第11話 狂想曲の開演
改めて見ると、すごく近寄りがたい空気を出している人だな、とラッツは思った。
黒いコートにサングラス、スキンヘッド。一見魔術師協会職員とは思えない風貌だ。
「エージェントナンバー1568、ダニー・ランドルマン。協会魔術院のエージェント、か」
街の中央広場に設けられたテントの中、ランドルマンから渡された身分証を読み上げながらバクーが眉をひそめている。
この忙しい時に面倒な来客だ。だが、魔術師協会を邪険に扱ってしまったとあれば、後々面倒なことになりかねない。
「出張所で仕事があるとのことらしいのですが」
「むぅ……」
白鷹騎士団が到着する前に、防御陣地の構築と、戦闘報告書の作成を行わなければならない。ラッツにはこちらを助けて欲しいぐらいだが、しかたあるまい。
観念したような表情を浮かべ、バクーはランドルマンに身分証を返す。
「ラッツ、彼の案内が終わり次第ここに戻ってこい」
「了解しました」
行きましょう、とラッツがランドルマンをテントの外へ促す。
異様な男だ。
バクーもまた、ラッツと同じようにランドルマンのその空気に胸騒ぎを覚えた。協会魔術院は「実働部隊」として大協約違反者の逮捕と処罰を行っているという話は知っているが、それにしても常人ならざる空気を放っている。
まるで、獲物を探している、血に飢えた獣のような雰囲気ーー
テントが閉まる間際、一瞬ランドルマンとバクーの視線が交差したが、怱忙の空気に飲み込まれるように、二人の視線は簡単に途切れた。
***
モーリスの街は商業都市として活気づいていたはずだったが、すっかり廃墟の街と化してしまった。
出張所へ向かう道でランドルマンは思った。
行商達が露店を広げ、威勢の良い声が響き渡る。以前来たときはそんな街だったが、今は道には行商の変わりに瓦礫が並び、綺羅びやかに装飾されていた建物達は辛うじて建物としての体を保っている廃屋がほとんどだ。
と、ランドルマンの視線の先に、魔術書をあしらった看板が見えてくる。魔術師協会の出張所だ。
「あそこですね」
ラッツと言ったこの騎兵に協会の仕事が判るわけもないだろうが、元々出張所に用事もなく、色々と探りを入れられても面倒だ。適当な場所で処理するのが最適だろう。
ラッツの言葉にランドルマンがそう思ったその時、出張所の扉が勢い良く開かれ、職員達が慌てて飛び出してくる。
何かあったのか。ランドルマンは瞬時にそう思った。
戦闘状態にある街であったとしても、中立的立ち位置に居る魔術師協会が狙われる事はあり得ない。非武装中立区画が制定された時、三陣営内でもそう協定が結ばれている。
まるで逃げるようにバッグを抱えたまま走りだし、脇を通り抜けようとした職員をランドルマンが引き止める。
「おい、何があった」
「……ッ!」
引き止められた職員の顔からにじみ出ていたのは、恐怖。
自分に向けられた物ではない。これは、別の何かだ。
思わず精神魔術で探りを入れようとしたランドルマンだったが、傍らのラッツの存在を思い出し、留める。
「そんなに急いで何処に行かれるのですか? 現在街からは出ることも禁止されていますよ?」
ラッツが職員に言う。
「い、いえっ、その、別に何処にも行こうとは思っていません。ちょっと近くに用事がありまして」
「……用事? 何だ?」
ランドルマンが静かに問うと、その問いに明らかに動揺している職員が目を泳がせはじめた。
「あ、貴方達には関係のないことです。ま、まままま、魔術師協会内の用事ですので」
「俺は協会の職員だ」
隠さずに言え、と、ランドルマンが身分証を見せる。
「しょ、職員……どうして!? ここはもう……」
思わずそう言いかけた職員が口を両手で覆い大きく目を見開く。
しまった。言わずとも彼の表情がそう語っている。
「……何だ。どういう意味だ?」
「ち、違います、なんでもないです!」
「あっ、ちょっと!」
慌ててランドルマンの腕を振りほどき、職員が逃げ出すと、瓦礫の隙間を縫い、あっという間に消え失せる。
「な、何だったんでしょうか」
「……さぁな」
ここはもうーー
職員のその一言が何か引っかかる。あれは、あの顔は生命の危機に陥った人間の表情だった。
この騎兵が居なければ、簡単に情報を引き出せた物を。出張所の中に何か情報が残っている事を期待するしかない、か。
半開きのまま、キィと風に揺れ鳴き声をこぼす出張所の扉を見て、ランドルマンはそう思った。
「な、何か、問題でも起きたのでしょうか」
ラッツが少し震えた声でそう言葉を漏らした。
何か問題が起きた可能性は、ある。内部的な要因なのか、外部的な要因なのか。それとも別の何かなのか。だが、それが何にしても、部外者であるこの騎兵に情報を渡すのは控えたほうがいいかもしれない。ジンの「例の話」に関係することであれば、なおさらだ。
ラッツの顔を見て、ランドルマンはそう感じた。
