの言葉に付け足すように続けた。

 ヴィオラの騎兵団を倒した傀儡兵キメラであれば、問題なくハイム軍を退ける事ができるかもしれん。

 そのジンの言葉にゴートは安堵の表情を見せる。


「北から我がパルパス軍、南からはゴート軍。傀儡兵キメラと魔術書で武装された兵の挟撃を持ってすれば王都ハイムまで障害は無いものと同じです」


 そう言ってヴァイスは大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

 全ては計画通り。この国が私の手に落ちるのは、もうすぐだ。

 つい零れ落ちそうになる笑みをヴァイスは必死に引き止める。


「共に彼奴らハイムに積年の恨みを晴らしましょう、ゴート公」

 

 低く落ちる雪雲の間をかすめ、神々しい陽の光が一筋ヴァイスを照らした。

 運命の三女神は私達に味方している。

 その光景を見て、ゴートはそう感じた。

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