第18話 覚悟
まるで突然、昼間が訪れたかと思うほどに強烈な光がモーリスの街を襲った。
シュワシュワという不気味な音が次々とモーリスの街に落ち、爆発と共に炎をまき散らす。野戦砲の砲撃ではない。だが、バクー達にはそれが何であったとしても、今はただ嵐が過ぎ去るのを待つが如く、じっと耐えるしかなかった
「……ッ!!」
雨の様に降り注ぐ炎球が放つ爆音に、もはや自分が放つ叫び声すら聞こえない。ラッツとナチに出来るのは両手で耳を抑えたまま、ただ恐怖に耐えるだけだった。
と、爆音とあわせて、大きく地面と視界が揺れた。
炎球の一つが彼がが隠れる廃屋に直撃したのだろうか。大隊本部に向かう途中に異変を感じ、逃げ込んだこの廃屋はいつ崩れ落ちるか判らない。
ーーこの廃屋には直撃しないでくれ。
冷静に状況を把握するバクーだったが、彼もまた出来る事は無く、ただそう祈るだけだった。
「……」
その地獄は一体どの位続いただろうか。炎球が爆発する音、家屋が倒壊する音、住民と兵士達の泣き叫ぶ声、鳴り続ける鐘の音、そのすべてが一斉に鳴りを潜め、炎が燃える音だけが辺りに響いている。
「……ラッツ、ナチ、無事か」
伏せていた身を起こし、辺りを確認する。次の攻撃がいつ来るか判らない。今はまだ身を隠しておくべきか。
「は、はひ……」
「大丈夫です、少佐」
バクーのすぐ隣、瓦礫の下から彼と同じく身を起こし、ラッツとナチが返事を返す。いざという時は女のほうが強いのか、なさせない声を返すラッツと比べて、ナチは変わりない。
「状況を確認してくる。貴様らは身を低くしていろ」
「りょ、了解です」
大隊本部へ急ぎたいのはやまやまだが、状況を確認する前に動くのは危険すぎる。
バクーは素早く立ち上がると、廃屋の外に顔をのぞかせる。
「……」
彼の目に映ったのは正に地獄絵図だった。
先ほどの炎球にやられ、焼け焦げた住民らしき死体に、甲冑を着た騎兵の死体。辺りは一面焼け野原と化し、動くものは皆無だった。
「バクー!」
己の名を呼ぶ声にバクーはそちらに視線を移した。その先、道を挟んで逆の廃屋から駆け寄ってくるのは、ゲルトだ。
生きていたのか。
ゲルトの姿に思わずバクーは笑みを漏らす。
「無事だったか、ゲルト殿」
「貴様もな、バクー」
「なかなか死なないのが私の特技でしてな」
バクーの軽口にゲルトは彼の胸部のプレートを軽く叩いた。
「現状は?」
「良くない。弾薬集積所と共に砲兵隊があの化け物にやられた。そして空からの支援射撃」
「あれは、なんだったのだろうか」
「砲撃じゃない、あれは魔術だろう」
やはり。ゲルトの言葉にバクーは息を飲んだ。
空を舞う何匹もの傀儡兵に雨のように降り注ぐ炎の球。パルパスは当然の様に魔術を使ってきている。明らかな大協約違反だ。
「正気の沙汰ではないな。ゴートの二の舞いではないか」
ラインライツで魔術を使った事により、ゴートは大協約違反を咎められ結果的に身を滅ぼすことになった。
「ところがそうでもないらしい」
「……どういう事だ?」
バクーの問いかけにゲルトは渋い顔をみせるだけで何も返さなかった。その表情から非常にまずい状況であることは察する事ができるが。
「バクー、貴様はヴィオラ閣下の元に向え。貴様は閣下と共にモーリスを南に脱出するのだ」
「……何だと?」
「パルパスの二個師団が左右に展開しつつある。司教直属の騎士団だ」
攻撃が止んだのはそのためか。街を包囲し、殲滅するつもりだ。
「俺はこれから中隊と打って出る」
「……ッ! 馬鹿な!」
「今動けるのはもう俺の中隊しか居ない。……俺の中隊でパルパスの動きを少しでも遅らせる」
だから、貴様はヴィオラ閣下とともにここを脱出しろ。
ゲルトはそう続けた。
「しかし、ゲルト殿……」
ヴィオラ閣下がそのような命令を下す訳がない。大隊からもだ。となれば、ゲルト独自の判断によるものなのだろう。
それから察するにーーすでにキンダーハイム装甲騎兵団は軍としての形を失っているのではないか。
バクーの脳裏に思い描きたくはない結末が浮かぶ。
「……議論する時間は無いぞバクー。それに貴様の方が地獄かもしれん。脱出戦ほどきつい物はない」
騎兵の本分である騎乗突撃ができるだけこっちは幸せものだ。そう言ってゲルトはひとつ笑顔を見せ、踵を返した。
生きて戻ってこい。
バクーの口からその言葉はでなかった。戻ってくることは不可能だろう。だから、彼の願いだけは引き受ける。
ーーヴィオラ閣下を南に脱出させる。
包囲戦の為に攻撃がしばらく無い事を確認したバクーは、ラッツとナチを廃屋の奥から呼ぶと、急ぎ大隊本部へ向かった。
***
大隊本部はすでに形を成していない、瓦礫の塊と化していた。いくつも貼られていたテントは焼け落ち、騎兵と馬達の焼けた死体が辺り一面に転がり、顔をしかめてしまうような肉が焦げる嫌な匂いが漂っている。