「しばらくここで待て。中を見てくる」
「え、あ、はい」
扉に手をかけた時、この騎兵は先ほどのバクーとかいう騎兵を呼びはしないかとランドルマンは考えた。
仮に呼びに行ったとして、ここに来れるようであればはじめから来ている。人員が不足しているからこそ、同行をこの騎兵に任せ、元々正門の警備に当たっていたこの騎兵を「終わったらここに戻るように」と言ったのだ。
そう判断したランドルマンはゆっくりと扉を開く。
まさに、逃げ出すように、という表現がぴったりだった。
無人のカウンターに辺りに散乱した書類。いくつかアタッシュケースに入れかけている書類もある。必要最低限のものだけかき集め出た、か。
カウンターを越え、デスクに散乱している書類を隈なく手にとったが、それらしき情報は何も無かった。
と、ダストボックスの中に封が開けられた封筒が入っていた。中身はなく、封筒だけが捨てられている。
「……これは」
封筒に押された封蝋を見て、ランドルマンの表情が曇る。双蛇がレリーフされた印璽。
「ジンからの封書?」
封筒に送り主の署名はされていない。だが、この悪趣味な双蛇の印璽はジン・バルクルムにほかならない。
なぜ、協会魔術院のトップであるジンが、モーリスの出張所へ封書を送る必要がある。
「何か判りましたか? ……うわっ、これは」
シンと静まり返った出張所内にラッツの声が響いた。その声にランドルマンは封書をダストボックスに戻す。
「……待て、といったはずだ」
「すいません、ちょっと時間がかかっているな、と思いまして」
「外に出ろ」
ドスの聞いた声でランドルマンが言う。
これは何かがある。それをこの騎兵に知られてはならないとランドルマンの直感がささやいている。
「駄目です。何かここで起こっているのであれば、僕は上官に報告する義務があります」
ラッツはそれを無視するように、出張所内に甲冑の音を響かせる。
処理するしか無い。幸いに、出張所内には誰も居ない。総判断したランドルマンがしずかにラッツの背後に迫る。
がーー
「……あれ?」
ラッツが出張所の端、来客用のトイレだろうか、小さな扉の前で立ち止まる。
「何だ」
「いや、何か……」
トイレの扉がわずかに開いている。そこから覗いているのは、血で濡れた幾枚もの紙ーー
「こ、ここ、これッ、血ですよね!?」
「……ッ!」
と、ランドルマンがラッツの後ろからトイレのドアを蹴破る。激しく開かれた扉がトイレ内にあった「それ」に当たり止まった。
「死……!」
その惨状におもわずラッツが息を飲んだ。
トイレの中にあったのは、一体の死体。モーリスの住人だろうか。中年の男だ。
胸部にナイフが刺さり、そこから溢れだした血が辺りの紙をどす黒い丹色に染め上げている。
紙ーー
いや、これは違う。只の紙ではない。これは、この紙に書かれているのは、魔術構文だ。何の魔術かは判らんが、魔術を発現させるために、この住人の血が使われている?
だが、なぜ殺す必要がある。通常の魔術であれば、媒体となる体液をそれほど必要としない。人一人を殺し、その血液を使う必要があるとすれば、それ相応の魔術、上級魔術以上の何かーー
「騎兵、下が……」
危険と判断したランドルマンが、ラッツに下がるよう伝えようとしたその時。
ズシンと、ひとつ、出張所が揺れた。地面の中から突き上げる様な、振動だ。
「うわっ!」
思わずラッツが地面にへたり込む。
ランドルマンもたまらず壁に手をつき、体勢を保つほど、強烈な揺れ。
ズシン。
さらにもう一回。揺れ、というよりも、これは心臓の鼓動の様な振動。
「……ッ! 騎兵ッ! 走れッ!」
思わずランドルマンが叫ぶ。
走れって、何処に!?
何が起きているのか判らないラッツは一瞬思考停止してしまうが、これまでの訓練の賜物なのか、瞬時に思考はリセットし、ランドルマンの後を追い、出張所の入り口に向かい走りだす。
「……うわぁあッ!」
ラッツが出張所の外に走り抜けたすぐ後、出張所がさらに大きく揺れると、ベキベキと音を立てながら崩れ落ち始める。
普通の崩壊ではない、内部から崩されていくような、不思議な崩れ方だ。
とーー
「こ、こいつは……」
崩れる瓦礫をはねのけ、漆黒の巨大な影が現れた。
瓦礫と粉塵の隙間から見える、その異形な影ーー
ライオンと鷹の双頭に、鱗で覆われた体、それに天を覆い尽くす様な巨大な羽。
「傀儡兵……!?」
大協約で禁止されている生命付与魔術で生成された、傀儡兵だ。
異変に気がついた住民たちが、叫び声を上げながら逃げ惑い、騎兵達が辺りで騒ぎ立て始める。あの死体はこの化け物を呼び出す為の媒体だった。とすれば、これは何者かによる仕組まれた事なのだろうか?
ジンーー
その名前がランドルマンの脳裏に浮かんだ時、その空気を感じ、まるであざ笑うかのように巨大な傀儡兵が聞いたこともないおぞましい雄叫びを上げた。