第7話 決意の裏に
ララ達が語らう森を出て三日目。
語らう森を張っていた協会魔術院のエージェント達を退けてからというもの、追手も無く、最初の目的地であるモーリスまであと半分の距離まで来ていた。
「ええと、この村は……」
そう言って地図とにらみ合いをしているのは、口元まですっぽりと覆われたフードをかぶったヘスだ。長旅でくたびれたコートがその小さな村に吹きすさむ夕暮れの冷たい風になびいている。
ここまでの旅はお世辞にも「楽な旅路だった」とは言えないものだった。不安定な天候に、進む速度を落とす事を余儀なくされ、いつ襲われるとも分からない追手に警戒しながら眠るーー
まだ三日目だが、すでに数週間が経っているような感覚が全員にあった。
「フォルスタ……と書いてあるな」
かすれて読みにくいが。ヘスと共に地図を覗きこんでいるスピアーズがつぶやく。
この村で一休みしたい。そんな言葉が続いて出てきそうなほど、彼もまた疲労困憊のようだった。
「ずいぶんと遅れてしまったが、ここで半分だ。物資の補充とあわせて今日はこの村に泊まるか」
「えっ、本当!?」
どうやら同じことを思っていたらしいガーランドの言葉にリンが真っ先に反応する。
「ずっと馬の上でぬくぬくしてたお前が何で一番うれしそうなんだよ」
「……こんな何日もお風呂に入っていない身体で居るのが私は我慢ならないの。おわかりいただけまして?」
「本当に下品なカラスは美容にも無頓着ね。水浴びもせずに平気だなんて」
この旅に賛同はしたものの、やはり湯船に、最悪水浴びすら出来ない状況がリンには一番つらいようだ。
風呂に二、三日入んなくても死にゃしねぇだろ。
落胆したような表情でリンとアポロを見るトトに二人の乙女がぎゃあぎゃあと喚き出す。
だが一番の犠牲者はーー
「あう……」
目を白黒させながら言葉にならないうめき声を上げているララ。
突然自分の肩と背後で始まった口喧嘩に、ララはどうしていいのか判らず、嵐が過ぎ去るのを待つがごとく、じっと待つしか無かった。
「とにかく……久しぶりにちゃんとした所で休憩したいし。寄ってくかい」
カミラもガーランドの意見に賛成のようだ。
一日でも早くモーリスに行きたい所だが、森を出てから追手の気配は無い。これからの事を考えて、ここで英気を養うのは悪い選択じゃないだろう。
「やった!」
思わずリンが小さく拳を突き上げる。
それほどお風呂に入りたかったのか。その姿を見たララがクスリと笑みをこぼした。
「……お前、そんな子供っぽい奴だったっけ?」
前はもっとツンケンしてて、女王サマみたいなやつだったけどな。と、トトが笑う。
確かに、初めて語らう森に来た時とはずいぶんと雰囲気が変わった。ララとのわだかまりが解けたせいなのか、それとも別の何かなのか。まぁ、どちらにしても女の子らしくなったじゃないか。
トトと言い争うリンを見て、カミラはふと、そう思った。
***
この小さな村の中央にあった質素な宿場。ヴァルフォーレへの巡礼へ向かうパルパル教の信者達がよく泊まるというフォルスタの村だったが、この時期、天気が不安定な雨季にフォルスタを訪れる信者や旅人は少なく、宿場は同じ村人なのか、テーブルで静かに酒を酌み交わす老人がまばらにいるだけで、しんと静まり返っていた。
「部屋、ですか」
「はい。二部屋程空きがあれば、と」
そう語るスピアーズと一行をカウンターの向こうに立っている物静かで優しげな中年の店主が流し見た。このフォルスタの村と同じように、ゆっくりとした時間が流れているように思える、笑顔の店主。
笑顔を作っているのではなく、そういう顔なのだとわかるのにしばらく時間が必要だった。
「はい、ありますよ。この時期に来るなんて珍しいね」
「長くは滞在出来ません。明日朝出立したいと考えています」
はぁ、それはそれは。と独りごちるようにつぶやきながら、店主がカウンターの下から二つの鍵をスピアーズに渡す。
「宿泊料金は前金になるんだが、いいかね?」
