第14話 運び屋
ララ達一行がモーリスの街に到着したのは、傀儡兵騒動があった日の晩だった。すっかり辺りは闇に染まり、街へ入る唯一の道である、東西南北四つの門に設置された篝火だけが街の存在を浮かび上がらせていた。
「ようやく、だな」
「ああ、モーリスだ」
松明を掲げて先頭を歩くスピアーズとガーランドが言葉を交わす。ふたりともその表情に余裕はなく、旅の疲れがにじみ出ている。
途中、運良く駄馬と荷車を手に入れることが出来たララ達は、フォルスタの村を出てから、交代で荷車で休息を取りながらひたすらモーリスへの道を進んだ。
休憩を減らし、先を急ぐーー食料も少なく、迫る追手から逃れるため多少無理をしたとしても、できるだけ早くモーリスに到着した方がいい。ガーランドはそう考えていた。
「到着した?」
「ああ、着いたぞ」
荷車から顔を覗かせ、リンが小さく呟く。
「……あぁ〜、腰が痛いわ。荷車なんかもう二度と乗りたくない」
「でも、歩くことにならなくて良かったですよ」
歩くことにならなくて本当に良かった。この駄馬を手に入れられなくて、徒歩でここまで向かうことになっていたらと思うとぞっとする。
そう思いながら、ララがあくびを飲み込んだ。
「まぁ、そうれはそうね」
「……それよりも、ガーランド。街の中には入らないのかい?」
モーリスに到着しているはずなのに、門をくぐること無く、荷車は門脇で止まったままの状態だ。さっさと街に入って、休みたい。そう思ったカミラが訝しげな表情を浮かべる。
「……何かあったらしい」
篝火に浮かぶ門、南側に設けられた街の正門を見ながらスピアーズがそう言葉を漏らす。そう言われてみれば、陽はすっかり落ちているのに、やけに門が騒がしい。篝火の炎が壁に落とした幾つもの人影が忙しなく動いている。
と、冷たい風に乗って、何やら興奮した声がララの耳に届いた。
「喧嘩、かな?」
「いや違うな。ありゃぁ、街の住民達だな」
ガーランドが答える。どうやら、街の住民達と門を守っている門番が言い合いをしているようだ。
「なぁ、とりあえず、中に入れるか聞いてみようぜ」
そう言ってヘスが荷車から飛び降りる。
ここにいても何も解決しない、か。駄馬の手綱を馬止めにかけ、ララ達は門へと歩き出した。
だが、近づくにつれ、騒ぎがただごとではない事にララ達は気がつく。
殺気立って居る住民に、どうにか治めようと必死で説得している門番。門番は見たことがある鎧を着ていた。
「……ハイム軍?」
スピアーズがポツリと呟く。そうだ、あの鎧はハイム軍の装甲騎兵だ。どうしてハイムの装甲騎兵がここにいるのだろうか。話では、モーリスはゴートが統治する街だと言っていた。
だが、眉をひそめるスピアーズをよそに、その人だかりの中に見つけた仏頂面の男に、ヘスは声を上げた。
「……! バクーのオッサン!」
住民達に囲まれ、右往左往している騎兵の中に見覚えがある顔があった。バクーだ。
その姿をみて、思わずヘスはララの手を引く。
「おい、ララ、トト、バクーのオッサンだ」
「……おお!!」
懐かしい顔に思わず声を荒らげてしまうトトと対照的にララは困惑した表情を浮かべた。
「……えっ? バクー?」
「あ……」
バクーとは一体誰のことなんだろう。
そんな困った様なララの表情を見て、ヘスはララが記憶を失っていることを改めて思い知らされてしまった。
「……ララ、ごめん」
「ううん、大丈夫。あの人は、知り合い?」
ブンブンと首を横に振り、ララが答えた。
「そうだ。前に俺達、ずいぶんと世話してやったんだ」
「へぇ。ハイムの軍人さんと知り合いなんて、すごいね」
意気込んで説明するトトに、「私達凄い顔が広いんだね」とララはクスリと笑みをこぼす。
「ほう、懐かしい顔だな」
そう言ってガーランドがララとヘスの後ろに立つ。
ラインライツで肩を並べたのがずいぶんと昔に感じる。
「知った顔か?」
「まあな。お前ンとこのハサウェイを退ける為に一緒に戦った仲だ」
「ああ、成る程」
スピアーズが苦笑する。
「奴に中に入れるかどうか直接聞いてみるか」
そう言ってガーランドは、ニィ、と豪快な笑みをララとヘスに向ける。
「そうッスね」
そういえば、ガーランドは昔ハイムの軍人だと言っていた。ひょっとすると軍内に古い仲間が居るんじゃないだろうか。