バクーの想像は当たっていた。被害どうこうではなく、これはもう壊滅的打撃だ。ヴィオラ閣下は無事だろうか。それすらも心配になってしまうほどの凄惨なその中をバクー達はヴィオラの姿を探した。
「バクー……」
と、小さいうめき声がバクーの耳に届いた。明らかに何かしら怪我を負っていると判る、弱々しい声だ。
「……閣下!?」
「ヴィオラ閣下ッ!」
何かを守るように横たわっている幾人もの騎兵の傍ら、地面にうずくまっているボロボロの漆黒の甲冑を着た女性が見えた。ヴィオラだ。
思わずバクー達はヴィオラに駆け寄る。
「ご無事ですか、閣下!」
「肩を貸せ、バクー」
騎兵隊の躯から引きずり出したヴィオラは思った通り、負傷していた。
両手の手甲は吹き飛び、傷だらけの白い肌が露出している。残った右足の甲冑から赤い鮮血がひとつ、またひとつと地面に滴り落ちている。傷は深い。
「ラッツ、ナチ、応急処置をする。救急キットを探して来い」
「了解しました!」
バクーはそのままヴィオラを抱えたまま、瓦礫と化した大隊本部を出ると、炎球の跡だろうか、丁度身を隠せるほどの深さがあるクレーターにバクーとヴィオラは腰をおろした。
「……バクー、ゲルトは何処だ」
痛みに絶えた声で喉元からひねり出すようにヴィオラがバクーに問いかける。
先ほどまで大隊本部に居た。ヴィオラはそう言う。
「閣下の傷を応急処置し、南へ脱出します」
「……まさか、私を脱出させるために、むざむざと犬死にしに行ったとは言うまいな」
ヴィオラがバクーの胸部の甲冑を握り、怒りに満ちた視線を放つ。
だが、怯まずバクーは続ける。
「……犬死にではありません、閣下」
「一人の将軍の為に隊の命を無駄にするなど、愚行ではないかッ!」
「閣下はただの将軍ではありませんぞッ!」
バクーが声を荒げる。
私は閣下と共に茨の道を進むと約束したのだ。そのためならば鬼畜にもなる覚悟はある。
「閣下が生きておられれば、キンダーハイムは生きながらえるのです!」
「……ッ!」
「閣下はなんとしても生きねばならんのです。生き延びさせねばならんのです。それが……」
己の甲冑を握るヴィオラの手を優しく離しながら、バクーが続ける。
「閣下の宿命であり、閣下と共に茨の道を進む私の覚悟です」
つかの間の静寂が二人の間を埋める。
と、その静寂とバクーに負けた、と言わんばかりに、ヴィオラが笑みを浮かべた。
「フッ、覚悟、か。そうだな、このような所で死ぬ訳にはいかんな」
目的を見失うところだった。ヴィオラがそう続ける。
こんな所で死ぬわけには行かない。父の意思を受け継ぎ、部下達の無念を背負いながら、彼奴らに鉄槌を下すその日まで。
「ところで、そろそろ離してもらえぬか、バクー」
「……ッ! 申し訳ありません」
意気込むあまり、ヴィオラの手を握ったままだった事に気がついたバクーが慌てて手を離す。
任務の為に冷徹でありながら、何処か情熱的で頼りになる男。
慌てて身を引くバクーに何処かおかしくなったヴィオラがくすくすと息を殺しながら笑った。
「面白い男だな、貴殿は」
「は? 私がですか?」
心当たりありませんな。そう呟くバクーにヴィオラは再度笑う。
と、クレータに燃え盛る炎が放つ光に照らされた人影が二つ落ちた。ラッツとナチだろうか。救急キットが見つかったのであれば、すぐに応急処置を行い脱出せねば。
そう思いその影に視線を送ったバクーの顔がーー硬直した。
「貴殿がヴィオラ公爵ですか?」
静かに放たれたその声。ラッツのものでもナチのものでもない。
明らかにハイム軍とは違う、純白の甲冑に身を包んだ騎士が放った声。白い甲冑に赤いマント、そこに見えるのはーー女神をかたどったパルパスのレリーフ。
「パ、パルパス……!」
「私は聖パルパス教会の神聖騎士団団長。妨害の為に小勢を寄越したのは貴殿らしからぬ愚策でしたな。すでにモーリスは我が騎士団が押さえさせてもらいました」
まさか。すでに包囲網は出来上がっていたのか。ということはゲルト殿はーー
バクーは思わず腰に下げた剣に手をかける。
その瞬間、騎士たちが一斉に剣を抜いた。
「無駄な抵抗はやめていただこうか。命が惜しければ」
貴殿の命だけではない、貴殿の主の命もだ。
まるで奴隷を見ている様な冷めためで団長が吐き捨てる。
と、バクーの手に静かに、か細い手が重なった。ヴィオラの手だ。
「……バクー、先ほどの貴殿の言葉、そのまま返すぞ」
貴殿も共に生きねばならん。なんとしても、だ。
窮地に陥りながらも凛とした表情で自分を見るヴィオラの目がそう語っていた。
「……了解しました」
観念したように剣を置くバクーを確認し、団長に促されるように数名の騎士達がクレーターに降りてくる。
ラッツ、ナチ、今は身を潜めていろ。
燃え盛る炎の逆光になっている団長のほくそ笑む表情を見ながらバクーはそう願った。