第16話 その訪れは突然に
ナチに連れられてララ達が向かったのは、門のすぐ脇にある門衛の詰め所だった。元々街を治めていたゴートが作ったものをそのまま使いまわしているらしく、まだゴート戦旗やレリーフが入った盾が部屋の端にゴミくずのように捨てられていた。
「やぁ、皆いらっしゃい」
詰め所の中、待っていたかのように一人の騎兵が甲冑をきしませながら近寄ってきた。
誰だこいつ。思わずヘスが怪訝な表情を見せる。
「もう、顔。着けたまま」
「……あ、御免」
ナチの一言に、フェイスガードをかけたままだったことに気がついた騎兵が慌てて兜を脱ぐ。綺麗に切りそろえられた頭髪に、まだ幼さが香る端正な顔立ち。だが、その奥にはしっかりと「騎士道」が携わっていることが一目で判る、騎兵の目。
「……ラッツ?」
「はい。あ、ひょっとして僕の顔忘れたの? ヘス君」
「おおおいおいおいおい、ピーピー鳴いてた新人が、もう一端の騎兵かよ!」
すげぇな! とヘスを押しのけ、トトがまくし立てる。
時間が過ぎたとはいえ、そう長い時が経ったわけじゃない。まだ学生に毛が生えた位だった候補生が今や甲冑に身を包む騎兵に成っているなんて。
だがヘスの目に映る、照れくさそうに笑うラッツのその顔は確かにあの「禁呪騒動」で知り合った士官候補生のラッツだ。
「ララちゃんも久しぶり。キンダーハイムに遊びに来る前に再開しちゃったね」
「……ええっと……」
嬉しいなぁ、と思わずハグを求めてしまうラッツだったが、ララは思わず身を竦めてしまった。
どうしよう。
そう思いながらララが目を泳がせると、そのララの姿にラッツは小首をかしげた。
「ええと……ララちゃん?」
「すまん」
そう言って、ラッツとララの間にガーランドが割って入る。
「ラッツ君、後で説明する。……バクーは?」
「え? ええと、あ、いらっしゃいました」
ガーランドの後ろ、詰め所の中に逃げ込むように小走りで大柄の騎兵が現れた。こちらはあの時と全く変わらない屈強という表現がぴったり当てはまるバクーだ。
「……いや、すまぬ。待たせてしまったかな」
「大丈夫ッス。こっちこそ忙しい時にすんません」
いや、参った、とバクーが兜を小さなテーブルの上に置く。
「いやいや、懐かしい顔ぶれだ。元気か」
「まぁ、そおっスね……」
ヘスがチラリとバクーを見る。
そんな彼らを見てバクーは何かあったと直感した。その何かは……ヘスの後ろで怯えた様な目をこちらに向けているララ殿か。
「何かありそうだな。話を聞こうか、ガーランド殿」
バクーはそう言うと、ナチに全員分の椅子の用意を促した。
***
「……なんと」
ふむ、とバクーが顎に指を乗せ、考えこむ。
ガーランドはすべてをバクーに話した。ララの事、最初の魔女の事、ヴァルフォーレに向かっている事、手配されてしまっていること、そしてヘスの血脈の事。
「モーリスに滞在するのはそう長くねぇ。追手に追いつかれる前にここを出るつもりだ。街に入れてくれねぇか」
「むぅ……しかし、な」
バクーはいつもより更に深いしわを眉間に寄せる。
いくら知人だとしても、今この街に簡単に入れるわけには行かない。
「今この街は厳戒令が敷かれておるからな……」
「化け物って聞いたんスけど、何があったんスか?」
ちらりとラッツとナチがバクーの顔を覗き見た。言っていいものなのか少し悩むバクーだったが、一つ息を吐き、続ける。
「……この街に傀儡兵が現れた。とてつもなく巨大な奴だ」
「傀儡兵……!?」
ガーランドが驚嘆の声を漏らす。
「生命付与魔術で生成された、傀儡兵か!?」
「うむ。あの化け物を生成した魔術解読師を探している所でな。故に街への出入りを禁止しているのだ」
生命付与魔術という名前を聞いてガーランドの脳裏にハサウェイの姿が浮かんだ。