そう思ったヘスはひとつ頷くと、人だかりができている正門へと足を進めた。
***
どうやら、言い争っているのは「住民の街外への外出許可を出す出さない」という内容らしい。どうして自分が住む街から出るのに、ハイム軍の許可が必要なのか、と怒号が飛んでいる。
「現在モーリスの街では厳戒令が敷かれています。しばらく街外への外出は許可できません」
一人の騎兵が芯の通った声でそう言うと、横暴だ、ハイム軍は去れなどという野次が飛ぶ。憤る住民達のテンションは上がり、辺りは一触即発の異様な雰囲気になっている。
「一体何があったんですか?」
ララが門の鉄格子越しに近くに居た住民の一人に問うた。
「昼間、街に化け物が出て街を襲う事件が起きてな、その事件を起こした犯人を捕まえるまで、ハイム軍が街から出ることを禁じたんだ」
「ハイム軍はいつこの街に?」
「つい先日さ。ハイム軍が来てすぐに起きた化け物騒動。本当に奴らは疫病神だ」
そう吐き捨てた住民の言葉を聞いて、ヘスとガーランドが顔を見合わせた。
ハイム軍がモーリスの街に来てすぐ「化け物」が街を襲った。一体何のことなのだろうか。もう少し詳しく聞きたい所だったが、興奮状態にある住民達を刺激しかねない。
そう思ったヘスが、バクーに見えるように両手を上げ、大きく振った。
「バクーのオッサン!」
ざわめく喧騒を抜けて響くヘスの声。その声が自分を読んでいることに気がついたバクーが辺りを見回す。
「オッサン! こっちこっち!」
「……! おお、これは! ヘス殿じゃないか。それに、トト殿と、ララ殿、ガーランド殿まで」
一体どうしたんだ。目を丸くして驚くバクーにヘスが変わらず手を振りながら答える。
「オッサン、俺達街に入りたいんスけど!」
内容が良く聞こえないらしく、耳をこちらに向けるバクーに身振り手振りを加えながらヘスが叫ぶ。
だが、喧騒に埋もれ、よく聞こえないらしくバクーが傍らに居る騎兵に何やらささやく。
そしてその騎兵が小さく頷くと、住民達をかき分けてこちらに向かってきた。
「キンダーハイム装甲騎兵団、第十騎兵連隊、B中隊所属のナチです」
女性の騎兵だ。黒い髪を短く借り上げ、ぱっちりとした大きい目が若い青年騎兵かと思っていたが、華奢な線が明らかに女性だ。
キンダーハイムの装甲騎兵に女性が居るとは。
その姿を見てガーランドが目を疑った。俺がハイム軍に居た頃にも女性軍人は居たことは居たが、後方の事務職に多く、男達に混ざって第一線で戦う女性兵士は居なかった。
「バクー少佐の元にご案内します」
そう言ってナチが門の鉄格子の脇に設けられた小さな入口を開けると、どうぞ、と中へ入るように促す。
他の皆を呼んできたほうが良いんじゃないかとヘスは思ったが、聞くだけだからいいかとガーランドに小さく頷くと、ナチの後を追い、その小さな門をくぐった。
***
傀儡兵が暴れた場所から二ブロックほど離れた一角、これまで運良く戦火を逃れてきたのか、モーリスの街の議会がある中心部と比べ無傷の家屋や店舗が並んでいる区画に三人の人影があった。
「協会職員を探す?」
壁面に設けられた篝火の明かりに浮かんでいるユーリアの顔がわかりやすい不満に満ちている。
「そうだ」
「なんでアタシ達がアンタに協力する必要があンだよ?」
アルフとランドルマンは、ハイム軍が傀儡兵を倒す前に姿をくらませた。いらぬ詮索をされて面倒なことになっては無駄な時間を費やしてしまうことになる。それはガーランド達を待つランドルマンにとっても、追手が来る前に魔術書の解読を進めたいアルフにとっても同じ事だった。
「俺は大協約違反者を裁く実行部隊、『協会魔術院』のエージェントだ。この意味が判るか」
「ふぇっ!?」
思わずユーリアが間の抜けた声を出す。
只ならぬ空気を纏ったオヤジだとは思っていたけど、まさか協会の関係者だっただなんて。たじろぐユーリアを守るようにアルフがランドルマンの前に割って入る。
「クク、そう構えるな。協会の職員の捜索を手伝ったならば、泥人形、お前の事は目をつむろう」
「貴方の強さ、尋常じゃないと思っていましたけど、合点がいきました」
「どうする、協力するか、この場で取り押さえられるか。好きな方を選べ」
アルフとユーリアが無言で視線を交わす。