「構いません。それと、食料を買いたいのですが買える所は有りますか」
「はぁ、食料ですか。この時間やってる所はあると思うんですがね。あ、ウチでよければ鹿肉の干物位はありますよ」
スピアーズが視線をガーランドに送る。
ここまで三日かかった。この先の事を考えると同じ時間かそれ以上の時間がかかる可能性もある。同じような村がこの先あるかどうかも定かではない。干物の他に幾つか非常食を買っておくべきだ。
「俺が行こう、ガーランド」
「判った。念のため警戒しておく」
念には念を。ガーランドの言葉にスピアーズが無言で頷く。
「俺も行った方がいいか、スピアーズのオッサン」
「良い。お前はガーランドと一緒に居ろ。ヘス君」
「判った」
こっちは任せろ。
ヘスの表情からその言葉を読み取ったスピアーズはヘスの肩をポンと叩くと、足早に宿場を後にした。
***
「はぁ、こんなにベッドが気持ちいい物だったなんて」
そう言いながらリンがボスン、とベッドに顔をうずめる。お世辞にも良いベッドとは言いづらい、簡易的な寝具だったが、一行にとってそれは最上級のシルクのシーツよりも滑らかで、羽毛布団よりも柔らかく感じられずにはいられないものだった。
「ホント、気持ちいいね」
ララもリンと同じようにベッドに腰掛け、うーんと大きく伸びる。
小さな部屋に設置された二つのベッド。とりあえず、スピアーズが戻るまで全員同じ部屋に居ることになった。
「……ヘス、体調はどうなんだい?」
ララと同じベッドに腰掛けているカミラが小さく呟いた。
今は落ち着いているとは言え、彼は魔女の血を絶やす血族「クルセイダー」の血を引く少年。いつその血が暴れだすとも判らない。
「落ち着いているけどな……夜はキツイな」
冷静を装った顔でヘスが言う。
彼の姿からは判らなかったけど、やはりクルセイダーの血が反応している。
大丈夫なの? 思わずそう言葉を漏らしそうになったリンをガーランドが制した。
「心配するな。もし『そうなった』としても俺とスピアーズがヘス君を止める」
「そうなったら」ーーその言葉にリンは息を飲んだ。
自分達にはそれが来ない事を祈るしか出来ないし、だからといってヘスを突き放す事も出来ない。
リンはヘスの横顔を見ながら、彼の言葉を思い出した。
「もし俺がララやリン、カミラを傷つける事があったなら、その場で殺してくれ」
ヘスは出立前、ララ以外の皆に語っていた。それがヘスの決意。だから弱音を吐くわけには行かない。
「ま、落ち着いているなら大丈夫かね」
小さな部屋を支配していた重い沈黙をカミラの声が断ち切った。
カミラの言葉になぜか大丈夫な気がする。そう思ったのはリンだけではないだろう。
「……に、してもよ」
部屋の天井、梁の上にとまるトトが一同を見下ろす。
「モーリスまで意外と余裕で行けるんじゃね? この村の奴らも手配の事とか知らなさそうだしよ」
「……フム」
確かに。もっとランドルマンの追撃は激しいと思っていたし、協会の手配書も村々に行き届いているものだと思っていた。トトの言うように、悪天候で時間がかかってしまうが、襲われる事無くモーリスに辿り着ける可能性は高い、か。
小さな部屋のベッドでくつろぐ一同を見て、ガーランドはそう思った。
「スピアーズが戻って来次第、休みを取って、村人達が起きる前、明朝日の出前に出立しようと思うがどうだ」
「そうだね、それがいいかもしれないね」
そう言ってカミラが頷いた。
できるだけ人に合わないほうが良い。それが追手じゃないとしても、無関係の人達を巻き込んでしまうかもしれない。それはなるべく避けたい状況だ。
「……スピアーズ、遅いわね」
琥珀色に落ちる窓の外を見ながらリンがそれとなく呟いた。
店主はやっている所はある、と言っていた。それほど広くない村だ。迷うこともないだろう。
ーーだが、スピアーズが宿場を出てから三十分以上が立っている。嫌な胸騒ぎがするのは気のせいか。
ララもリンと同じく、何かを感じたのかゆっくりとベッドから立ち上がると、促されるように窓際への足を進める。