あの男は、生命付与魔術の永久魔術を持っていた。またあの男が絡んでいるのか。
ガーランドが重い溜息を吐いたその時だった。
辺りに鳴り響く鐘の音ーー
事の緊急を表しているのか、短い間隔で木霊す鐘の音だ。
おもむろにバクーは立ち上がると、確認して来い、とラッツにアイコンタクトを送る。
「あの鐘は?」
「歩哨からの合図だ。これは……」
「……少佐ッ!」
ガーランドとバクーの会話を遮り、詰め所に騎兵が駆け込んでくる。
「歩哨より緊急連絡です! 北に敵影有り! 戦旗からパルパスの軍勢かと思われます」
「何だと!?」
このタイミングで。バクーが思わず声を荒らげる。
だが、危機はそれだけではなかった。
「あれ……」
ぽつりとララが小さく言葉を漏らした。
「……どうしたララ」
「空……鳥?」
ヘスに促されるように、ララが詰め所の窓から外を指さした。
そちらに視線を送ったヘスの目に飛び込んできたそれ。
ぼんやりと街の明かりで闇夜の空に浮かぶ、羽根を持った影。
空を舞う、ライオンと鷹の顔を持つ双頭の化け物ーーそれも、一匹だけではない。
「……ッ! ガーランドのオッサン!!」
ヘスが叫ぶ。
その声と同じタイミングで、ズドンと大きく地面が揺れ、篝火の明かりに照らされながら地上から立ち上る黒煙がその化け物達の姿をかき消した。
***
「……何だこの鐘の音は」
地面に運び屋を押し付けたまま、辺りを見渡すランドルマンが小さく呟く。だが明らかに危険性が伺える鐘の音だ。
「ひ、ひぃ……! 早く逃げないと!!」
助けてくれ、と職員がアルフの足にすがりついた。薄暗い闇の中でも判るくらいにその顔面は蒼白で、肌寒い気温にも関わらず、その額はじっとりと汗に濡れている。
「に、逃げるって、何からですか?」
「皆、死んじゃう! 死んじゃうんですよ!!」
さらに錯乱した職員がアルフの胸ぐらを掴む。尋常じゃないその空気。一体何が来るの言うのか。
「離してよ、ランドルマン。もうすでに遅いんだよ」
「……何?」
運び屋が勝ち誇った様な笑みを送ると逆に先ほどまで悦に満ちた笑みをこぼしていたランドルマンの表情が曇った。
「この鐘の音は、パルパス軍が迫ってきている証拠さ」
「パルパス……?」
夜襲をするなど特に珍しいことでもない。比較的少数の軍でモーリスに駐留しているハイムには厳しい現実だろうが、職員が慌てることでも無いはず。
「最初の傀儡兵は、そうだね、威力偵察か撹乱とでも言うべきだろうね」
「どういう意味だ」
ランドルマンの声を遮り、運び屋の笑い声が響いた。
「あははッ! あんたも使い捨ての駒だったってことだよ」
使い捨ての駒。その言葉にランドルマンは確信した。あの時、念話魔術書で話した事。
奴はモーリスを経由してヴェルドに向かうつもりらしいーー
はじめから俺をモーリスへ誘い込むつもりだったのか。ガーランドが権力を失い、強硬派が魔術師協会の実権を握ったた今、俺はもう用無しという訳か。
「ふふふ、僕が請け負った仕事は、モーリスで傀儡兵を生成した協会職員の保護とモーリスからの速やかな離脱」
と、運び屋の声が引き金になったかのように、轟音と強烈な振動がランドルマン達を襲う。
そしてその轟音と鐘の音を割いて続けられる運び屋の言葉。
「僕の依頼主はあんたのボス、協会魔術院のジンだ」
ランドルマンの目に空を舞う、地上の篝火に照らされる幾つもの傀儡兵の姿が映った。
ジンの計画は実行された。すでにあの時、念話を行った時には始まっていたのか。
パルパスとゴート……そして魔術師協会の合同軍によるハイム軍を一掃する作戦がーー
まるで死者を送る福音の鐘の音のように、モーリスの街をただ鐘の音が響きわたる。
地獄は彼らのすぐそこまで、静かに忍び寄ってきていた。