死の宣教師から狙われて、さらに協会からも追われてしまったら生き延びられる可能性は限りなくゼロになってしまう。選択の余地は無い。
「わかりました、手伝いましょう。ただ……」
「……ただ、なんだ」
「理由を教えて下さい。それにあの化け物。一体ここで何があったんですか」
その問いかけにランドルマンは即答しなかった。
教える義務は無い、と突き返す事もできるが、事の詳細を教えたほうがこいつらは協力的に動くかもしれない。だが『計画』についての詳細は伏せておくべきだろう。
「俺も詳細は判らん。ただ、俺が協会の出張所に行った時に見た。お前のそれと同じ、『生命付与魔術書』だ」
「えっ? 生命付与魔術書が、協会出張所に?」
「そして、あの化け物が現れた。アイツを作り出したのは、俺が出張所に立入る前にそこに居た誰かだ」
「それが、職員?」
「そうだ。出張所に入る前に一人、職員をすれ違った。その男が魔術解読師で無いにしろ、何かしらの情報を知っている可能性は高い」
うーん、とアルフが考えこむ。傀儡兵を生成した魔術解読師の動機が判らないからだ。
魔術書を手に入れたことでそれをどうしても使いたくなった衝動的な事なのか、それともハイム軍を壊滅させるために行った計画的な事のか。それに、このランドルマンという男。なぜその職員をそうしてまで探す必要があるんだろうか。
そんなアルフの心を読んだかのように、ユーリアが続ける。
「つか、なんでアンタはその職員を探すんだ? アタシらに協力を願ってまでよ」
「……何者かの策略の可能性が高いからだ」
その手がかりを掴みたい。それはランドルマンの本心だった。
その何者か。口には出さなかったがその何者かの名前がランドルマンにはうっすらと判っていた。
「何者か? 一体誰だ?」
「さあな。それを確かめる」
確かめる。その言葉にアルフは引っかかった。
ランドルマンは「探る」ではなく「確かめる」と言った。思わず出てしまった一言だろうが、それは「見当がついているから、それを職員に問い詰め、確かめる」という意味だろう。
この男はすべてを語ってはいない。
「それで、何処にその職員が居るかなんとなく分かるんですか?」
「現在この街には厳戒令が敷かれている。街から外に出るための四つの門は閉じられ、街から出る事は出来ない」
そう言ってランドルマンは一冊の魔術書を取り出した。
「それは?」
「転送魔術書だ」
その言葉にユーリアの頬が引きつった。転送魔術書は大協約で禁じられている上級魔術書だ。
「はっ、大協約違反を取り締まるアンタが大協約違反をしているなんて、笑っちゃうね」
「取り締まるには抑止力が必要だ。それにお前にとやかく言われる筋合いも無い」
なんだと、とつっかかりそうになったユーリアをアルフが制する。
いちいち反応が面白い女だ。ユーリアの姿を見て冷笑しながら、ランドルマンが続ける。
「門から出られない以上、使える手段は少ない。強引な手段で門を突破するか、ハイム軍の目をかいくぐり城壁を越えるか、ハイム軍になりすまし門を出るか……転送魔術書で外に出るか、だ」
強引な手段は命を落とす危険のほうが高いし、目立ってしまう。城壁もそうだ。巡回しているハイム軍の目をかいくぐるのも難しいだろう。なりすましにしても、厳戒令を敷かれている以上、ハイム軍兵士とて簡単に外にでることは出来ないはず。
となれば、可能性として高いのは魔術書。ただ、それも問題はある。
「どうやって大協約で禁止されているその魔術書を手に入れるつもりなんでしょうか」
生成、所持そのどちらでも罰せられてしまう魔術書だ。この街にあるであろう魔術書店に売っているはずもない。
「……可能性が高いのは『運び屋』だ」
「運び屋?」
聞いたことのない名前だ。
「金さえ払えば世界中何処にでも何でも運ぶ、運び屋。それが運び屋だ」
そう言うとランドルマンは踵を返し、歩き出す。
「来い。……運び屋に会うためにはお前たちが必要なのだ」
辺りを支配する闇からささやかれているような、思わず寒気がしてしまうような冷めたランドルマンの声が響く。
得体のしれない男だ。まるで感情がすっぽりと抜け落ちているような、氷のような男。
日が落ちたモーリスの街の闇に溶けていく漆黒のコートをアルフはじっと睨みつけた。