「……あ」
窓の外を見たララがぽつりと呟いた。
「どうした、嬢ちゃん」
「人」
「……何?」
ララが窓の外を指さす。
すかさず駆け寄ったガーランドの目に映ったのは……各々、鎌だの鍬だのを掲げた二十名ほどの村人達。中には狩猟用だろうか、長銃を構えた男も居る。
村に来た時はその姿すら無かった村人達。こいつらはまさかーー
ガーランドの脳裏に一つの答えが浮かんだその時、小さな部屋に爆音と閃光が鳴り響いた。
「なッ!」
「うわッ!」
視界が白く飛び、甲高い鐘の音が頭の中に響く。不意の出来事に、一体何が起きたのか誰も判らなかった。
「……これは」
これは強烈な閃紅と爆音で動きを封じる非殺傷型の電撃魔術書。
第一級魔術構文師であるリンは己の身に何が起きたのか瞬間的に判断することができているようだった。
だからこそ、次に何が起きるのかは大体想像できる。
これを使うと言うことはーー
と、次の瞬間、続けていくつもの衝撃が部屋に起きる。空気の振動から聴力が一時的に無くなっても判るほど、凄まじい衝撃。
窓と扉が破られたということに気がついたのは、一瞬間をおいてからだった。
「……おのれッ!」
白く焼きついた視覚の端に見える、幾つもの黒い影。
協会魔術院のエージェント。何故ここに、という疑問が起きる前にガーランドの腕は動いていた。
ドアを破り、侵入してきたであろう方向に腕を伸ばす。先ほどの位置から推測するに、そちらには味方は誰も居ないはず。だが、ガーランドの指に触れたのは、なめらかな素材で出来た布の感触。
これまで幾度と無く着てきた、魔術師協会のベストの感触。瞬時にそう判断したガーランドは無造作にそれを掴み、己の身体に引っ張り込む。
「うわッ!」
そのままガーランドの身体の中に引き込まれたその人影は羽交い絞めされる格好になり、ガーランドの屈強な両腕が瞬時に首元に絡みつく。
ガーランドの腕がエージェントの頸動脈を押さえ、脳への血液の供給を遮断するーー
まず一人。
ガーランドは視力を失っていると思い込み、油断していたエージェントは抵抗する暇なく、瞬時に気絶しその場に崩れ落ちた。
「殺せッ!」
エージェントの一人が叫んだ。
運良く一人を仕留めたものの、奴らの視界は回復していない。一気に終わらせる。
その声に呼応するように、窓から侵入したエージェントの一人がダガーを構え、ララに襲いかかった。そのダガーは確実にララの首を狙うーーが、
「うぉらぁぁあッ!」
赤く燃えさかる光がララの横を霞め、エージェントに襲いかかった。
「があぁぁぁッ!」
光は一直線にエージェントの肩を貫くと、剣で刺された様な激痛とともに、強烈な熱がその身体を襲った。
スピアーズより譲り受けた、聖騎士の遺産。ヘスのナイフがララに襲いかかったエージェントをなぎ払う。
「ヘス……君ッ!」
次第に視界が蘇ってきたヘスの目に映ったのは、怯えるララの姿。
恐怖でおののいているが、傷は無さそうだ。
エージェントが窓の向こうに消えたのを確認して、ヘスは怯えるララの手を取り、その小さな身体を引き寄せる。
だが、ララの身体が自分の身体に触れた瞬間、背中に強烈な疼きが起きた。その疼きは身体を駆け巡り、視界を赤く染める。
まだだ、まだ待ってくれ。
ヘスはそう祈り、叫んだ。
「……ララに触ンじゃねぇッ!」
完全に視界が晴れる。多少耳に違和感があるが、問題は無い。
ガーランドのオッサンに、カミラ、リン、ルフにアポロ、トト。全員無事だ。
「脱出するぞ、小僧ッ! カミラ、リン! ついて来いッ!」
もう一人のエージェントを昏倒させたガーランドが叫ぶ。窓の外に二名のエージェントが見える。宿場内にも居るかもしれない。だけど、行くしかない。
俺が道を切り開く、と言わんばかりにガーランドが真っ先に部屋を抜ける。その後を追うようにリンとカミラ、ルフとアポロ、トトが続いた。
「行こう、ララ」
ララの手を握りなおし、ヘスが言う。
ララは静かに頷くと、自分を守ってくれるヘスのその手をしっかりと握り返した。